参
参
神社の境内を頂点とし、町そのものが社領――すなわち神社管轄の土地である……のだが、妖怪が治める郷とはすなわち祀っている主祭神の土地で、領土である。
それ自体が巨大な神社仏閣の自治集団であるため、国土がそっくりそのまま寺社領という認識に置き換えてよい。
なので、田豪岳の街における社領とは――田豪天嵐神社という一つの分社の領地という認識をしておけば、問題なかろう。
妖の郷における神使とは、人の国で言うところの「幕府のお役人」などに近い存在だ。
まあ……正確には少し違うのだが――、ここでは詳細は省く。
玄慈は
天狗が主食とする
山で取れた肉と山菜をふんだんに使い、河の輸送力で運ばれてくる
「店主。天海風天狗うどん、かき揚げ、茸盛りを二杯」
「へい、旦那」
この店は贔屓にしているため、店主の化け狸の親父は変にへりくだったりしない。口調自体も客に対する礼儀にとどまっていた。
なんとなれば、修行時代からこっち、玄慈はほぼ毎日ここで飯を食っていた。
「
「猫又、ですか。我らは肉食を好みますが、腹が減っていればなんでも食いますかね。それこそ雑草さえ食いますし、松の皮を粥にすることもあります」
「
「ええ。松の粥や餅は、飢饉の際にはよく食われます。玄慈様は修行時代、何を食されました」
玄慈は、十歳から十七才までの修行時代を思い返す。
「なんでもだな。山にあるものは何でも食った。木に登り鳥の雛をそのまま貪ったこともあるし、キノコや野草も食ったが、一度ならず毒にやられてひどい目にもあった」
我ながらよく生きていると思う。
事実、神使になるこの修行期間に、大勢が脱落するし、複数の死者が出る。
玄慈の同輩だけで、修行中に
神社によって修行法はまるで違う。
ひたすらに鍛鉄や鍛冶仕事で己と技を磨く火湖神社、海の上の小舟で一切の身動ぎをせず凪ぐ修行を行う天海神社。
そして天嵐神社のそれは厳しさを超えた、無体と言える、山での鍛錬が特徴だ。
そしてこの七年の間に、天嵐神社につとめんと門を叩いた者らは、「
嵐の前の「静」と、荒天狂飆の如き「動」を学ぶのである。
この流派は特定の師をあえて持たず、複数の師を持ち、学ぶ。
だがあえて誰が師であるかといえば、それは、「山」だ。
天嵐神社の武人にとっては、この地の山こそが、この郷自体が、最高の師である。
考え事をしていると。
「おまち」
店主が、二杯の天狗うどんを運んできた。
玄慈と禰涅は手を合わせて「いただきます」と唱和。飯屋と、食材と、それを育む山河への当たり前の感謝。
箸を手に取り、玄慈は丼を持って、汁をすすった。熱いそれが喉を落ちていくのが心地よい。
太めの麺をすすると、これがまた、絶品。
弾力がある。しかし噛めばそれはぶつんと小気味良く断ち切れて、もちもちした食感を味わわせてくれる。
かすかに甘味のある砂飯麺の味わいと、醤油と出汁の塩味が、互いに刺激を与え合って、これがまた旨い。
禰涅も天狗うどんを気に入っており、普段は覆面で隠している口元に、うどんを掻き込んでいる。
玄慈はざっくりと音を立てるかき揚げを食った。ぜんまいやわらび、菜花などの山菜をうどん粉を解いたもので揚げた単純なそれ。
けれど、飾り気がないゆえに、直に殴りつけてくるような山の旨味が口中に菜種油の風味とともに弾ける。
夢中になってうどんを食らい、二人はあっという間にそれを平らげた。
汁まですすりきっている。普段から山を下から上、上から下まで駆けずり回るゆえ、体が塩を欲しているのだ。
和深の民は、特に今の世では、塩は必須。
戦、鍛鉄、鍛冶に飛脚。なんでもかんでも汗を掻く時代。水と塩がなければやって行けぬ。
二人は合掌、「ごちそうさま」と言って、お代を勘定台においた。
そのお代というのは、珠、である。
いわゆる、宝珠や金銀を使った護符だ。
投げつければ結界になるし、火の玉になるし、かまいたちの如き疾風になる。
妖の郷において、銭はさほど重要視されない。実際的な現物が、通貨としては一般的である。
玄慈らは神使――すなわち、神の使いである。なので、支払えるものはこうした術具の類いであった。
「おお、助かります。昨今物騒ですからな」
「気をつけておけ。細君と子らにも、持たせておくように」
「へい、わかっております。ときに旦那、お耳に挟んでもらいたいことが」
玄慈は形の良い眉を、片方上げる。
「剣呑だな。場を変えるか」
「へい。二階へ。――八兵衛、店番頼まァ」
「わかりやした」
玄慈と禰涅は店主の
二階の座敷に座る。武具は、言わずもがな店に入った時点で、預けている。
丹下があぐらをかいた。玄慈、禰涅も膝を立てて座る。
「今朝、妙な客が来たんでさァ。町奉行にも知らせたんですが、直に、旦那にも聞いてもらいたくて」
「妙な客?」
やはり胡乱だ。先の透破の騒動といい、なにやらきな臭い。
「三十路くれェの夫婦らしき二人と、奉公人でしょうかね、若い十代半ばくれェの男が一人。いずれも人間でさァ」
「どのような人相だ」
「へい。夫婦の方は、まァ商家でしょうかね。きちんとした着物でさ。夫の方はねずみ色で、妻君の方は、若草色の。顔立ちは十人並みで、特徴がねえのが特徴みてェな輩でね。連れはまァ、同世代の中じゃあ、男前な方でしょうや。しかしどんな風体だったか……」
連れの男――十中八九家人だろう。
記憶に留め置けという方が無体である、玄慈が先を促そうとしたら、丹下は思い出したのか、膝を打った。
「そうだ、これがまた、地味な裁付袴で、日に焼けた健康そうな男でしたな」
それだけならただの旅行客か、天嵐参りの参拝である。しかし、わざわざこのような場で、茶飲み話をするほど丹下という男は暇ではない。
「八兵衛が、お客の道中差しを預かったんですがね……妙に軽い、って言いやがるんでさ」
「軽い、だと。本当に道中差しか」
「へい。たしかに、あっしもこの目で。刃が、二尺ほどでしょうかね。脇差しってんなら、大刀だって差してるはずですし、よもやそこらの夫婦が大刀なんか差しますかね。あれァ、やっぱ道中差しでしょう」
「たしかにな……禰涅、わかるか?」
禰涅はすぐに答えた。
「銭刀や、刀型の書状入れなどがあるのです。
刀の重さにすら気づくのなら、その、異なる重みの均衡にも気づくだろう。
「刀型の書状入れ……であろうな。ただの夫婦ならそのような真似などせんでもいい。どうどうと、手紙だの書付だの持っていて怪しまれることもない」玄慈は考える。
禰涅が、その考えを継いで、覆面の下で口を動かす。
「密書。ですか」
「ち、こちらが本命か」
つまりさっきの透破は使い捨てなのだ。
「店主――いや、丹下。務め、ご苦労。とっておけ」
玄慈は、珠ではなく札を差し出した。より、高位の術を封じた一級品である。
「詳しくは知らぬほうがいいんでしょうな――ご安心を、あっしも歳ですから、忘れっぽいんでさァ」
玄慈は、己に遠慮のないこの店主を好ましく思っていた。
ふっと片笑んで、「世間話に花が咲いたな……いかん、役目があるゆえ失礼する」と適当なことをいう。
それに合わせた丹下も、「いやあすいやせんね、二人目の子の名前の相談に乗っちまって!」と大きな声で笑う。
神使に子供の名前を相談するのは、むしろ自然。一階で誰かが聞き耳を立てたところで、「なんだ、上客に聞かせるほどの話でもないだろうに」とか、「神使様に名前を決めてもらえるたァ羨ましい話だ」くらいにしか思うまい。
玄慈らはそのようにして、何事もなかったかのような顔をして、あずけていた武器を受け取り、飯屋を辞したのだった。
夫婦と
そのような問いを、かれこれ十五回。玄慈らは昼下がりの町で、手分けしてそれを繰り返していた。
「三十路ほどの夫婦と、十代の家人。見なんだか。ねずみ色と若草色の着物の夫婦と、裁付袴の日に焼けた若人だ。妖怪ではない」
裁付袴の煙草売の壮年に問うと、男は、「ああ、あの気前のいい旦那かい」と言った。
ようやく、針に魚がかかった気分である。
「教えてくれ」
ずいと顔を寄せた。煙草売は、顔を赤らめて、半歩下がる。
美貌の玄慈である。喉仏があるのに、具足から着物に着替えた彼には、胸の膨らみがしかとある。伊達小袖がいやに艶めかしい。
男でも女でもないようで、両方でもあるような美青年。危うい魅力は、ときに話を有利に進める武器にもなる。
「あ、ああ。上等な刻み煙草を買っていったんだよ。で、杉田屋はどこだ、ってェ……まァ、気風がいいもんだから、答えたがよ」
「そうか、すまぬ、手間を取らせた」
玄慈は珠粒を二、三握らせる。
「結界珠だ。取っておいてくれ」
「結界――おい、あんたまさか、
煙草売りがなにやら言い出す前に、玄慈は伊達小袖を振って去った。
しかし、麗の神使――またぞろ変な呼び名が流行っているものだ。誰が言い出したかなど興味もないが、いい迷惑である。
玄慈は杉田屋に向かう道すがら、小声で「禰涅」と口走る。
するとすぐに、禰涅が隣に現れる。
これも忍術の類か。
「杉田屋だ」
「承知」
そして、またすぐに去っていく。
玄慈は腰に差した大小差しの柄にそっと触れた。弓は、あらかじめ神社においてきた。
町中で弓を射るわけにもいかぬ――当然だ。万が一にでも、民に流れ矢があたれば、大惨事だ。
そしてそうなればおそらく己は一生、己のことを呪い、祟り、恨み続ける。この、忌まわしい貌以上に。
杉田屋は、町の南西にある旅籠である。
普通に考えれば、天嵐神社に詣でる夫婦が泊まりに行くのだろうが――。
まず一つに、書状入れとして携帯しているかもしれぬ、仕掛け刀。
そして、杉田屋が其の実、怪しげな密会場、あるいは、密偵のたまり場であるという黒い噂の絶えぬ店であるということ。
このことから、明らかにただ事ではない。
少なくとも、二つが結びつく背景事情は――あの囮の透破が証明している。
見えてきた。
件の杉田屋だ。二階建ての、ごくごく普通の旅籠である。
玄慈はわざわざ身分を偽る必要もないと、堂々たる歩みでその旅籠に入っていった。
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