「龍一、靴を履いてくれ」 雷が落ちて、りくりゅうが結成された日

内田快

 この冬、木原龍一(33)と三浦璃来(24)=木下グループ=は大会出場のために、名古屋に帰ってきていた。

 「僕、ここのフロントで働いていたことがあるんだよ」

 「その話、何回も聞いてるよ」

 古巣のリンクで2人は練習した。隣接する研修宿泊施設を指しながら、言葉を交わした。

 7年前、木原はフィギュアスケートをやめようとしていた。

ミラノ・コルティナ五輪は16日、フィギュアスケートのペアフリーがあり、三浦璃来、木原龍一組が世界歴代最高点となる会心の演技を披露。ショートプログラムの5位から巻き返し、逆転の金メダルを手にしました。
2人が「りくりゅう」として結ばれたあの日がなければ、このメダルはなかったかもしれません。

 2014年ソチ、18年平昌と2回の五輪に出場した。ただ、肩のけがや脳振盪(しんとう)があって、19年春に前のパートナーとペアを解散していた。

 アメリカから帰国し、愛知に帰郷。小さい頃に練習を積んだリンク「邦和スポーツランド(現・邦和みなとスポーツ&カルチャー)」でアルバイトを始めた。

 当時26歳。同世代の友人は社会に出て働いていた。「僕はペアに向いていない。シングルで国体をめざして、やめようかな」

 施設を運営する東邦ガス不動産開発の飯岡裕輔さん(34)は、面接にやってきた日の木原を覚えている。「スケートしかしてきていないことを、負い目に感じているようだった」

 アルバイトには東海市の実家から車で通った。業務内容は貸し靴の受け渡しや氷上の監視。宿泊施設では宿直も担当した。リンクに来た小さい子とは、ひざをつき175センチの体を小さくして、目を合わせて話をした。

 ホームリンクでは、オリンピアンでも特別扱いはしない。時給は大学生と同じ。後輩たちも昔と同じように接してくれた。「思い悩む時期に孤独にならなかった」と飯岡さん。「彼らとは気を使わずに話せたと思う」

 その年の6月、母校の中京大で日本スケート連盟によるペアのトライアルがあった。ペアに興味がある選手が集まる場だ。連盟のフィギュア強化部長(現副部長)小林芳子さん(70)からは、「アルバイト料は出ないけど、手伝いに来て」と連絡があった。

 3時間ほどのサポートを終えると、小林さんから「ありがとう、龍一君。今後どうするか決まったら教えてね」と送り出された。

 自動ドアを出ようとした時、走って追いかけてくる人がいた。

 ブルーノ・マルコットコーチ(51)だった。

 「龍一、靴を履いてくれ。璃来と1時間だけ滑ってみないか?」

 カナダ出身のマルコットコーチは、長く日本のペア育成に協力してきた。三浦と当時ペアを組んでいた市橋翔哉さん(28)のコーチでもあった。この日、中京大では三浦、市橋組も練習していた。

 マルコットコーチによると、2人は今後も組み続けるか、不透明な状況だった。そこで声をかけたという。

 木原はうなずき、三浦とリンクに立つ。そして、三浦を頭上に放り上げるツイストリフトをした。回転をかけずに投げた三浦の体が、あまりにも高く上がった。

 「オーマイゴッド」とマルコットコーチ。見ていた数人の連盟関係者は、驚きのあまり言葉が出ない。

 木原も「雷が落ちるってこういうことなんだ」。スケートから離れかけていた心が、もう一度氷上に引き戻された瞬間だった。

 マルコットコーチが言う。「彼はあの日、スケートへの愛を取り戻したのです」

 1カ月後、邦和のリンクで木原と、市橋とのペアを解消していた三浦はもう一度滑ってみた。

 「女性からすると投げられるのは怖い。どうしても体がこわばる一瞬があって、そうすると体重が変わる。でも、璃来ちゃんはそういったことが全くなかった」

 木原が漏らした感想を、飯岡さんは聞いている。

 8月に「りくりゅう」ペアの結成を発表し、マルコットコーチのいるカナダへ渡った。

 快進撃が始まった。

 22年の北京五輪では日本ペア初入賞となる7位。23、25年の世界選手権を制した。

 「きっかけを与えて下さった方々に本当に感謝したいです」と木原。人生が変わった一日を、一生忘れない。スケートを続けてよかった。自信を持って今は言える。

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この記事を書いた人
内田快
スポーツ部
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スポーツ
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    平尾剛
    (スポーツ教育学者・元ラグビー日本代表)
    2026年2月17日10時25分 投稿
    【視点】

    ショートプログラム5位からの逆転劇で掴んだ見事な優勝を、今朝(2/17)テレビで確認してから出勤した。画面いっぱいに映し出された泣き崩れる木原龍一選手の背景に、こんな苦悩があったとは…。 ペアを組む人によってパフォーマンスは変化し、それぞれの存在が重なり合う様につい目を奪われる。こうして文字にすれば当たり前なことだけど、いざそれを目の当たりにすれば感動せざるを得ない。呼吸を合わせ、言葉を交わし、長きに亘ってともに練習するなかでコンビネーションは高まってゆく。身体と身体とを擦り合わせ、ふたつの存在が一体化した先に、ハイパフォーマンスが結実する。金メダルという結果もさることながら、私が感動したのはふたりがまるで「ひとつの存在」のように感じられる演技だったからだ。 他者との境界線が融解し、ぴたりと重なり合った存在に私たちは美しさを感じるのだろう。 実に美しい演技だった。

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