相談相手はAIだけ 平成不況で敗者復活ならず、孤独な団塊ジュニアがそれでも抱く希望
コンビニをリストラ
浪人生になってからは、予備校に通いながら実家に食費を入れるため、コンビニや「デパ地下」でアルバイトを掛け持ちした。 明確な目標もなく、次第に大学に進む意味を見失った。 まだ珍しかったパソコンにはまり、ゲームやコンピューター系の仕事に興味を抱く。 2度目の大学受験に敗れた後、ハローワークで見つけたSEの人材派遣会社に正規雇用で入った。 しかし、新規参入したばかりのこの会社にはIT企業としてのノウハウも教育体制もろくに備わっておらず、退社してコンビニ業界に戻った。 バイト時代の経験を買われ、正社員の副店長として採用された店では手取りで月35万円の待遇を受けた。 だが、バブル崩壊に伴う平成不況の大波が誠さんにも襲いかかった。 店の運営会社の業績が悪化し、副店長ポストが真っ先にリストラの対象となった。
IT業界の激務でうつ病に
別のコンビニで働くフリーターとなったが、20代半ばを過ぎ、「このままではまずい」と職業訓練を受講する。 成長産業のIT業界へ戻り、システム開発会社の正社員として客先に常駐するSEになった。 通勤に片道2時間半かかるため早朝の電車に飛び乗り、深夜に帰宅した。 食事はコンビニで手早く済ませ、休日は泥のように眠った。 結婚したが、時間も心も全くゆとりがない。 妻の孤独に寄り添えず、半年で離婚した。 ある朝、金縛りのように体が動かなくなった。うつ病だった。 30代半ばごろに退職を余儀なくされた。 その後も、挫折する度に状況を変えようともがき続けた。 「転職回数が増えると、求人の質は下がっていく。行き着いたのはブラック企業ばかりでした」
准看護師免許を取ったら勤務先が倒産
IT業界に見切りをつけた誠さんは、職業訓練で介護職員基礎研修(現在の介護福祉士実務者研修)を修了する。 病院の看護助手の職を得ると、准看護師免許を取るため働きながら2年間の養成学校に通う道を選んだ。 「低賃金の人生を変えられるかもしれない」 退勤後に課題やリポート作成をこなした。 努力が実り、40歳の頃に試験に無事合格した。 ところが直後に勤務先の病院が倒産した。 その後見つけた介護老人保健施設の仕事は、極度の人手不足に陥っていた。 無理がたたり、再び心身のバランスが崩れていく。 ある日を境に強烈な吐き気に襲われ、職場に行けなくなった。診断は適応障害だった。 そんな中、父ががんで他界した。 母からは、当時住んでいた実家を出ていくように言われた。 慌てて見つけた安アパートで職探しを続けたが、就労は困難だった。 貯蓄が底をつき、身の回りの物を売って家賃に充てた。 食事は安いカップ麺などを2日おきに1食だけ。みるみる痩せ細った。 「どうにもならなくなってしまって……」 生活困窮者の支援者とつながり、47歳の頃に生活保護の受給に至った。