49歳医師国家試験浪人生の論考メタ分析──可視化されるキャリア観と人生観
はじめに
2025年12月半ば、医クラを賑わす興味深いトピックが現れた。
ABEMA TVのリンク:https://abema.tv/video/episode/89-66_s99_p6890
49歳で医師国家試験に向かう神乃さんである。
再受験生ではなく、11浪8留5国浪。
日本では、ストレートで医師になれる年齢は24歳である。49年という歳月は、「同世代が医師になった頃に生まれた人」が、すでに医師になっていることを意味する。
上記のリンクのビデオを拝見する限り、医学部入学後に引きこもりやうつも経験されたという。
いったい、どれほどの挫折と苦労を重ねて、どんなに強い決心でなお医業に向かおうとしているのか。想像することも難しく、私は具体的に助言できる立場にない。30代後半の中堅指導医の筆者としては、神乃さんに対し、この一言しか持ち合わせていない。
「今後の心身のご健康とご活躍をお祈り申し上げます」
社交辞令ではなく、私の本心である。
そして、本稿でフォーカスするのは、神乃さん自体の批評ではない。
彼の是非を巡る医クラ内のポストや記事を読むにつれて、このトピック自体が、論者のキャリア観や人生観を露呈するフィルターとして機能していることに気づいた。
その理由は、医師のキャリアにおける年齢的制約と、なるべく早く医師になって社会に貢献するべきだという論者の倫理が、11浪8留5国浪という外れ値を前にして、強い認知的不協和を引き起こすからと考えられる。
この記事は、このトピックの論者の心理背景をメタ的に考察することで、読者のキャリアにおけるリスクの予見・軽減に役立ててもらうことを目的とする。
可能であれば、このトピックに対して「自分ならどう思うか」考えてから読み進めていただきたい。
(1)断罪派の心理
まず、断罪派の主要な論点から考察していく。
(1-1)適性論:帰属の誤りと防衛機制
「適性がないから挑戦を止めるべき」
本件において真に適性がないかどうかを、リンクのビデオやXの断片的情報から判断するのは短絡的である。迂回した25年間に何があったのか本人から十分に聞いていない以上、赤の他人に「向いていない」と断ずるのは正当とは言い難い。病気、家庭事情、経済的制約など、学習の継続を阻む状況要因はいくらでもありうる。
こうした断定は、反証となりうる可能性を検討せず、当人の能力・性格などの内的属性に原因を求めてしまう点で、心理学でいう基本的帰属の誤り(他人の行動の原因を考えるとき、その人の能力・性格などの内的属性を重視し、状況や環境などの外的要因を過小評価してしまう心理傾向)に近い。さらに、「自分のキャリアは正しい」という信念から大きく逸脱した例を前にして、「この例は誤りだ」と切り捨てたくなるのは、防衛機制という側面も含んでいる。
本当の適性は、医師としての最初の数年間で社会に露呈する可能性が高い。なお、医療安全の観点から懸念を抱くこと自体は自然な反応である。しかし、断片的な情報だけで重大な判断を下す傾向は、キャリアにおける見誤り(「こんなはずではなかった」)を招くかもしれない。
リスクの因果評価が断定的だと、人生全般では詐欺や極端な言説に引き寄せられる温床にもなりうる。
(1-2)社会的迷惑論:能力主義の暴走と自己崩壊リスク
「社会的な迷惑である」
この発言は、医学部に合格してから迂回した8留5国浪の13年間に対して、もっと早く医師になれていればその分多く社会に貢献できたので、その損失が社会にとって悪影響という論理である。
言いたいことは分からないでもないが、この論理を突き詰めると、極めて危うい帰結に到達しうる。この発言は、「医師も全員人間なので、病気や家庭の事情などでうまく働けないことがある」という前提を見落としている。
世の中には、医学生や医師になってから若くして病気になったり、不幸にして早逝してしまう人もいる。彼らに対しても、不可抗力で働けなくなったことについて「社会的な迷惑である」とでも言うのだろうか?そんな話はないだろう。
この言説は、「働く能力がない人は、人間としても価値がない」という短絡的かつ攻撃的な言説にもつながりうる。このように考える人は、自分自身が病気や家庭の事情で働けなくなった時、自己価値の崩壊やアイデンティティクライシスを招くリスクを孕んでいる。
なお私は、15年間の医師としてのキャリアを経て、自分が今健康なのは、たまたま運がいいだけだと思っている。
(1-3)模倣損失論:リスク過小評価への懸念と境界線
「真似をして何年も挑戦し続ける人が増えれば大きな損失になる」
これは、医師を目指す過程のサンクコストの大きさや、医師になってからのキャリアの厳しさを過小評価する人が増えるという懸念である。リスク過小評価への懸念自体は正当で、ダニング・クルーガー効果(物事の習熟度が低い段階では、リスクを過小評価すること)として、筆者もこの業界のリスク過小評価について以前の記事(こちら)で指摘している。ただし、この構造は今に始まったことではなく、医学部受験の難易度や予備校業界の利益構造、他業界の厳しさなど、複雑な社会的要素が関係している。本件の当事者だけで何とかなる問題ではない。
また、このように「自分の言説が他者に負に影響すること」の懸念を過度に背負えば、誰も発信も行動もできなくなる(あくまで、法の範囲内の話)。キャリアの判断の主体はあくまで各個人だと、切り分けるべきである。
医療においては、自分と他者の境界が曖昧なままだと、「最善を尽くしても患者の経過が良くならないのは自分のせい」という風に、医療者が負の感情に飲み込まれてメンタルヘルス危機へつながりうる。他者の誤解への配慮は必要なことであるが、自分が及ぼす影響と他者判断は明確に区別すべきである。
(1-4)エイジズム論:自己の老年化への不耐性リスク
「50代の新人医師には診て欲しくない」
この発言は、50代の新人医師であればまともな医師ではない可能性が高いという思い込みで、年齢差別(エイジズム)に基づくものである。本来であれば、大事なのは医師の年齢でも経験年数でもなく、「その医師が妥当な診察と臨床判断をしているか」が本質である。逆に、50代のベテラン医師に会っても、親身になってもらえずあしらわれることはありうる。
このようなエイジズム論を躊躇しない人は、自分が老いた時に老いを受け入れられず、アイデンティティクライシスを招くかもしれない。エイジズム論に強く反応する人ほど、老いへの不耐性という自己投影を抱えている可能性がある。
「若者の枠を奪うな」
この発言は(1-2)社会的迷惑論と上記のエイジズム論の合わせ技である。
合格した医学部の受験資格に年齢制限がない以上、試験を受けて合格することは完全に正当である。
もし受験生が言っているとしたら、感情論に寄らずに勉強に集中すべきであり、受験生以外が言っているとしたら、受験生本人の介入領域を越えた余計な介入になる。若者の方が優れていると主張するなら、先ほどのエイジズム論と同じ帰結になる。
(1-5)税金無駄論:本当の税金の無駄への隠れ蓑
「医師養成には多額の税金がかかるので、少しでも若いうちに医師になって社会に貢献すべき」
この発言は一見正当に見えるが、残念ながら、仮に全ての医学生を20代までに限定したとしても、医師養成にかけた税金を無駄にせず保険医療の充実により回収するという投資目標は解決しない。
その理由は、急性期医療へ参入せずに直美ルートを選ぶ若手医師が増えていることや、筆者のように専門医・指導医に達した中堅医師が報われずに急性期医療の現場を次々に去っているからである(詳細はこちら)。みんな若ければ投資費用を回収できるという前提そのものが通用しない、業界の闇が存在している。
しかも、医師国家試験の受験生はまだ20〜30代の若手が大半である。40〜50代の受験生についての税金の無駄を論じるよりも、若手が燃え尽きずに報われる労働環境を構築する方が、よほど現場の人手は充足するし、投資効果も回収しやすいはずだ。多年齢層への門戸開放よりも、社会的責任を全うしようとする誠実な若手〜中堅医師を使い潰す業界の構造の方が、よほど大きな損失を招いている。入口(高齢受験生)を叩く議論が強まるほど、出口(若手〜中堅医師の離脱・燃え尽き)という本丸の問題が見えにくくなる懸念がある。
また、この言説は、「若手〜中堅医師の離脱・燃え尽き問題に気づいていない可能性」を示唆するという意味で、特に若手〜中堅医師にとってのキャリアのリスクになりうる。
(2)応援派の心理
本件において、その先のキャリアのリスク評価なしに「素晴らしい。とにかく応援する」と言うとしたら、それは高年齢で医師になった先にある困難性を過小評価していることになる。(1-3)で述べたダニング・クルーガー効果である。
私は40歳になる前に健康リスクを加味して眠れない当直から身を引いたので、当直や無償オンコールをはじめとするブラック勤務による心身の疲弊リスクについては、厳しめに見積もっているつもりだ。
(1-3)では模倣損失を恐れて個人の志望を潰すべきではないと述べたが、だからと言って重大な健康リスクを一般的に過小評価していいという訳ではない。医師になる年齢が高齢にならざるを得ない人は、特に健康リスクの問題にどう折り合いをつけるかよく考えるべきである。当然、健康リスクはキャリアそのものへのリスクに直結する。
(3)バランス派の心理
ここで述べるバランス派とは、本件において人格や人間性そのものを否定するわけではないが、先にあるキャリアに潜むリスクと困難性を正当に評価した上で、医師としてキャリアを積むためにはそれらを乗り越えなければいけない、と冷静に線引きする言説である。
この言説の論者は、「職務能力」と「人間としての価値」を分けて考えられるという点で、自分が病気や家庭の事情で働けなくなったとしても、相対的にメンタルヘルス危機に陥りにくいと考えられる。
おわりに
以上、主要な言説をもとに、論者の心理的特性やバイアス、それらがキャリアにおよぼす影響を考察してみた。このトピックは、論者自身の「自己価値の評価軸」を露呈するという意味で、興味深いものであった。
少しでも参考になれば幸いである。



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