【ray考察】『超かぐや姫』の真の結末。なぜ「タケノコ(不死)」を埋葬したのか?ヤチヨのラストは?について解説
先日公開した映画本編の考察記事では、ラストを「パンケーキを食べる=日常の始まり」として、これ以上ない「超HAPPY END」だと定義しました。
しかし、公開された公式MV『ray』を見て、その解釈が更にアップデートされました。
映画本編が「幸せな生の始まり」を描いた物語だとしたら、このMVは「幸せな生の終わり方」を定義した「True END」の物語だったからです。
山下監督自身も、このMVを「本当のハッピーエンド」と表現しています。
今回は、MVで描かれた「タケノコ(宇宙船)を埋める行為」の真意と、多くの人が気になっているであろう「ヤチヨの行方」について、SFと死生観の両面から深掘りします。
1. 「本当の意味での人間」とは何か?
MVの冒頭、彩葉が誰かに宛てたメールが一瞬だけ映ります。そこには、物語の核心を突く一文が書かれていました。
「かぐやを、本当の意味での人間にしたい」
この言葉を見て、違和感を覚えませんでしたか? 映画のラストで、かぐやは既に機械の体を手に入れ、復活ライブをして、彩葉と触れ合っています。物理的にはもう人間と同じはずです。
それなのに、なぜ彩葉はわざわざ「本当の意味で」と書き、富士山の山頂へ向かったのか。 その答えは、MVのラストで行われた「ある儀式」に隠されています。
2. タケノコはなぜ埋めた?➝「不死のパスポート」を捨てる儀式
MVのラスト、土に埋まったタケノコ が描写されます。
まず、このタケノコは埋めたのか、掘り出したのかですが、これは「埋めた」でほぼ確定して良いと思います。
理由は2つ。
理由①:泥のないタケノコ
穴の縁に置かれたタケノコは、ピカピカに輝いていました。長い間地中にあったものが、あんなに綺麗なはずがありません。
理由②:リュックの「不自然な形」
これが決定打です。登山中の彼女のリュックを見てください。
首元のあたりが不自然に角ばって突き出し、布地がピンと張っています。明らかに、衣類ではない「硬い固形物」が入っている形です。
公式ガイドブックによるとタケノコの高さは400mm(40cm)。これは一般的なリュックにギリギリ収まるサイズと完全に一致します。
そのため、かぐやがマンションからタケノコを背負って登ったと考えるのが自然だと思います。
なお、山下監督はMV公開時に「近未来技術で岩盤を溶解化して掘っている」とコメントしています。
これを根拠に「過去のタケノコを掘り起こした」とする説もありますが、穴を掘る行為は「埋める」場合にも必要であり、この発言自体はどちらの説にも中立です。
作中でタケノコが2030年のマンションに保管されていた描写を踏まえると、「埋めるための穴を掘った」と解釈する方が整合するでしょう。
ここで一点気になる点があり、タケノコが一瞬光る演出があります。
掘り起こした説の方はこれを起動と読む方も多いですが、僕は埋めた説なので見方が少し違います。こちらについては後述します。
では、なぜ「富士山」だったのか?
実は富士市には、原典とは異なる「富士山かぐや姫伝説」が伝わっています。この伝説では、かぐや姫は月に帰らず、富士山に登って富士山の女神(浅間大神)になったとされています。
本作が「埋葬の地」として富士山を選んだのは、この伝説へのオマージュではないでしょうか。月に帰るのではなく、地上に留まることを選んだかぐや——その決意を象徴する場所として、これ以上ふさわしい場所はありません。
■なぜ不死を捨てたのか
そして、タケノコ(宇宙船=高次元移動デバイス)は、いわば「不死へのパスポート」です。これさえあれば、いつでも時間を超えられるし、肉体も作れるし、バックアップから復元することができます。
しかし、作中のオリジナル楽曲でも「一度きり」「この一瞬」といった有限の命を肯定するフレーズが複数曲にわたって繰り返されており、作品全体の死生観として「不死を捨てる」方向が一貫していることがわかります。
そのため、原典を超えるために下記のような対比構造になっています。
原典:『竹取物語』では、帝が不死の薬を焼きました(悲しみ)。
本作:二人が不死の装置を埋めました(愛)。
なお、ここでタケノコが光った意味も回収されます。
原典の帝が悲しみで不死の薬を捨てたのに対して、愛で不死の薬を埋めたので、原典のルート逸脱として光ったと考えてます。
かぐやのブレスレットは、「彩葉と結婚しちゃおうかな〜」と原典の帝結婚ルートから逸脱した際と、Replyを彩葉が歌って月のかぐやに届いたときに光りました。
光り続けたなら起動としても読めますが、一瞬の光り方がブレスレットにあまりに似ているため、同じくルート逸脱の決意を見せたため、タケノコが光ったと考えます。
もっとわかりやすく言えば、おとぎ話を"超"えた時のサインと言えます。
これは、Netflixのシークバーを捨てて、二度と巻き戻せない画面の中に飛び込むようなもの。
彼女たちは「やり直せる神様の席」を降り、一度きりの"本当の人間"の人生を選んだのです。
また、8000年の旅路でヤチヨはあまりにも多くの人間を見送り続けてきました。
彼女はもう、「見送る側でいること」に耐えられなくなったのではないでしょうか。
自分だけが永遠に生き残り、愛する人々が死んでいくのを見続ける孤独。
その無限のループを終わらせるために、彼女はタケノコ(不死)を埋めました。
それは、「もう誰も見送らなくていい。今度は、愛する人の隣で一緒に終われる」という、8000年待ち続けた最初で最後のワガママだったのです。
3. 彩葉の愛が求めたもの:8000年の記憶の行方
ここまでの1〜2章は、映像という「証拠」に基づいた考察でした。
ここからは少し視点を変え、彼女たちの心の動き、つまり「動機」から、空白の時間に何が起きたのかを推測していきます。
最大の謎は、
「映画ラストで復活した彼女は、8000年分の記憶(ヤチヨ)を持っていたのか?」
という点でしょう。
「久々すぎ〜!」
「8000年ぶり?」
映画ラスト時点のかぐやには、8000年前の不時着以前の記憶だけがインストールされていたと考えるのが自然です。
①ライブでのかぐやが8000年の重みを感じさせないほど明るいこと
②彩葉の「8000年ぶり?」という言葉が不時着以来の起動と体感的に一致すること
③そして復活ライブのステージに"ボディのかぐや(過去)・スクリーンのヤチヨ(未来)・彩葉(現在)"という時空を超えたトリオが成立していたこと。
これらは、この時点ではまだ記憶が統合されていなかったことを示唆しています。
少なくとも、その瞬間の彼女は「すべてを覚えている存在」には見えません。
ノベライズのラストでも、この認識を裏付ける描写があります。
「ありがとう、彩葉。かぐやを産んでくれて」
ヤチヨは「ありがとう、彩葉。かぐやを産んでくれて」と語り、かぐやを三人称で呼んでいます。この時点ではヤチヨ自身も、自分とかぐやを別の存在として認識していました。
私はヤチヨのこと、もう待たせたくないから
しかし同じ場面で、彩葉は「私はヤチヨのこと、もう待たせたくないから」と語っています。彩葉はかぐやだけでなく、「ヤチヨという8000年」にも向き合おうとしていた。
復活の時点で、二人の間にはわずかなズレがあったのです。
では、このズレはその後どうなったのか。
ここで、もうひとつ無視できない違和感があります。
rayのMV冒頭で、彼女は穏やかな口調でこう言います。
「やっと、ここまでこれたね」
このセリフは、内容だけを見れば何気ないものです。しかし声のトーン、間の取り方、そして何よりやっとここまでという言い回しが、どうにも記憶がリセットされたかぐやというより、8000年を生きたヤチヨのそれに聞こえてしまう。
もちろん、これは決定的な証拠ではありません。ただ、この違和感は「彼女が何を背負ってここに立っているのか」を考える上で、無視できない感触でもあります。
なので僕は、彼女がその後、8000年分のヤチヨの記憶を“あえて引き受ける選択をした”可能性が高いと考えています。
そう考える方が、彩葉という人物の「愛の形」と、作品全体のテーマに、より強く整合するからです。
■彩葉にとっての「かぐや」とは何だったのか?
映画本編で、ヤチヨの正体判明後に笑顔が重なり、ヤチヨ=かぐやが一致した後、彩葉が「かぐやと一緒にいたい」と言ったのは八千年の時を超えたヤチヨの時です。
また、小説版では、彩葉がヤチヨ(かぐや)との関わりを通じて「母親への依存を断ち切れた」と語るエピソードも描かれています。
ここから分かるのは、彩葉にとっての「かぐや」とは、
一緒に暮らしてライバー活動したかぐやという一点の存在ではない、ということです。
8000年の孤独を耐え抜き、
時に母のように、時に導く存在として自分を支え続けてくれたヤチヨという時間そのもの。
それもまた、彩葉にとっては紛れもなく「愛するかぐや」でした。
彩葉はヤチヨが作った「この曲(Remember)で、生き残れた」とまで語っています。ヤチヨは彩葉にとって命の恩人でもあるのです。
もし、復活した彼女がヤチヨとしての記憶を持たなかったとしたらどうなるでしょうか。
それは彩葉にとって、
恩人であり、母であり、そしてパートナーである存在の「半分が欠落した状態」を受け入れることになります。
もちろん理論上は、
「新しいかぐや」として、過去を持たずに生きる選択も可能だったはずです。
しかしそれは、「彩葉が愛してきた存在」から、最も重要な時間を切り離す行為でもあります。
かぐやはきっと、
「彩葉が愛してくれた私には、あの辛かった8000年も含まれている」
そう痛感したのではないでしょうか。
その愛に誠実に応えるため、彼女は辛い記憶を「なかったこと」にせず、すべてを背負って生きる道を選んだのだと思います。
4.8000年分の記憶はいつ引き継がれたのか
では、いつ記憶を統合したのか?
そのタイミングも、作中の描写からある程度推測できます。
映画本編では、起動実験の際に次のようなやり取りがありました。
「YC型より適合するね」
「味覚はもうちょいお待ちあれ」
このセリフから、かぐやのボディが一度きりの完成品ではなく、
段階的に最適化されていたことが読み取れます。
作中の情報を整理すると、
YC型
KG型(映画ラストで使用されたボディ)
KG型 Ver2(映画ラスト〜タケノコ埋葬まで)
少なくともこの三段階の最適化プロセスが示唆されていると考えるのが自然でしょう。
つまり、映画ラストのライブで彩葉の隣に立っていたかぐやは、「完成した人間」ではなく、まだ人間になりつつある途中段階の存在だった可能性が高い、ということです。
そして重要なのは、
「味覚」という、生きる実感に直結する要素がまだ未完成だったという点です。
味覚を含めた身体が完成し、
「生きること」を本当の意味で選べる状態になったそのタイミングで、
メモリもまた拡張され、8000年分の記憶が統合された。
だからこそ彼女は、
不死を捨て、時間を巻き戻す可能性を自ら手放す覚悟ができた。
身体の完成と、記憶の統合、そしてタケノコの埋葬。
これらは別々の出来事ではなく、
「人間として生きる」ための、ひとつの連続した選択だったのではないでしょうか。
5. ヤチヨはどこへ消えたのか?(魂の引っ越し)
記憶を統合したのなら、最後の疑問が残ります。
「彩葉の隣にヤチヨを統合したかぐやがいるなら、ツクヨミ(システム)に残ったヤチヨは誰? 置いてけぼり?」
私は、魂が分かれたのではなく、「魂はすべて『かぐや(肉体)』に引っ越し、ツクヨミには『複製(代行者)』を残した」のではないかと推測しています。
■映画本編の伏線を回収する「脱出劇」
思い出してください。かつてかぐやが月から地球へ逃げてきた時、彼女はノベライズで「自分の複製を作って」と語っていました。お仕事を爆速ですっかり片付けて引き継ぎを完了し、ゼンマイ式の複製を月に残して脱出したのです。
ラストのヤチヨも、これとまったく同じ選択をしたと考えられます。
かぐや=ヤチヨの魂と記憶は統合して、神様(システム)部分を分けて複製(代行者)に託すという流れです。
■魂の移行: 8000年の記憶と、彩葉を愛する心(魂)。これらはすべて、彩葉が作った「かぐやのボディ」へ完全に移した。
■複製の設置: そして空っぽになったツクヨミの管理者席には、システムを維持し、人類を見守るための「複製(代行者)」を座らせた。
■なぜ「複製」を残す必要があったのか?
月の脱出時と同じ技術を使ったとして、ではなぜツクヨミを空にせず、わざわざ複製を残したのか。
それは、ヤチヨが8000年かけて背負ってきた「二つの役割」を、ようやく分けることができたからだと考えています。
8000年の間、ヤチヨはたった一人で「彩葉を愛する個人」と「人類を見守る管理者」を同時に担い続けてきました。
彩葉に会いたいという個人の願いと、ツクヨミを通じてすべての人に開かれた場所を維持するという使命。この二つは本来、一人が背負うには重すぎるものです。
複製を残すことで、彼女はこの二つをそれぞれにふさわしい場所に置くことができた。
彩葉の隣で「かぐや」として一人を愛し抜く日常と、ツクヨミで人類の居場所を守り続ける複製。
これは分裂ではなく、8000年間ずっと一人で抱えてきた二つの役割を、ようやくそれぞれの居場所に返すことができた、ということなのだと思います。
この解釈を補強するのが、MVでのスマホヤチヨの描写です。
山頂でスマホの中に映るヤチヨは、微笑むだけで一言も喋りません。映画本編の起動実験や復活ライブの日は喋ってたのに。
魂はすでに「かぐや」へ移り終えている。だからスマホに映るのは、インターフェースとしての姿だけ。喋る必要がないのではなく、喋る「誰か」がもうそこにはいないのです。
■この説を裏付ける「象徴」
この解釈を裏付ける、最も象徴的なカットがMVの中に一瞬だけ映っています。 二人が部屋で過ごしているシーン。
背景に飾られた「復活ライブ」の写真には、「かぐやと彩葉の二人」しか写っていません。
映画ラストではヤチヨが映ってる写真もあるのに、あえてこのツーショットを写真立てに入れています。 これは、彩葉の隣で人間として生きるのは「魂を持ったかぐや」だけであることを強く示唆しているように見えます。
日常を生きるのは「私」。世界を見守るのは「代行者」。 これは悲劇ではなく、ヤチヨが8000年の役目を終えて、ついに「普通の女の子」として卒業できたという、完全なるハッピーエンドなのです。
6. 曲名『ray』が示す「光」と「道」、ライブの意味
最後に、タイトル『ray』に込められたダブルミーニングについて。
ここには、幾何学的な意味と、神話的な意味の双方が隠されています。
1. 幾何学:8000年の「円環」から、一度きりの「半直線」へ
数学的に「ray」は「半直線(始点があり、一方向に無限に伸びる線)」を指します。 映画のラストでシークバー(巻き戻し)が表示されたように、データの世界は何度でもやり直せる「円(ループ)」でした。
しかし、タケノコを埋めた今、二人の時間は「後戻りできない一本道(ray)」になりました。不死の円環を断ち切り、終わりある直線を選んだことの象徴です。
2. 神話:「ツクヨミ(月)」から「アマテラス(太陽)」へ
MVでは、かぐやの髪飾りが「月」から「太陽」へ変わり、ライブ会場の鳥居には「天照(太陽神)」の名が刻まれています。 日本神話において、ツクヨミは「夜と不死」を、アマテラスは「昼と太陽」を司る神です。
深海・月・ツクヨミ = 8000年を過ごした、暗く冷たい不死の世界
地上・太陽・アマテラス = これから生きる、眩しくて温かい有限の世界
『ray』というタイトルは、暗い夜のループを抜けた彼女たちが、私たちと同じように「光」を全身で浴びながら歩いていくことへの祝福なのです。
結論
BUMP OF CHICKENの歌詞にある「生きるのは最高だ」という言葉。 これは、この作品においては「終わり(死)があるからこそ、生きることは最高だ」という意味に聞こえます。
彩葉はフシを通じて、ヤチヨの8000年を自分の目で体験した。その重さを知った上で、なお「一緒にいたい」と言った。
だからこそかぐやも、あの記憶を一人で背負う呪いではなく、知ってくれている人の隣で共に抱えていく生きた証として受け入れられた。
不老不死という「終わりのない地獄」から抜け出し、痛みすらも分かち合いながら「あなたと一緒に死ねる」という最高の幸せを手に入れた二人。
タケノコを埋めたあの瞬間こそが、彼女たちが選び取った「True End(本当のハッピーエンド)」なのです。
記事リンクの下に、神様とか鳥居周りの深堀り、酒寄という苗字、掘った意味の深堀りの考察メモを記載してます。
▼映画本編の考察記事はこちら
▼オリジナル曲の時系列と視点解説はこちら
▼ノベライズとガイドブックもおすすめ、僕は買いました。(ノベライズは彩葉視点の感情と家族関係が深堀り、ガイドブックは設定の深掘りができます。)
▼考察メモ
Q.本当の意味での人間って何?
A.僕は老いや死があることだと定義しました。もっと踏むこむと「死への恐怖」があることで、有限の命を楽しむということに繋がるんだと思います。オリジナル曲にも有限の命を彷彿させる歌詞が多いので、「ハッピーエンド」に続いて、「有限の命」はこの作品の裏テーマだと思ってます。その他にも、AIに聞いてみると矛盾、葛藤、痛み、責任があるのが本当の人間とか色々出てくるので、合う解釈を探せばいいと思います。
Q. 2周目のかぐやは月に帰ったままでは?
A. タケノコを埋めたことによって、ループが収束し、かぐやが月に帰った未来は消えました。
タケノコが存在する限り「やり直せる可能性」が常に残り続けます。これがループの正体です。
そのループの起点や収束を示すサインが、ブレスレットやタケノコが光る演出です。
作中で光る演出は3回あります。
①ブレスレット1回目=ルート逸脱の開始(帝ではなく彩葉を選ぶ)
②ブレスレット2回目=ループの起点(歌が月に届き、地球に戻ってくる)
③タケノコが光る=ループの収束(不死を愛から封印)
③でタケノコを埋めたことにより、並行する可能性がすべて閉じられ、「彩葉の隣にいるかぐや」という一本の歴史に収束した。
なお①③がかぐやの選択、②が彩葉の選択で、二人の愛が両輪で運命を書き換えた対称構造です。
Q. 水槽のタケノコと埋葬時のタケノコ、質感が違うのは別物では?
A. 同一個体の状態変化だと考えています。
ガイドブックには「通常時」と「発光時」の2つの状態が掲載されています。
・8000年前(飛行時):丸い形状、全体発光
→ガイドブックの「発光時」=アクティブ状態
・2030年(水槽):ギザギザ、発光なし、先端やや緑
→ガイドブックの「通常時」=スリープ状態
・2040年(埋葬時):ギザギザ、フチだけ一瞬発光
2030年と2040年で基本形状(ギザギザ、茶色)は一致しています。先端の色味や皮の浮きといった微差は、水槽から出して乾燥した表面変化や、室内と屋外の照明条件の違いで説明できます。
むしろ注目すべきは光り方の違いです。起動なら8000年前のように全体が発光するはず。しかし埋葬時はフチだけの一瞬の発光で、ブレスレットのルート逸脱時の光り方に近い。
もし掘り起こした別個体なら、8000年地中にいたものが水槽のものより綺麗で泥がないことの説明がつきません。
Q.富士山の山頂の鳥居の神様は?
A.コノハナサクヤヒメ。別名、酒造の神とも呼ばれているそうで、もしかしたらこれが彩葉の苗字の酒寄の由来かも。ちなみにもしそうだとすればわざわざ富士山という場所を埋葬の地に使ったのも、理由がもっと深まって、最も縁の近い神様の領域で埋めて月に対抗する結界とした。という解釈も出来ます。ちなみにコノハナサクヤヒメは日本神話で最も美しい神とされているようです。かぐやが一目惚れするわけですね。ちなみにこれも深読みが過ぎるかもしれませんが、ヤチヨの目には富士山が宿ってます。ヤチヨ…お前まさか…。
Q. フシはタケノコ埋めた後はどうなったの?
A. 断定はできませんが、フシはタケノコに付随する存在なので、ヤチヨと同じ処理がされたと推測しています。元のフシはタケノコと共に埋葬され、最後の配信画面でヤチヨの隣にいるフシはツクヨミ用に作られた複製ではないかと。
Q. かぐやボディは不老不死なの?
A. 作中描写では断定できません。ただ、作品テーマを考えると、少なくとも不死ではないようにしているはずです(時限式、彩葉の心拍停止と同期して機能停止など)。
不老についてはさすがに地球のテクノロジーでは難しそうですが。
「じゃあ月のボディの方がいいのでは?」と思うかもしれませんが、目的はバックアップ・時空移動・肉体生成能力を手放すことで不死性を捨てることです。そもそも月のボディだと月に帰らされるリスクも排除できません。
Q. MVのライブの時系列は?この時のヤチヨは?
A. 復活ライブと同じく、かぐやボディにかぐやの人格のみが入っていた時期の、3人でのコラボだと推測。つまりヤチヨを複製にする前の「卒業ライブ」です。
3人が涙目になっている描写がその根拠で、ヤチヨが人類を見守る役割を降り、かぐやボディに統合して、これからは太陽の下で生きるという決意表明だったのではないでしょうか。
この後に富士山でタケノコを埋葬、という時系列と推測しています。なお、MVの構成は必ずしも時系列順ではなく、回想的に挿入されている可能性もあります。
Q.なんでわざわざ岩盤まで掘って埋めたの?
A.しいてあげるとすれば、「タケノコが時空も超えられてしまうオーバーテクノロジーなので、念入りに岩盤掘ってまで埋めた」、です。ただ、映像上はそんなに深く掘っていないし近未来技術ではなくスコップで掘っているので、監督の発言と作中描写が矛盾してるので、僕は作中描写が優先。岩盤という単語は監督の「岩盤を溶解化して掘っている」という発言から広まっていますが、「絶対真似しちゃダメですよ!」と書いてある通り、そんなスコップとかで簡単に掘れないから掘ったりしないでね、という迷惑行為防止のために書いたのが主な発言の意図だったと思ってます。
Q. そもそも富士山にタケノコがある理由は?
A. 作中の描写を整理すると、タケノコ形態は「宇宙飛行中〜不時着の瞬間」にしか発生しません。
・飛行中=タケノコ(丸く発光)
・不時着=タケノコのまま地面に刺さる➝残った電力でなんとかフシ出現
・実体化=タケノコ➝竹(ゲーミング電柱)に変化→かぐや出現
つまりタケノコは肉体を生成する直前の一時的な形態であって、8000年前の不時着時にしか発生していません。2030年の水槽にあるのはあの時のタケノコがスリープ保管されているだけ。
なので、掘り起こした説の場合は、なぜタケノコなのかが説明がつかなくなると思います。富士山の地中にタケノコがある理由は何でしょう?8000年前の不時着地点は富士山ではないし、原典の竹取物語で富士山に関連するのは「不死の薬」であって「竹」ではありません。
埋めた説なら、マンションに保管されていた、あの一つのタケノコを持ってきた、で完結します。
Q. タケノコを埋めたらツクヨミのサーバーが
なくなるのでは?
A. ノベライズの描写を見ると、ツクヨミは
タケノコをサーバーとして動いているのではなく、地球のインフラ上に構築された仮想空間です。
ノベライズp.237では「人は見えないものを形にし、多くの人とつながる力を手に入れた。
それは月の世界と少し似ていて」と書かれており、地球のインフラが月のインフラに近い水準に達したことが示されます。
p.81でも、ウミウシ(ヤチヨ)が「光」(電気・ネットワーク)を追って、と書いてあるので地球のインフラを基盤にツクヨミを構築したことが示唆されています。
タケノコはあくまでヤチヨのバックアップ
(時空移動・肉体生成能力)であって、
ツクヨミのサーバーではありません。
スマコンを作れる2030年代の地球技術なら、
仮想空間のサーバー維持は造作もないはずです。よってタケノコを埋めてもツクヨミは問題なく稼働し続けると考えます。




2回見て小説もMVも見てそれでも??ってなる部分を全て補完してくれた素晴らしい考察です。 色々な考察を見てきましたが一番納得しましたし これで映画館でもまた号泣して見れそうです。 考察ありがとうございました
コメントありがとうございます!!めちゃくちゃ嬉しいです!毎日考察して追記して自分なりに納得行く答えを記事にしてるつもりなので、本当に嬉しいです😭僕も絶対映画行くので一緒に号泣しましょう!
考察ありがとうございます。 思念体である月人の魂を地球のテクノロジに入れるのは無理じゃないかと考えていましたが、FUSHIならできるかも、と思い至りました。 「もし知りたくなかったなら忘れていいよ。そういうこともFUSHIなら出来」 というヤチヨの台詞にもありますが、FUSHIは記憶(魂)を…
コメントありがとうございます!!確かに相当無理なことはしてますよね。 ただ、FUSHIも多分色々できるっぽいですし、ヤチヨ(元かぐや)も一瞬で犬DOGE作ってツクヨミに持ち込んでるくらいソフトウェア側の天才なので、それの逆というか応用とかでもカバーはできそうです。
YC型ってヤチヨの略称? KG型もかぐやの略称っぽいし! YC型のボディより適合するね、ってことはヤチヨ用のボディも作ったけど、かぐや用のボディを作ったらかぐや含めヤチヨもそっちの方に適合しちゃった!とかなのかな?
コメントありがとうございます!YC型は映画で実際に出てきたセリフで、イニシャル的にヤチヨだと思ってます。で、劇中で出てきたのがYC型のあとのボディなので、YC型に対してKG型(仮称)だろうという、こちらは僕の読みによる仮称です。実は本編、rayのMV含め、ヤチヨが現世でボディは持ったことがな…
非常に興味深く読ませていただきました! ・山頂でのかぐやは8000年分の記憶を取り込んだ状態 ・8000年をあえて受け入れる選択をした ・その時点でツクヨミのヤチヨはシステム的存在 についてはその通りだと思いますし、 ・タケノコは「掘り返した」のではなく「埋めた」 ・なぜ富士山なのか…
いやおかしくはないと思います!!正直このライブ時点がどこまで記憶持ってる問題は、セリフから想像するしかないんですよね。 確かにおっしゃる通り、いきなり8000年後なんて言われたら普通はパニックですよね(笑)。 だからこそ、ライブの時は8000年を「ニュース(知識)」として知っている…