先生「おはよう、ミサキ」 ミサキ『・・・おはよ』
前作(novel/21624382)の後日談的なやつです。アンケート協力感謝。
これは...朝チュンですね。はい。間違いありません。
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アラームを止めた先生が気怠げな声で言った。
手をそそくさと布団の中に戻し、目をしょぼしょぼさせている様子から察するに、まだかなり眠たそうだ。
寝癖の付いた髪が、なんだか愛おしい。
・・・はぁ。こんなに幸せで不幸せな朝は初めてだ。
月が沈んで、太陽が昇る。
昨日が終わって、今日が始まる。
どれほどこの幸せな時間を永遠に引き延ばしたいと願っても、それが叶うことはない。
夢は、醒めるから夢と呼ばれる。
先生が「おはよう」と言って、私は甘い夢から醒める。
分かっていたことだ。
昨日の時点で、分かりきっていた。
・・・ああ。日差しが鬱陶しい。
時刻は午前7時。
先生は今日一日大事な予定があるらしく、いつもより早めに出ないといけないらしい。
二度寝なんかしてる場合ではないけれど......
『先生、まだ眠たそうだね。』
『・・・もう少し寝ててもいいんじゃない?』
私はそこまで出来た人間ではない。
一秒でも長く、縋りついてしまう。
この幸せを手放すまいと動いてしまう。
本当に、救いようがない。
救われたいとも、思ってないけど。
「うん......そうだね。」
『・・・えっ?ほ、本当に?』
突然の肯定に気の抜けた声が出てしまった。
願望が現実になりそうな状況に、頭の処理が追いつかない。
「10分.....10分経ったら起こしてくれる.....?」
先生の甘い声が私の心を揺さぶった。
先生と一緒にいる時間が続くことが、私にとってどれほど嬉しいことか、先生は知りもしないのだろう。寂しさを後回しにするだけなのに、既に私の心は青く澄んでいた。
『わ、わかった。10分後に起こす。』
「ありがとう....ごめんね.....」
先生はそう言って穏やかな顔で目を閉じた。
だらしないはずの姿は、私にとっては神様のように思えた。なんて気まぐれでありがたいのだろう。
先生にこんな弱点があったなんて、少し意外だ。
先生は完璧で、欠点なんて無いと思っていた。
・・・他の生徒は知っているのだろうか。
私だけで、あってほしい。
『・・・10分...』
今の私にはあまりに贅沢で、短すぎる時間だ。
私は布団の中でじっとしながら、幸せそうに眠る先生を見つめていた。私の心の様子なんて知る由もないその顔は、とても穏やかな顔をしている。
時々布団の中で微かに笑みを浮かべる先生に、私の胸がじんわりと暖かくなる。こんなにも幸せな瞬間は、いつまでも続いてほしいと願わずにはいられない。
どんな夢を見てるんだろうか。
夢の中に私はいるのだろうか。
出演できるなら先生と何をしようか。
夢なら現実で出来ないことだって.....。
・・・私にだけ都合の良い妄想が頭に溢れる。
その味は、胸焼けしそうなほど甘ったるい。
幸せの定義は知らないけれど、先生とならきっと.......なんて、甘すぎる妄想を垂れ流している時だった。
布団の中で先生が寝返りを打った。
その瞬間、私は思わず身を強張らせた。
その小さな動作が、私の心に響き渡るように感じられた。幸せな時間が、一瞬で不安と絶望に変わった。
『・・・そっか......おこ、さなきゃ...』
心の中で呟くと同時に、胸が重くなる。
私にとっては耐え難い現実。幸せな世界に隠れていたそれが、先生の動き一つで私にその影を掴ませた。
次先生が起きた時が、本当に終わりなんだということ。どんでん返しみたいな奇跡は、もう起きないということを、私は再確認してしまった。
先生の寝息が、私の耳をかすめる。
不安と絶望が私の心を覆い尽くしていく。
時間が止まることはない。
先生が起きる時間が迫っている。
布団の中での安らぎは、とっくに消え去っていた。
時間が過ぎ、アラームが鳴る寸前になっても、私はなかなか行動に移せないでいた。未来の寂しさと現在の幸せが入り混じり、視界が歪んでいく。
先生の寝息が穏やかに聞こえる中、心は激しく揺れ動いていた。
『起こさなきゃ....。でも....』
不安と欲望が心の中でせめぎ合い、私を苦しめる。先生とのひと時をもっと引き延ばしたいという願いが強く、そのまま先生を起こさずにいたいという衝動が押し寄せる。
『でも、これ以上……』
同時に自分の欲望に戸惑い、先生に嫌われる恐怖が襲う。私が自分の欲望を優先したら先生に迷惑がかかることは明白で、私を信頼して頼んできたのに裏切ってしまうことになる。先生に嫌われてしまったら、私は、もう、生きていられない。
『どうして……』
先生と一緒にいたいという欲望と、先生に嫌われたくないという気持ちがせめぎ合う。時間が過ぎるにつれて、葛藤はますます深まり、時計の針が胸を突き刺す。
『どうしよう……』
頭の中で何度も繰り返されるその言葉が、心の中での葛藤の表れだった。どちらの気持ちに従えばいいのか、自分でもわからない。どうしてこんなに悩まされないといけないのだろう。
私はただ先生と一緒にいたいだけなのに。
もう全て投げ捨ててしまおうか、なんて思い始めた時だった。
無機質な電子音が、無慈悲に二人を切り裂いた。
『えっ!?あえっ、ちょっ、ま、待って!』
私のセットしたアラームが時間通りに鳴り響いた。
私の揺れ動く気持ちと違う、残酷な音だった。
私は身を翻し、急いでアラームを止めた。
鳴った時間はおそらく数秒にも満たない。
声もあんまり大きくなかった筈だ。
全身から血の抜けた感覚がする。
『どうか起きないで』、その一心で気まぐれな神に祈る。
しかし、私の祈りは虚しく先生はむくりと起き上がった。きょろきょろと周りを見渡した先生は色々と思い出したようで、私の方を向いてこう言った。
「おはよう、ミサキ。起こしてくれてありがとう」
残酷なほど優しい顔だった。
先生の優しさが私にとっては致命的な棘であり、その温かさがなおさら心をえぐるように感じた。
私は、何も出来なかった。
一緒にいることも、起こすことも。
・・・本当に、情けない。
『おはよう先生......ちゃんと寝れた?』
「うん。ばっちり寝れたよ。ミサキは?」
『私は..........いや、私も寝れたよ。ていうか、時間大丈夫?そろそろ出ないと行けないんじゃないの?』
『あ!ホントだ!急いで準備しなきゃ!』
そう言って先生は慌ただしく部屋を出ていった。
そして.....静かな部屋にまた戻った。
違うのは、先生がいないだけ。
それ以外は、何も変わってない。
『・・・寒い』
冷たすぎる現実が、私を襲った。
布団の温もりも、今ではただ淋しくて、邪魔くさい。
先生が居ないだけで、この部屋は、退屈で空虚だ。
・・・このベットは、独りじゃ大きすぎる。
私は部屋の中で立ち尽くし、先生の影を追い求めた。しかし、現実は冷たく、私の手には何も掴めない。先生の存在が、私の心を満たしていた空間が、今はただの空虚さに満ちている。部屋の隅々にまで染み込んでいる先生の面影も、今はただの虚像でしかない。この部屋にはもう、先生の温もりも、笑顔も、声も、何も無い。
『・・・いかなきゃ....』
私は先生との会話の記憶に浸りながら、シャーレを出る準備を進めた。子どもの悪あがきだと笑われるかもしれない。時間稼ぎをしても意味は無いと、私だってわかっている。
でも私は、私の心を満たす方法を先生しか知らない。
いつもの古びた服に着替え、仮眠室を出る。
暗い廊下が、私を迎えた。先生の姿は見えない。一寸先は闇とは、良く言ったものだ。昨日とは違うように見えても、きっと違いは何も無いんだろう。
廊下を歩く私の心は、何とも言えない寂しさと焦燥感で満ちていた。足取りが重い。砂に足を取られている感覚だ。小さく鳴る足音が、孤独を一層感じさせる。一人は慣れてるはずなのに、何故か涙が出そうになる。
先生は、何処だろう。
しばらく歩いていると、明るい光が漏れ出している部屋を見つけた。その部屋からは先生が外に出る準備をしているのが見えた。
「あれ?ミサキも一緒に出るの?」
急ぎ目にカバンにファイルを詰めながら、私の存在に気づいた先生がそう言った。
『・・・うん。戸締まりとか、面倒だと思うから』
緊張で震えると予想していた声はことのほか滑らかに発された。この空間で心臓だけが忙しなく動いている。
「気を遣ってくれてありがとう。もう準備終わるから、一緒に行こっか!」
笑顔で言う先生は、昨日の事など無かったかのように活力に溢れていた。誰かに頭蓋骨を引っ張られたみたいに頭が詰まり、視界が一気に霧がかる。
・・・・・その笑顔は、見たくなかった。
準備を終えた先生が、部屋を出る。
私は、ためらいながらも先生の後ろを追った。物理的な距離は縮まっていながら、会話の無いまま時間が進む。
足取りはまだ重い。霧がどんどん濃くなっていく。
先生と一緒にいる時間がどんどん遠のいていくような気がする。外に出たら、私たちの距離はますます広がるだろう。
しかし、先生に付いていく以外の選択肢は、私には無い。先生と一緒にいたいという欲求が私の中心で渦巻いている。終わりの時間が近づいているのに、ただ先生の背中を追いかけることしかできない自分が情けなく感じられた。
外は明るく、春風なんてものは一切感じない冷たい風が私達を歓迎した。人通りは時間帯の割に少なく、いつもの喧騒はまだ聞こえない。
「今日はトリニティで大事な会議があるんだ。ミサキはどっち方向?」
『・・・トリニティに行くんだ...私も、途中まで同じ』
「そうなんだね!じゃあ、早速行こうか!」
先生の言葉に、私は少しも歓迎の気持ちを抱かなかった。
「トリニティ」
その名前が出た瞬間、私の世界は重くなる。
姉さんは、聖園ミカと和解した。私のトリニティへの憎しみも、偽物だと分かっている。あの事件以降、ぎこちなさはあるものの、昔ほどしがらみは無い。
・・・でも、過去の日々は消えない。
こびりついた憎しみは、簡単には消えない。
壊れた過去も、今更元に戻せない。
怒りの矛先を急に変えろと言われても、私はできない。
それに.....今、トリニティの為に、私と先生が別れないといけない。トリニティは私から、先生すら奪おうとしている。
そう思うと、偽物が本物に変わった気がした。
「最近、困ったことはない?」
恨みに塗れた私を他所に、先生は雑談とばかりに口を開いた。いつものセリフと、いつもの顔だ。
『特にない。食料の貯蓄もあるし追手も最近は減ってる....至って平和だよ』
「そりゃ良かった。困ったことがあったら何時でも私に言って。力になるから」
『・・・はいはい』
そう、平和だ。
先生に頼るほど、私は困ってない。
困ることが、出来ない。
だから、会う口実を作れない。
理由もなく先生には会えない。
私達は、それだけのことをしてしまった。
気にしなくても良い、いつでも遊びに来ていい、先生はそう言うけど、そう割り切れるほど私は図太く生きれない。
かと言って、過去を抱えたまま歩くことも出来ない。
私は、意味の無い自傷に、意味の無い贖罪を乗せることしかできない。
・・・本当に、情けない。
そう感じた後は、辛い世界でしか無かった。
先生の言葉が右から左へと流れていく。
返事が全て曖昧になり、次第に回数も減っていく。羞恥心が増大し、並んで歩くことに申し訳無さを感じる。歩幅をずらそうとしても、先生の目はそれを見過ごさない。遅れたら合わせて、早めたら追いつく。優しさの断罪が、私に深く突き刺さった。
拷問に近い時間が過ぎ、しばらく無言で歩いていると、分かれ道が現れた。
私たちは立ち止まり、少し距離をおいて向かい合った。
「私はこっちなんだけど....ミサキは?」
先生が指し示した方向は、私とは逆の道だった。先生の言葉を受けて、私は少し胸が痛んだ。
「そう……私はこっち。ここでお別れだね」
先生と別れることを告げるのはつらかったが、それ以上に先生と離れることがつらかった。
「そっか.....じゃあミサキ、気をつけて帰ってね」
先生の言葉が、いつもよりちょっと寂しそうな気がした。その事実に、私の心が晴れやかになる。
しかし、今更もっと一緒にいたいとは言い出せない。
私は、本音を隠してこんな所まで来てしまった。
『うん、じゃあね……先生』
またねが言えない関係に、居心地が悪い。
少しの間私たちは立ち尽くし、言葉を交わさずにただ見つめ合っていた。やがて、先生は軽く手を振り、歩みを進めた。その動作は穏やかで、何事もなかったかのように見えた。私はその優しさに打ち震えた。
先生の背中が遠のく。
一歩、また一歩と無慈悲に私との距離を伸ばしていく。
私が先生を掴もうとしても、手の届かない場所へと消えていく。流れ星のように消えていく先生を、私はただ見送ることしかできなかった。
春が息吹く。
桜の花はまだ舞わず、陽の中で静止している。
愛と言うには低俗で、恋とするにはあまりに幼い、この感情。
虚しい、なんて言葉じゃやりきれない。
文才すぎるだろ