「ゴジ」、あるいは「ゴジさん」と呼ばれた映画監督・長谷川和彦が1月31日に亡くなった。享年80。さかのぼること50年前、30歳の若さで『青春の殺人者』(76年)を手がけて、キネマ旬報ベスト・テン第1位など高い評価を得た“大型新人監督”は、続いて『太陽を盗んだ男』(79年)を放ち、その地位を不動のものとする。
水谷豊主演による『青春の殺人者』は、千葉の両親殺人事件をもとにした中上健次の短編小説「蛇淫」の映画化、低予算ながら粘りの演出で圧倒的強度の仕上がりとなった。『太陽を盗んだ男』は沢田研二演じる中学教師・城戸が手作りの原子力爆弾で国家に挑む壮大なエンタメだ。リアリティラインをめぐって荒唐無稽という批判もあったが、いまや70年代を代表する映画となっている。
巨体にサングラス、いかにも映画監督然とした風貌の「ゴジ」はメディアにも積極的に登場し、たちまち時代の寵児となった。しかし80年代以降、ついに3本目の新作は実現することなく逝去。「狼少年」「撮る撮る詐欺」と本人すら自嘲したように、いくつもの企画が立ち上がっては消えていった。
撮れなかったのか、撮らなかったのか──全貌を把握することは難しいが、長谷川和彦“幻の映画史”をたどっていこう。
「ゴジ」と呼ばれた男の人生
1946年1月5日、被爆二世として広島に生まれた長谷川和彦は東京大学在学中から映画界を目指すが、すでに斜陽化まっしぐらで大手映画会社は助監督を正規採用しておらず、今村昌平監督率いる今村プロの公募により、その一員となる。東大ではアメリカンフットボール部のメンバーとして名を馳せ、その勇姿が怪獣「ゴジラ」に似ていることから「ゴジ」と呼ばれた。
酒ぐせの悪さや喧嘩上等の武勇伝は下積み時代から轟いており、麻雀の腕も抜群。学生結婚した妻と今村プロの事務所に管理人と称して住み込む。70年には開店休業状態の今村プロから日活の助監督に転身。臨時雇いの契約者だが、調布の日活撮影所を拠点に『野良猫ロック 暴走集団’71』などに参加し、早くも外部から監督の話が舞い込む。幻のデビュー作『センチメンタルジャーニー』だ。
独立系のピンク映画を量産していた国映が外国人キャストを使った“和製洋ピン”を作ろうと企画された『センチメンタルジャーニー』、長谷川和彦の初監督作として立川基地の黒人兵士を主役に始まった撮影は予算とスケジュールを大幅にオーバーし、9割ほど撮影が終わっていたにもかかわらず中断。果たして未完となってしまう。
日活の現場で長谷川と親しくなった俳優・前野霜一郎は、『センチメンタルジャーニー』に助監督兼通訳兼運転手で参加。和製洋ピンゆえ役としての出番はなかったが、海外で知り合ったヒッピーの恋人を出演させるなど献身的な活躍を見せた。その前野は1976年、右翼の大物・児玉誉士夫邸に小型機で特攻して死亡。長谷川は月刊誌『ユリイカ』に長文を発表し、同世代の死を悼んだ。