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ガーちゃんだよ
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日本傾聴連合会の先生の全員の想いです。
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ガーちゃんだよ
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東京で、しかもタダで会えるぞ(もともとタダだけど)
サイモン:ガーちゃん何言ってるの?へー、イベントやるんだあ。
ガーちゃん:サイモンさん、あんたの授業でしょ!私準備大変なんだから!
サイモン:ガーちゃんよろしくね、何話そうかなあ。。。(悩むなあ)
(古畑任三郎のものまねを披露しようとたくらんでたりする。。。)
ガーちゃん:ほんと先生のんきなんだからー。
えーとね、19日現在、24日は残り僅か、25日はお席に余裕があります。南先生のブログで紹介しているので、よかったら、みんなもサイモンとガーちゃんに会いに来てねー。(行く気満々)
サイモン:(ガーちゃんはおいていこうかなあ。。。)
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カウンセラー&コーチ(本物と偽物の違い)
審査項目は文末にあります!
ブログ記事読むのめんどくさかったら下までスクロールしてくださいませ。
(本物っぽい人たち、サイモンは一番左の人よー)
ここ数日、「本物のカウンセラーと偽物のカウンセラーの違い」を考えさせられることがあった。
きっかけは、あるグループにて、「ここにはニセモノのカウンセラーはいないでしょうね」という投稿があり、その方と少しやり取りをしてすれ違いを感じたのと、「彼女の言ってることは正しいが、ちゃんと言語化できていない」と思って、ニセモノのカウンセラーというのを言語化してみたいとおもったからだ。
カウンセラーの定義には本物もニセモノもなく、日本人は全て、「心理カウンセラー」という名前でプロとして仕事ができる環境にある。心理カウンセラーという名称使用には制限がない。
心理療法を手掛けるには、知識と技術と経験が変数となる方程式で導かれるのだが、私がカウンセラーを指導しようとしたきっかけにもなった、あまりにも「知らないがゆえに暴力的なカウンセラー」を業界で多くお見受けした。
繰り返すが、それが指導者を目指すきっかけになった。
その当時の私の印象は「ニセモノのカウンセラーが多い業界だな」というイメージを持っていた。
このカウンセラーもどきの人たちはどのように量産されてきたのかも長年の不思議ではあった。
そこで、この世のカウンセリングスクールや、指導内容を見ているうちに、アドラー流のカウンセラーが講座を開発し運営するスタイルが多く、そこで育った人たちがアドラー流のアプリケーションを身に着けただけで、アドラー風味のカウンセリングをしていることがわかった。
知識と技術と経験があるカウンセラーがアドラー流のアプリケーション(特定療法)を開発したり、伝授したりするのはOKなのだが、そこに生まれたのは、特定のアプリケーションを使うことがカウンセラーの業務と誤認した、アドラー風味のカウンセラーが多く発生している状態になった。
これは、授業料や指導料で生計や蓄財を目論むカウンセラーが、
fx(知識、技術、経験)の事は教えず、
fx(自分が開発したアドラー流アプリケーション)という広げ方をしたためである。
あくまでも、アマチュアとして指導するのならこれで構わないのだが、これをもって、「あなたもカウンセラー」としてしまったときに、生徒側のプロフェッショナルの領域のイメージの誤解と、自身の技術能力の過信を発生させることになった。そして、心理カウンセラーという名称使用の制限がない業界の中で、単独のアプリケーションの使用能力をもってプロとして開業するもしくは、そのアプリケーションを商品として指導するカウンセラーが増えてしまった。
そして、大量発生したアドラー風味のカウンセラーの方々は、誤解と過信の中で、どんどん心理的に危険なカウンセリングをして、クライアントを制圧した快感や、自分の技術を顧みることなしに、クライアントの性格や努力に責任を転嫁するカウンセラーに誤った成長を遂げることになった。
実は、アドラーという人は具体的なアプリケーションをあまり開発せず、広く解釈可能な概念的なイメージを説いていたため、アドラーの理論を学んだ人はアプリケーションは幅広く開発できるし、それをもって、「アドラー流」という、アドラーの名を使ったアドラー流の名称が多くの方に言えるようになった。それ自体はとてもいいことだと思う。
さらに、その自由度の高さのおかげで、それぞれがfx(知識、技術、経験)の中でアプリケーションを開発するまでは、まあまあいいことだと思う。
ただ、その技術を販売しやすい商品にしたいために、自分の名前や独自の名前を付けて、〇〇流や●●式というブランドを立て、そのもとにお弟子さんのヒエラルキー構造を作って、蓄財を目論んだ人も、うーん、ぎりぎりそこまではまだいい。
だって、彼ら自身はまだfx(知識、技術、経験)の中で切磋琢磨している。
問題なのは、その蓄財の都合により「敢えて弟子に説明をしなかった」fx(知識、技術、経験)を伝えなかった事である。生徒側に与えたプロフェッショナルの領域の誤解と、自身の技術能力の過信を与えて、その引き換えに販売しやすいアプリケーションを伝授し、受講料、会費
、マニュアル販売
等で蓄財
したことになる。
fx(特定の開発されたアプリケーション)の世界でプロと名乗るカウンセラーが増えてしまったのである。あくまでもそのヒエラルキーで語られる、知識、技術、経験は、そのヒエラルキー構造の中だけで有効なものだけなので、実際には総合的なカウンセリング能力を持つ教祖様や、外部で多重教育を受けたセラピスト以外は、ほとんどカウンセラーとして使い物にならないのは当然のこととなる。
これは、私がコーチングを学んだNLPの業界でも同じことがおきていた。
NLPは、コーチングの要素技術を分解して、部品をまとめたレゴブロックの基本セットみたいなものである。
これもアドラー流と同じで、アプリケーション開発が容易なのを特徴とする。
本来なら、自然生命感覚を代表する無意識と脳内社会イメージを代表とする意識の折り合いを言語で仲介しながらレゴブロックのようにカスタマイズされたアプリケーションを開発するのがNLPの学びで、学びの過程で過去開発された有名なアプリケーションを習得(これをNLPだと誤解している人が多数いるが)、さらにクライアントに合わせてカスタマイズした心理療法を提供できるのがプロのNLPトレーナー、コーチとなる。
NLP技術というパーツをくみ上げて、アプリケーションを開発する想像力と対応力がいいコーチの要素になるのだが、バンドラー派と呼ばれる開発者の一派は、設計図と組み立てに必要な部品をセットにした、〇〇セットという商品を販売し、これが成功哲学や、心理操作など、様々な「欲望」に直結した領域を指導し、NLPという技術を特定のアプリケーションそのものと誤認させ、NLPコーチングのイメージを特定アプリケーションに固定させることを行った。
その方が講座を商品として販売しやすいし、生徒のヒエラルキー構造も階層的に作りやすいからになる。
それはそれでいいが、そのコーチは購入したNLPアプリケーションの単なる担い手であって、プロコーチではない。
これもNLP風味のコーチと言えると思う。
なんとまあ、
アドラー流アプリケーション開発→ヒエラルキー→アドラー風味生徒量産
NLPアプリケーション開発→ヒエラルキー→NLP風味コーチ大量生産。(情報商材屋)
という、まったく同じ光景を目にすることになった。
NLPの場合、ジョン・グリンダーがその危険に気づき、NewCodeNLPという、柔軟性の高いアプリケーション開発手法の指南を行い、私を含め一部のコーチがジョン・グリンダーに師事を受け、無意識と意識社会の調和を目指すテクノロジーを磨いている。
さて、ここで我に返ると、アドラー流の流派でいくと、カール・ロジャーズを師とする「来談者中心療法」を日本でロジャーズ研究をしていたメンバーから指導を受け、
NLPはジョン・グリンダーに直接指導を受ける二つの幸運に恵まれた。
そのため、アドラー流もNLPも、各アプリケーションの立ち位置を相対的にとらえながら、かろうじてfx(知識、技術、経験)の中でカウンセラー、コーチとして生活できた。
もし、私がそれ以外でアドラー流のアプリケーションの信者になり、そしてNLPもNewCodeの門を叩いてなかったら、私自身も、アドラー風味の無邪気に心理的な暴力を振るうカウンセリングや、「こうするだけで成功する」みたいな固定したコンテンツを販売する業者のようなコーチになっていたかもしれない。
私がこのことを語るのは、それぞれの師匠に幸運に運ばれた運命でもあるのかなあと。
話がそれすぎた。
アドラー流とアドラー風味(本物と偽物)の違いをこのように定義してみた。
以下の重要性がまずは理解でき、そしてそれを意識してカウンセリングしている人がアドラー流であり、できてない方はアドラー風味(彼女がいうニセモノカウンセラー)として定義されるかと思う。
そして、本当にプロとしてカウンセラーを育成したいと思う指導者は、自身が以下の内容を習得しているのはもちろんのこと、生徒さんにも習得の必要性を説いているはずである。でなければ、ヒエラルキー的な蓄財優先のため、敢えて意図的に、自分が開発したもしくは習得したアプリケーションの使い方のみしか教えなかったということにもつながる。
(考えらえる習得知識要素)
医療領域不可侵
直面化非強制非促進
社会参加の意味の時代変化の把握
個人脳内社会と所属社会とのバランス、及び時代変化の把握
利用するアプリケーション適用の領域認識
他心理療法とのマッピングの把握
(プロならわかるけど、
ひどいアマチュアは
何を意味しているかも
わからん人もいると思う。(こっそり教えますよ))
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先着順です。
問い合わせ、申し込みの申請はお早めに!
第一部では、フロイド~~アドラーの間(第一区間)の主に医師による指導を受けた心理療法家の迷いを救う話をした。 第一区間
第二区間
<フロイド~(第一区間)~アドラー~(第二区間)~カール・ロジャーズ>
今回は、アドラー~~ロジャーズに至るまで、主に教育学、心理学から派生した、医療ではない心理療法の第二区間のカウンセラーの迷いを救うことにする。
心理療法が花開き、ビジネスとして、特に欧米の資本主義の中で、愛着問題、生き方、心の迷い、自尊心の構築、課題の解決など、幅広い人の心の迷いを「ビジネス」に取り込んできた。
多くの有名な心理療法家が、技術(アプリケーション)を開発し、〇〇療法などといいながら、
お弟子さんを増やし、スクールを開いてきた。
喫煙、飲酒、頭髪、勃起障害などの、人体に影響あるものは、治療薬の開発とともに、医療業界の一部に取り込まれつつあるが、まだ、人間の不幸と幸せ、納得のいく生き方の領域は医療領域ではない。この領域を医業から分離、発展させてくれたのは、何を隠そうアドラーの大きな功績であるといえる。私が蓄財できたのも、アドラーのおかげである。(といいながら深く学んだのつい最近だったりする)
来談者中心療法、近代催眠療法、ゲシュタルト療法など、クライアントとセラピストの関係性によって成立するセラピー、別の言い方をすると、そこに「医師と病気」が存在しないセラピーにおいて、多くのその時に生きている人の「生きている充実感」を向上させることに貢献してきた。
医業が診断と治療によって成立しているのに比較して、
医業外のカウンセリングは、見立てとマイルドな心理療法(直面化促進技術)で行われ、どうしても、医業に比べて焦点がぼやけて、スペクトラム概念が多くて、目の前のクライアント一人一人にプロセス(臨機応変)に対応することが求められる。
この、複雑性とカスタマイズが第二区間のカウンセラーの持ち味となるが、そのテクノロジー自体がぼやけており、優秀な技術の担い手が少ないのも特徴となる。
その、優秀な人しかできない、伝統芸能のような心理療法を、習得可能な技術として展開することに大きく貢献したのが、カール・ロジャーズである。
他の技術に比べて「傾聴」がちゃんと知識をしって、技術を練習すれば習得できるというのは、受容・共感・自己一致のテクニックをしっかりと定義したことにより実現した。
ロジャーズさまさまである。
ただ、不一致と自己概念の論理展開は、ロジャーズに怒られるかもしれないが、フロイドがといた防衛機制と抑圧心理の焼き直しである。(というか、人の心の機能は心理療法家によって変わるものではなく、ただ違う名前でそれぞれの先生が定義しただけにすぎない)
しかも、フロイドの方がクラシックなのだが定義がしっかりしている。
ロジャーズの不一致理論はモダンであるが、第二区間独特のあいまいさがのこる表現となっていて理解が定着しておらず、宗教チックな展開になる。
このあいまいな分野は、ゲシュタルトに始まり、フォーカシングやトランスパーソナルと、宗教との境目があいまいになるジャンルに発展していった。
これでは、技術としてまとめることが難しくなる。
信じる人が救われるというのは、心理療法家がどんどん、宗教家になっていく過程になる。残念ながら、ロジャーズに学んだ人、そしてロジャーズ本人も晩年は宗教チックな理論展開になっていった。これはね、老いて消えていく人間の最後のあがきともいえるのでしょうがないの。
まだ、我々はできることがある。
アドラーショック以降に学んだ、非医業のセラピストは、第一区間のセラピストに比べ、治療暴力の覚悟と、直面化に対する定義があいまいなため、アドラー風味のカウンセラーで指摘したように、「無邪気に暴力的なカウンセラー」になる危険があった。
アドラーが「気にしなくていい」といった理由は、フロイドの神経症の病理で説明される通り、「抑圧」は病気になるくらい頑固で、セラピストがちょっとつついたぐらいで表に出ないことをしっていたし、基本的に医者であった初期のアドラーのお弟子さんは「治療痕と副作用」に関しては学んでいるのが「当然」と思っていた。
だが、第二区間のカウンセラー、ロジャーズの代々のお弟子さん、そして現代の通信販売に代表されるカジュアルなカウンセラー養成スクールにいたるまで、「心理知識のないカジュアルなカウンセラー」が、技術だけ模倣して人の心をえぐり「直面化」を手柄のように行ったり、その強制直面化の現場をドラマチックに表現して、「これぞ!カウンセリング」という現場を見て、さらに誤解するセラピストが増えることなど、アドラーは想定していなかったであろう。
もっと長生きしてたらブレーキもかけれただろうに。
こういう直面化に対する危険を回避する姿勢は、不一致理論より、防衛機制理論の方がわかりやすく、知識と具体的な指針として体系化しやすい。
定義があいまいな、不一致理論より、定義が安定している防衛機制による心の安定を学ぶことが、第二区間のカウンセラーの救いとなる。
「直面化」により失う損失に対する手当をしらないカウンセラーになり、ロジャーズのお弟子さんにありがちな、「自己一致」を宗教のようにあがめるカウンセラーになると、失敗の道をたどる。
まあね、人生はあらゆる不一致にまみれており、
ロジャーズが定義する完全に機能する人類は、世の中に存在しない。
(これはあたりまえのこと)
人間は、「不一致上等」な人生を「適応」しながら生きている。
何を直面化して何を「自己受容」、「自己一致」するかは、クライアントの人生の重要な生き方の構え方の課題であり、それはカウンセラーが押し付けたり、指導するものではない。
クライアントがうっすらと意識した、「もう直面化してもいいかな」ということをカウンセラーは背中を支えるサポートする役割となる。主な仕事はクライアントの直面化のしんどさに付き合う事(カウンセラーもしんどいよ)と、逃げてもよしとすること(逃げるための現実的な課題解決のためにコーチング技術が存在する。間違っても強制直面化させるためにコーチング技術は用いない。)。
直面化と演出された自己一致を目指し、洗脳したがるカウンセラーが多いのも第二区間のカウンセラーの特徴となる。
ロジャーズもこういっている「治そうとするな解ろうとせよ」
この言葉で私は二つの事を学んだ。
1つは、「患者」は医者に任せなさい。だから治そうとする相手は、医者と一緒に取り組め。
これがわからず、治療行為があたかも可能なように勘違いするカウンセラーも出てくる。ロジャーズ先生も間接的に、医業は医者に任せろといってる。
もう一つは、非介入技法である来談者中心療法からスタートして、介入度が弱く、「本人がその気になれば直面化を自身で行う」、副作用が少ないカウンセリング技術を採用せよといっている。
言い換えると、クライアント本人の人生にカウンセラーの人生の影響を与えるな、本人の自己実現のサポート(裏方)に徹しろということになる。
某有名タレントに被害にあった方が受けた、暴露療法など、トラウマ行為を追体験するカウンセリング技術は結構最後の手段に近い。
しかも彼女は医療行為を受けていた「患者」である。
ね。もうわかったでしょ。
医療行為の延長でないカウンセリングに対し、カジュアルなカウンサラーが暴露、暴露、はい暴露みたいなことをやることがどれだけ危険なことか。
医者の衣装着て、街中でメスを振り回して、「あははははは」と言っているイメージが浮かんで来たら、多少はまともなカウンセラーの道が開けていると思う。
このカウンセリングという行為は、なかなか治療行為と違い、心理触媒みたいな役割で、〇〇先生は何もしてくれなかったけど、そこにいてくれたから、自分で気づくことができたくらいの感謝感覚がゴールになり、本当は技術を使ってその環境づくりをしている。
直接手を下したり、「あなたは〇〇なんですよ」などと教えたりしない、見立ての内容は心に秘めておく仕事となる。これはねぇ、やってみると結構しんどいよ。
私がいつも言っている、「感謝されないことが最大の業績」、「なぜか幸せになっている裏方」こういう感覚でかつ、しっかりとカウンセリング技術を提供しているからこそ実現できている世界を作るのがプロななのよ!
しかしながら、多くのスクール教師やカウンセラーが前述しているように、洗脳行為に近い暴力を振るうことがプロだと勘違いする。
そして、その勘違いしている人数の方が圧倒的多い!
すこしだけ弁護をすると、第二区間があいまいで目的がクライアント次第でカスタマイズしながらやっていく注文建築の大工さんみたいな存在であるはずなのに、未熟な間は頼る形がないと不安になり、形(コンテンツ)を求めてしまい、その迷いをビジネスにして「カウンセラー養成」という情報商材を売りつけるだけの業者や、目立つカリスマカウンセラーの講座に入信してしまうという現実にある。
ビジネスを信じて開業したカジュアルなカウンセラーも被害者と言えば被害者でもある。
カウンセラーが悪いのではなく、カウンセラーを取り巻く状況と教育環境が悪い。なので、セラピーへの構えと、「何を仕事としているのか」という感覚が育たないまま、カウンセリングをビジネスにして躍起にクライアントを探すことになる。
カウンセラー教育業界も同じこと、学びの本質と、第二区間のカウンセリングの商売の本質に向き合わず、教育商材売りたさにコンテンツを売ろうとすると、どうしてもね、モデルハウスの建売販売になる。直面化のリスクと防衛機制のメリットを学び、臨機応変に構えるカウンセラーなど出てくるわけがなくなる。
この壁を越えていない方、こっちに来ましょう。
学べばいいんです、姿勢を変えればいいんです。
私が出会った第二区間の危機を乗り越えたカウンセラーは、常にクライアントが一人増えるたびに、壮大な謎解きのドラマと、新しい人の幸せの形がクライアントによって教えられる実感を語っている。
そのくらいの仕事感覚が第二区間のカウンセラーにはちょうどいい。
第一区間の先生方の理論をきっちり学び、そして、いかに裏方に徹しながらそれでいて、ビジネスとして成立させるか、これが第二区間のカウンセラーの道である。
直面化を自分のペースで行うクライアントを相手にして
初めて「呼んでますよロジャーズさん」となる。
そんなことを、日本傾聴連合会で教えている。
(第一区間のカウンセラーは第一部を読んでね)
<告知>
あの忌まわしい疫病により、対面講座が全てなくなり、Zoom受講になって約3年。。。
東京にて対面スクールが再開します。
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体験受講はどなた様も全て無料です。
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1月24日(土)、1月25日(日)は
両日ともスケジュールをあけといてね。
先日、アドラー風味のカウンセラーの勘違いと弊害のポイントを書いた
「アドラー風味のカウンセラーが嫌われる理由」の反響が大きい。
実はアドラーは、医者でありながら、社会参加や劣等感、課題をテーマとして
心理療法を展開した、すなわち「病人」でない人の悩みと生きづらさをセラピーの対象とした。
それまでは、医師が「病人」を対象として、その医師の心理療法をサポートする心理療法専門家が「治療と心のリハビリ」に従事していた。
アドラーは医師ではあるが、アドラーの展開するセラピーの対象者は患者でもなく、
やっていることは医療行為ではない。
その後のロジャーズに至っては、非介入技法という、その場にセラピストが「傾聴スタイル」を展開するだけの奥義も生まれるに至る。
~第一区間~
~第二区間~
<フロイド~(第一区間)~アドラー~(第二区間)~カール・ロジャーズ>
アドラー流が真ん中のカウンセラーとすると、カウンセラーにはフロイドに近い「医療現場」から派生したカウンセリングと(第一区間)と、愛着障害をはじめとする、人間関係がうまくいかない癖のある生き方で生きづらさを主体とするカウンセリング(第二区間)の特徴を捉え、
それぞれのカウンセラーのエラーを2部構成で説明する。
第一区間のカウンセラーは基本的に、患者の治療を前提とするカウンセリングを提供している。
この医療現場を前提とするカウンセラーは、心理療法による傷付きは手術の傷と同じく、「仕方ないもの」としてとらえています。
さて、アドラーや医師以外の心理療法家は、「病気ではない心の問題」、「社会と心の関係」、「愛着と心の課題」など、心をテーマに病気以外の領域を発展させてきました。
第一区間のカウンセラーが迷う大きなポイントとなるのは、人の心のシステムは、病人でもそうでない人も人類共通であるという事で、フロイドの治療対象の神経症を発症しなくても、防衛機制や無意識の抑圧や、愛着問題(これは、フロイドの娘アンナの同僚のエリク・H・エリクソンによりかなり訂正されている)は、人類皆同じなので、治療、診断を元にしないカウンセリング、すなわち心理療法家が医師免許をとらないで対応できる範囲が生まれたことになる。
治療(患者と医師)を前提としないカウンセリングにおいては、三つの事が大きく異なる。
1.カウンセリング行為の副作用はクライアントの覚悟できていないことであり、
カウンセリング行為による傷付や直面化はできる限り発生しない努力が求められる。
2.クライアントの現在の不都合の状態は過去の経験の結果としてできており、
変化するかしないかはクライアントの自由である。
3.病理の診断を前提としないため、類型論になじまず、特性による見立てを行い、
見立ての内容に関わらず、本人の状態は常に変化する。
フロイド~~アドラーまでの第一区間のカウンセラーにとって、大きな衝撃は
「何もしない方がよいことがある」ということ。
医療関係者は「手の施しようがなく、緩和ケアにゆだねる」という意味にとらえがちだが、そうではない。人は病気に至らなくても悩んだり、社会参加できなかったり、他人とうまくやっていけなかったり、偏った考えをもったり、行動の癖や、なりたい自分になれなかったりする。これは全て病気のジャンルではない。
もともと病気でない人の人生の「何が幸せ」かは、カウンセラーが決めることではない。いいかえると、病気→治癒もしくは、病気→寛解を目指すのが当たり前の心理療法家にとって、理想の未来像が設定されていないことが、まずは戸惑い迷う理由となる。
診断と、インフォームドコンセントによる治療方針を確定する医業に対して、とてもアプローチが根本的に異なるのが心理カウンセリングの世界となる。
次に、基本的に認知行動療法や精神分析法など、ある程度「本人に直面させることを強いる」心にメスを入れることを「治療の為に必要な傷」と考えている心理療法家が、来談者中心療法のような、非介入のマイルドな効くか効かないかわからないようなインチキ漢方薬のような心理療法は認めたくない。
パニックになるセラピストは、治療行為以外においても、この強い介入技法しか勝たんという話を展開しがちになる。
さらには、第二区間のカウンセラーを下にみたりする。
(医療と民間セラピーが仲がわるかったのはこういう第一区間の先生方のヒエラルキー姿勢によるところも大きい)
医療行為の正統性は、「患者と医者」の関係性が成立する領域で限定される話である。
人間の社会活動の一部なんですよ、医業は重要だけどね。一部なの。
ある消費者金融のCMで「そこに『愛』はあるんか?」と同じで、「そこに『病気と医療』はあるんか?」という事をまず判断し、医療介入でない場合は、比較的非介入に近い療法を選択することが大切。セラピーでクライアントをわざと傷つけるには相当な理由がカウンセラー側に必要となるため、医療のやり方をそのまま病気ではないクライアントに使ってはセラピーに暴力性が出てしまう結果となる。
さらに、見立てを診断と誤認して、類型に当てはめて、状態をスペクトラムにとらえられず、クライアントの状態を断定的にとらえ、強い心理療法を展開しようとする癖がでてくる。このことも第一区間のセラピストの特徴となる。
診断は断定的にすることが目的、見立ては状態を感じ取ることが目的、言葉は似ているが、行為は全く違う。「そこに『病気と医療』がない」クライアントには、(※)診断ではなく見立てを前提とする行為になる。
(※日本では診断行為は医業であるため、医師免許のない心理専門家はそもそも診断はできない)
アドラーショックにより、第一区間のカウンセラーは、自身の心理療法のバックグランドのフロイドやエリク・H・エリクソンやボウルビーの理論を「治療のための心理療法」として使ってきたことを、「患者以外の人類」に適用範囲を広げた.
第一区間の業界で活躍したカウンセラーは、このアドラーショックの拡張に関し、心理療法技術と見立てに関して、医業とは別の価値観をセットアップする必要があると理解できれば、迷いから救われることになる。
これを乗り越えたカウンセラーが、患者だけではなく、クライアントを対象としたカウンセラーとして、医師との協業から離れて活躍していける。
あなたのカウンセリングが、断定的、暴力的になっている場合、フロイド先生が相手にしている人の外側の仕事をしている自覚が必要かもしれないよ。
だって、フロイドは医者。あなたは心理療法家。
医者とセットになってやれていることと、医業を離れてやることは、構え方と習得する知識と技術のセットが異なってくる。
防衛機制や、抑圧など、が患者以外の人類の普通のお悩みに展開することは、フロイドにとってどうでもいいことだったのです。
フロイドはこういうだろう、「だって、俺、医者だもの。」
病気があり、患者がいて、初めて、「呼んでますよフロイドさん」になる。
そんなことを、日本傾聴連合会で教えている。
(第二区間のセラピストは第二部を読んでね)