昨日、東京・青梅のマイコン博物館に行きました。
3年前、DPZライターのほりさんが私と四谷くんをイベントに誘ってくださり、18:00に青海集合の約束をしたところ、当日四谷くんが間違えて青梅に行ったという事件がありました。
(この出来事は、事実であるものの、アイドルの虚飾ツイートみたいな内容なので、人には言えないものとして引き出しにそっとしまっています)
その時、四谷くんは青梅駅の改札から外に出ずとんぼ返りしたそうですが、「Googleマップで調べたら、なんか青梅駅の近くにマイコン博物館っていうのがあったよ」と教えてくれました。
「なんか気になるから行ってみるか」と、3年越しにその情報のみで行ってみました。
迷う
お昼過ぎに青梅駅に到着。せっかく青梅に来たので昭和レトロ商品館と昭和幻燈館に行きました。
大正時代の「スペイン風邪予防のポスター」に描かれていたようなマスクを見つけてテンションが上がる
気がつけば16:00、旧青梅街道沿いにあるというマイコン博物館に向かいます。
道沿いの人形屋さん。「家族愛」というそぎ落とされたキャッチコピー。
マップにしたがって旧街道を歩くも、気がつけば目的地のピンを通り越してしまっています。
そろそろと元来た道を戻ってみると、目の前にあるのはりそな銀行のATM。
「迷った・・・?」と状況がつかめないでいると、りそなクイックロビーの入口右手に裏口へと続く細い道が。その壁に「マイコン博物館」の表示が。恐る恐る奥へ行くと、なんとりそなの裏口が入口でした。
たまたま扉を開けて外に出てきたスタッフの方に「博物館観覧希望ですか?」と聞かれ、導かれながら二階へと向かいます。
緊張
二階にあがってすぐ、「まず、このロッカーに荷物を預けてください」と指示が。ごそごそ手荷物をまとめていると、スタッフの方が、「好きなマイコンの番号のロッカーに入れてください」と言ってきました。
「え?」と目を移すと、カギには長めの英語と数字のタグが付いています。
「こ、これ、マイコンのなんかしらの型番や・・・」と気づきました。
「ま、まったくわからん・・・!」
にわかに緊張してきました。一つもわからない!この番号を選んだことについて何か聞かれた時なんにも返せない・・・!
私は、「そういば、ラジオ『深夜の馬鹿力』で、伊集院さんがマイコンについて話してたことあったな~」くらいのレベルで、マイコンのことを一切知りません。
「門外漢が来る場所じゃなかったかな・・・」と鼓動が速まりました。
全く詳しくないけどテンションが上がる
ドキドキしながら奥へ進むと、
わ・・・!
ズラッと機器が並んでいます。
「知識があれば・・・」と悔やみはしましたが、
フォルムがかっこいいので見ているだけでも楽しい。
いつか、中身を見てあれこれわかるようになりたいです
キーに描かれている記号や文字がいろいろあって面白い。
上段のキーの側面には、「市」「区」「町」「村」「年」「月」「日」とあって、使用頻度の高い漢字は特定のキーが割り当てられています。和文タイプっぽくていいですね。あとスペースキー長っ!
キーの手前側面にある「田」みたいな図形がよくよくわからない。家帰って調べよ・・・
スタッフの方によると、「この場所はもともとりそな銀行の青梅支店の事務室で、かつての大金庫もあるのでぜひ入ってください。」とのこと。なるほど、りそなクイックロビーの二階に位置する意味が分かりました。
元大金庫の中には、計算機やタイプライターが
よくわかってはないのですが、たぶん論理演算の機械・・・ですかね
タイプライターは本を読んでオリベッティとかレミントンとかは何となくわかる程度です。何気にレミントンは初めて実物を見ました。
ゲーム機もありました
この前、DPZのライターの文園さんが言ってた「ワンダースワン」や・・・!
ゲームボーイカラー、PSP、DSなど私がかつてあそんだことがあるゲーム機もありました。おそらく、先輩方は私がこうした2000年代以降のゲーム機に感じる思いを、歴代のコンピュータ機器に対して感じているんだろうな・・・と思いました。
10代ばっかり
この博物館には、館長が蒐集されたマイコン雑誌を自由に閲覧することができます。
私はどのマイコン雑誌がメジャーかもよくわからず、『アスキー』をチョイス。
すると、自作ゲームのためのプログラム、最新のマイコン情報、合成音声等先端技術の解説など、濃密なマイコン情報がぎっしり・・・!
びっくりしたのが、Q&Aコーナーで「この機種でこの機能を使用したいのですが可能ですか」といった、私には全くわからないマニアックな質問をしているのが、ほとんど13才とか15才だったことです(当時を生きた方々には当たり前のことかもしれませんが)。
読者の雑談おたよりに、「試験前だから、親にマイコンさわるの禁止された」と嘆く14才のメッセージがあり、「うわ、ガチ中学生やんか」と震えました。
マイコン文化は若者に受け入れられていたんだろうなと漠然と考えてはいましたが、こんなにも若いとは思っていませんでしたね・・・。
(家に帰ってDPZのT・斎藤さんの記事を読んで、家でなんとしてでもゲームをしたい子供がマイコンにのめりこんだのかなと思います。
今のプログラミング教育って、なんかこう「将来、仕事で役に立つから!」みたいな面が強い気はしますが、この純粋な「ゲームしたい!」という原動力がマイコンブームの中にはあったのかもしれないなと感じます。
最近は「子供がゲームばっかりするのは嫌だけど、プログラミングに興味を持ってくれるなら」とマイクラは許可する親がいるらしく、なんか色々変わったなという感じです。)
マイコンの歴史の資料がアツかった
展示室の中央にはゆっくり本が読めるソファ&テーブルがあり、そこに館長がまとめた「マイコンの歴史」というファイルがありました。
あまりにもマイコンに疎いので、「ありがたい・・・」と拝読。
第二次世界大戦から冷戦体制へ、そしてアメリカでベトナム戦争のカウンターとしてのヒッピー文化と隣り合わせのマイコンブームが起き、数々のベンチャー企業が立ち上がったという経緯・・・
それらの歴史と共に、計算機、暗号解読機、マイコンといった機器の進化がまとめられていました。
アツかったっすね・・・
機械の知識が浅い私でも、歴史のダイナミックさとコンピュータを開発した人間ドラマにくらいました。学校の共用コンピュータをずっと占領していた、幼いポール・アレンとビル・ゲイツの話はもはや大河でした・・・。
ホクホクになり、博物館をあとにしようとしたところ、館長の吉崎さんが声をかけてくださいました。
吉崎さんはかつてアスター・インターナショナルので働いていた折に、アスキー出版の西和彦社長の急なスカウトで初代『月刊アスキー』の編集長になったという方。
吉崎さんはこの博物館を運営しながら、子どもに電子工作を教えているそうです。
マイコン博物館に行って、「コンピュータのしくみと歴史を勉強してからまた来よう」と思うとともに、子どもは舐めたらあかんな・・・と思いました。
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