玖
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「生け捕りにした山賊を、道中の砦に転がしてある。手足を縛り上げているが、気をつけてくれ」
玄慈は美桜の里の里奉行にそういった。
里奉行の男――端折った着流しと黒い羽織に、大小差しではなく刺股と十手という武装は、どこの和深同心も同じだが、山岳郷の連中はとにかくいかつい。
何がといえば、その体躯だ。
強靭な山育ちというのもそうだが、その同心は赤銅色の肌の鬼。巻羽織という装いでありながら、そこらの武士や術師よりずっと強そうだ。
彼を前にすると、さすがの玄慈も萎縮しそうになる。そこらの悪党に囲まれるより、同心一人に睨まれる方がずっと怖い。
「あいわかった。手間を掛けたな……しかし、お前は山の者ではあろうが、どこかで……」
神使なのだ、といえばいいのだが、玄慈は「恩師を訪ねに来たのだ」と答えた。理由があったわけではない。本心が口をついた結果だ。
ちなみに、この時代のお前とは敬意を持った二人称だ。伴侶に対してお前さん、お前様と呼んだり、客としてもてなす相手にお前、と呼びかけるのは、普通だ。
「なるほど。協力に感謝する」同心は番所に声をかけて「両兵衛、庄兵衛、来い」と命令し、「師が見つかると良いな」と言って駆けていった。
玄慈は
里は、段々に土地が削られて整えられていた。
山の斜面を、匙かお玉で丸く掬い取ってそこに里を築いたというような感じか。
実を言えば山麓から
山岳郷では、登山による修行が普通である。
そしてそれは、身と心を清める側面もあった。
なお、この里もそうだが、どこの土地でも最も高い位置にあるのは神社や、その分社である。
神様より高いところに住まない。これは、和深の民の共通の考えであった。
和真はどこだろうか。
まだ昼前後。彼のことだから狩りに出ていてもおかしくないが、武道館や弓道場で技を教えていることもある。
「私が探ってまいりましょうか」
「それもいい……が、ひとまず和真の家を訪ねようと思う」
「なるほど、それが確実ですね」
玄慈は和真の家がある南東部に歩き出した。
和真を呼び捨てるのは、当の和真がそうしろ、と命じたからである。
里を東西に縦断する美桜目抜き通りを歩いて、目印の道祖神――龍神像を目印に右手、南へ曲がる。
玄慈は山頂からどうどうと流れ落ちる桜之丞川――その支流沿いを歩いた。
この小さな支流に決まった名前はないが、この川沿いに家を立てている連中は「みどり川」と呼んでいた。川面に映る梢で緑色に見えるからだとか。だから、この通りはみどり通りという。
河原沿いの少し小高いところに、家が一軒立っている。
師、和真の家だ。
切り出した材木を、掘って固めた縄張りにはめ込んで固定し、粘土質の土を焼きながら固めた地盤。目詰まりに砂利をもちいて、さらに泥を流して固めている。
藁葺の屋根も同様に粘土と泥で圧着し、固め、雨風を凌ぐ工夫がある。
瓦葺きではない理由を問うたこともある。和真の獣狩としての稼ぎと人望なら、家を立派にできるのではないか? と。
「見栄で腹はふくれんからな」
そう言っていたのを覚えていた。最低限雨風しのげて、仕留めた獣を捌ければいいと。
なるほどこのみどり通り、見れば山仕事のマタギや、その道具を手入れする工房が多い。
獣狩を始めとする猟師のたぐいは、穢れを祓う浄めの力を持つ。
古来よりその考えは根強く、その理由が、彼らには狩りとった獣の命を加工する技能を持つことにある、とする考えや、神々に備えるための肉を狩る実行者だから、というのもある。
前者は奪った命を弔うことで浄めとし、後者は奉納に対する神の恩寵という考え方だ。
だから、
こうした、穢を多く扱い祓うという意味で、穢多、と彼らは呼ばれていた。
人間の国では蔑称だったり差別語だが、妖怪にとっては、敬いこそすれ蔑む対象ではない。
玄慈は和真の家の前に立ち、息を吸った。皮をなめしている、血生臭さが漂っている。
「ごめんください、玄慈です。暁桜殿玄慈です。師匠、――和真。おられますか」
無音、である。
「理由もなく気配を断つひとじゃないから、留守だろうな」
「私でも気取れぬ御仁であらせられると」
「如何にも。お前を打ちのめした神使、なつめ様の
そもそもだが、
和真は金貸しなどに世話になるような男ではないから、居留守をする理由もない。
多分、狩り。
よもや家の前で居座るわけにもいかない。
玄慈は「里で聞いてみよう。なにかわかるやもしれぬ」と言った。禰涅が顎を引くくらいの頷きをし、玄慈は歩き出した。
川沿いの木々を見る。
「古い木々が多い……乱伐を受けておらぬのですか」と禰涅。
「ああ。桜之丞岳は鉄壁だ。この山は鬼が多くてな。さっきの同心も鬼だったろう?」
「ええ。なるほど、鬼ほどの防衛上手はおりません」
鬼はその姿かたちから攻撃的で、略奪的な種族と思われがちだが、実際は逆である。
ものづくり――とくに築城名人がおおく、それを活かした籠城戦や防衛戦を得意とする。
ある郷で鬼の部隊が兵糧攻めに遭い、それに対して外の塀を倒して敵を圧殺し、腰を抜かした敵軍を逆に追い回した――という伝説もある。
猫又に隠密術、偸盗術、
その点、万能かつその多くを高水準にこなせる人間は、凄まじいものがある。彼らには寿命という枷こそあれ、そのなかで、妖怪が数百年かけて完成させることを、わずか十年で成し遂げてしまうこともあるのだ。
だからこそ――玄慈は人間が恐ろしく、そして、戦などやめてくれればどれほど和深が豊かになるだろうと考えてしまう。
たしかに己は人間のことは嫌っている。けれど、――太平の世となれば、考えは変わろう。
人間がやさしいことも、それゆえの恐ろしさであることも、知っている。
さて、二人は里で話が集まる場所――美桜目抜き通りに面している茶屋に入った。
そろそろ飯も食わねば――という頃合い。
二人は、山麓部の田畑から運んできている飯を使った、簡素ながらも滋味深いとろろ飯を注文。
顔がしぼむほどに酸っぱい梅干しとともに、だしで溶いたとろろをぶっかけた玄米を掻き込む。
ずーっと山を登ってきたものだから、なかなか疲れていたと、ようやく自覚した。
精神的には全く以てまだまだ歩けるが、肉体は正直だ。
「夏場じゃなくてよかった」玄慈が言う。
禰涅が応じた。「ええ。大福が饐えていました」
幸い、土産物の大福は腐りにくいよう水分を抜いてある。それに一日二日なら平気だが、それ以上、特に黴が生えたらおしまいだ。そんなものを食ったら腹痛では済まない目に合う。
玄慈は店の主人に、「和真を知らないか? 弓張子桜之丞和真」と問うた。
「この里の連中ならみーんな知ってるさ。あんたこそ、会いに来たのかい」
「まあ。師匠ゆえな」
「師匠……なるほど、和真さんなら、そろそろ戻ってくるんじゃないかな。明け方に山に出ていったからね」
なるほど、それなら昼頃に戻ってくるだろう。
玄慈と禰涅は追加で煎茶を頼んで、茶菓子をかじりながら、暫く時を潰した。
太陽が中天に差し掛かって一刻ほど。目抜き通りに、玄慈が会いたかった人物が歩いてきた。
「和真! 俺です! 玄慈です!」
玄慈が床几から立ち上がって声をかけた相手は、銀を糸のように伸ばした髪をした、見た目、二十代半ばの男。
左のこめかみから二股に割れた角が生えており、身丈は六尺を超える。
筋肉質で、背中には、身の丈以上の大きさの和弓を背負っていた。
「玄慈? 電報なら受け取ったが」和真が気づいて、こちらにやってきた。
「それについて、色々意見を聞きたく馳せ参じました。お時間、よろしいか」
「まあいいが。……そっちは?」
禰涅が小さな動作で、目礼程度に頭を下げる。
「俺の伴です。友でもあります」
「そうか。家に来るといい。大したもてなしはできんが」
そう言って、和真が歩いていく。
玄慈はその後ろを、まるで意中の男子を追いかける乙女のようについて行った。
和真の家に入り、玄慈は居間で、禰涅は土間で立って話をする算段となった。
現在の状況――井筒国との緊張状態、山岳郷の治安の悪化。
それに伴うココロの乱れと世相の乱れ――すなわち龍脈の乱れ。
これらを加味し、玄慈に今できることはなにか。
己も戦に出るべきではないかと、玄慈はそういった。
しかし師、和真の意見は違った。
「四十を超える俺でさえ、妖怪の世では尻の青い餓鬼だ。十八のお前に至ってはなにをかいわんや、だろうな」
和真にそう諭されると、玄慈は何も言えない。
「旅に出るんだ、玄慈」
和真はキノコ茶をすすり、そう言った。
「郷が大変なときになにを……俺だけのめのめと遊山せよと? そんなことでは――」
「だからこそだ。各地を見て回り、多くを学び、その上で実りあるお前の視点を郷にもたらせ。
玄慈。良いか。この和深は、山岳郷だけが全てではないんだ」
和真がまっすぐにこちらを見、そう言った。
玄慈は二、三ほど頷いて、その言葉を抱くように飲み込んだ。
すぐには納得はできなかった。
だが玄慈はそののち三日間考え抜き、旅に、山の外に出るという判断を下すのだった――。
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