街づくりの道は半ばだ・第3期
前立川市長 青木 久
批判票も増えたが……
1995年(平成7)、8月、3度めぐってきた市長選挙の季節。立川市の街づくりは、まだ道半ばだ。志は貫かねばならない。私の市政を担当する意欲には、みじんも揺るぎない。幸い自民・公明・新進3党2労組の推薦を得て選挙戦に臨んだ。
3人の対立候補は、いずれも「開発主導市政」反対と論戦を挑んできた。特に開発対象となっている立川駅北口の旧高島屋ビルに、立川市が2年間で35億円の補償費を支払うのは「無駄づかい」と主張していた。
これに対し、「現在展開中の都市基盤整備事業は、立川市の骨格となり、その上に安定した市民生活が育つ。旧高島屋ビルへの補償は、開発事業の遅れによるもので、適正な措置であり、市議会もこれを承認している」と反論。その結果は、
青木久 25,691票
松村康夫 19,889票
伊豆よしまさ 2,654票
齋藤員幸 2,071票
しかし、前回の得票数より、4,200票も下回った。これは開発事業の進展が少しずれ込んでいることと、開発優先反対の声に一定の支持が集まったことにあるのだろう。私は、批判票に込められた市民の心情をくみ取っていかなければいけないと感じた。これからは市政を分かりやすく、より透明にしていなければならない。と同時に、福祉・生活の充実にもきめ細かい目配りが必要だった。
開発事業の仕上げに向けて
これからの4年間の課題には、年来続いている立川駅前南口の再開発事業はじめ、多摩都市モノレールの開業、JR中央線三鷹・立川間の複々線化、基地跡地の区画整理事業などがある。また、市内8ヶ所に福祉センターの設置と在宅福祉、中学校への給食の充実を急がなければならない。
一方、市財政は、経常収支比率が98.8%と硬直化している。この比率が100%を超えると「破産」だ。健全財政の指標としては、70%といわれている。市の財政にかげりが出てきた最大の要因は、競輪事業の収益の落ち込みだ。
街づくりの歩み
1995年(平成7)、中央図書館・西砂会館・富士見連絡所オープン
看護専門学校開校
JR中央線三鷹~立川間連続立体交差事業建設大臣から認可。起工式、着工。
1996年(平成8)、文化振興計画・農業振興計画策定
総合リサイクルセンター、オープン
ファーレ立川「都市景観大賞」受賞
立川駅南口再開発ビル起工式
1997年(平成9)、清掃工場新炉竣工
昭和記念公園に日本庭園オープン
多摩都市モノレール試運転開始開校
新庁舎の建設を議決
市庁舎は老朽化が進み、組織が大きくなったことで手狭になり、隣接する民間ビルにまがりしている状況だ。多摩の各都市の多くは、既に新庁舎を造築している。しかし、市庁舎の建て替えについては、市議会で3分の2以上の議決が要る。それには市議会各会派の勢力分布と意向を読み取った上でないと実現不能だ。
1997年(平成9)秋、立川市会議員の最長老・志村真次郎氏が顔を見せた。
「青木さん、新庁舎の建設を議決するなら今だ。市の努力が実りつつある」
言われるまでもなく、新庁舎建設問題については、市議会の議題ともなり、詳細に検討を重ねてきていた。市議会の理解を得るためには、単に市庁舎の老朽化・手狭を訴えるのは意味がない。近隣の都市が新庁舎に建て替えているからと言うようなことであってはならない。立川市が住民本位の市政を進める上で、市の行政機能を向上させる必要があることに主眼があるのだと提議した。
これに対して、与党各会派は市の目的とする趣旨を了承してくれた。新庁舎をどこにおくか。もちろん基地跡地を対象としたい。ただ、国有地の無償払い下げは、実現不能だ。これまで何度となく、防衛庁長官、大蔵大臣に陳情し、時に総理大臣にまでお願いしたことがある。しかし、国有財産の処分は、有償で行うという方針は曲げられない、特例は認められないと、すべて徒労に終わっている。
大蔵省関東財務局立川出張所と立川市の担当者が、場所と価格について協議を重ねて確定した。
玉川上水駅とモノレール駅連絡通路の段差解消
1998年(平成7)6月、西武鉄道の仁杉巌社長がお見えになった。
「私は今般、社長の職を辞しますが、それに先立ってというか、置きみやげというか、立川市に私のささやかな心づくしを遺したいのです」
仁杉氏の話はこうだった。1980年代、自分が第9代国鉄総裁をしていた頃、青木市長は、中央線の複々線化に取り組まれていました。そのために国鉄の退職職員を何人も市職員として雇用し、この人たちを活用されていました。中央線複々線化の問題は、国鉄にとっても必要な事業でしたし、この旧国鉄職員が生き生きと仕事ができると話してくれました。
そこで私は、玉川上水駅とモノレールの連絡通路の段差の解消工事を、西武鉄道の費用で実施しましょう。これは国鉄人としての私、西武鉄道社長としての地元への貢献、二つの意味があります。」
仁杉社長は、淡々と話をされ、にこやかに握手して帰られた。嬉しい贈り物を頂いたのだ。
この工事のおかげで、玉川上水駅・モノレール駅の連絡が安全・円滑となった。
皇太子ご夫妻が国営昭和記念公園へ
1999年(平成11)4月29日・みどりの日、天皇陛下の代理として、皇太子殿下ご夫妻が、国営昭和記念公園にお見えになった。大勢の人たちに歓迎されながら、園内をご観覧になった後、お二人はサトザクラを記念に植えられた。
実はその前年、新宿御苑で開かれる天皇主催の春の園遊会に夫婦ともどもお招きにあずかった。そのとき、車椅子に乗った家内に眼をとめられて、皇后様、皇太子ご夫妻から親しく声をかけていただいた。
私は、皇太子ご夫妻に、国営昭和記念公園の日本庭園は、お二人のご結婚を記念して造成されたのですから、ぜひ一度お運び下さいとお誘いした。それが実ってのご訪問だったから、地元の市長として、私の嬉しさはひときわだった。
日本庭園は、1997年(平成9)に完成した。国営公園内に日本庭園を造っているのは、ここだけ。
広い池を核とする伸びやかな見晴らし。数寄屋造りの茶屋「歓楓亭」は、周囲の緑に調和してみごとな結構だ。 私たちは、そっと離れて静かに散策されるお二人を眺めていた。
このあと公園に隣接したホテルで昼食。
ご夫妻から、公園の景観の素晴らしいと褒めていただき、武蔵村山の地酒をお奨めしたところ、ご機嫌良く盃を重ねていただいた。
私自身は、緊張していたのだろう。何を食べたのか未だに思い出せないでいる。