6歳で被爆、いまも残る差別の記憶 「日本生まれの朝鮮人」語る葛藤

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武田肇
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聞きたかったこと 広島

 6歳のとき被爆した広島県大竹市の姜周泰(カンジュテ)さん(86)は2024年、日本原水爆被害者団体協議会日本被団協)がノーベル平和賞を受賞した際、素直に喜べなかったという。なぜなのか。

 1945年8月6日午前8時15分。幼なじみから「はるちゃん」と呼ばれていた姜さんは、漫画の本を抱えて3軒先の友人宅へ向かう途中で被爆した。爆心地から2.5キロ離れた広島市皆実町(現・南区)の住宅地だった。

 「急に目の前が真っ暗になって、家々が揺れ出し、屋根から熱い瓦の破片が雨のように降ってきた」

 とっさに両手で頭を守ったが、気づけば血だらけだった。泣きながら帰宅すると、家は柱が折れてつぶれ、下敷きになった父と弟を母が必死で引っ張り出していた。

家族6人、命はつないだが

 当時、父はぜんそくで寝たき…

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この記事を書いた人
武田肇
広島総局員
専門・関心分野
原爆・平和、朝鮮半島、鉄道