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最後の小説、最初の翻訳――『ハンバーガー殺人事件』の頃

✑松本淳

リチャード・ブローティガンが生前最後に発表した小説『風に吹きはらわれてしまわないように』が、2025年末にちくま文庫として刊行されました。この作品が40年前、1985年に松本淳さんが訳し晶文社より刊行された際のタイトルは『ハンバーガー殺人事件』でした。しかし今回の文庫版は、松本さんが一から訳し直し、新しいタイトルで刊行しました。
 なぜ『ハンバーガー殺人事件』という原題から離れたタイトルに当時なったのか。なぜ改題したのか。本作品について、当時のことについて、松本さんによるエッセイを、ぜひお読みください。(PR誌『ちくま』2026年1月号から転載)

  なぜ物語に惹かれるのだろうか。人はいざ知らず、私はそこに共感を求めているようだ。「そうだよね」「わかる」、読んでいてそんな思いをいだけたときに、本からそっと目をはなし、天井を見あげる。そんな瞬間をあじわいたいのかもしれない。
 ほかの人たちと受け止め方、考え方がちがうなと感じることが多い。どうしてみんなはそう思わないんだろうとふしぎになることが多い。そんな人生を過ごしてきて、「そうなんだよねえ」と思えるときがどれほど貴重に感じることか。小説を読むようになって、世の中はけっして「みんな」だけでできているのではないことを知った。自分とおなじように感じる人もいる。そして、「おなじように感じるのではないけれど、微妙なちがいには意味がある」とか「理解できないと思っていたけれど、案外とこういうふうな見方もありなのかもしれない」とか、だんだんと世界がひろがっていく気持ちにもなれる。
 わかいころの私は、そんなふうに小説を読んでいた。だから、文学史的な興味であるとか、文体や語彙といった言語的な関心とか、そういうものはほとんどもたなかった。いまもそうかもしれない。たしかに長い年月を生きてきて、いくらかの蓄積はできた。物語をささえるそんな基盤の重要性もわかる。けれど、いまだに関心は、自分自身が個人的にいだく共感にある。
 リチャード・ブローティガンの生前最後に発表された作品となった「風に吹きはらわれてしまわないように」を手にした23歳の春にも、私はそんなふうだった。主人公として描かれる少年の人生と私の人生には、ほぼ重なるところがない。けれど、「そうだね」と、何度も私はうなずいた。自己中心的で、それでも切実に友を求め、そして意図せずにそのたいせつなものを傷つけ、なくしてしまう。少年期の心の動きを、この作品は実にこまかくとらえている。その段階で邦訳がなかったこの作品は私をとりこにし、気がつくと私はその作品の翻訳者となっていた。
 その最初の原稿を出版社に送るとき、私はこの作品に「ハンバーガー殺人事件」と仮題をつけた。ありていにいってしまえば原題をうまく訳せなかったからだ。どう訳してもしっくりこない一方で、私の心の中に渦巻いていたのはかなしみだった。それはそのときの私の個人的なかなしみでもあったし、突然に舞いこんだブローティガンの訃報のかなしみでもあった。あるいは、1970年代末の世の中にただよっていた終末感が突然のように過ぎ去った虚ろのなかに感じたかなしみだったかもしれない。私はその奇妙なかなしみを、「ハンバーガー」と「殺人事件」というおよそ似つかわしくない言葉のとりあわせのなかに表現できるような気がしていた。
 もっとも、自信があったわけではない。だからどこかでタイトルは修正されるのだろうと漠然と思っていた。それがそのまま出版物のタイトルになって、やっぱり世のなかには自分と同じようなかなしみをかかえている人が多いのかなぐらいに思った。みんな「そうだね」といってくれるのだろうと、そんなふうに思っていた。
 やがて編集担当の方が、「書評が出ましたよ」とコピーを送ってくれた。どうもそれは、タイトルだけ見てなにか別のものを期待していたような、そんな感覚で書かれたもののようだった。はじめての自分の仕事ということで、私は何人もの友だちに本を贈った。「探偵はどこに出てくるんだ?」高校時代に親しかった友人はいった。あらためて、私は自分の感性が「みんな」とよっぽどずれていることに気がついた。
 今回、およそ40年ぶりに版を新たに起こすことになり、訳稿を改めるとともにタイトルもより原題に近いものにもどすことができた。自分自身と世界のあいだのずれた位相をしっかり意識すること、それが思ったよりもむずかしいものだと、長い年月をかけて私も学びつつある。


【紹介された本】
リチャード・ブローティガンの生前に発表された最後の小説。
『ハンバーガー殺人事件』が、新タイトル&改訳で待望の復刊!
1979年夏、44歳の「作家」が、1940年代のアメリカ・オレゴン州での少年時代を振り返る。貧困の中での生存と気晴らし、池の端にソファやランプなど家具を並べて釣りをする夫婦、22口径のライフルが起こす悲劇、少年の心に落とされた影……。幻想的な光景と死の匂い、風に吹きはらわれてしまいそうな人びとの姿を物語に描き、作者が生前最後に発表した小説。1985年に刊行され品切れとなった後、傑作と評価されながら入手困難となっていた『ハンバーガー殺人事件』を原題に沿って改題、訳者があらたに訳しなおし、復刊文庫化。

【執筆者】
松本 淳(まつもと・じゅん)

翻訳者。訳書にポール・ヒル、トーマス・クーパー『写真術』(共訳)、アントニー・ペンローズ『リー・ミラー』、子どもの貧困アクショングループ編/松本伊智朗監訳『子どもの貧困とライフチャンス』、ルース・リスター/松本伊智朗監訳『新版 貧困とはなにか』(共訳)などがある。

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