捌


 戦灰暦せんかいれき五五二年 繁茂季 一五日。

 天嵐大岳山頂 天嵐神社総本社 本殿|(御神殿)



 天嵐大岳――すなわち山岳郷の大霊山。

 妖の郷や人の国には、霊山や霊場、霊泉ともいうべき場所がある。

 その神聖な土地にはある共通点がある。

 それは、和深の、ひいてはこの星――玄慈球を巡る地底力場「龍脈」の交差路である「龍穴」の上に存在しているということ。


 龍穴とはすなわち龍気がにじみ、吹き出す地点である。

 この龍気が大気に拡散したり、土壌にしみることで、比翼な山河と海を形成していた。

 龍穴から遠く離れた土地は痩せ、ときに、穢れが吹き溜まるというが――。


 さて。

 その山頂部は雲の上の上。天の終わりが、父母なる全能神・大渦主がおわす宇宙が近いほど高い。

 並の人間では希薄な空気に耐えられず気を失い、死に至るような場所だ。

 そこに勤め、雅に楽器を鳴らすもの、事務仕事に励むものの多くは鬼や天狗である。

 彼ら彼女らは壮麗な神使衣装に身を包んでいた。


 神使。すなわち、神の使い。あるいは、神そのもの。下級の神であり、ゆえに、主祭神に奉仕する。

 神主を始めとする神職や、奉公に出てきている社人、出仕している氏子とも違う。神使は、神の意志を伝える使い走り――ときに、神使走かみしばいと言われる。

 神使に、神使走かみしばいに求められるのは武力、智力、美力。

 すなわち、強く賢く美しいこと。


 ただ強いのではない。己を律するミタマの強さを。

 ただ賢いのではない。他者に施すココロの優しさを。

 ただ美しいのではない。カラダを清潔にする気配りを。


 そして、だからこそ彼らは決して完璧ではない。

 武力に優れるが、智力は苦手な無骨者もいる。

 美力に秀でるが、喧嘩ごとが苦手な繊細者もいる。

 智力に秀でるが、掃除の類いを苦手とする傾倒者もいるだろう。

 だから神使は、武・智・美と三つの隊に分けられ、運用されていた。


 そして三つの隊の事実上の指揮者こそ、主祭神である――。


 総本社境内最奥、御神殿。すなわち拝殿の向こうの本殿。

 御簾がかけられたその向こう。


 神饌の御神酒をこれでもかと注いだ大盃から、ぐいぐいと透明のそれを飲む異相の神がいる。

 身丈は三丈三尺(約十メートル)、雷の如き金の髪に、麗しい顔立ち。しかし、本来ならば頬骨が皮膚に包まれてつるりとしている部分に、二対目の瞳が刻まれており、都合四つの目がある。

 しかし顔立ちはぞくりとするほどに整っており、錆浅葱色の目は、聡明さと慈愛と、荒々しさとを内包している。

 すっと通った鼻筋の下、こぶりな上唇が盃を甘噛するように食み、喉が上下すれば、酒がすごい勢いで減っていく。


 古来より、神事と酒は不可分だ。

 酒は飲み方と量を間違えなければ、万能の薬にもなる。それは薬用という意味だけでなく、酒を通じた人付き合いや近隣づきあいで、いざというときの助け合いや、適度な隣人づきあいの刺激が呆けの防止にもなるのだ。

 また、いにしえの巫女は酒を持って神と同一化する、神がかりの儀式にも用いた。

 人妖の世では「酒を飲みすぎてミタマが神の域に達する」と冗談めかした言葉もある。これはどんなに無礼を働いても翌日にはすべて忘れている忘却の力、などといわれる。

 が、この言葉は、存外誤ってはいない。


 それはともかく――この巨大で異相、下半身が金色と深緑色の龍になっている女神こそ、天嵐神社の最高神で主祭神たる天嵐様――。

 その忌真号いまなごうを、天慈颶雅之毘売あまじくがのひめという龍神であった。


「のう、貯古齢糖しょくらあと、まだあるか」

「贅沢な女神様ですねえ」


 天嵐様のご所望の声に、どこか、いっそ不遜であるとも対等であるともいえる口ぶりで応じたのは、姫巫女の女。

 和深の神社における姫巫女とは、すなわち神の代弁者であり、伴侶であり、その郷の女性祭祀王。

 権力的には神を除いて第一位であり、男性統治王よりも重んじられている。


 和深大陸ではまじないいやら祟り、加持祈祷、それらは嘘八百では片付けられない実行力を持つ。

 つまり、祭祀さいしとはまさに祭り事であり、まつりごとと同一であった。

 軍事の場では――将軍、武士、兵は男が中心である。こうした武家社会では男が絶対だが、ときに祭祀の場では、女が力を持っていた。


 であるから、姫巫女が神と普通に喋るというのは、おかしなことではない。


「いいだろう、うまいのだ、あの、海の向こうの菓子は」

「なくはないですけど……それより、おしごとです」

「むぅ……政ってのはたるいんだよなあ」と、神様が言っていい台詞ではないことをのたまう天嵐様。「で、なんだ」


 姫巫女は呆れた顔で、口を開いた。

「昨日口を割らせた密偵によりますと、井筒国が過去最大規模の軍勢を編成したそうです」

「こりぬやつらだ。いい加減妾が一掃してしまおうか」

「だめですよ、神様が直にひと殺しは戒められているんですから――猛疾様たけはやさまに」

「わ、わかっておるわ」


 猛疾様――戦猛疾之大命いくさたけはやのおおみこと大三子みだいかむのみこの一柱で、その中でも別格の神。

 特定の宗教をあえて興さず、和深を流浪する戦の神で、旅の神でもある。すべての神々の祖でもあり、あこがれであり、父であり母たる大渦主の、最初の子。

 この猛疾様が、「神仏が自らひとを殺めることはならぬ」としているから、目の上のたんこぶである敵国を天嵐様も始末できない。そのせいで、戦はなくならない。


 むろん、自衛のための戦闘は許されている――神に対し弓を引く馬鹿者を、「たしなめる」ことまでは、封じられていない。

 例えばそれは、言葉の暴力も含まれる――神への侮辱を、明確な悪意や殺意を伴わせて発した場合、これは「天罰」の対象であった。


「猛疾の大親父殿も面倒な禁を作ってくれたものよ」

「まあ、人妖共々、神様にはかないませんからねえ。恐怖政治なんかされたらたまったもんじゃないでしょう」

「少なくとも妾はそんな真似はせん」

 むくれる女神様。

「しっかしまあ、だからといって可愛い民を戦わせるというのも、――あまりいい気持ちはせんよ」

「みんな、知ってますよ。毘売様がお優しいことくらい」


 天嵐様は「ふん」と鼻を鳴らし、

「敵の数は」

「およそ七万五〇〇〇。これを下回ることはありません」

「武の神使から大将を選抜する。八名。各自常備軍と軍役衆から一万を出し、八万を編成せよ」

「は。南の高原で会戦を?」

「否。地の利を活かせ。不期遭遇戦徹底した奇襲を相手に仕掛け、部隊を各個撃破。首を挙げたものには妾が少し、酌をしてやっても良い」


 姫巫女が微笑んだ。

「普段から、そうやって威厳に満ちていたらいいのに」

「常に緊張しておっては、ひとも神も身が持たんよ」


 天嵐様――天慈颶雅之毘売はそう言って、ぐいと酒を飲んだ。

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