伍
伍
玄慈と
女社人は頷いて、「直ちに」と頷いた。
さて、これであの不埒な乱破――敵に寝返った少年社人は詮議の場に、
玄慈らにはそれを見届けることは叶わぬが、ありったけのことを吐き出させられたあと、あの乱破が生きて山を降りてこられるかはわからない。
さて。
この山岳郷、意外と先進的な機器が一つ、導入されている。
それは、電信機である。
線で繋がれた送信機と受信機の間の電磁石が短音と長音を、単方向でやりとしり、文をやり取りするものだ。
これは雷獣たちの特殊な、「電信会話」を機械的に再現したものであった。
玄慈は麓の境内にある飛脚所を訪ねた。
他の郷ではわからないが、山岳郷では飛脚配達制度を管理するのは天嵐神社である。手紙のやり取り、物品の配達、そして電信。
「電信を打ってもらいたい」玄慈が受付の中年女性――化け猫へ言った。彼女は猫耳をピンと立てて、「はい、どちらの飛脚所へ」と問う。
「桜之丞岳、桜之丞天嵐神社飛脚所だ」
「はい、はい。大丈夫ですよ、簡潔にお願い致します」
電信は大量の文章をやり取りするのには向かない。なるべく短く、簡潔に情報を伝えるのが寛容だ。
「玄慈より和真へ、乱破捕らえ詮議にかける。警戒厳にされたし」
女の化け猫は、素早く打電。
あっという間にこれを終えると、「はい、完了いたしました。神使様ですね、お代は、」
「いや、それはしかと払う。過ぎた越権は許されてはいない」
この考えは、神使の全てに叩き込まれている。業務上どうしても仕方ないときはまだしも、そうでないなら、職権の乱用はきつく戒められていた。
神使や神職、社人――氏子などなど。神社に関わるものが、それを貶める。すなわち、お仕えする天嵐様の顔に泥を塗ることを意味している。
この禁を破れば、厳しい罰則を受けるのだ。
玄慈は現物通貨の術具――結界珠を渡す。
それをしかと受け取った女化け猫は、代金箱に入れ、「確かにいただきました」と言った。
諸々の連絡は終えた。
和真――
山岳郷で最高の弓の使い手で、半ば伝説的な
羽根に唾を付け抵抗を生むことで「曲がる矢」を放ち、これで仕留めたのだ。
この英雄的な逸話もあり、彼は天嵐様への拝謁が叶い、その際に口づけの褒美を賜っている。
そしてこの和真こそ、玄慈の弓の師であり、なんの因果か、禰涅が襲撃したなつめの伴侶でもある。
存外に、世間とは狭いものである。
玄慈は天嵐大岳三合目の町――総本社山麓町にある旅籠屋を探す。
禰涅はやはり無言でついてくる。
その忠義は真に嬉しい。誠実だ。あまりにも誠実。
それこそ「
「欲しいものとか、なにかないのか?」
玄慈がそう切り出すと、禰涅は「はっ?」と素っ頓狂な疑問の声をあげた。心底不思議そうである。
「いや。茶屋だ、菓子屋だとあるだろう。呉服問屋も。団子でも汁粉でも、着物も。食いたいもの、着飾りたいものくらいあるだろう」
「私は忍びです」
「知っている」
「心などは不要です」
「俺はそうは思わん。それに霧島を追われたのだろうが。今は俺の腕だ。そのうえで、俺は心がいらぬとは思わん」
心。言い換えればそれは、根幹に根ざす、ミタマ。
この大陸において、ミタマの思想は非常に重要である。
まず、ミタマは大別すると二つ。ニギミタマと、アラミタマ。そしてニギミタマはサキミタマとクシミタマに別れる。
神も妖も人も、もの四つのミタマを内包する。
そしてこのミタマが、心を彩り、肉体を躍動させるのだ。
これは、和深の思想の根幹である。
玄慈は、だから心を持て、といったのだ。
それに、武術においても心は肝腎。心技体、いずれもがかけてはならぬ。
禰涅は、ややためらいがちに、「あま、ざけを……いただきたく」と言った。
「じゃあ、あの見世にしよう」
屋台見世がちょうどあった。担ぎ屋台であちこちに売り歩くのだろう。鬼の親父がねじり鉢巻きをして、火鉢に熾した火に鍋をかけて、炊いた飯と米麹を煮ている。
人間の子供が「ありがと!」と言って受け取ると、鬼の親父も、いかめしい顔に笑みを浮かべて「やけどすんなよ!」と笑う。
玄慈は筋金入りの尊妖誅戮思想。しかし、まさか、同じ郷の民まで誅殺しようとは思わない。
憎からず思いこそすれ、まさか、人間というだけで同胞を切り捨てようなどとは――まして子供を――思っていない。
夏バテ防止になるから、夏によく味わわれ、歌においても夏の季語である甘酒。栄養豊富で、飲む粥とも。
「親父さん、二つ」
「あいよ。二つ。お代はお気持ちで」
はやつくりのそれを、二つ頼む。玄慈は神社で作っているきれいなとんぼ玉を二つ代金箱へ。
天嵐とんぼ玉。これは、有名な工芸品だ。天狗や鬼は特に好んで用いる装飾品であった。
「おまち。熱ィから気ィつけてな」
玄慈は「ありがとう」と礼を言った。禰涅も「ありがたい」と言って、受け取った。
近くの縁台に腰掛けて、甘酒を飲む。
「うまい」玄慈の頬が、十八の青年相応に緩んだ。
普段はどうしてもその責務から堅くなるが、元来彼は、かなり素直に感情を出す方なのだ。
禰涅も甘酒をすすり、その素朴な甘みに「美味ですな」といつになく柔らかい声で応じた。
甘味はいい。心が満ちる。
玄慈も椀の甘酒をすする。飯粒が柔らかく、ほとんど噛まずとも飲める。
神社でもよく配っているが、これは、やはり栄養があるから。
そういえば今年の初詣でも、玄慈は神社に立って警らをしていた。そのとき、甘酒から香辛汁かけ煮(いわゆる、カレーである)とかを配っていた。
くだらん戦なんぞやめて、剣や槍ではなく、鍬や鋤を持てばいい。玄慈はそう考える。自分でも意外なくらいだが――絶対に、そちらがいい。
けれど、やはり今はそれが叶わぬのだ。
好きな土地、暮らし、ひとを守るには、剣がいる。
――いや。
(俺は、どうしようもなく武術が好きなのかもしれん)
誤魔化すのはよそう――本音は、やはりそうだ。
鍛錬と研鑽。これが実を結んだときの充実には、嘘はつけない。
これもまた。ニギミタマとアラミタマなのだろうか。
玄慈は、禰涅と甘酒をすすりながら、そんなことを思った。
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