ジャニーズ 対 名和新芸能学院に関する報道に基づく年表

Public 93views 1 3703
2026-02-14 18:11:56

ジャニーズ 対 名和新芸能学院に関する備忘録 https://privatter.net/p/11862044 から、ほぼコピペですが年表を作成しました。

【明】週刊明星1964年9月27日号『本誌独占 ジャニーズはどうなる!?――告訴沙汰と関係者のいい分』P34~38
【サ】週刊サンケイ1965年3月29日号『〝ジャニーズ〟売り出しのかげに 事件の背景』P26~30
【平】週刊平凡1967年7月27日号『トピックス ジャニーズが地裁の法廷に立つ』P36~37
【女】女性自身1967年9月25日号『ジャニーズをめぐる“同性愛”裁判』P40~42
【タ】竹中労『タレント帝国』(1968年)P244~258
【ス】竹中労『スキャンダル紅白歌合戦』(1979年)P120~127
【文】週刊文春2000年1月27日号『ジャニーズ裁判元タレントはなぜ「偽証」した キャンペーン再開!』P180~181
【TBS】2023年6月17日放送「検証・ジャニー氏 性加害問題 2度の裁判とメディアの責任【報道特集】」https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/549163

1960年
時期不明
【女】秋本勇蔵が新芸能学院の生徒となる。

1961年
10月
【タ】秋本勇蔵が新芸能学院の生徒となる。

1962年
1月
【明】ジャニー氏から学院に児童部を作ってはどうかと提案。子供たちも紹介できるという。
3月
【明】児童部が“芸研ジャニーズ”として発足。一般応募者も含めてレッスン開始。ジャニー氏が連れてきた(後の初代ジャニーズ)4人の成績が良い。
(時期不明
【女】【TBS】秋本氏(18歳)がジャニーズ・ジャニー氏と知り合う。
【タ】【TBS】秋本氏がジャニー氏にイタズラされる※「17歳のときにイタズラされた」「1962年に被害に遭った」という証言から推測したもの。)
6月
【明】ジャニー氏の提案で4人の月謝を免除、将来諸費用を返してもらうことに決定。契約書は無し。
8月
【明】ジャニーズが売れ始める。マネージャーは純子夫人がやることになっていたが、ジャニー氏もよく働いていた。ジャニーズとジャニー氏が学院内に泊まり込むようになる。

1964年
6月某日
【明】ジャニーズのデビュー曲のレコーディングについて、名和氏とナベプロ間で意見の相違。
(時期不明
【女】秋本氏がジャニー氏に嫌なことをされる。
【ス】青井が純子夫人に「ジャニー氏と風呂に入ったら、足の裏を舐められ、それから変なことをされた」と泣いて訴える。夫人は「ふざけたんでしょう」と答えたが、夫人からその話を聞いた名和氏が調べたところ、小学生から高校生を含む14人が同様の被害に遭っていると判明。)
6月12日
【サ】児童タレントKの顔色が悪い。流行りの睡眠薬遊びでもしているのではないかと問い詰めたところ、ジャニー氏が自慰を教えたという。他の子供にも被害者がいることが分かる。ジャニー氏を追い出すと決意。
【女】桑原洋治くん(取材時点で既に引退)が、名和氏に「毎晩のようにジャニー氏からいたずらされている」と泣きつく。猥褻な写真を見せて興奮させたうえで、体を触ったり触らせたりしたという。名和氏が調べたところ、ジャニーズ4人を含む15人の被害者がいることが判明。ジャニー氏を呼びつけて「出てゆけ!」と怒鳴る。
【タ】学院のK少年が名和氏の部屋に「ジャニー氏に接吻された」と駆け込む。名和氏はジャニー氏を「君は変態ではないのか」と詰問。青井の件もあったため厳しく追求。名和氏の調べにより、小学生から高校生を含む14人の被害者がいると判明。メリー氏に抗議すると「弟にそんな趣味はない」と否定したが、結局泣き泣き真相を告白。
6月14日
【サ】子供たちが小道具の刀を持ち、ジャニー氏をやっつけると騒ぐ。“芸研ジャニーズ”を解散すべきと考える。
6月16日
【サ】メリー氏から「ジャニーは無実」と、感情的な電話あり。
【タ】名和氏が青井父を喫茶店に呼び出す。日テレの遠藤プロデューサー同席。青井に対するジャニー氏の猥褻行為を暴露し、ジャニーズ解散を主張。
6月19日
【女】青井が、名和氏に「あんなことをされて僕の一生はおしまいです」と訴える。青井の両親を呼んで話し合う。ジャニーズの他の3人と、日テレのプロデューサーも同席。青井父が青井に「本当にそんなことがあったのか」と問い詰め、青井は「あった」と返答。
【タ】ジャニーズ4人の父親を三福会館に集める。話し合いの結果、ジャニー氏に手を引かせることに決定。
【ス】ジャニーズ4人の父親を三福会館に呼び出し、ジャニー氏の猥褻行為を暴露。ジャニーズを解散すべきと主張。
6月28日
【サ】ジャニー氏が引退。ジャニーズのマネージャーは純子夫人とメリー氏が務めることに。名和氏も頼まれたが「ジャニーズ」という名前が嫌なので断る。
【女】ジャニー氏が正式に学院を出る。その際の話し合いで、ジャニー氏は疑惑を否定。しかし彼の退席後、ジャニーズ4人はいかがわしい行為をされていたと認める。同日夜、青井父が名和氏に対し「このことは誰にも言わないでください」と泣いて土下座。
7月初旬
【明】名和太郎・純子夫妻と喜多川姉弟、ジャニーズの父兄が集まり、三福会館で話し合い。メリー氏曰く、「話し合いの結果、弟は忙しいので手を引き、私がジャニーズの世話をすることになった」。
7月10日
【タ】ジャニーズの父兄が、銀座東急ホテルに名和氏を呼びつけ、同性愛事件は名和氏のでっち上げだと非難。「今後はメリー氏に一切を任せるので、あなたには手を引いてもらいたい」と宣告。
【ス】ジャニーズの父兄が銀座東急ホテルに名和氏を呼び出し、同性愛はでっち上げだと非難。「メリー氏に一切を任せることにしたので、あなたには手を引いてもらいたい」と言う。
7月13日
【サ】純子夫人が、父兄代表の青井父に呼び出される。「奥さんには気の毒だが、マネージャーは子供たちの希望でメリー氏に一任する」と言われる。純子夫人は「辞めても構わないが、金銭的な精算をつけてから返事する」と答えて帰宅。
7月15日
【タ】ジャニーズが学院を去る。
7月29日
【明】名和氏がジャニー氏(※勤務先の米国大使館)宛に、「約370万5千円を受け取る権利がある」という内容の催告書を送付(金額の内訳はジャニーズの授業料、特別レッスン料、スタジオ使用料、宿泊食費の計114万円。ジャニー氏が学院に呼んだ外部タレントのスタジオ使用料28万5千円。ジャニー氏の言動による営業妨害の損害賠償160万円。その他)。
8月14日
【明】ジャニー氏が抗議の返事を送る。「日本と米国の相互防衛援助協定条約第六号第十一条に基づき、速やかに告訴する」との内容。
8月某日
【平】名和氏が東京地裁に訴え出る。
9月27日
週刊明星の報道。

1965年
1月16日
調停第1回期日。
2月19日
第2回期日。
3月15日
第3回期日。
3月29日
週刊サンケイの報道。

1967年
7月27日
週刊平凡の報道。
9月11日
【女】ジャニーズ4人が証人として出廷(※16回目の公判)。4人は“同性愛”について、原告側弁護士から尋問を受けたが、「知りません」「そんなことがあったらジャニーさんにはついていきません」「わかんない」「覚えていません」などと証言。裁判の趣旨と直接関係がないとしてそれ以上は追求されず。
9月25日
女性自身の報道。

1968年
『タレント帝国』発売。

1979年
『スキャンダル紅白歌合戦』発売。

1999年~
週刊文春の反ジャニーズキャンペーン。
・・・
時期不明
【文】純子夫人曰く、「マスコミの方には初めて話す。ジャニーズのメンバー2人が台所に上がってきて、『僕もう、このままじゃダメになっちゃう』と私に訴え始めた。何のことか分からず、とにかく頑張りなさいと言ってしまった。2人は『汚いんだよ』とか『気持ち悪いんだよ』とか口々に言っていた。よく聞くと、文春が書いているような内容だった」。それを聞いた名和氏が、レッスンを受けに来ていた少年たちに尋ねると、十数名の被害者がいることが分かった。ジャニー氏は否定。しかし純子夫人は、メリー氏から「1945年7月9日の和歌山大空襲の際、ジャニーは40代の男性にイタズラをされた。だから、ジャニーのことは可哀想な癖だと思う」と聞かされる。
名和氏がジャニーズ4人の両親に事情を話し、話し合いの場を設ける。保護者たちは「芸能活動は続けたいが、子供たちをジャニー氏の側には置いておけない」という意見で一致。ジャニー氏と名和氏が手を引き、純子夫人にマネージメントを任せることに決定。しかし、しばらくして保護者たちから「子供たちの希望なので」との通告があり、4人は喜多川姉弟についていく。その際、メリー氏が「もう、引き上げどきね!」と捨て台詞を残したという。


Press the Nice button to this post.


© 2026 Privatter All Rights Reserved.