顔にもマナーがある!「人生を左右する顔のマナー」って何なんだ?
人生を左右する顔のマナーはいつも口元に宿ると知っておく
顔にもあるマナー……その意味、もうわかったはず。自分では見られない顔、それを常に他者にだけ見せている。だから大人の顔は、心地よいものでなければいけない。子どもは子どもであるというだけで心地よい存在だが、大人になったら意識して心地よい存在であろうとすべき。従って、びっくりするほど美しい必要はない。むしろ相手をホッとさせたり、清々しくさせる顔で生きていたいのである。そういう意味で大人の顔は多少の“社会的責任”を負わされていると考えてみてもいい。 昔は「身だしなみ」と言われたメイクが、やがて何が何でも美しさを追求するものとなったが、一周まわって今の時代は改めて見る人を幸せにするというテーマを持たされている気がする。そうでなければ、こんなにナチュラルのトレンドが続くはずがない。歴史上、今ほどメイクが顔を怖くしない、優しく見せる時代はなかったから。今はまさに“美しさ=心地よさ”という時代なのだ。 ちなみに顔をもっとも怖く見せるのは、眉も含めたアイメイク。そして清潔感を奪う“ケバさ”を生むのもアイメイクの仕業。だから目元は意識して清潔感を追う。 どれだけ目を大きくパッチリ見せてもいいけれど、清潔感だけは死守すること。心地よさ=清潔感だからである。ちなみに誰かの結婚式にスッピンで行くのも逆に清潔感に欠け、明らかにマナー違反。祝福と敬意を込めて粧(よそお)うべきなのに。華やいだ場所には華やいだ顔で身を置くのが周囲を安心させる大人の嗜み、これまた顔のマナーなのである。 神様はよくしたもので、人間に“自分で変えられるモノ”と“自分では変えられないモノ”を与えた。おそらくは公平を期すために。幸福論としてよくいわれるのは、生まれつき変えられない宿命を変えようとするから、そこに不幸感が生まれる。変えられるものだけ変えていく、それが幸せの決定的な鍵なのだと。 外見の美しさも一緒。生まれもった顔立ちの中にも、変えられる場所と変えられない場所があることを常に意識して自分を形づくれば、人は無理なく美しくなれるし、他者にとって心地よい存在になれること、もう一度見直すべきなのだ。歯の美醜は操れる時代だと言ったけれど、肌であれ、眉であれ、目の大きさであれ、メイクでスキンケアで変えようと思えば変えられる。そういうパーツで精一杯の清らかさをつくって、今日会う人を心地よくする、それがその人に幸せを呼び込む理想の美しさであると、今ハッキリ思うのである。 そもそもマナーとは自分のためのものではない。知っているのをひけらかすためのものではない。周りに嫌な思いをさせない、心地よくさせるためのもの。そうしたマナーの本質を身につけた人しか幸せになれないという方程式があること、忘れずにいたい。それを顔でも形にできる人こそが美しさと幸せを両方手に入れることも。 Edited by VOCE編集部
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