拾弐
拾弐
――回想より六十四年後。現在。
辰の正刻(午前八時頃)
暁桜殿玄慈が
山麓地とも言われる未開発・未開拓地帯を二人と一頭は進んでいた。
「玄慈様、この数日、準備にかまけて鍛錬を怠ってはおりませんか?」
「仮にも天嵐様がおわす大霊山で育ったのだ。そのような無作法をするものか」
玄慈は少し不服そうに返すが、実は、時間が足りなかったのは事実だ。
短い時間とはいえ――日に、一刻程度――鍛錬が出来ただけ良しとしていた。
最も重要なのは睡眠である。玄慈は短時間の睡眠で一日行動できるが、その短い睡眠を大切に取らねば、意味がない。短時間で品質の良い睡眠をせねば、のちのち、負債がたまって悪質な長時間睡眠を取るはめになる。
なお、この稽古だが。その相手は和真である。
弓の稽古と剣・組み手の稽古が半々。和真は弓使いで、弓が専門だが、刃物が扱えぬというわけではない。
彼の巧みな小太刀術と徒手格闘術は、
玄慈にしてみれば、己の性自認が男とはいえ、憧れの師匠から鍛えてもらえるのだから乙女のように舞い上がっていた。
彼は男として、男もすきなのだ。
玄慈と禰涅は道をゆく中で、度々手を閉じたり開いたりしていた。こうしてほぐしておかないと、いざというとき手が固まって刀を握れなくなる。
「戸羽、どうした」
戸羽。歩鳥である一羽へのその名付けの由来は、彼女の羽根がとに飾られていたことである。
玄慈はこの歩鳥を神社の畜舎で見繕ったのだが、その番所に彼女の尾羽根を用いた破魔矢が飾ってあったのである。
いわく、神社――美桜天嵐神社の神職がいうには、戸羽は「賢く、勇猛だが扱いづらい」という。
じっさい、彼女は度々力強くぐいと引っ張ってきたり、頭突きに近い勢いで頭部をこすりつけてくる甘え(?)を見せてくる。
その戸羽は喉を低く鳴らした。
玄慈は彼女がなにかに警戒しているものと判断し、足を止める。
禰涅はなんでもない旅人を装いつつ、すでに掌の皮に埋め込むようにして仕込んでいた寸鉄を、先端を皮からひねり出して構えている。
寸鉄は一寸にも満たぬ、ほとんど針のような刃物だが、目潰しには充分である。
彼女は身ぐるみを剥がされても、何かしらの状況でも戦えるよう、このように身体中に暗器を仕込んでいるのだ。
それこそ、胃をしごくように刺激すれば、ぬるぬると分銅付きの縄くらいでてくる。
「何者だ。出てこい」
玄慈は低く周囲に問う。
――
そう言わざるを得ない。
禰涅でさえ、正確にその位置を把握できていない。
野生の勘で戸羽のみが異質さと、異様な空気を感じ取っているようだが。
ゆえに、玄慈は下手に刃物を抜くことは避けたい。
それはこちらに敵意があると思われたくないのはもちろん、武術に秀でたものほど、無意識に刃物に反応するようにできている。
それは普段温厚な者であっても――例えば、師匠の和真さえ――刃を見れば、咄嗟に刀の柄を握り込むほどである。
「ほう、わしの気配に気づくとはやる」
「悪趣味な真似はやめよ。これ以上付けるのならば、こちらも黙ってはおれんぞ」
「黙っておられぬか。ならば、如何とするか」
「しれたこと、貴様を斬る」
玄慈は左手で鞘を握り、親指を鍔に当てる。鯉口を切らんとしている。
動作一つ一つが会話である。
己のこの仕草で、相手はこちらが「最後の警告だぞ」という状態であると察しただろう。
「ほう。どこにおるやもしれぬものを斬るとは、これまた愉快」
「すべて斬り尽くせばいずれ貴様も両断できよう」
「なるほど、乱暴だが筋が通っておるわ。しかしわしは妖怪。みだりに山河を刻まれてもかなわん」
この問答がある種の試験のようなものだったのだろうか。
さて、玄慈は鯉口を切るか――いや。
そうした諸々の迷いを誘うのが、この問答の狙いとみた。
であれば、――こちらは武の神使。あいてに退く気概がなければ、退かせるまで。たとえその相手が、首だけになろうが。
玄慈は素早く、鯉口を切った。
柄はすでに握っている。鞘と柄を引き合いつつ刀身を鞘走らせ、すべらかに、素早く抜刀。
正眼――切っ先は相手の喉。見えない相手を探りつつ、腰を落とし、すり足で周囲を警戒する。
「禰涅、戸羽を。一人でやる」
「よろしいので」
「構わぬ。向こうもそれを望んでおるのだろう」
禰涅は戸羽の手綱を掴み、「よーし、よし」と言いつつ場から遠ざける。
と、――。
頭上。玄慈の直上から、殺意が刃物となって降り注いできた。
垂直に落下してきたのは、竹槍。
仕込んでいた罠だろう。
玄慈は素早く右、直進、左斜直進、右、右、直進の順で急な角を描くように進む。
降り注いできた竹槍はずどっ、どどどっ、と山野に突き立った。
玄慈は容赦のない「狩り」に対し、舌打ち。
向こうがその気になっていれば、とっくに自分たちは終わっていた。
その事実に悔しさと屈辱を抱く。
「舐めた真似を」
「わしがしたいのは、勝負よ。腰抜けなど求めておらぬ――罠にさえ気づかぬ青二才もな」
「抜かす。勝負をしたいと。ならば出てきたらどうだ。卑怯者め」
「すまぬな、元が
元
「右だろう」
「凌いでみせよ」
ちかり、と何かがひらめいた瞬間、玄慈の愛刀・
甲高い音がし、仕掛け弓の矢を弾いていた。
続けざま――。
「くそ」
二、三、四。
都合、六発もの矢が時間差で飛来。位置は、微妙にずれつつ。間断なくとはいえないが、油断を誘うような差を作って攻める巧妙さ。
いずれも弾き落とすと、玄慈はいよいよ自分が
「反射が良い。神使など血筋だけの坊やの集まりだとばかり思っておったが、なかなかどうして遣り手だ」
「能書きを聞くのにも飽いた。でてこい、斬り伏せてくれる」
玄慈は、ついに気配の出どころを察した。
西北西、距離は十七間(およそ三〇メートル)。驚くほど近い。
(和真も気配を消した途端霧のように掴みどころをなくすが、
言葉を失しながらも、玄慈はつま先で足元の小石を蹴り上げると、左手で掴む。
手のひらに収まる大きさのそれを、肘から先と、手首の返しで投擲。
飛翔した石が藪に消え、大きな影がぐんと踊って、宙に舞う。
そいつは男。背が高い。目算で、およそ六尺(約一八〇センチ)はある。
背中には黒黒とした大鴉の翼。髪の毛はなく、僧形と言って良い。つるりと毛を剃り落とし、青々としている丸い頭。
目は石のように黒く、生命力に満ち、外見は三十なりたてくらいか。実年齢は、その老獪さから三桁入っていそうである。
手には、特徴的な見た目の十文字槍。
「
「元、坊主だ。わしは還俗しておる。喰っていくためには狩らねばと言う真理を得たのだ」
「生臭坊主め。……その槍、
「如何にも。わしは宝槍院流槍術の遣い手だ。元々
「殺生に生き、否定して、またもどったか。忙しい男だ」
けれど、愉快な男だと思った。
玄慈は油断なく構えつつ、名乗る。
「狂飆天嵐流皆伝、天嵐神社が武の神使、樹洞子暁桜殿玄慈」
「宝蔵院流槍術皆伝、獣狩、
暁舜がす、と槍を構えた。腰の横で、石突を高く、穂先を脛を払うように低く――下段に。
槍や薙刀は、脛切り、また脛払いという刀には難しい技を持つ。
これによって刀剣使いを苦しめる。
刀の達人が素人の槍に勝てないのはこれが理由だ。――まあ、この言い回しは随分な誇張表現だが、伝わりやすさとしては適当なところである。
じり、と玄慈は後ろに一歩下がる。
両者の距離は喋っている間に、五間(九メートル)ほどに縮まっている。
槍はながさ一丈(三メートル弱)。
踏み込みや腕の長さと合算し、倍は詰められる。
そして、相手は獣狩で、烏天狗ということを考えれば。
――なにかしらの、からくりがあると見ていい。
少なくともこれまで、さんざん罠を弄された。
点をついた突きか、棒として薙ぎ、叩いてくるか。それとも穂先の脇の刃で切り、掻いてくるか――。
汗が滲む。
面倒だ。あの十文字槍。
玄慈は正眼から、切っ先をややななめ下、柄を腰に引く構えを取る。
狂飆天嵐流に見られる下段守りに特化した、颶風の構え。
正眼――と世間的に言われる、凪風の構えに対し、守護に特化した状態である。
暁舜は綽々としつつも、油断も慢心もない構え。
下段から、中段へ。それから、掲げ持ち、武芸絵巻にしか見られないような大仰な構え――穂先をこちらに向けて、大上段に構える。
けして馬鹿にしているわけではあるまい。
下を守られれば上から。
玄慈も応じて、上段に刀身を添える。多くの流派で霞と言われる構えで、天嵐流においては突風の構えというそれ。
どこかゆったりとした演舞めいたこの動作。
構えから構え、それらを、継ぎ目なく行い続けて相手の集中と辛抱を断ち切るのだ。
せっかちな猪武者に、まず、真剣勝負は向かない。そういう連中は、木剣仕合では無双であろうが――。
「ふふ、わしも運が良い。まさかこのような僻地で、これほどの者と対峙できようとは」
「……
「そういうな、山ぐらしはなかなか人肌恋しくなるのだ。お主は見目が良いな。組み敷くのも、悪くない」
「獣と、まぐわっていろ」
気を乱すな、と玄慈は己に言い聞かせる。
不用意に攻め込めば、たちまちに崩される。それは、お互いにわかっていること。
狂飆天嵐流はその太刀筋に独特の妖力操作を乗せることを前提としている、剣術と妖術の合技流派である。
玄慈の妖力は生まれ持ったものか、わずかに術法が乗っている――その術法属性の木、とくに雷撃が乗っており、彼の妖力斬撃には僅かな帯電性がある。
相手はそれを知ってか知らずか、刃を合わすことを負けとにわかに察しているらしい。
だが――。
(凌いでも躱しても、先を獲らねば俺が殺られる)
玄慈は、十文字槍とそれを巧みに扱う宝槍院流をそう認識している。
突く、切る、掻く、打つ。四つを可能とする、技量に特化した槍術。
余人にはわからぬこと。実際にそのように対峙してみねばわからない。
喧嘩でも、なんでも――。
気と気がぶつかり合い、両者の先を取り合うこの目に見えぬ勝負。
派手に打ち合わねば勝負ではないか? 否。
ミタマはすでに、刃を鳴らし、鍔迫りあっている。
暁舜は、なお余裕を持っているが。
彼は内心、
(トラバサミに眠れる龍がかかると、誰が思うか)
冷や汗を垂らしていた。
(このわし暁舜、かつて鬼をも討ち果たしたとはいえ)ひやり、と心の臓が冷たい血を奔らせる。(龍を狩るなど、はじめてだ)
思いを巡らせる。
この、突如仕掛けてきた暁舜は何者か。
そのとき。
「暁舜。勝負を預けたい」
「異はない。わしも、横槍を入れられるのは不本意だ」
言葉をかわした、次の瞬間である。
禰涅が退避したあたりから、鉄のうち合う音が響いてきた。
決して示し合わせたわけではない。
だがきづけば、玄慈と暁舜は共に駆け出していた。
「ここらはわしの狩り場。有利な地形へ
「頼む」
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