プロ野球引退後、宮崎市内で人気の広島風お好み焼き店「かたおか」の代表を務めていた片岡光宏さん(63)は経営を譲渡し、次なる挑戦を始めていた。その柱が宮崎ブランドポークをふんだんに使った「餃子のかたおか」販売事業。それ以外にもキュウリの栽培、宅配便の仕分け、はてはプロゴルフツアーの裏方など。激動期を乗り越え、人生の第3ステージを謳歌している。
2月、宮崎キャンプといえば、お好み焼き「かたおか」にたどり着くのが自然の流れ。しかし、いつもニコニコ顔で鉄板の前に立っていた片岡さんがいない。
「そうなんよ。一昨年の6月に店を彼らに継承してもろうて、いまはロイヤリティを何%かもらいつつ好きなことをやっとるんよ。おかげさまで32年間。プロより3倍ほど長いことやらせてもろうた。ようがんばったでしょう」
そう話す片岡さんは広島・府中東の「エース兼4番打者」として出場した1979年のセンバツ大会で大器と騒がれ、その年ドラフト1位で広島に入団。“外木場2世”として背番号「14」を受け継いだものの、右肘を故障してしまい、投手としては登板わずか5試合に終わった。
それでも野手に転向後は死にものぐるいで練習した成果を発揮。88年には10本塁打を放ち、4番を打ったこともある。ある意味で二刀流。しかし、腰痛に悩まされ、中日、横浜(現DeNA)に移籍し、91年オフに29歳で自由契約となった。
短命に終わったプロ野球人生。そこから幼子を連れ、夫人の実家がある宮崎へ。30歳でお好み焼き店をオープンすると自慢の忍耐力とガッツ、さらに美人の奥さんの支えと日々研究を重ねたことで地域に愛される名店となり、春秋のキャンプシーズンには現役選手、OB問わずプロ野球関係者御用達の店となった。
2015年からは「備後府中焼き広報大使」を拝命。ソバは本場広島から取り寄せた生麺を使用しており、ツルツルっとして少し甘みがある。味は恩人の1人でもある故星野仙一さんのお墨付き。実際、あるときは「星野ジャパン」のコーチ陣決起集会として使われ、またあるときはソフトバンクのあるスター選手のキューピッド的な役回りを演じたこともあるという。

















