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相手選びは慎重に!/Novel by けあっつ

相手選びは慎重に!

10,436 character(s)20 mins

BOOTHにて頒布しておりました「荷物運びは慎重に!」がありがたいことに完売いたしましたので、BOOTHに記載しておりました通り2話目をweb掲載します。
1話目はこちらです→ 「荷物運びは慎重に!」novel/15940512

お手に取っていただいた皆様本当にありがとうございました!
なお、以降の話数web掲載の予定は今のところありません。
再販の予定も今のところありません。

なんでも許せる方向けです。

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 初めて訪れた時も、ここで二の足を踏んでいたんだよなぁ。
 真選組の名が世間に浸透し始めた頃に、私は飛脚の仕事を始めた。彼らは警察のくせにチンピラだ不良だとやたら悪名高くて、あまり良い印象を持たれていなかった。私だってその一人だった。だから担当配達地域に真選組屯所があると聞かされた時は血の気が引いたし、すぐに転職を考えた。懐かしい話だ。
 しかし何度も足を運ぶうちにすっかり慣れてしまって、今や門をくぐるのに躊躇など一ミリもない。なんなら、しょうもない話すらできるほど、私は彼らに馴染んでしまった。それなのに今こうして真選組屯所の看板を前に立ち止まっているのは、別に当初を思い返して感慨に耽っているわけではない。さっさと仕事を終わらせて早く帰りたい気持ちすらある。だけどこの門をくぐったら、彼と……沖田さんと、顔を合わせることになると思うと、どうも足が動かなくなってしまう。
 ここを訪れるのは、あの日以来だった。テロ疑惑をかけられ真選組屯所まで連行されるパトカーの中で、運転する沖田さんに突然口説かれた、あの日。完全に冤罪だったので軽い取り調べだけで解放され、翌日にはスクーターを新調して、再び仕事と婚活の穏やかな日々に戻ることができた……かに、思えた。
 あれ以来どうも、何にも身が入らなくなってしまった。沖田さんとのことが頭の中をぐるぐる駆け巡って、仕事では簡単なミスが頻発している。マッチングアプリを見ようとも思えない。自分の恋愛耐性の無さが浮き彫りになって困惑している。婚活を初めてからデートなんて何度もしたし、誰かと付き合ったことも数回あった。場数は人並みに踏んでいると思っていたのに、あんな言葉ひとつで自分を保てなくなってしまうなんて……自分の喪女っぷりに、ほんと辟易する。
 深呼吸をひとつして、よし、と軽く気合を入れる。いつまでもこんな所に立っているわけにもいかない。毎度おなじみ定期配送の、マヨネーズの段ボール箱を抱え直す。意を決して、屯所内に足を踏み入れた。

 できれば会わずに済ませたいという私の願いは完全に空振りした。玄関先で声をかけて出てきたのはやはり、いつもどおり額にアイマスクを携えた隊服姿の沖田さんだった。彼の姿を見た途端、うるさいほど鳴り出す心臓。噴き出す汗。それを悟られないように、平常心を取り戻そうとして余計に焦る私。なにやってんだ。落ち着け私。
「あ、お、沖田さん、お久しぶりです」
「そうでもねェが」
「え? そうでしたっけ、あ、これ、お届け物です」
「おう。待ってたぜィ、お前が来んの」
「え……えっ!?」
 顔が熱くなるのがわかる。今の意識しすぎている私にとって、その言葉は刺激が強い。そんなに私に会いたかったってこと? また、あの時みたいに口説かれてしまうのか、と思うと、嬉しいような、そうではないような、いろんな感情が混ざり合う。ダンボール箱を持つ私の手元に沖田さんの手が伸びてきて、その手の行方につい期待をしてしまっている自分に困惑した。ついに彼の手が、私の手に軽く触れた……かと思うと、その両手は私の手から荷物を取り上げた。私から離れた土方さんの荷物は、沖田さんの手により雑に土間に放られ、これまた雑にガムテープを引っ剥がされた。一瞬でボロになった箱から現れたマヨネーズを一本取り出すと、彼は乱暴に外装を剥がして蓋を開け、懐からドクロマークが描いてある「いかにも」な小瓶を取り出す。
「ようやく、コイツが使える」
 そう言うと沖田さんは、その中身を躊躇なく流し入れ始めた。
「……お、沖田さん? 一体何を……なんですか、それ? なんかこう、ヤバい薬、みたいに見えるんですけど……」
「ヤベー薬なんざ、警察官が持ってるわけねーだろ」
「で、ですよねぇ! よかった、いくら沖田さんが土方さんのこと憎んでるからって、さすがにそんな非人道的なことするわけないですよねぇ」
「たりめーだ。これはただの毒」
「ヤベー薬じゃねーか!! なに!? なんで一回否定したの!? なんでそれヤバくないって言い切ったの!?」
「言うほどヤベーことにはならねーよ。なにも人を殺める威力があるわけじゃねェ」
「ああ、そ、そうなんですか……よかった、ちょっと安心しました……って、いや、よくはないけど」
「死んだほうがマシだと思うくらい苦しんでのたうち回るだけだ」
「それヤベー薬って言うんですよ!! 沖田さんのヤバいの基準どうなってんの!? バグってんの!?」
「死なねー薬ならバファリンと同等だろ」
「同じじゃねーよ!! その薬優しさの欠片も無いでしょうよ!!」
 薬を入れられたマヨネーズは見る見るうちに、紫のような青のような黒のような、もはやマヨネーズとは言えない物体に変化していった。さすがにこうなってしまっては、あの重度のマヨラーといえど口にしないと思うけど……って、待て。ちょっと待て。
「あの、沖田さん?」
「なんでェ」
「私が言うのもなんですけど、普通すぎません?」
「は?」
 目の前の彼があまりにいつも通りなボケをかますもんだから私もいつも通りにツッコんでしまったけど、本来こうはならなかったはずだろ。だって会うのはあの時以来だ。もっとお互い意識して、視線すら合わないくらいぎこちなくなってもおかしくはない。それなのに、なんでこうも普通にできるんだ。あの時のことを忘れてしまったみたいに。
 まさか、あの時のことを意識してるのは、私だけだって言うのか?
「沖田さん、この前私に……お、俺にしとけ、なんて、言いましたよね?」
「言った」
「ってことは、私のこと、す、好きなんですよね?」
「さァな」
 さァな!?
「さぁ、って……沖田さん、自分が言ったことには責任持ってもらわないと私が困」
「んなことよりサブ」
 んなことよりィ!?
 こ、この男、私が今日まで散々悩んでたことを、さァな、なんてはぐらかした上に、んなこと、っつったか。出会いを求めて婚活こそしてきたが恋愛経験なんぞ無しに等しい私に、あんなことを言っておいて。
 そうか、結局からかわれていただけだったのか。その甘いマスクはきっと、これまでに数々の女の子のハートを掴んできた。だからこそ言えたんだろう。人の心を弄ぶ、そのタチの悪い冗談を、軽々しく。
「あそこのデケー建物、お前担当区域内だろィ。あそこで何か変わった噂とか……オイ、聞いてんのか」
「……そうですか。沖田さん、別に私のこと好きでもないのに、あんなこと言ったんですか」
「は?」
「さぞ面白かったでしょうねぇ、恋愛に免疫のない女を捕まえて、心にもないこと言って相手を戸惑わせるのは。アンタの思惑通り、私はここ数日アンタのことばっかり考えてましたよ。完っ全に時間の無駄でしたけどね!」
「なんの話でェ」
「帰ります! もう二度とその綺麗なツラ見せないでくださいよ、このドエス! バカ色男!」
「褒めてんのかけなしてんのか、どっちだ」
「うっさい! バーカ! バーカ!!」
 踵を返し、わざと足音を立てながら屯所を出た。語彙が少なすぎて小学生の喧嘩みたいな捨て台詞しか残せなかった。それに羞恥と若干の後悔を感じていたが、それ以上に怒りが体中を支配していた。
 私が馬鹿だった。あんな男の戯言を真に受けて、ひとり浮かれていた私が馬鹿だったんだ。帯刀している男なんてロクでもないと、あの父親のせいで痛いほど分かっていたはずなのに。それを忘れてしまうほどの力があった。あの男の、あの言葉には。
 ……ほんと、馬鹿だな、私は。
 冷静に考えれば、あの人が私なんかを相手にするはずがないのだ。若くして真選組一番隊、切り込み隊長の重責を担う、才能あふれる彼。それに加えてあの見た目。性格に多少難があるとはいえ、女性など選び放題なはずだ。あの人に言い寄られたら、きっと誰だって満更でもない顔をする。今となっては恥ずかしい話だが、私だってそうだった。そんな男が、私のようなただの飛脚の女を本気で口説こうなんて思うわけがない。誰でもよかったんだ。面白い反応が見られれば、誰だって。運悪くそこにいたのが、私だったというだけの話だ。
 その日の終業後、私は久しぶりに、マッチングアプリのアイコンをタップした。

 あの時の勢いでメールを送った男性とは、有難いことにやりとりが続いている。同年代の彼とはどことなく気が合った。文字でしか交流のない人間を信用しすぎるな、と常に自分に言い聞かせている。けれどそれを忘れてしまいそうになるくらい、彼とのやりとりは楽しかった。沖田さんへの怒りも、彼のおかげで和らいでいた。
 この人ならきっと、好きになれるかもしれない。
 自慢にすらならないが、これまでの婚活で出会った人を好きになったことは一度もなかった。付き合うに至った人すらもだ。結婚相手を選ぶにあたって、私にとって最重要なのは侍ではないことだ。収入が安定していて、多ければさらに良い。人間性など二の次だ。どんな人間でも、結婚して長く一緒にいれば、多少の情は湧いてくるだろう。だから相手を好きになれなくてもいい、というのが私の考え方だった。だけどそれは、あくまで最低条件だ。条件を満たしたうえで好きになれそうな相手がいるのなら、それに越したことはない。
 そんな相手に出会えたのは初めてだった。運命すら感じていた。あの時、沖田さんへの怒りに身を任せてメールを送っていなければ、この出会いはきっと無かったことだろう。
「……ということで、沖田さんにはちょっとだけ感謝してるんですよねぇ」
「そーかよ」
 翌週。定期配達に伺うと、出迎えてくれたのはいつも通り寝起きの沖田さんだった。怒りなどすっかり消えている私の浮かれポンチな報告を、彼は一ミリも興味が無さそうな顔で受け流す。
「いやぁ、いるところにはいるんですねぇ。私、こんなに気が合う人初めてですよ」
「そりゃあ良かったな」
 サインを貰うため、ついでに先週貰い忘れた分と合わせて二枚の受領書を沖田さんに手渡すと、彼は先程渡した荷物を椅子代わりにしてどっかり座り、脚を組んでペンを走らせる。その尻の下にある荷物は土方さんのものなんじゃないのか、なんて思ったけどもはやそんなことはどうでもいい。なぜなら今の私は幸せだからだ。
「実は、今日会う約束してるんですよぉ。連絡取り始めてから一週間で会う約束なんて早すぎるかなと思ったんですけど、もうこれは多分運命だからいいかなーって」
「へぇ」
「今日の夜、公園の家康像前で待ち合わせなんです。経営者なんて忙しいだろうに、わざわざ時間作ってくれたんですよぉ。ほら、あそこの大きい建物が職場らしいんですけどね?」
「あの建物の……社長?」
「ええ、すごいですよね、私と同い年なのに」
「……おいサブ、そりゃあ」
「テメェ総悟コラァ!!」
 私達の会話をぶった切って入ってきた怒号は土方さんのものだった。怒りを向けられているというのに沖田さんは飄々とした態度を崩さずにいる。私はといえば少し驚きはしたが、幸せなので心穏やかだ。
「なんですかィ土方さんデケェ声出して、みっともないですぜ」
「何しらばっくれてんだ! テメーだろ、俺のライター改造したの! 何だよあの火力、火炎放射器か!?」
 土方さんは、依然として座ったままでいる沖田さんの胸ぐらを掴み、引っ張って立ち上がらせた。相当ご立腹の様子だ。よく見ると、彼の前髪が少し焦げている。そりゃあ怒りもするだろう。今幸せである私には関係のないことだが。
「ヒデーや土方さん、俺のこと疑ってんですかィ。俺じゃねーかもしれねーのに」
「オメー以外にいるかよ、あんな露骨に俺の命狙ってくる奴!」
「いるかもしれねーですぜ。鬼の副長なんて呼ばれてんだ、隊内で恨みなんざごまんと買ってんでしょう。土方さんの寝首掻いてやろうと思ってるやつくらいいくらでもいるってのに、俺ばっか疑ってほんとヒデーや」
「……すまねェ総悟、そこまで言うってことは、今回はお前じゃねーのか。悪かったな、俺の勘違いで怒鳴ったりして」
「まあ、やったの俺なんですがね」
「やっぱりお前なんじゃねーか!! なんだったんだ今の無駄なやりとり!?」
「今回はいけると思ってたんですけどねェ、またしくじっちまったか。チッ」
「舌打ちィ!? どのツラ下げて舌打ち!? っつーかテメー、今座ってたやつ俺の荷物じゃねーか何座ってんだ!!」
「え、土方さんの? あっぶねぇ、これ以上座ってたらケツが陰気臭くなっちまう」
「ケツが陰気臭くなるってなんだよ!!」
 また始まってしまった目の前の喧嘩に、いつもならため息が出るところだが今回は心穏やかだ。渡した受領書は未だ沖田さんの手の中なので、また巻き込まれる形で足止めを食らっているが、まあいい。いくらでも待とう。待ち合わせの時間に間に合ってさえくれれば、もうなんでもいい。
 なぜなら、今の私は幸せだからだ。

 公園の家康像といえばこの辺りじゃ定番の待ち合わせスポットで、あちこちにカップルの姿が散見される。
 指定の時間より数分早く到着した。着いたことを彼にメールして、辺りを見回してみるが、それらしい人はいなかった。待ち合わせまで、まだ少し時間はある。忙しい人だろうし、多少の遅刻には目を瞑ろう。だってこの話が上手くいったら玉の輿だ。この婚活ライフに終止符が打てるのだ。少しの遅刻くらいなんてことはない。
 時間は刻々と過ぎていった。幸せそうに寄り添うカップルたちも、時間の経過とともに視界からいなくなっていき、今やこの公園にいるのは私と、ダンボールハウスを根城にする公園の主たちだけだ。家康像の真正面を陣取って数時間、草履の前坪が私の足をじわりじわりと痛めつける。
 本当に現れるんだろうか、彼は。
 確かに、多少の遅刻には目を瞑ると決めていたさ。だが、これは多少の域を超えている。何度メールをしても返事は無い。電話をかけようにも、メールでしかやりとりしていない相手の番号なんて知っているわけがなかった。着物の裾が夜風で少し揺れるたびに、虚無が襲いかかる。下ろしたばかりの着物も、不器用ながらも頑張って巻いた髪も、これじゃあ完全にから回ってる。
 ……いや、やめよう。後ろ向きになるのは。
 立ち上げから数年で、あの高さのビルが持てるほどに会社を急成長させた人だ。忙しいに決まってる。今日だってきっと、外せない仕事が入ってしまったんだ。そうに違いない。待てるだけ待ってみよう。彼が来た時、私がいなくなっていたらさすがに可哀想だ。きっと、いや、必ず来る。だって、この出会いは運命なんだから。
「おう。待たせちまったか」
 背後からの声に胸が鳴った。ほら、やっぱり彼は来てくれた。待ちくたびれた顔を見せないよう、彼に見えないように一瞬で表情を作って、振り向いた。
「全然、私も今来たとこ、ろ……で……」
 彼の姿を視界に捉えた瞬間、言葉を失った。待っていたはずの人とは、全く違う人物。亜麻色の髪。ふたえの大きな目。暗い中でもはっきりと輪郭のわかる、黒の隊服。
 私もよく知った顔。沖田総悟の姿が、そこにはあった。
「そーかい。そりゃ、オメーも随分な遅刻だな。何時だと思ってんだ。もう日付変わってんだろ」
「いや、そりゃホントに今来たわけじゃ……っていうか、沖田さん、なんでこんなところに」
「オメーがまだ待ってんじゃねーかと思ってな」
「……まさか、沖田さんがメールの相手だった、とか?」
「んなわけねーだろ」
 この状況に、脳内のクエスチョンマークが無限増殖する。来るはずだった人が来なくて、来るはずのない人が私に会いに来て。なんでだ。結局、彼は来るのか? もう、全然わからん。
「これ以上待っても無駄だぜィ。来ねーよ、奴ァ」
 私の脳内を読んだかのように、沖田さんはそう言い切った。
「なんで沖田さんにそんなことがわかるんですか」
「そりゃあ、とっ捕まえたの俺らだからな」
「……とっ捕まえた?」
「前に、お前が大使館に爆弾運ばされたことあったろィ。あん時の爆弾作ったのが、奴よ」
「……はぁ!?」
「表向きには何だかの製造業だの謳ってやがったけどな、蓋を開けりゃあとんでもねぇ。高性能な爆弾作って浪士どもに売っぱらってやがった」
 理解し難い。というか、理解を脳が拒んでいるみたいだった。運命だと思っていた相手が裏では攘夷浪士と繋がっていて、それもよりによって今日、私と会う直前に捕まるなんて。そんなの。そんなのって。
「……嘘でしょ……」
「運が悪すぎたな」
「っていうか、今日行った時に教えてくれてもよかったんじゃないんですか!?」
「言おうと思ったら土方のヤローが邪魔してきたんでね。話の腰折られて、そのままになっちまった」
 クソ、土方さんめ……って、いや、土方さんのせいなんかじゃない。そもそも、私の男を見る目がしっかり養われていれば、こんなことにはならなかったんだ。こんな、来ない人を何時間も待つことにはならなかった。攘夷浪士に加担するような人間を、運命の相手だと勘違いすることにはならなかった。クソ、私は……なんて無駄な時間を……!
「だから、俺にしときゃあよかったんでェ」
 後悔に苛まれ三井寿みたいに項垂れている私に、ぽつりと言葉が降ってくる。何の気なしに言ったのであろうその言葉が、無性に気に障った。
「どの口が言うんですか、そんなこと。人のこと馬鹿にするのも、大概にしてくださいよ」
「馬鹿にした覚えはねェが」
「思わせぶりなことを言ってからかってるんだから、馬鹿にしてるのと同じです。私のことなんて、好きじゃないくせに」
 自分が惨めで、目の前の男が心底憎たらしくて、涙が出そうになってツンと鼻が痛くなった。泣きそうになっているのを見られたくなくて、顔を下に向けた。沖田さんには、私の気持ちなんてわからない。何とも思ってない人間に、平気であんなことを言える人には。
 私があの時どれだけ、あの言葉に心を揺り動かされたかなんて、沖田さんにはわからない。
「好きじゃねェとは、言ってねぇだろ」
 いよいよ涙がこぼれそうだという時に思わぬ言葉が聞こえて、うっかり顔を上げてしまった。泣くのをぐっと我慢して、涙目で鼻水が出かかっている私の顔を見た沖田さんは、相変わらず飄々とした表情で「変な顔」とオブラートに包む様子もなくズバリと言った。うっさい。
「す、好きじゃないとは言ってないって……じゃあ好きってことなんですか」
「さァ」
「またその返事……それって、別に好きじゃないってことなんじゃないんですか」
「だから、好きじゃねぇ訳じゃねェよ」
「何なんですか、それ……もう、沖田さんが何を考えてるのかわかんないです」
 溜まった涙がついに頬を濡らす。それを皮切りに、我慢していた分が一気に溢れ出た。自分の手で頬を拭っても拭っても止められない。それを見かねたのか、沖田さんは自分の隊服の袖を引っ張って、私の頬を拭ってくれる。沖田さんの隊服は、ほんの少しだけ鉄の匂いがした。
「俺にだって、わかんねェよ」
 沖田さんは相変わらず飄々とした顔をしている。だけど少しの不安が垣間見えた。距離が近いから、わかってしまった。彼はきっと今、本音を話している。
「お前がいると楽しいとか、毎週お前が来んのが待ち遠しいとか、そういう気持ちが俺ん中にあんのは、自分でもわかってんだ。だが、これが恋とか愛とか、そういう類のモンなのかは自分でもわかんねェ。誰かがそうだと断言してくれりゃあ俺にも確信持てるが、そんなこと教えてくれる奴なんざいねェだろ」
 素直にそう零す姿はあまりに見慣れないもので、いつの間にか私の涙は止まっていた。沖田さんの手が私の頬から離れていくのが、少しだけ名残惜しいと思ってしまって、私は気付いてしまった。どうしてあの言葉に、あんなに心を振り回されていたのか。どうしてこれだけ、感情を動かされていたのか。
 この気持ちは彼に向けてはいけないと、心の奥にしまい込んで気付かないふりをしていたことに、気付いてしまった。
「確かめさせてくれねェか。これが何なのか。お前にしか、お前でしか、確かめることはできねェから」
 その言葉に首を縦に振ってしまいたいのを、ぐっと堪えた。だってどんなに嬉しい言葉だったとしても、どうしても許容しかねるのだ。その袖口の血の匂い。腰に携える立派な刀。彼が武士である以上、私はそれに、頷くわけにはいかないのだ。
「……沖田さん、ダメなんです。だって侍は、置いていくでしょう。私と母を置いていった、あの人みたいに」
 私の父は、かの攘夷戦争で死んだ。武士として刀とともに死ねるのなら怖くないと言って、呆気なく死んでいった。仲間の浪士たちに勇敢だったと称えられた父の死に様は、あまりに自分勝手だった。
 私は、寂しかったのだ。武士の魂なんてどうだっていい。ただ生きて、そばにいてほしかった。それなのに、父は私と母を置いていった。父が死んだときの母の表情は、幼い私の心を締め付けた。私と母の気持ちは、きっと微塵も父に届いていなかったんだと、悟ってしまった。
 国のためなんかより、目の前の家族を大事にしてほしかったという、私達の気持ちなど。
「……父が死んだ時の母は、小さい私から見ても、あまりに可哀想だった。私はきっと、自分がそうなったら耐えられません。だから、刀を生業にしている人とは一緒にならないと決めたんです。もう置いて行かれるのは、嫌なんです」
 気付いてしまった自分の気持ちにもう一度蓋をした。真選組は、廃刀令で一度奪われた刀を取り戻し、再び江戸で侍になったと聞く。そんな気概ある武士の魂を持った人間が、ひとりの女のために刀を捨てるなんてできるわけがない。これは、私が持ってはいけない感情だった。気付いてはいけなかった。
「……ってェことは、いいってことだな」
「……は?」
 私の言葉を受けての彼の返事があまりに斜め上すぎて、少しばかりのノスタルジーな気持ちが完全に吹っ飛んだ。どうしてそうなる? どこをどう解釈したらそうなるんだ?
「ええと、沖田さん、人の話聞いてました?」
「だから、置いていかなけりゃあいいんだろ」
「いや、まあそうですけど……じゃあ、まさか刀を捨てる覚悟ってこと?」
「んなわけねェだろ。俺にはこの生き方しかできねェ」
「じゃあ、やっぱり無理じゃないですか」
「無理じゃねェ。俺が死ななきゃいいだけだ」
「刀で生きていく以上危ない目には何度も遭うでしょう。死なないなんて保障できるわけない」
「保障なんざ必要ねェや。保障云々以前の問題だからな。俺が戦場で死ぬこたァ、絶対に無ェ」
「なんでそう言い切れるんですか」
「ならオメーは、俺が死ぬような玉に見えんのか」
「……見えない」
「だろ」
 自分は絶対に死なないなんて、どう考えても根拠がない。だけど、自信満々にそう言ってのける彼の言葉を、否定するだけの根拠がないことも事実だった。
 それなら私は、信じてしまいたかった。この男を。
「そう簡単にゃ、死なねェよ、俺ァ」
 真選組の切り込み隊長。戦場の最前線なんて最も危険な立ち位置で戦う人。それでもきっと、いや絶対に彼は死なない。それは願望なんかじゃなく確信だ。
「だから、お前が教えてくれ。この気持ちの正体。お前じゃねェと、答えは出そうに無ェ」
 彼の瞳は、私の心を貫通する。そんなふうに求められて、首を横に振るなんてできるわけがない。一度は蓋を閉じかけたこの気持ち、やっぱり素直にさらけ出してみようか。きっと、後悔なんてしない。彼は絶対、私を置いていったりしないから。
 だって、彼は沖田総悟なんだから。

 関係性が変化したからといって突然イチャイチャべったり、なんてこともなく、いたっていつも通りだ。沖田さんは真選組で刀を振るい、私は相変わらず荷物を運ぶ日々。
「こんにちはー、お届け物ですー」
 屯所への定期配送、出てきたのはやはり、いつも通り沖田さんだ。
「おう、サブ」
「……その呼び方は、やっぱり変わらないんですね」
「なんでェ、名前で呼べってか?」
「いや、まあ、別にいいんですけど……」
「呼んでやろーか」
「えっ?」
「耳貸せ」
 思わず胸が鳴ったのは、やはり関係が変化したからだろうか。恋人に名前を呼んでもらうことが、こんなに嬉しいことだったなんて初めて知った。私は期待に胸を膨らませて、荷物を下ろすことも忘れて、彼に左耳を差し出した。
 緊張の面持ちで彼の言葉を待った私の耳には、彼の甘くて優しい囁きが届……くことは一切無く、代わりに、生暖かいものが、ぬるりと這った。
「んな、なっ、なっ、舐めっ……!?」
 驚いて持っていた箱を思い切り土間に落とした。が、正直それどころではない。舐めやがった。この人、私の耳舐めやがったぞ!?
 私が驚きを隠せずにいるのとは対照的に、当の本人はといえば、やはり飄々としたままだ。
「あーあ、箱ひしゃげてらァ。こりゃ土方さんの雷が落ちんじゃねーか」
「だ、誰のせいだと思ってんですか!? いやもう、そんなことどうでもいいっていうか、お、沖田さん何してくれて……」
「ほーう、客の荷物落としておいてどうでもいいたァ、随分と見上げた飛脚殿だな」
 背後からの声に血の気が引いた。ゆっくり振り返れば、そこにいたのは、あの鬼と呼ばれるほど恐ろしい副長様の姿であった。
 その後、私が無事に屯所を後にすることができたかどうかは……ご想像に、お任せするとしよう。

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