出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/01/08 13:36 UTC 版)
| すみだく 墨田区 |
|||||
|---|---|---|---|---|---|
|
|||||
| 国 | |
||||
| 地方 | 関東地方 | ||||
| 都道府県 | 東京都 | ||||
| 市町村コード | 13107-5 | ||||
| 法人番号 | 6000020131075 | ||||
| 面積 | 13.77km2 |
||||
| 総人口 | 285,331人 [編集] (推計人口、2025年12月1日) |
||||
| 人口密度 | 20,721人/km2 | ||||
| 隣接自治体 | 台東区、江戸川区、足立区、葛飾区、江東区、中央区、荒川区 | ||||
| 区の木 | サクラ | ||||
| 区の花 | ツツジ | ||||
| 墨田区役所 | |||||
| 区長 | 山本亨 | ||||
| 所在地 | 〒130-8640 東京都墨田区吾妻橋一丁目23番20号 北緯35度42分38秒 東経139度48分05秒 / 北緯35.71069度 東経139.8015度座標: 北緯35度42分38秒 東経139度48分05秒 / 北緯35.71069度 東経139.8015度 |
||||
| 外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
|
|
|||||
| ウィキプロジェクト | |||||
墨田区(すみだく)は、東京都の区部東部に位置する特別区。西を隅田川、東を荒川および旧中川、北を荒川放水路に囲まれ、南は江東区と接する。
太平洋戦争後の1947年に旧本所区と旧向島区が合併して誕生した。隅田川、荒川、旧中川と河川に囲まれ、海抜が低い地域である[2]。
江戸時代初期においては、江戸市街の東端は隅田川までで、墨田区一帯は隅田川を国境に下総国に属し、葦の生い茂る湿地帯に農地が散在する江戸の郊外だった[3]。しかし、1657年の振袖火事(明暦の大火)をきっかけに江戸の市街地は隅田川以東に拡大し、区南部の本所を中心に武家屋敷や町屋、代官、町奉行などが置かれ、隅田川以東も武蔵国に編入された[3]。明治期以降も都市化と工業化が進み、1878年には江戸の市街地だった区南部に本所区が成立し、かつて農村地域だった区北部にも1932年に向島区が成立した[4]。多くの工場が立地し、錦糸町などは工場労働者の街として賑わった。関東大震災で大きな被害を受け、太平洋戦争末期の東京への度重なる空襲市街地は再び廃墟と化したが、戦後復興により住宅と中小企業の工場が建ち並ぶ下町として発展していった[4]。本所は江戸・東京の下町を構成している地域の一つであり、下谷、浅草、深川と並ぶ、東京下町の外郭をなす。向島は全盛期と比べると衰退してしまったが、東京でも数少ない花街として現在まで続いている。
「おいてけ堀」など「本所七不思議」は、昔の墨田区付近が舞台である。また、大相撲が催される両国国技館が立地することでも著名である。押上・業平地区では、自立式鉄塔としては世界一のレベルとなる高さ634メートルの地上デジタル放送用タワー「東京スカイツリー」が2012年5月に開業した[5]。東京スカイツリーを中心として東京スカイツリータウンが位置しており、観光と防災都市のシンボルにし、世界一の観光都市を目指すという。隅田川の花火大会は江戸時代から続く花火大会であり、毎年多くの見物客を集める。
区名は、隅田川の堤の通称「墨堤」から墨を、隅田川から田を採った。なお「墨田」の表記自体は、隅田川の古い別表記の一つでもある。
その他の候補には「隅田区」「吾妻区」「隅田川区」「江東区」などがあった[6]。区名を決めた当時は「隅田区」を推す意見が最多だったが、「隅」という字が当用漢字に無かったことや、「隅田川」の名称が当時の河川法で正式名とされていなかったこと(正式制定は1965年)から実現しなかった[7]。
| 墨田区と全国の年齢別人口分布(2005年) | 墨田区の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
|
■紫色 ― 墨田区
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||
墨田区(に相当する地域)の人口の推移
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 総務省統計局 国勢調査より | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
2005年に夜間人口(居住者)は231,092人であるが、区外からの通勤者と通学生および居住者のうちの区内に昼間残留する人口の合計である昼間人口は262,514人で昼は夜の1.136倍の人口になる[注釈 1]。
東京都の東部の区であり、西の区境は隅田川で、対岸は北から足立区、台東区、中央区である。東の区境は荒川および旧中川で、江戸川区と向かい合う。荒川と隅田川をつなぐ荒川放水路の北は足立区である。このように河川に囲まれたエリアで水の郷百選に選ばれており、区東部は海抜ゼロメートル地帯となっている。このため墨田区はハザードマップで、豪雨や河川氾濫のほか、東京湾の高潮を含む水害への警戒を呼び掛けている[8]。
墨田区が成立するまでは、区の北部(旧・向島区)と南部(旧・本所区)では、歴史に大きな違いが見られる。北部では、平安時代ごろには陸地化が進み、中世には荘園制度のもとでは下総国葛西御厨の一角にあり、葛西氏知行地の農村地帯として発展を遂げていた。南部では牛島が700年代から牛の放牧地とされていた他はおおむね湿地帯であり、人が住むには極めて向かない土地であった。こちらは北部とは異なり、中世では武蔵国江戸氏一族の知行地であった。
江戸中心部が1657年(明暦3年)の振袖火事によって焼け野原になったため、災害対策の一環として武家屋敷が当区南部へと移動することとなった。同時に、竪川や大横川をはじめとする人工河川(運河)の掘削や南北割下水(わりげすい、現在の北斎通り近辺にあった)、碁盤目状の街路の整備が行われた。元禄十六年(1703年)の赤穂事件の討ち入りされた吉良上野介の屋敷があった。
1878年(明治11年)に北部は東京府南葛飾郡に編入され、南部は東京15区の一つ・本所区として成立するようになる。また、工業化の波が押し寄せることとなり、北部も南部も開発が進んでいくようになった。1894年(明治27年)には、重要な交通手段である総武本線が開業した。このように発展してきたが、1923年(大正12年)の関東大震災により、区域の大半が焼失することとなった。特に、元陸軍被服廠跡地(現在の横網町公園など)では、多くの人が避難をしたものの、猛火に遇い、4万人から5万人といわれる多大な焼死者を出した。
やがて、それらによる被害も復興していくようになり、1932年(昭和7年)には、北部に向島区が誕生。1935年(昭和10年)の国勢調査人口は、現在の墨田区域(当時の本所区と向島区の合計)で464,892人であり、隣の台東区区域(当時の浅草区と下谷区の合計)464,217人と共に、東京で最も人口が集中しているエリアであった。
しかし、第二次世界大戦(特に1945年の東京大空襲)により、またもや区内全土は大きく焼失した。1947年(昭和22年)に本所区と向島区が合併して現在の墨田区が誕生した。1963年(昭和38年)までは、町の復興および発展とともに人口が増加して昭和の下町の代表的な存在の街となった[9]。その後は頭打ちとなり減少し始めた。また、町工場も郊外や日本国外への移転などに伴い減少していく事となった。尚、墨田区役所は1981年(昭和56年)4月1日より防災行政無線の運用を開始した。
近年では、これら工場跡地にマンションを建てるなどの開発が進められ、特に2000年(平成12年)以降は人口が大きく増加(回復)している。
2016年(平成28年)8月24日より防災行政無線の放送などが変更された。
墨田区では全区において住居表示の実施が完了している。以下は住居表示実施後の町名と、当該住居表示実施直前の旧町名の一覧である。旧町名の後に「(全)」と注記したもの以外は当該旧町域の一部である。
| 町名 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施直前町名 | 備考 |
|---|---|---|---|
|
|
1966年10月1日 | 吾妻橋1〜3(全) | |
| 吾妻橋二丁目 | 1966年10月1日 | 吾妻橋1〜3(全) | |
| 吾妻橋三丁目 | 1966年10月1日 | 吾妻橋1〜3(全) | |
|
|
1966年10月1日 | 東駒形1〜4(全) | |
| 東駒形二丁目 | 1966年10月1日 | 東駒形1〜4(全) | |
| 東駒形三丁目 | 1966年10月1日 | 東駒形1〜4(全) | |
| 東駒形四丁目 | 1966年10月1日 | 東駒形1〜4(全) | |
|
|
1966年10月1日 | 厩橋1〜4(全) | |
| 本所二丁目 | 1966年10月1日 | 厩橋1〜4(全) | |
| 本所三丁目 | 1966年10月1日 | 厩橋1〜4(全) | |
| 本所四丁目 | 1966年10月1日 | 厩橋1〜4(全) | |
|
|
1966年10月1日 | 石原町1〜4(全) | |
| 石原二丁目 | 1966年10月1日 | 石原町1〜4(全) | |
| 石原三丁目 | 1966年10月1日 | 石原町1〜4(全) | |
| 石原四丁目 | 1966年10月1日 | 石原町1〜4(全) | |
|
|
1966年10月1日 | 亀沢町1〜4(全) | |
| 亀沢二丁目 | 1966年10月1日 | 亀沢町1〜4(全) | |
| 亀沢三丁目 | 1966年10月1日 | 亀沢町1〜4(全) | |
| 亀沢四丁目 | 1966年10月1日 | 亀沢町1〜4(全) | |
|
|
1966年10月1日 | 横網(全) | |
| 横網二丁目 | 1966年10月1日 | 横網(全) |
| 町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
|---|---|---|---|---|
|
|
1967年5月1日 | 緑町1-4(全) | ||
| 緑二丁目 | 1967年5月1日 | 緑町1-4(全) | ||
| 緑三丁目 | 1967年5月1日 | 緑町1-4(全) | ||
| 緑四丁目 | 1967年5月1日 | 緑町1-4(全) | ||
|
|
1967年5月1日 | 東両国1-4(全) | ||
| 両国二丁目 | 1967年5月1日 | 東両国1-4(全) | ||
| 両国三丁目 | 1967年5月1日 | 東両国1-4(全) | ||
| 両国四丁目 | 1967年5月1日 | 東両国1-4(全) | ||
|
|
1967年7月1日 | 竪川1-4(全) | ||
| 立川二丁目 | 1967年7月1日 | 竪川1-4(全) | ||
| 立川三丁目 | 1967年7月1日 | 竪川1-4(全) | ||
| 立川四丁目 | 1967年7月1日 | 竪川1-4(全) | ||
|
|
1967年7月1日 | 千歳町1-3(全) | ||
| 千歳二丁目 | 1967年7月1日 | 千歳町1-3(全) | ||
| 千歳三丁目 | 1967年7月1日 | 千歳町1-3(全) | ||
|
|
1967年5月1日 | 菊川1-3(全) | ||
| 菊川二丁目 | 1967年5月1日 | 菊川1-3(全) | ||
| 菊川三丁目 | 1967年5月1日 | 菊川1-3(全) |
| 町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
|---|---|---|---|---|
|
|
1967年5月1日 | 横川橋1〜5(全)、平川橋1 | ||
| 横川二丁目 | 1967年5月1日 | 横川橋1〜5(全)、平川橋1 | ||
| 横川三丁目 | 1967年5月1日 | 横川橋1〜5(全)、平川橋1 | ||
| 横川四丁目 | 1967年5月1日 | 横川橋1〜5(全)、平川橋1 | ||
| 横川五丁目 | 1967年5月1日 | 横川橋1〜5(全)、平川橋1 | ||
|
|
1967年5月1日 | 江東橋1〜4(全)、柳原町(全) | ||
| 江東橋二丁目 | 1967年5月1日 | 江東橋1〜4(全)、柳原町(全) | ||
| 江東橋三丁目 | 1967年5月1日 | 江東橋1〜4(全)、柳原町(全) | ||
| 江東橋四丁目 | 1967年5月1日 | 江東橋1〜4(全)、柳原町(全) | ||
| 江東橋五丁目 | 1967年5月1日 | 江東橋1〜4(全)、柳原町(全) | ||
|
|
1967年5月1日 | 錦糸町1〜4(全) | ||
| 錦糸二丁目 | 1967年5月1日 | 錦糸町1〜4(全) | ||
| 錦糸三丁目 | 1967年5月1日 | 錦糸町1〜4(全) | ||
| 錦糸四丁目 | 1967年5月1日 | 錦糸町1〜4(全) | ||
|
|
1967年5月1日 | 太平町1〜4(全) | ||
| 太平二丁目 | 1967年5月1日 | 太平町1〜4(全) | ||
| 太平三丁目 | 1967年5月1日 | 太平町1〜4(全) | ||
| 太平四丁目 | 1967年5月1日 | 太平町1〜4(全) | ||
|
|
1967年5月1日 | 業平橋1〜5(全)、平川橋2〜5(全)、平川橋1 | ||
| 業平二丁目 | 1967年5月1日 | 業平橋1〜5(全)、平川橋2〜5(全)、平川橋1 | ||
| 業平三丁目 | 1967年5月1日 | 業平橋1〜5(全)、平川橋2〜5(全)、平川橋1 | ||
| 業平四丁目 | 1967年5月1日 | 業平橋1〜5(全)、平川橋2〜5(全)、平川橋1 | ||
| 業平五丁目 | 1967年5月1日 | 業平橋1〜5(全)、平川橋2〜5(全)、平川橋1 |
| 町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
|---|---|---|---|---|
|
|
1965年7月1日 | 吾嬬町西3(全)、吾嬬町西2・4、吾嬬町東1・3・5 | ||
| 文花二丁目 | 1965年7月1日 | 吾嬬町西3(全)、吾嬬町西2・4、吾嬬町東1・3・5 | ||
| 文花三丁目 | 1965年7月1日 | 吾嬬町西3(全)、吾嬬町西2・4、吾嬬町東1・3・5 | ||
|
|
1966年5月1日 | 吾嬬町東2・4(全)、吾嬬町東1・3・5・6 | ||
| 立花二丁目 | 1966年5月1日 | 吾嬬町東2・4(全)、吾嬬町東1・3・5・6 | ||
| 立花三丁目 | 1966年5月1日 | 吾嬬町東2・4(全)、吾嬬町東1・3・5・6 | ||
| 立花四丁目 | 1966年5月1日 | 吾嬬町東2・4(全)、吾嬬町東1・3・5・6 | ||
| 立花五丁目 | 1966年5月1日 | 吾嬬町東2・4(全)、吾嬬町東1・3・5・6 | ||
| 立花六丁目 | 1966年5月1日 | 吾嬬町東2・4(全)、吾嬬町東1・3・5・6 | ||
|
|
1966年5月1日 | 吾嬬町東7(全)、吾嬬町東6・8 | ||
| 東墨田二丁目 | 1966年5月1日 | 吾嬬町東7(全)、吾嬬町東6・8 | ||
| 東墨田三丁目 | 1966年5月1日 | 吾嬬町東7(全)、吾嬬町東6・8 |
| 町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
|---|---|---|---|---|
|
|
1965年3月1日 | 隅田町3(全)、隅田町1・2・4、寺島町3・7、吾嬬町西9 | ||
| 墨田二丁目 | 1965年3月1日 | 隅田町3(全)、隅田町1・2・4、寺島町3・7、吾嬬町西9 | ||
| 墨田三丁目 | 1965年3月1日 | 隅田町3(全)、隅田町1・2・4、寺島町3・7、吾嬬町西9 | ||
| 墨田四丁目 | 1965年3月1日 | 隅田町3(全)、隅田町1・2・4、寺島町3・7、吾嬬町西9 | ||
| 墨田五丁目 | 1965年3月1日 | 隅田町3(全)、隅田町1・2・4、寺島町3・7、吾嬬町西9 | ||
|
|
1964年7月1日 | 寺島町3、隅田町1・2 | 当初は一〜三丁目があった。1978年3月1日、三丁目を二丁目に編入[10]。 | |
| 堤通二丁目 | 1964年7月1日 | 寺島町3、隅田町1・2 | 当初は一〜三丁目があった。1978年3月1日、三丁目を二丁目に編入[10]。 | |
|
|
1965年12月1日 | 寺島町8(全)、吾嬬町西5〜8(全)、寺島町6、吾嬬町西9、隅田町4 | ||
| 八広二丁目 | 1965年12月1日 | 寺島町8(全)、吾嬬町西5〜8(全)、寺島町6、吾嬬町西9、隅田町4 | ||
| 八広三丁目 | 1965年12月1日 | 寺島町8(全)、吾嬬町西5〜8(全)、寺島町6、吾嬬町西9、隅田町4 | ||
| 八広四丁目 | 1965年12月1日 | 寺島町8(全)、吾嬬町西5〜8(全)、寺島町6、吾嬬町西9、隅田町4 | ||
| 八広五丁目 | 1965年12月1日 | 寺島町8(全)、吾嬬町西5〜8(全)、寺島町6、吾嬬町西9、隅田町4 | ||
| 八広六丁目 | 1965年12月1日 | 寺島町8(全)、吾嬬町西5〜8(全)、寺島町6、吾嬬町西9、隅田町4 |
| 町名 | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名など | 備考 |
|---|---|---|---|---|
|
|
1965年3月1日 | 寺島町5(全)、寺島町1・2・6・7、隅田町4 | ||
| 東向島二丁目 | 1965年3月1日 | 寺島町5(全)、寺島町1・2・6・7、隅田町4 | ||
| 東向島三丁目 | 1965年3月1日 | 寺島町5(全)、寺島町1・2・6・7、隅田町4 | ||
| 東向島四丁目 | 1965年3月1日 | 寺島町5(全)、寺島町1・2・6・7、隅田町4 | ||
| 東向島五丁目 | 1965年3月1日 | 寺島町5(全)、寺島町1・2・6・7、隅田町4 | ||
| 東向島六丁目 | 1965年3月1日 | 寺島町5(全)、寺島町1・2・6・7、隅田町4 | ||
|
|
1964年7月1日 | 隅田公園、向島1〜3、向島須崎町、小梅2・3(以上全)、小梅1、向島請地町、寺島町1・2 | ||
| 向島二丁目 | 1964年7月1日 | 隅田公園、向島1〜3、向島須崎町、小梅2・3(以上全)、小梅1、向島請地町、寺島町1・2 | ||
| 向島三丁目 | 1964年7月1日 | 隅田公園、向島1〜3、向島須崎町、小梅2・3(以上全)、小梅1、向島請地町、寺島町1・2 | ||
| 向島四丁目 | 1964年7月1日 | 隅田公園、向島1〜3、向島須崎町、小梅2・3(以上全)、小梅1、向島請地町、寺島町1・2 | ||
| 向島五丁目 | 1964年7月1日 | 隅田公園、向島1〜3、向島須崎町、小梅2・3(以上全)、小梅1、向島請地町、寺島町1・2 | ||
|
|
1964年7月1日 | 向島中ノ郷町(全)、向島押上町(全)、小梅1、向島請地町、吾嬬町西1・2、寺島町4 | ||
| 押上二丁目 | 1964年7月1日 | 向島中ノ郷町(全)、向島押上町(全)、小梅1、向島請地町、吾嬬町西1・2、寺島町4 | ||
| 押上三丁目 | 1965年7月1日 | 向島中ノ郷町(全)、向島押上町(全)、小梅1、向島請地町、吾嬬町西1・2、寺島町4 | ||
|
|
1965年7月1日 | 寺島町4、吾嬬町西1・4 | ||
| 京島二丁目 | 1965年7月1日 | 寺島町4、吾嬬町西1・4 | ||
| 京島三丁目 | 1965年7月1日 | 寺島町4、吾嬬町西1・4 |
墨田区は、足立ナンバー(東京運輸支局)を割り当てられており、『23区東部』の地域と一致する。
平成25年度当初予算規模
| 候補者名 | 当落 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 |
|---|---|---|---|---|---|
| 成清梨沙子 | 当 | 35 | 都民ファーストの会 | 現 | 36,999票 |
| 加藤雅之 | 当 | 60 | 公明党 | 現 | 19,456票 |
| 藤崎剛暉 | 当 | 35 | 自由民主党 | 新 | 18,777票 |
| 坪田幸典 | 落 | 35 | 再生の道 | 新 | 16,880票 |
| 伊藤大気 | 落 | 46 | 日本共産党 | 新 | 16,780票 |
| 候補者名 | 当落 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 |
|---|---|---|---|---|---|
| 成清梨沙子 | 当 | 31 | 都民ファーストの会 | 現 | 23,455票 |
| 川松真一朗 | 当 | 40 | 自由民主党 | 現 | 19,763票 |
| 加藤雅之 | 当 | 56 | 公明党 | 現 | 19,526票 |
| 伊藤大気 | 落 | 42 | 日本共産党 | 新 | 15,755票 |
| 桜井浩之 | 落 | 55 | 自由民主党 | 元 | 13,386票 |
| 大沢昇 | 落 | 56 | 国民民主党 | 元 | 6,610票 |
| 当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 重複 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 当 | 松島みどり | 68 | 自由民主党 | 前 | 75,862票 | ○ |
| 伊藤菜々 | 35 | 国民民主党 | 新 | 53,211票 | ○ | |
| 比当 | 櫛渕万里 | 57 | れいわ新選組 | 前 | 25,328票 | ○ |
| 斉藤佳代 | 45 | 日本維新の会 | 新 | 21,628票 | ○ | |
| 原努 | 42 | 日本共産党 | 新 | 20,987票 | ||
| 大賀靖郎 | 42 | 参政党 | 新 | 10,210票 | ||
| 大塚紀久雄 | 83 | 無所属 | 新 | 1,481票 |
1909年(明治42年)から1937年(昭和12年)にかけて区内に屠畜場があり、木下川(現在の東墨田)地区を中心に、主として豚皮を扱う皮革産業が発展した。豚脂などを扱う油脂産業や動物性油脂を原料とする石鹸産業も盛んで、大正時代には長瀬商店(花王の前身)、ライオン石鹸、資生堂、ミヨシ石鹸の4大石鹸メーカーが区内に立地した[30]。1985年から、「ものづくりのまち すみだ」の産業と文化をPRするべく、「すみだ3M運動」を展開している[31]。
2012年3月20日より、東京スカイツリー周辺を中心とし、区内全域を巡回するコミュニティバス「すみだ百景 すみまるくん・すみりんちゃん」を運行している。
墨田区内には、墨田区が運営する以下の図書館がある。
墨田区は大学の誘致および大学相互や地域との連携促進に取り組んでおり、千葉大学と情報経営イノベーション専門職大学の間に公園「キャンパスコモン」を2023年3月12日に開設した[32]。
※節順も含め、発表年順。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 05:12 UTC 版)
第1候補地になっていた東京都墨田区「業平橋・押上地区」は、東武伊勢崎線の業平橋駅構内の一部と押上駅(京成押上線・都営浅草線・東武伊勢崎線・東京メトロ半蔵門線)との間にあった貨物駅跡地を中心とした地域である。跡地所有者は東武鉄道であり、同社は事業主体として建設費約500億円を負担するとしている。 2005年(平成17年)8月25日、同社が、NHK・在京6社と墨田区との間で、建設決定を協議するための「三者間確認書」を交わし、12月末に最終決定することで合意したため、墨田区を候補地として決定することが有力となった。しかし、現在の東京タワーを改修して使う案も消えていないことと、放送事業者側と東武鉄道の間で新東京タワーにおける賃貸料を巡る交渉が難航していたため、12月26日に年内の決定を断念して、翌2006年(平成18年)3月末までの決定に変更した。 決定時期が延期となった理由について墨田区と東武鉄道は、協議時間が不十分だったためと説明した。2006年(平成18年)3月25日にNHKと在京6社は墨田区に建設することを正式に決定し、同月31日に報道発表がなされた。
※この「墨田区」の解説は、「東京スカイツリー」の解説の一部です。
「墨田区」を含む「東京スカイツリー」の記事については、「東京スカイツリー」の概要を参照ください。