東大時代から熱中していたアメフトをプレイする姿/講談社写真資料室
東大時代から熱中していたアメフトをプレイする姿/講談社写真資料室

『連合赤軍』への執着

ディレカン倒産後も長谷川和彦は『連合赤軍』の映画化にこだわり、メンバーの生い立ちから描く6時間以上のシナリオを何冊も準備。90年代後半からは河井真也プロデューサーと組んで、再始動を果たす。フジテレビでヒット作を連発した河井は当時ポニーキャニオンに出向しており、博報堂と組んだ企画プロジェクト「PeacH」でも長谷川の新作がラインナップとして発表された。

『STUDIO VOICE』1997年11月号、長谷川和彦が『連合赤軍』の構想を語った
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「青春篇」「死闘篇」の二部構成という壮大なプロジェクトとして小説化や海外公開も視野に入れた『連合赤軍』、美術の種田陽平がロケ地の下見に参加するなど準備が進められる。インターネットの「ゴジサイト」では応援団が集まり、2002年から翌年にかけては「ゴジ組スタッフ」として助監督・製作部の募集と審査が行われている(が、ついにクランクインすることはなかった)。

さかのぼれば、凄惨な集団リンチ発覚直後にピンク映画『ポルノ総括 狂気の欲情』(72年/監督:山本晋也)としてフィクションの題材となった連合赤軍事件だが、その後なかなか映画化されず、2000年代に入るや高橋伴明が『光の雨』(01年)に着手。全共闘運動の“当事者”として逮捕経験もある、かつての仲間が長谷川の先を越してしまう。

翌年、佐々淳行の原作をもとに警察側から籠城劇を描いた『突入せよ!「あさま山荘」事件』(02年/監督:原田眞人)が全国公開され、それに腹を立てたピンク出身のベテラン・若松孝二は2007年に『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』を発表する。いつまでも本家ゴジによる『連合赤軍』が宙ぶらりんの状況で、周囲の監督たちの作品が世に放たれていった。

じっくり“粘る”演出ゆえ予算や日程の超過が武勇伝として定着し、それも新作実現を阻んだ一因であろうゴジ流に対し、若松や高橋、そして黒沢清は経済性に根ざした早撮りの技術で多作を誇っていく。じつに対照的だ。

映画監督長谷川和彦公認サイト「ゴジサイト」
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そのほか長谷川和彦の未映画化企画として、90年代後半には鈴木光司のホラー小説『リング』『らせん』に続く完結編『ループ』の映画化が検討されたが、やはりスケールの大きさや原作との乖離がネックとなり頓挫。往年のボクシング漫画『あしたのジョー』の再映画化に動いたこともあった。

国際暗黒プロデューサー・康芳夫の主導によって沼正三の小説『家畜人ヤプー』を実写化という2010年公開予定のプロジェクトも(大方の予想どおり)実現していない。プライベートでは妻と別れ、92年から室井滋との同居を開始。麻雀の腕を振るい、猫を愛し、飲めば同業者の批判を大いに繰り広げた。

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