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 戦灰暦せんかいれき五五二年 繁茂季はんもき 二十七日


 和真との会談から三日三晩悩み抜き、ようやく旅立ちを決意した玄慈げんじ。彼は腹心にして懐刀の禰涅ねくろと共に、諸々の準備に取り掛かった。


 電報で方方ほうぼうの社に連絡を取り、玄慈は神使として休暇を取るのではなく、北の地――雪深い常闇之神社総本社におわす、すべての神の父母たる常闇様への拝謁をかなうため。その寺社行脚ということで、山岳郷を出ることとなった。

 一介の兵法者ひょうほうしゃならば武者修行でもよかろう。今の時代、そのような者は多い。

 しかし、神使が職のない素浪人ではあまりにも格好がつかぬではないか。立派に神使をしている手前、あまりにも不格好な身分である。なにより、天嵐様の名に泥がつく。


 であれば諸国の行脚、寺社へ詣でる精神修行の旅のほうがまだ良い。

 むろん、旅の道中で剣の腕を問われる場面もすくなからずあろう。

 そのときは、玄慈は必要に迫られた場合に限り、刀を抜くだろう。まかり間違っても、ひけらかすために振るうことはせぬ――と、主神に誓っている。

 神使はもちろん、まず、武士を名乗る者ならば危機として暴力は振るわぬものだ。


「抜かずの剣こそ和深の誇り」

 これこそ、和深の地の誉である。


 天嵐様――天慈颶雅之毘売様あまじくがのひめさまもこれに対し、「郷のことは任せよ」と直々に発言しており、玄慈らの行脚に障りがないように、寺社への印可木札いんかきふだを用意した。

 天嵐神社が発行する木札の中で最上品質の、龍桜木りゅうおうぼくをもちいたものだ。

 玄慈はこの木札を首から提げ、大霊山に今一度深く頭を下げ――。

 二十七日の明け方には、禰涅ねくろを伴って桜之丞岳を北に旅立つのであった。



 山岳郷の北には、花山郷という郷がある。便宜上「隣接」という扱いだが、実際には、二つの郷の間には未開拓の土地が横たわっている。

 そうした未開拓地は「新田地しんでんち」とも、「未田地みでんち」とも言われる。

 いずれにせよ、田畑などろくに拓かれず、しかし、その土地には多少なりとも村などがある――そういう地域であった。


 便宜上、山岳郷北部の未田地は、「山麓未田地」と呼ばれたり、略して、「山麓地」とも言われている。

 謎の多い土地である。原住民の多くは人間であるが、彼らはなんらかの理由で故郷から逃散してきた者たちの末裔であった。

 そして、野生の妖怪も多い。昔ながらの、古い暮らしをするあやかしだ。

 自治の気風が強く、下手な軍事的威圧、政治的介入はしないというのが、人妖組織の不文律であった。

 彼らには彼らの暮らしがあるのだ。


 索道搬器ごんどらをおりて桜之丞岳から北の郷境に接する境地へ向かう。

 ときおり、野生の獣の気配を感じた。

 目の前を肥えた狸がぽてぽてと、恐れるでも慌てるでもなく通っていく。


「ずいぶんと丸いな」

「鍋にしたら美味そうですね」

 狸にも不穏な気配がわかったのか、慌てて走っていった。

「食うつもりなど俺にはなかった」

「私も冗談のつもりです」

 本当か、と思ったが、黙っておく。


 ところで二人の装いは、華美でも、貧相でもない。

 あまりにも貧しい身なりは、物乞いのようであり、大小を差すには不相応と見える。

 しかし、過剰に絢爛がすぎれば、これもまた危うい。


 まず避けるべきなのは重たい装備である。

 戦闘用の具足に関しては札に封じて、必要に応じて瞬時に着用する方式である。

 普段はあくまでも神使の旅人と、その付き人というくらいにとどめておくように心がけておいた。

 だが、あまり派手な身なりだと周囲にいらぬ期待を持たせたり、盗みに入られる隙になることもある。

 なにより装飾だらけの服装は、外歩きには不向きであった。歩きにくいのだ。


 ゆえに、玄慈は暖かくなっていく季節を加味して風通しが良く吸水性に優れる木綿の着物に、襠高袴(乗馬袴)、最小限の守りと関節の保護のため、手甲と脚絆を装備している。それに加えて、大小差しと、半弓。

 その他、携行できる荷物を紐やらで通し、腰や胸に巻き付けている。


 禰涅も似たようなもの。木綿の着物に野良袴、脚絆に手甲。忍術に用いる道具類を入れた胴乱や、革袋、竹筒などを備えている。

 表向きの身分では社人である彼女は、腰に脇差しのみを差しているが――その戦闘能力は言わずもがなだ。


 二人は荷物持ちのため、一頭の鳥獣を連れている。

 歩鳥ホトリという化獣ばけものである。

 見た目は駝鳥に似ており、跳ぶことは出来ないが、走ることは得意という鳥類だ。

 顔はどこか鷲を彷彿させ、毛色は、栗や松ぼっくりのような色合いに、飾り羽が美しく翡翠に煌めいている。

 大きさは馬ほどはあり、なるほどたしかに、跳ぶには苦労しそうだ。

 名を、「戸羽とば」と付けた。

 には旅の荷をくくっていた。

 物体を「異空間」に保存する保管用木札は高価であり、そうそう使えるものではない。それこそ、神使でさえ、一人につき一、二枚が限度というような代物である。

 なので、原則、神使たちも己の荷物は自前で持ち運ぶのだ。


「未田地に出るのは初めてゆえ、どのようなことになるか……」玄慈は、弱音とも不安とも取れる発言を、ついもらしてしまった。「行脚に障りがなければよいのだがな」

「珍しいですね、玄慈様ともあろうお方が」

 禰涅ねくろがそう言って、静かに歩く。足音を下手に消すと、それなりに遣う相手からは敵意としてみなされる。ゆえに、彼女はあえて足音を出していた。


「旅人は歓待してくれるそうだと聞いているがまことか」

「いかにも。土地の連中にとっても情報は欲しいでしょうし、それに、濃くなっていく血をどうにかしようという腹づもりもあるのでしょう。兎角、節度を守らねば自衛のため叩き出されることもありますが、概ね、歓迎はされるかと」

 玄慈は「いずれの寺社も、もてなしが基本ゆえ、そうではあろうな……」と応じて、山岳郷の郷境を示す。「あれだ」


 眼前に見えるのは、石垣と、その石垣に一定の間隔で築かれた出丸、そして出丸にそびえ立つ鋼鉄の櫓。

 防衛のための設備であることは明らか。

 備え付けられているのは鬼が数人がかりで装填するような、人の腹回りの数倍の太さがある矢を打ち出す大弩。

 そして、投石機の類。

 天連神社では鉄砲がご法度であるため、銃や大筒のたぐいはない。

 けれども、それをして充分すぎる防備。

 鉄砲を弾き返す鋼板で補強された石垣は、ひょっとしたら、大筒さえ跳ね返すかもしれない。


 これらは花山郷への対策というわけではない。むしろ、防衛設備だ。何かあれば、かの郷からの民を受け入れるのである。

 また、どこかしらの敵が――この場合想定しているのは、同胞たる花山郷にとっての敵国である――未田地を攻略してきた場合、ここが迎撃拠点となる。

 山岳郷の周囲には、このような防衛用石垣や、守護曲輪がぐるりと囲っている。


「環状守護曲輪だ。いざというときには大規模な防御術法大結界が発動する。使

「そこを出たら、ひたすらに野放図な世界ですね」

「ああ。……郷の外など初めて出る」

 なんとなれば、生涯において己は山岳郷を出ることはなかったと思っていたほどだ。


 環状守護曲輪の出入り口は少ない。下手に出入り口を作ることは、すなわち防衛上の弱点を露呈することである。

 玄慈らは郷に十二門しかない、ひつじノ門へ向かう。

 郷の出入りは「検め婆」と称される専門の役人が管理している。

 この検め婆は手形を始めとする書付を元に出入りするひとを確認し、内容と当人とが相反することがないかを、厳しく見、問いただし、匂いをかぎ、触って確かめる。


 玄慈らは検め婆が座っている番所に向かった。

 あたりはちょっとした町になっており、出入りの行商人が茶屋などで一服ついている。

 玄慈は検め婆の前にたった。

 見た目はしわくちゃの老婆である。髪は真っ白で、目はしわに埋もれて、それで見えているのかと思うほど。

 しかし一度その黒い目で睨めあげられると、ぎょっとするほどに身が固くなってしまう。


「その木札」

 検め婆が玄慈が首から下げている木札を、節くれだった木の枝のような指で示した。

「なるほど、行脚印可の札じゃな。通って良し。良き旅を」

「こっちは荷物持ちの歩鳥と……禰涅。彼女は俺の連れだが。良いのか」

「見たところ、乱破か」


 老婆がぴたりと言い当てた。

 禰涅が顔色を変えずに、小さく頷く。

「普通なら、三日三晩ねぶるように確かめる」老婆はそう言い、煙管を吸う。「天嵐様から仰せつかっておるよ。通せとな」

「感謝いたします」禰涅は頷いた。

「ときに、青年神使」

「はい」

「未田地に、妙な連中がいると、出入りの商人が言っておった。なにやら剣呑であるぞ」

「……気に留めておく」


 玄慈はそのように返すと、禰涅とともに、大門をくぐった。

 門衛の兵は二人だが、いずれも大鷲の大天狗。

 手には刃のない棒を持つ程度だが、一人で一騎当千なのはあきらか。朗らかな笑みを浮かべているが、怪しげな真似をすれば、あっという間もなく首を折られる。

(武の神使……元神使、であろうな。現役の俺より遥かに強かろう)


 玄慈は、偉大な先達に一礼。

 二人の男女門番は、「良き旅を」とだけ言った。

 玄慈は禰涅と目を交わし、歩鳥の顎を撫でる。

 そうして、雄大で野性的な、野放図の世界へと踏み出した。

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