鉛色の春
しほなみ歳の差パロ。
志歩→16歳 高校2年生
穂波→26歳 保健室の先生
いちさき要素も匂わせ程度にありますが、一歌は本編に登場しません。今回はお留守番。
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右に倣え、足並みを乱すな。そんな怒号が飛び交うほど物騒な場所ではない。ただ、常に無言の圧力によって支配されている。それが学校という小さな檻であり、その中で囚われていることを大半の人達は快適だと思うらしい。
一日約七時間。椅子に縛られて無心で板書をノートに書き写したり、意味もなく息を切らしながら走ったり。同級生と中身のない会話を延々と繰り返すことを、世間一般的には青春と呼ぶ。そして、その限られた青春時代にどれだけ没頭することができたかどうかで、自分自身の価値が変わるのだとか。
(馬鹿らしい)
では、青春時代に身を捧げることができなかった者は負け犬とでも呼ぶのだろうか。右に倣えができなくて、授業中は上の空。興味のない話には作り笑いで相槌を打つこともできない。そんな人間は青春を謳歌する資格を持つことすら許されないとでも言うのか。
答えは決まっている。学校という檻の中では大多数の意見が正義だ。少しでも足並みを乱せば後ろ指を指され、個性を尊重すれば淘汰される。そうして、実質死刑宣告を受けた人間が送る学校生活が青く煌めくはずもない。
それを嘆くほどの感性があれば、きっと自分の高校生活はがらりと変わっていたにちがいない。しかし、実際はそんなことを暇つぶし程度に考えるだけで嘆きも喚きもしない。気が付けば高校二年生の五月。青春なんて早く過ぎ去ってしまえばいいと思っていた。
「失礼します」
「あ、日野森さん。また頭痛くなっちゃった?」
「まぁ、はい」
「そっかぁ……それじゃあ、奥のベッドが空いてるから使って」
新学期を迎えてクラス替えを行ったところで、教室の息苦しさが和らぐわけではない。だから、頭が痛いだとかお腹が痛いだとか。小学生でも思い付きそうな理由を毎回ぶら下げて、保健室へ通っている。
仮病を使って頻繁に訪れる生徒を、養護教諭である望月穂波は毎回笑顔で迎え入れていた。理由は深く聞かず、向けられるのは心配そうな視線。この学校内において生徒からも先生からも信望の厚い彼女は、保健室の女神だなんて言って随分ともてはやされている。
「一応体温測っておく?」
「いえ、いいです」
そっか、と短い返事。柔らかい微笑みだけを残してくるりと背を向けた彼女は、流しへ向かうとマグカップを二つ並べてケトルでお湯を沸かし始めた。
その後ろ姿をベッドの端に座りながら眺めている。皺ひとつない白衣。肩のあたりで切り揃えられた栗色の髪に変な癖はなく、その毛先が肩で跳ねているだけ。
(……女神はないな)
優しいという点は頷けるけれど、女神と称するには望月穂波という人間に夢を見過ぎているように思える。普段はしっかりしていてテキパキと物事をこなす彼女だけれど、実年齢より幼い部分もある。怖いものが苦手なくせにホラー映画を見ようとしたり、変なところで頑固だったり。年上の威厳を失わないよう取り繕う姿もあって。
もし、それらを学校内で暴露したところで針の筵にされるだけだった。信者達によって好き勝手言われて、言葉で殴られる。盲信している人達に、自分達が幼馴染だという事実を突きつけたらいったいどれほど間抜けな顔を見せてくれるのだろうか。
「はい、熱いから気をつけてね」
「ありがとうございます」
出来立てのココアを注いだマグカップからは白い湯気が昇っている。それを両手で受け取れば少しほっとしたような顔。すぐに視線を切られて、彼女はデスクの椅子に浅く腰掛けた。
家が隣同士、親同士が仲良し。そんな環境だったから、昔から何かと面倒を見てもらうことが多かった。仕事で忙しい両親に代わって一緒にいてくれた彼女のことを本当の姉のように慕っていたし、その逆もまた然り。
(昔からお節介っていうか、世話好きっていうか)
困っている人がいたら放っておけない性格のせいか、その優しさは誰に対しても平等だった。加えて自ら面倒事に首を突っ込みがちだから、ある意味養護教諭という職業は天職と言えるのかもしれない。
いつも笑顔を絶やさない彼女が、今は熱い水面に真剣な顔で息を吹きかけている。それはきっと、教職者としてのものではなくて。
「授業をサボってる生徒にこんなことしていいんですか、望月先生?」
指の腹で熱を持ったマグカップの側面をなぞりながら、嫌味なことを吐き捨てた。それまで水面に注がれていた視線がこちらに向けられる。
柔らかい空色の瞳は、春の青空よりも澄んでいて。雲ひとつないそれがゆっくりとまばたきをして、綺麗な弧を描いた。
「その言い方は意地悪だなぁ」
「事実ですから」
「それじゃあ、先生は少しおやすみってことでどうかな?」
「学校では先生って呼べって言ったの、そっちのくせに……」
呆れて吐いたはずの息が、どこか弾んでいるようにも聞こえてしまった。仮にも教職者だろう、という正論は飲み込む。正しい言葉も時と場合によっては不要なものへと成り下がることを、最近になって学んだのだ。
湯気が薄くなったマグカップの中身。それに念入りに息を吹きかけて、ゆっくりと口をつけて傾ける。生温かいそれが喉を満たして通り過ぎていく。身体に温かいものが循環するだけで、不思議と肩の力が抜けるようだった。
「そういえば、最近クラスの方はどう?」
「どうって……その質問の方がよっぽど意地悪じゃない?」
「えっ、ぁ、そういうつもりじゃなくて……ほら、最近志歩ちゃんのクラスに転校生が来たでしょ?」
「あぁ」
「うまくやれてるかなぁって思って」
その心配は誰に対してのものなのだろうか。普通に考えれば転校生に対してだが、それだけが答えではない気がする。
じっと見つめてくる空色の瞳。その視線から逃げ切れないような気がして、少し居心地が悪い。
「志歩ちゃんは話したりした?」
「初日に一回だけ……話しかけられたけど、なんか向こうが勝手に盛り上がってた」
転校初日、クラスの人達全員と仲良くなりたいですとその転校生は大真面目に言っていた。教壇の上から響いた声に耳がキンキンと鳴って仕方なくて、思い出しただけで頭が痛くなってくる。
ただ、花が咲くような笑顔にハキハキとした物言いは周囲に好印象を与える。金髪にピンク色のグラデーションを靡かせた派手な見た目も相まって、転校生がクラスに溶け込むのは早かった。
「すぐに友達ができてたっぽいし、心配ないんじゃない?」
きっと、転校生の情報は担任から養護教諭へと共有されているのだろう。だから、彼女は自分が担当している生徒でもないのにこうして気にかけているのだ。
まるで他人事のような口振りをしてみせれば、何故か困ったような笑顔。意味がわからなくてまばたきをひとつしても、その表情に変わりはない。
「そうだね、志歩ちゃんがそう言ってくれるなら心配する必要もないかも」
「なにそれ」
「信用してるってことだよ?」
「さらっと恥ずかしいこと言わないでよ」
本当なのに、と甘い声。揶揄わないで、と素っ気なく返せばそれで終わり。静寂が訪れる。秒針が進む音と、グラウンドで響く活気に溢れた声だけに包まれている。
ちらり、と盗み見たところで彼女はこちらを見てはいない。ちびちびとココアを飲みながら、マグカップを包んでいる指先に力が入りすぎて白くなっているから。
(言いたいことがあるなら言えばいいのに)
友達になれるといいね、とでも言いたいのだろう。べつに、今に限った話ではない。いつもそう。ひとりでいることを心配していて、けれど直接聞くと怒られることを知っているから随分と遠回しな言い方をする。
それがもどかしくて、面倒くさいから苦手だった。そもそも心配されるようなことではない。無理して他人と関わるよりもひとりでいる方が気楽だと何度も言っているのに。
きっと、彼女の中の日野森志歩はいつまで経っても手のかかる妹なのだろう。ランドセルに背負われていて、必死に後をついていくような、そんなか弱い存在。そう思っていることが視線や態度、言葉尻の端々から受け取れるから気に食わなくて。考えただけで苛立ちを覚えてしまうから、甘いココアでぐっと飲み込んだ。