そんな中、心境に変化があったのは還暦を迎えたあたり。3年間の見習い継承期間を経て、24年に元エンジニアだった濵田拓哉・あかり夫妻に経営を譲渡することにした。
「ずっと野球を続け、引退後は、この店でがんばってきた。4人の子どもの子育てもほぼ終えたので旅でもしようと両ひざの手術をし、4年ほどかけて動けるようになった。ただ、いざ旅行に出かけると案外、お金がかかる。こりゃいけんと思って、教えてもらったのがプロゴルフツアーの裏方さん。これなら旅をしながら好きなゴルフも見ることができて稼ぎにもなる。何回かテレビ中継に映ったこともあるんですよ。ツアーには3年ほど同行。女房もときどきついてきて、受付なんかしたりして、楽しかったですよ」
このあたりの創意工夫や生きる力は、府中東時代の恩師で昨夏に島根・開星を率いて74歳で甲子園に再び帰ってきた、あの野々村直道監督の薫陶を受けたからか。
「恩師は末代までの誇り。いまもなお元気に指導されているし、こっちも負けてられない」と片岡さん。「それにしばらく何もしていなかったら社会とつながっていない、オレはもう用なしかと不安にもなり、鬱になりそうだった」と明かし、現在は早朝に宅配便の仕分け作業、時間があれば畑に出向いてのキュウリ栽培をルーティンにしている。
「人間、いつかはみんな死ぬ。それまでにいろんなことを経験したかった。宅配便の仕分けはいい運動になるし、農業もやってみたかった。おかげで健康になりました」
しかし、最近はもうひとつ大きな楽しみを見つけた。それが宮崎ブランドポークを使った手作り餃子の販売だ。きっかけはコロナの前に突然、近所に引っ越して来て、コロナ禍とともに去っていった“謎の料理人”との出会い。「何をつくらせてもうまかった」という彼から伝授された味をベースに日々研究し、改良を加えたものを「餃子のかたおか」として事業展開するようになった。お好み焼き店「かたおか」でも提供しており、これがすでに看板メニューになっている。
















