『星獣戦隊ギンガマン』第四十五章『妖精の涙』
◾️第四十五章『妖精の涙』
(脚本:荒川稔久 演出:辻野正人)
導入
今回は最後のサヤメイン回だったわけだが、やはりどうしても前回のゴウキ、次回のハヤテ、次次回のヒカル、そして裏ヒロインとなったヒュウガと比べるとどうしてもサヤだけは最後までキャラクターとしての芯が決まり切らないままだった。
まあもちろん彼女のメイン回そのものは他のメンバーと同じくらいに多かったのでローテーション自体は悪くなかったのだが、やはり小林靖子氏が深く関わらず他の脚本家任せだったのが問題だったのだろうか。
ボックとの関係性が掘り下げられていたわけだが、劇中で回想シーンが唐突に挟まれたことも含めて、妖精の扱いなど諸要素が全くうまく本筋の積み重ねてきたものと連動していない。
第八章から書き続けてきた通り、サヤはやはり第一印象というか初期メイン回の段階でどうしてもここぞというところの見せ方が弱いという印象は否めなかった。
地球魔獣復活という大筋に対して、サヤの花の戦士という設定がうまく活かされたような展開ではなかったし、そもそも荒川稔久はこういうSF考証は苦手な脚本家である。
いやまあ荒川に限らずぶらざあのっぽ出身の脚本家は往々にして作家性があまりないイメージなのだが、「カーレンジャー」「メガレンジャー」ではそれなりの本を描いてた彼も本作では自分の色を出しきれなかったのだろう。
それは「アバレンジャー」のオフィシャルムック本で「ジュウレンジャーやギンガマンのような正統派の王道系は苦手だった」と語るわけだ、まあ所詮は上原正三エピゴーネンだから仕方あるまい。
今回に関しては映像面・脚本面ともにクオリティーが低く、何よりギンガピンクがリアルにリュックサック背負って敵に突撃とか製作陣は何を考えてるのか?と思ってしまう。
サクッとレビューを終わらせてしまおう。今回のポイントは以下の2つだ。
花の戦士にあるまじき「戦犯」
『侍戦隊シンケンジャー』のシンケンイエロー/花織ことははサヤのリベンジキャラか?
ではレビューしよう。
花の戦士にあるまじき「戦犯」
今回に関しては各所で言われている通り、完全な「やらかし」「戦犯」であり、サヤのいいところを抽出すべきところが逆に足を掬われる結果となってしまった。
特に「花の戦士」であるにも関わらず、花の妖精が具現化した少女の声を「ごめんね、今それどころじゃないんだ」と無視してしまったのは非常によろしくない。
これはまあ第二十七章以来ずっと脚本を担当していなかったということもあるのだろうが、なぜこの脚本と演出で高寺PはGOサインを出してしまったのか?
初期からの構築に失敗してしまったといえばそれまでだが、やはりリアルタイム当時から一貫してサヤのことだけは昔から好きになれなかった。
もちろんそれは役者が悪いとかいうことではない、むしろ役者は非常にいい人を揃えていながら、その素材を活かしきれなかったということだ。
ギンガマンの5人は非常に優秀な戦いのプロだが、そんなプロの戦士が自然の声に耳を傾けないということが果たしてありうるのだろうか?
サヤが未熟だから心身ともに未熟さが目立ち、というような段階はもうとっくの昔に通過しているわけだから、やはりここで取り上げるべきではなかった。
いわゆる「成功につながるための失敗・敗北」と「絶対にやってはならない過失・やらかし」というのがあって、今回は間違いなく後者である。
今回のサヤの失態がどれくらい酷いのかを是非とも実例で表してみよう。
①「ドラゴンボール」のセル編でセルを完全体にしてしまったベジータ
②「デジモンアドベンチャーぼくらのウォーゲーム」のパソコンをフリーズさせた八神太一
今回サヤがやらかしたことはこのレベルであり、まあ流石に地球魔獣を成功させていないだけマシだが、今回は事が事だけに私でさえも擁護のしようがない。
しかもその後に思いついた策がリュックサックにボックを抱えて突撃とか頭が悪すぎて、マジで荒川稔久をはじめ作り手は何を考えてこんな展開を入れたのかと思う。
荒川稔久は本作に限らず、自身のメインライター作品でも時々話の展開を盛り上げるためにこういう突飛なことをやりたがるが、今回は完全にそれが裏目に出ている。
思えば「カーレンジャー」の45話でも恭介がなんかストーカーじみた「生身で怪人殺し」というのをやってたけど、あれは明らかに痴情のもつれから彼氏が間男を刺したようにしか見えない。・
まあ小山高生然り香村純子然りぶらざあのっぽが倫理観を欠いたクズ集団であることは今更いうまでもないだろうが、どうにも今回はそれが出てしまったように見える。
「重々しいことをコミカルに表現できる」というある種の「軽さ」が戦隊シリーズらしさだったりするが、今回はその辺の匙加減を完全に間違えたとしか言いようがない。
『侍戦隊シンケンジャー』のシンケンイエロー/花織ことははサヤのリベンジキャラか?
さて、今回改めて見直して思ったことだが、『侍戦隊シンケンジャー』のシンケンイエロー/花織ことははサヤのリベンジキャラと思わせる一面があった。
共通していたのは以下の要素である。
健気な最年少の少女キャラ
ヤンチャ系の弟キャラとセット(ヒカル&サヤと千明&ことは)
寡黙なカリスマキャラに憧れ(サヤ→ヒュウガとことは→殿(丈瑠))
こういった要素にギンガレッド/リョウマが持っていた「素直な弟キャラ」と「兄の代理で戦っている」を合体させて侍少女にしたのがこと派だったのではないだろうか。
サヤというキャラクターが失敗に終わったからこそ、ことはは森田涼花というアイドル出身の役者を選んだこともあるが、ある程度リベンジには成功している。
サヤからヒュウガへの憧れというのものがことはから殿への忠義心に変わり、そこにリョウマの素直で謙虚な面と代理人で戦う設定にしたことでうまくキャラが固まった。
逆にいえば、やはりリョウマとサヤはどうしてもキャラが重なってしまったところがあり、特に一番良くなかったのが「ヒュウガへの憧れ」ではなかろうか。
やはりリョウマが炎の兄弟としてドラマを作りやすい分、単純に「ヒュウガへの憧れがある」というだけではもはや霞んでしまうくらいに濃いのだ。
しかも最高の最終回が待ち受けていることを考えると、つくづくサヤの反省があったからこそことはがリターンマッチとしてうまくリファインした結果になる。
「シンケンジャー」が唯一「ギンガマン」に勝ってるところがあるとすればそこだろう、ことはのキャラ立ちはサヤに比べればしっかりしていた。
まあ逆にいえば玩具売り上げや視聴率含めた数字面でも作品のクオリティーとしても「シンケンジャー」が「ギンガマン」に勝ってるところなんか一個もないけどな(笑)
ちなみに感想では「モーク+ボック」が「タイムレンジャー」のタックだと言われているが、私は別に司令官キャラはどうでもいいと思っている。
過去回想にしたって序盤のどこにも描かれていなかったのに、今回突然に持ち出したから無理矢理後付けてやっているようにしか見えなかった。
この後、荒川稔久は『仮面ライダークウガ』を最後に『忍風戦隊ハリケンジャー』で参戦するまで、しばらくスーパー戦隊の現場からは離れることになる。
90年代最後の戦隊シリーズの荒川脚本がこんな低クオリティーというのが本作唯一の汚点になってしまったではないか。
総評
今回は最後のサヤメイン回だったが、一貫して最後までサヤには「何もなかった」としか言いようがない。
「びっくりするほど何もないな」という「シンケンジャー」終盤の影武者ネタの予兆はこの時すでにあったということか。
流石にこんなゴミクズを擁護する気はないので、この回は忘れてしまおう。
評価:F(駄作)100点満点中15点



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