| 芸名 | 太田 光 |
| 芸名フリガナ | おおた ひかり |
| 性別 | 男性 |
| 生年月日 | 1965/5/13 |
| 干支 | 巳年 |
| 血液型 | O |
| 出身地 | 埼玉県 |
| 身長 | 170 cm |
| URL | http://www.titan-net.co.jp/talent/bakushomondai/ |
| 靴のサイズ | 25.5 cm |
| プロフィール | 漫才コンビ「爆笑問題」のボケを担当。1988年に日本大学芸術学部で知り合った田中裕二とコンビを結成。世相を鋭く斬るスタイルの漫才でNHK新人演芸大賞やネタ番組での10週勝ち抜き初代チャンピオンに輝くなど注目を浴びる。1990年、同じ事務所に所属していた松本光代と結婚。1993年、芸能プロダクション・タイタンを設立。同年には、篠原哲雄監督作品『草の上の仕事』に役者として出演し日本映画プロフェッショナル大賞新人賞奨励賞受賞。また、読書家としても有名で自らも『カラス』『パラレルな世紀への飛躍』など著書を多数出版している。主な出演作品に、日本テレビ『太田光の私が総理大臣になったら・・・秘書・田中』、TBS『サンデージャポン』、フジテレビ『笑っていとも!』、テレビ朝日『爆笑問題の検索ちゃん』など。 |
| 代表作品1 | 日本テレビ『太田光の私が総理大臣になったら・・・秘書・田中』 |
| 代表作品2 | TBS『サンデージャポン』 |
| 代表作品3 | 映画『草野上の仕事』(主演) |
| 職種 | お笑い |
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COOL CHOICE LEADERS AWARD表彰式(2017年)
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| 本名 | 太田 光 |
| ニックネーム | ピーちゃん[注釈 1]、ピー[注釈 2]、ぴかり、アーリン、恐妻家、埼玉の山猿、埼玉のネクタリン、テレあさお |
| 生年月日 | 1965年5月13日(60歳) |
| 出身地 | 埼玉県入間郡福岡町 (後の上福岡市、現:ふじみ野市) |
| 血液型 | O型 |
| 身長 | 170 cm |
| 言語 | 日本語 |
| 方言 | 首都圏方言 |
| 最終学歴 | 日本大学芸術学部(中退) |
| 出身 | 太田プロのスカウト |
| コンビ名 | 爆笑問題 |
| 相方 | 田中裕二 |
| 芸風 | |
| 立ち位置 | 右 |
| 事務所 | タイタン |
| 活動時期 | 1988年 - |
| 同期 | |
| 現在の代表番組 | |
| 他の活動 |
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| 配偶者 | 太田光代 |
| 公式サイト | 爆笑問題|TITAN |
| 受賞歴 | |
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太田 光(おおた ひかり、1965年〈昭和40年〉5月13日 - )は、日本のお笑いタレント、司会者、作詞家、文筆家、川柳作家、俳優。お笑いコンビ爆笑問題のボケ、ネタ作成を担当。相方は田中裕二。
埼玉県入間郡福岡町(上福岡市を経て、現在はふじみ野市)出身。タイタン所属。
1988年に田中裕二とのお笑いコンビ「爆笑問題」のメンバーとしてデビュー[4]。荒唐無稽なボケやギャグで注目を集める一方で[5]、政治・社会問題に対する持論も度々展開しており、生まれ育った日本への強い愛情と世界平和を希求する思いを発信し続けている[6][7][8]。漫才のネタ作りを担当している他[9]、コントや小説の執筆[10][11]、作詞や川柳の作成及びイラストの作成などのセンスも評価されている[12][13][14][15]。
時に毀誉褒貶がありながらも、人柄やお笑いのセンスに対して先輩・後輩問わず多くの芸人や各界の著名人からリスペクトされている他[16]、タモリ・ビートたけし・明石家さんまら所謂お笑いBIG3それぞれと漫才をした唯一の芸人でもある[17][18][19]。他にも『立川談志・太田光 今夜はふたりで』で立川談志と木魚を叩きながら『談志・円鏡 歌謡合戦』を彷彿させる丁々発止のやり取りをしたり[20]、太田が担当し且つ爆笑問題の漫才調で書かれたサザンオールスターズのアルバム『人気者で行こう』のリイシュー盤(1998年発売)のライナーノーツを桑田佳祐と共に読み上げる企画を『爆笑問題カーボーイ』で行ったり[注釈 3][22]、2008年秋には『SMAP×SMAP』内のコーナー「BISTRO SMAP」で木村拓哉と即興漫才を行い[23]、2012年春には『嵐にしやがれ』で嵐と即興コント『和尚さん殺人事件』を演じたりするなど[24]、同業者のみならず異業種の著名人とのコラボレーションにも積極的である[注釈 4]。
父親の三郎は建築士で、書道も嗜んでおり文学やお笑いにも興味を持っていた[注釈 5]。「光」と命名したのは父三郎で、正しい「right」と明るい「light」という意味を掛けて「ライト」と名付けたかったが、漫才師のコロムビア・トップ・ライトと同じになるのでそれは避けて「光」にしたといい、光り輝くように、という意味も込められている[25]。母親の瑠智子は女優志望で、俳優養成所に所属していたことがあり、光は幼少時より母に連れられて舞台を観にいっていた。女優志望であった母は発声が得意だったため寝る時には必ず光に本を毎晩読み聞かせており、光は楽しみにしていた。そのことがきっかけで自ら児童文学を読むようになり、父親も文学に興味があるため家には大量に本があり、光が欲しがるならば本を買い与えた。
1972年、上福岡市立第二小学校(現:ふじみ野市立上野台小学校)に入学し、1975年に上福岡市立第六小学校(現:ふじみ野市立元福小学校)へ転入、1978年3月同校卒業。同年4月上福岡市立第二中学校(現:ふじみ野市立葦原中学校)に入学、1981年3月同校卒業。同年大東文化大学第一高等学校入学、1984年3月同校卒業[注釈 6]。同年4月[26]日本大学芸術学部入学、1985年に中退[27](『太田光自伝』では1986年がやめた年としている[28]。また、『三三七拍子』では退学手続きをしていないので除籍と書いている[29])。
日本大学芸術学部演劇学科で田中裕二と知り合う。二人で1988年3月に爆笑問題を結成し、現在に至る(→爆笑問題#過去、#出演)。
1990年9月26日、当時同じ事務所(太田プロダクション)だった元芸人でタレントの松永光代(現在のタイタン社長・太田光代)と結婚。太田の一目惚れだった。恐妻家であり、豪快な妻との奇妙な結婚生活はエピソードに事欠かない[30]。
2012年3月19日、父・三郎が急性循環不全のため、亡くなる[31]。2016年11月8日には母・瑠智子が肺気腫による呼吸不全のため死去している[32]。
父・三郎からは「落語や文楽、人を楽しませること」を教わり、前述の通り本の読み聞かせをしてくれた母・瑠智子からは「演劇や小説や物語の楽しさ」を教わったといい、「本当につくづく、親父とお袋に生き方を教育されました」と感謝の念を母の告別式で喪主として挨拶をした際に話している[32]。
自身の人格形成に影響を与えた人物としてビートたけし、カート・ヴォネガット、立川談志、植木等、桑田佳祐、チャールズ・チャップリンといった6人の名前を挙げている[33]。各人物との交流や自身の芸風・作品に与えた影響については後述する[33]。
基本的には漫才を制作しているが、活動初期および2016年のタイタンライブ開始から20周年を記念したライブや2018年の爆笑問題の単独ライブ『O2-T1』では自身の脚本によるストーリー性を持ったコントも演じられている[34][35]。このこともあり、お笑い芸人がトップクラスになるとネタをやらなくなる風潮に対しては厳しい見解を示しており、「芸人として逃げ」と評し批判している[36]。
非凡な才能や知的なイメージと後述したお笑いに対する真摯な姿勢もあって芸人・表現者としての評価は高いものの、テレビ番組やラジオ・ライブなどの公の場に出演する際には話を脱線させたり、無鉄砲な言動・行動・ボケ・意見をすることが多く、毀誉褒貶の激しい人物でもある[37][38]。それが批判されることが多いにもかかわらず、あまりにもそうしたことを繰り返すため、「バカッター芸人」とも呼ばれている[38]。それゆえに自身の過激な言動・行動が原因でネット上で非難されたり、知的なイメージとのギャップを共演者から嘆かれたり[39]、妻の光代から叱責されることもよくあり[40][41][42]、自身のラジオでたびたび反省の弁を述べることもある[43]。漫才や雑誌の連載で他人の失言を批判する発言やボケをすると、田中から「日頃から失言しているお前に言われたくない」と突っ込まれることもよくある[44]。また、くりぃむしちゅー・上田晋也からは「あんたが売れた理由がまったくわかんない」「あんたから言論の自由を奪いたい」と冗談交じりに言われたこともあり、さらに後述の通り上田の相方の有田哲平からは「大嫌い」などと、あくまでもネタの範疇ではあるが罵られている[45][46][47]。太田はこれらの振る舞いや自分の意見を番組で述べることについて「自分は憧れているビートたけしとは別物である」といった思いの表れであることも述べている[38]。ただし、情勢や番組の内容によってはおとなしくしたり真剣に話すなど芸風を使い分けている[48][49]。それゆえに神田愛花からは「太田さんは、本当はいい人なのに盛り上げようとして無理してるのでは?」と指摘されている[50]。
漫才で時事ネタを扱う理由として「ネタがつきないから」「社会に対して言いたいことなど何もない」「私のネタにはメッセージなどない。ウケればそれでいい」と述べている[51]。爆笑問題の漫才を「風刺」として捉える見方があることについては、硬軟幅広くネタを取り入れ、且つ太田のボケには下記したとおりナンセンスなものも含まれているため「時事ネタを話題にはしているけれど、ボクらの漫才は1個も社会風刺してないことがわかるよ」とコメントしている[52]。
古舘伊知郎は太田のボケを「あたかも意味のある興味深いトークをしているようで、どこまで意味があるの?っていう思いが募った時に、完全にその意味のあるテレビサイズのトークを無意味化する。これって気持ちいいんですよ」と評している[53]。
お笑い評論家のラリー遠田は、爆笑問題の漫才における太田のボケには、「シンプルボケ」「毒舌ボケ」「ナンセンスボケ」という3つの種類が存在すると評しており[54]、とくに「ナンセンスボケ」については爆笑問題の漫才の隠し味になっているとし、「毒舌ボケ」よりも高く評価している[5]。
フリートークでは「見ている人に嘘をつかない」スタンスをとっており、水川かたまり(空気階段)のようにこの姿勢を見習っている芸人もいる[55]。
「やっぱり俺は日本という国が好きだ」「もうそろそろ愛国心にあふれた平和主義者が必要なのではないか」といった発言をしていることでもわかるように、生まれ育った日本への強い愛情と世界平和を希求する思いを持ち合わせている[7][56]。この思いを含め、『一冊の本』(朝日新聞出版)の中での「芸人人語」などのように単独での雑誌の連載の際は、思慮深く且つ真面目に物事を語る内容が大半である[57]。また、単行本発売時には「本家『天声人語』よりも長くて深くて切れ味が鋭い」という言葉が事実上の売り文句となった[57]。この連載では後述の主張・信条の項目でも分かるように、発行元の親会社から発行されている『朝日新聞』の論調と全く異なる内容の文章を書くことも多い[58]。
漫才のネタ作りは田中や作家を交えて行われており、ネタになるニュースの素材やアイディアの提供は田中や作家が行い、ボケは太田が考え、一通りネタが揃うと後述の通り太田がパソコンでまとめている[9][59]。
台本や原稿は一人になってからパソコンを使って書いており、このことが連載の中でネタにされる場合もある[59][60]。
自身の小説の作風はカート・ヴォネガットの影響が強いとされ、SFでありながら、社会や政治などあらゆるものを組み込んで茶化していく世界観が共通している[61]。一方でメルカリマガジンに掲載された短編小説『がらくた』のように実体験を元にした作品も存在する[62]。
『小説新潮』1997年12月号では近未来SF短編『終末のコメディ』が掲載されている。内容は原因不明の伝染病が流行した世界で、テレビの中のコメディアンがボケ続け、視聴者に外出することを呼びかけるものである[20]。
2010年に刊行された短編集『マボロシの鳥』では寓話や童話、SFなどの要素が散りばめられた9つの物語が収録されている[63]。
2012年に刊行された小説『文明の子』では「短編風の形でありながらうっすらと全体の物語がつながっている」構成になっている。これは前作の『マボロシの鳥』の評価が否定的なものが多かったことや一般の読者から長編小説を希望する声が多かったことがきっかけとなっている。東日本大震災や福島第一原子力発電所事故後に起こったメディアや表現者が不安や恐怖心を煽る風潮に対し「俺はそういう見方はしたくないな」と思ったことが作品の内容に影響を与え、「文明を肯定しにくい今の状況下で、なんとかポジティブに捉えられないだろうか」「自分の中の思考実験というか、挑戦してみようかな」と感じて執筆したと明かしている[11]。
前述の2018年の単独ライブは漫才を一切行わずコントのみで構成しており、台本も太田一人で執筆を行い、完成後に田中に開催の決定とネタの内容を同時に知らせている。このライブでは「病院の待合室」「数字男」「二人の兵士」「医者と患者」「爆チュー問題」が披露され、『文明の子』と同様にそれぞれ別個のコントでありながら一つ一つがストーリーとして繋がっていくスタイルを採用している[10][35]。
2023年に刊行された長編小説『笑って人類!』は元々は映画の企画として2年かけてシナリオにしたものをボツにされ、再び2年かけて小説にし直したものであり、その後も社長の光代によるチェックなどの2年に渡る手続きが行われており、結果的に計6年もの制作時間がかかっている[8][64]。太田はこの小説について「日本の平和主義は幼稚で世界では通用しないのかもしれないけど、でもシリアスな状況の中で通用してしまったらどうなるんだろう。そんな世界を描いてみたかった」と語っている[65]。また、これとは別に書き留めて保留にしていた小説が存在することがインタビューで明かされており、『笑って人類!』のプロモーションが一段落つき次第そちらの制作に着手する可能性があることを示唆している[66]。
一部のフレーズは「新語・流行語大賞のノミネートを狙う」としながら思いつきで乱発していたものであるが、現時点ではノミネートされたことはない。
など。
タイタンの後輩のキュウの二人は太田のことを「『芸人が考えることが一番面白い』という考えで芸人を大切にする人」と評しており、その意識が「所属していればどんなに売れていない芸人でも”タレントさん”と認識して扱ってくれる」「ネタ見せでも、プラスアルファになるような提案をしてくることが多い」といったタイタンの社風にも繋がっていることが語られている[113]。また、太田はタイタンライブに他事務所の芸人をゲストとして呼び込む際に行うオーディションに関しても、審査をする作家達に「芸人に対してダメ出しだけはしないでくれ」という忠告をしている[114]。後輩芸人に対する気遣いもあって、塙宣之(ナイツ)からは「やさしいよね。太田さん」と言われるなど、人柄に対する評価にも繋がっている[115]。
2022年度の『M-1グランプリ』優勝者となったタイタンの後輩のウエストランドの漫才に対して「(『M-1』の審査員だった)富澤(たけし)とか(博多)大吉とか塙(宣之)とか、みんな下向いてんだよ。松本(人志)さんもそうだけど。富澤も言ってたけど“僕らも共犯ですからね。笑った人みんな共犯ですからね”って、あれが、要するにウエストランド見てたときに、リアクション取らざるを得ないんだよ」「芸人の性なんだよ。そうすると、ウエストランドの漫才に、全員参加しちゃったんだよ。俺そこが一番感動して。やっぱ芸人ってすげえな!って思って、すごいそこが一番ゾクゾクした。だから、井口(浩之)は全員巻き込んだんだよ! だから勝ったんだと思うんだけど」と評価している[116]。また、ダウンタウンの漫才を「すごいな、立ち話みたいな感じで漫才をやるっていうのが。俺らにはできないスタイルだから、めちゃくちゃおもしろかった」「あれが本当の漫才のスタイルだな」「ずっとネタをやってほしい」と高く評価したり[117][118][119]、アンジャッシュが行っていた『すれ違いコント』に対して「シェイクスピアの喜劇のような、勘違い、誤解、言葉遊びだ」「よく出来ていて、初めて見た時はこれほど達者だったのか、と驚いた」「実にスマートなコントだった」と評価したり[120]、ハライチが行っている『ノリボケ漫才』に対して「漫才のフォーマット、あれはもう画期的だ」と評価し、2009年に初めて『M-1』に出場した際に行ったネタを「その年はハライチが一番面白かった」と語るなど、タイタンの芸人のみならず他事務所の芸人のネタや芸風に関しても的確な批評を度々行っている[121]。一方で『M-1』を始めとした賞レースの審査員をすることに関しては「依頼があったとしても断ると思う」とし否定的な見解を示している。理由として「笑いの世界の正解なんて、俺には本当にわからない」「せっかくのあの大会の緊迫感をぶち壊してしまう予感がある」「審査よりも先に、とにかく自分がウケたくなっちゃうっていうね(笑)」「『いまこの場で0点とか出したらどうなっちゃうんだろ?』『いやいや、さすがに『M-1』でそのボケはダメだろ』という葛藤はあるだろうけど、やっぱり0点を出してしまう気がする。いや、絶対に出す。俺にはその誘惑に勝てる自信が一切ない」と語っている[114]。2022年9月10日に放送された『FNSラフ&ミュージック2022〜歌と笑いの祭典〜』第1夜に出演し、『M-1』の審査員の一人でもある松本人志(ダウンタウン)から「俺も太田に聞きたいことあんねん。『M-1』の審査員とかやらへんの?」と尋ねられた際にも同じ理由で辞退している[122]。なお、前述のウエストランドやハライチに関するエピソードでも分かるように『M-1』を始めとした賞レースの価値や存在意義は否定しておらず、「毎年、俺は『M-1』をふつうに視聴者の目線で楽しみにしている。この番組で新しいコンビや新しい笑いの形を知ることも多い」と語っている[123]。
岡村隆史(ナインティナイン)が『オールナイトニッポン』で失言をした際や中田敦彦(オリエンタルラジオ)が性加害疑惑発覚以前に松本人志(ダウンタウン)を批判した際などのように、同業者が失言や不祥事を起こした際には『カーボーイ』で自身の見解を述べることもある[124][125]。また、子役時代の内山信二と学園祭で共演した際には、当時の内山が生意気で天狗だったこともあって「おい内山、お前は今だけなんだからな。よく覚えとけよ。調子に乗るな」と警告する旨を言ったことがあると明かしている[126]。
映画鑑賞が趣味である。敬愛する映画監督にチャールズ・チャップリン[127]、ウディ・アレン[128]、ジョージ・ロイ・ヒル[129]、テリー・ギリアム[129]、黒澤明などを挙げている[130]。TSUTAYA提供の伊集院光の映画ラジオでは『8 1/2』『ラスト・タンゴ・イン・パリ』『ジャイアンツ』を推薦した[131][132][133]。
コメディでは森繁久彌が主演した『社長シリーズ』や植木等、谷啓などのクレイジーキャッツのメンバーが出演した『無責任シリーズ』のファンであり、「ああいう映画を作りたい」という旨を語っている[66]。 「(フランス俳優の、『天井桟敷の人々』で知られる[134])ジャン=ルイ・バローのパントマイムが芸人を目指すきっかけ」と発言[135]。上記の『天井桟敷の人々』の脚本で知られる、詩人ジャック・プレヴェールがシナリオを手掛けた『王と鳥』(『やぶにらみの暴君』)がスタジオジブリでリバイバル公開された際に、翻訳を手掛けた高畑勲と対談し[136]、映画館でトークをした[137]。
ハードボイルドやアウトロー系では、『荒野の七人』や『大脱走』で知られるスティーブ・マックイーンが、暴力派でスローモーション演出&暴力描写のサム・ペキンパー(『ワイルドバンチ』や『わらの犬』、『ガルシアの首』で知られる)と組んだ銀行強盗サスペンスアクションのロードムービーの『ゲッタウェイ』を絶賛しており、「マックイーンにはシルベスター・スタローンなどにはない哀愁や孤高性があるよな」「『ゲッタウェイ』なんて最高だぜ。すげえ、ホコリくさくてさ」と語る[138]。日本のアウトロー系では松田優作の大ファンであり、『太陽にほえろ!』や『探偵物語』をリアルタイムで鑑賞し、『大都会 PARTII』[139]の徳吉刑事が松田が演じたキャラで一番好きなキャラだと公言しており[140]、映画では『野獣死すべし』が一番好きな優作映画と語る[141]。
アメリカン・ニューシネマの『真夜中のカーボーイ』が大好きで、レギュラーを務めるラジオ番組のタイトルを「爆笑問題カーボーイ」にし、ダスティン・ホフマンとの対談で、ホフマンは「まさか、僕のストーカーじゃないよな?」と太田に笑顔を向けた[142]。
一番好きな映画として前述のロイヒル監督のポール・ニューマン&ロバート・レッドフォード主演の『スティング』を挙げる[143]。『街の灯』や『カイロの紫のバラ』『ダイ・ハード』と共に、前述のトリオの『明日に向って撃て!』のファンで知られる[144]。
1991年に森田芳光総指揮のオムニバス映画『バカヤロー!4 YOU! お前のことだよ』で、第一話「泊ったら最後」の監督を務めた。その後、前述の通り自らの指揮での映画製作を目標に挙げており、制作に向けて映画製作会社と内容に関して打ち合わせした際に「シナリオがつまらない」という理由でことごとく否決されていることを明かしていた[145]。2018年にはオムニバスの1編の脚本・監督を務めた映画『クソ野郎と美しき世界』(「光へ、航る」)が公開。受賞は逃したものの、第61回ブルーリボン賞監督賞にノミネートされていた[146]。同作品についてRHYMESTER・宇多丸は「映画としてこういう見せ方をすると、垢抜けないんだけどな……みたいなところも、少なくない」としながらも、「(本職の映画監督が担当した他の編と比べて)映画監督ではない太田光さんのパートがいちばん見ごたえがある」と評価している[147]。
読書家で、年100冊を超えるペースで本を読む。敬愛する作家にヴォネガット、アーヴィング、サリンジャー、カポーティ、太宰治、宮沢賢治、向田邦子、司馬遼太郎など。高校時代の愛読書は亀井勝一郎、島崎藤村。ヴォネガットファンとして有名で、事務所の名前「タイタン」や飼っていたオカメインコの名前「キルゴア」はヴォネガットの作品に由来するもの。アーヴィングとは新潮社出版『対談の七人』にて対談を行ったこともある。
村上春樹については『羊をめぐる冒険』などの初期の作品については肯定しているが、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』以降の作品から否定的で「会話が翻訳的であり、登場人物に人間味がない」と意見を述べている。一方で村上作品についてはすべて読んでいる。
『知るを楽しむ・私のこだわり人物伝』(NHK教育、2005年6月)では、向田邦子とドラマ『阿修羅のごとく』を語った「女と男の情景」と題した講義を担当し、2006年元日には村松友視とお互いの講義した人物について語る特別番組が放送された。
2009年から文藝春秋社で刊行されている『向田邦子全集〈新版〉』の月報をはじめ、向田邦子関連のコラムを多く執筆している。
太田の父親・三郎が文学青年だったころ、小説持ち込みのために太宰治のもとを訪ねたことがあるとのこと[148]。
歌舞伎・能・人形浄瑠璃などの日本の伝統芸能に対して敬意を持っており、「日本の伝統芸能がすごいのは、『悲しい』『うれしい』といった人間の喜怒哀楽が、首の角度や手のかざし方といった所作で表現できるはずだと長い年月をかけて、技術として突き詰めたところにある」「これは、日本の芸能とそれを感じ取れる日本人のすごいところだと思うんだけど、ただの人形が泣いているように見えるのには、その型があるということだから」と評価している[114]。
父親の影響もあり落語鑑賞も好んでおり、好きな落語家として立川談志、三遊亭圓生、古今亭志ん朝、古今亭志ん生を挙げている[149]。太田は落語の魅力を「落語を知らない人は、たぶん、『笑わしてくれる話なんだ』って単純に思ってるじゃないですか。でも、じつは落語って、すべての気持ちがあるんですよね。笑いたい人も、泣きたい人も受け入れる。だから、誰にでもお勧めできる娯楽だと思うんですよね。だって、『落語好きなんです』っていう人はいろんな分野にいるじゃないですか。だから、ほんとに、いろんなタイプのものがそろってるんですよ」と述べている[150]。
アート・イラストの観賞やオリジナル作品を制作することも好んでいる。子供の頃から漫画に登場するようなオリジナルキャラクターを考えて、それを元に空想をして遊んでおり、「俺は一人っ子だったから、究極の一人遊びだよ」と語っている。一冊のノートに『孤影』というタイトルのSF漫画を描いた経験もあり、内容は「宇宙戦艦ヤマトが大好きで、それを上回るスケールの物語」「我々の銀河系がある宇宙に、別宇宙から敵が攻めてくるという壮大なストーリー」であったことが太田の口から語られている[12]。2021年春には期間限定で知育アプリ『maria@home』にてオリジナル書き下ろし絵本「アマガエル」が配信された[12]。
子供の頃は藤城清治の絵本を好んでおり、家にたくさんあった旨を語っている。それが故に藤城の挿し絵による『絵本マボロシの鳥』が制作・発表された際には喜んでいた旨を語っている[12]。
高校時代に美術館で『泣く女』を観賞したことをきっかけにパブロ・ピカソの作品を愛好している[151]。
本人によると、アニメマニアで[152]、テレビアニメ『魔法少女まどか☆マギカ』の脚本家の虚淵玄を『爆笑問題の日曜サンデー』(TBSラジオ)のゲストに呼んで対談もした[153]。アニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』には、切なくて立ち直れなかったと語っている[154]。『アフター6ジャンクション』(TBSラジオ)で放送されたTBSアナウンサー(当時)・宇垣美里のプレゼンを聞いて「『コードギアス』を見始めた」と話したり[155]、ハライチ・岩井勇気の薦めで観た『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を絶賛していたことがある[156][157]。
また、手塚治虫や藤子・F・不二雄、藤子不二雄A、石ノ森章太郎や赤塚不二夫などの作品も好きだと述べている。
漫画・アニメ『ど根性ガエル』のファンである。同作の主人公が着用する洋服を模した「ピョン吉Tシャツ」を『太田上田』(中京テレビ)のプロデューサー・菅賢治から大量に贈られたことがあり[158]、それをきっかけにテレビ・ライブの出演時を除くラジオなどの仕事中や就寝中を含むプライベートで「ピョン吉Tシャツ」を着用することが多い[159]。自身が着用する以外にも、共演した優香や中国放送(RCC)アナウンサー・中根夕希[159]ら『平成ラヂオバラエティごぜん様さま』のパーソナリティ[160](後述)に「ピョン吉Tシャツ」を贈ったことがある。
スタジオジブリ作品に関しては、『未来少年コナン』以外の宮崎駿作品は「説教臭い」として嫌う一方、宮崎とともにジブリを設立した高畑勲の作品を好むことを公言しており、2014年には高畑の『かぐや姫の物語』のビデオ化に際して、スタジオジブリプロデューサーの鈴木敏夫から新しいキャッチコピーを創出する「特命コピーライター」に任命された[161]。
コンピュータゲーム『MOTHER』の大ファンで、製作者の糸井重里の公式ウェブサイト『ほぼ日刊イトイ新聞』では対談が掲載された。『ドラゴンクエスト』もプレイしており[162]、製作者ともコンピュータゲームについて語っている[163]。
生まれ育った日本に対する愛着があることを公言しており、「なにより、東京や日本が好きだ」「やっぱり俺は日本という国が好きだ」といった発言をしている[164][7]。その思いを象徴するエピソードとして、かつてニューヨークを訪れた際にアメリカ合衆国の不自由さを実感し、帰国した際には日本の自由さを痛感したことを語っている[165][166]。また、太田は「もうそろそろ愛国心にあふれた平和主義者が必要なのではないか」「もうそろそろ『平和主義のナショナリスト』が登場しても良いのになぁと思う[注釈 9]」といった発言を著書やラジオで行ったこともある[56][167]。
『爆笑問題カーボーイ』2011年3月15日放送分[注釈 10]でも分かるように、東日本大震災を始めとして自然災害発生時には過激な発言は鳴りを潜めるが、ジョークで場を和ませながらも、リスナーの心情に寄り添う深くて熱いメッセージを送っており、さらにそのタイミングでライブやテレビ番組で漫才をする際には冒頭で「頑張れぇ〜!!」などと叫び国民にエールを送ることが度々ある[168][169]。かつて出演していた番組で医療従事者、消防士、自衛官、警察官などを志す若者達を取材した経験があり、彼らが口々に述べた「誰かの役に立ちたいと思った」という言葉に対して「自分の若いころとずいぶん違う」「頼もしい」と感銘を受けた旨を語っている[170]。彼らがそういった発言をした背景については東日本大震災の影響が強かったのではないかと太田は推測している[170]。また、太田はこれ以降も事あるごとに若者に対して「お前ら頑張れよ」「いいんだ、今のまんまいけよ」などといったエールを送る旨の発言を行うことがある[171]。
自然災害発生時に各政党が見解の相違を理由に足並みを乱して責任をなすりつけ合う行為については批判的な見解を持っており、「こういう時になんで一枚岩になれない? こういう時は置いといて、オールジャパンになったほうが良い」と語っている[172]。東日本大震災や福島第一原子力発電所事故をきっかけに発生した風評被害に関しては批判的な立場をとり、流した者に対して「なぜ、放射能の毒性数値には敏感なのに、自分のその言葉の毒性には鈍感でいられるのか?」「そこで暮らす人々がその言葉を聞いた時に、どれほど恐れ、なにかを狂わすかもしれないことをなぜ想像できないのだろう?」といった疑問を著書で呈しており[173]、事故の直接的原因の違いを理由に、福島第一原子力発電所事故をチェルノブイリ原子力発電所事故と同等の「レベル7」とみなした日本の原子力安全・保安院と原子力安全委員会の判断に対して違和感があることを語っている[174]。また、太田は2011年のインタビューでは先述した災害時に不安や恐怖心を煽っていく表現者の風潮や風評被害等々に対して批判的な旨を述べた上で、敬愛する桑田佳祐に対しては「明日へのマーチ」などの楽曲を例に挙げ、「そういう奴と正反対のところに桑田さんはいる」「真っ正面から表現するっていう姿勢はいつも見習いたいなと思ってます」「全然違うジャンルなんだけど、俺にとっては目標みたいなところがあります。おこがましいですけど」と称える発言を行っている[175]。
皇室や天皇に対しては畏敬の念があることを述べており、「思想や国粋主義だとか、右翼だとか左翼だとか、そういうことに関わらずですよ。歴史なんですよ、陛下っていうのはね」としている[176]。特に東日本大震災発生時に明仁が被災者に向けてメッセージを発したり、被災地を訪問するなどの行動をしたことに対しては感動した旨を語っている[176]。園遊会において明仁に直接手紙を渡した山本太郎については「日本人が昔から持っている畏れみたいなものを感じない人の行為のような気がする」といった見解を示した[177]。また、皇統の男系維持に一定の理解を示す発言をし、父親が昭和天皇に対して敬意を持っていた旨を語っている[178]。
靖国神社への参拝やA級戦犯の合祀に理解を示し、戦死者や遺族の心情に寄り添う立場をとっており、ラジオ番組『日曜サンデー』や月刊誌『一冊の本』での連載の『芸人人語』でそのような趣旨の発言を行った[179][180]。特に前者では大橋巨泉との対談で行ったため、巨泉からは手厳しく叱責された[179]。また、先述の通り靖国神社の件に限らず『芸人人語』では、掲載されている月刊誌『一冊の本』の発行元(朝日新聞出版)の親会社(朝日新聞社)から発行されている『朝日新聞』の論調と全く異なる内容の文章を書くことも多く、コロナ禍の中で開催された2020年東京オリンピックに対する『朝日新聞』の姿勢の二律背反を指摘したこともある[58]。さらに、各国が行った2022年北京オリンピックへの外交的ボイコットについては意外に感じていたことを語っており、オリンピック憲章には「人権侵害は認められない」と記されているため「新疆ウイグル自治区で人権侵害が行なわれているのならば、オリンピックはそれを否定しなければ成り立たない」という見解を示した[181]。
日本国憲法第9条に関しては、その理念に理解を示し、堅持する立場を示しているが、憲法改正の国民投票の決議をし戦後レジームを国民が自分たちのものとして捉え直すことには賛成の立場を示しており、その投票で護憲に票を入れると語っている[8]。自身が執筆した長編小説『笑って人類!』に登場する講和条約には「何年かに一回、憲法を見直しましょう、でも必ず平和に向かいましょう」という文言を取り入れている[8]。また、もし在日米軍の撤退が行われるなどの条件があった場合には憲法9条の改正に賛成する可能性があることを示唆したこともあり[182]、仮に国民投票の過半数で改正され自衛隊が国防軍となった場合は「そうした日本に忠誠を誓う」「それが民主主義だろうと思う」としている[183]。
太田は日大時代に旧統一教会を執拗にからかっていた時期があり、勧誘している女性に下ネタや「全知全能の神は自分より強い奴を作れるのか」といった無理難題な議論を吹きかけるなどの散々な行為を行い、最終的に教会から出入り禁止処分を受けたことを言及している[184][185]。これについて太田は「あのころ統一教会を執拗にからかったのもバカにしたのも、徹底的に否定してやりたいという思いがあったのかもしれない」と振り返っている[184]。また、安倍晋三銃撃事件の被疑者に対しては「彼は絶対にヒーローではないし、暴力では何も解決しないんだ」「私は安倍元首相とは意見が違ったが、たとえどんなに意見が違ったとしても、一人の人間の命が、ああいう形で奪われるべきではないと思っている」「私は今も安倍氏を暗殺した犯人を許せない。同情の余地はないと思っている」とし、正当性を否定する発言をしており、これについては「旧統一教会を否定したことと同じ理由で(被疑者の正当性を)否定する」というスタンスによるものである旨も語っている[186][187][188][184]。その為、後の発言などが教団や政権への擁護と解釈されたことについては「SNS特有の切り取りで曲解もいいところだよ」というコメントを行い、曲解やデマを一蹴している[189]。
ジャニーズ事務所創業者であるジャニー喜多川による性加害問題を語った際に、芸能界のあり方について「私自身、大きなプロダクションに対する忖度で、(性被害を)訴えている人の小さな声が黙殺されたり、テレビに出演出来なくなるような芸能界であってほしくない」「日本の芸能界が『才能一つ』で成功出来る自由な世界であることを心の底から願っている」「大手プロダクションに対する忖度や、プロダクション同士のパワーバランスによって本来の才能が摘み取られるような世界でないことを強く強く願っている」と発言した[190]。
ビートたけしの大ファンである[33]。たけしのファンになる前は萩本欽一や初代・三波伸介のファンだった[191][192]。また、太田は2014年春には『森田一義アワー 笑っていいとも!』でタモリと、2017年夏には『世界まる見え!テレビ特捜部』で田中のコスプレをしたたけしと、2025年秋には『お笑いの日』で明石家さんまと漫才を行っており、名実ともにお笑いBIG3それぞれと漫才をした唯一の芸人となっている[17][18][19]。
俳優の松重豊とは交友がある。初対面の時に太田が松重へモデルガンを撃ったというエピソードがある[193]。
サザンオールスターズの大ファンで、2008年のラジオ共演をきっかけに桑田佳祐とメールでの親交もある[194]。特に好きなサザンの曲として「ラチエン通りのシスター」「働けロック・バンド (Workin' for T.V.)」などを挙げている[195][196][197]。また、日大時代の傷心していたころに田中と共に江ノ電に乗って互いに片耳ずつイヤホンを付けて「海」をウォークマンで聴いたエピソードがあり[197]、後年に太田は「あれが俺たちの青春だったね」と振り返る発言をしている[198]。2013年のサザンの35周年を記念して開設されたYahoo! JAPANでの特設サイトでは、多くのミュージシャン・文化人のお祝いコメントが並ぶ中で、誰よりも長文でサザンとビートルズの影響力を重ねた内容のメッセージを綴っている[注釈 11][200]。
YMOや細野晴臣、坂本龍一の楽曲も世代であり好きだと公言する一方、若い世代に人気のある曲も聴いているという。他に好きな歌手として、あいみょん[201]、アリス[202]、ジャニス・ジョプリン、スティーヴィー・ワンダー、エルヴィス・コステロ、石野真子、さだまさし、佐野元春、Mr.Children、エレファントカシマシ、GLIM SPANKY、藤岡みなみ&ザ・モローンズ、ASKA[203]など。また、『日曜サンデー』では、テーマに沿った「ベスト30」を出演者それぞれが選曲する企画で、太田は1位の曲としてインディーズで活動する西山小雨の曲を選んだことがある[204]。
SMAPの大ファンであることを公言しており、メンバーの個性や絆の深さなどをラジオやテレビで熱く語ることが多かった。また、元メンバーの木村拓哉とメールで親交を持っている[205]。そうしたことが縁で「We are SMAP!」の作詞も担当したほどであり、それゆえに同グループが解散することが発表された際にはショックを受けたことと、内情について「本人たちしか分からないあれだし」と前置きをし、メンバー全員を心配する発言をしている[206][207]。解散後も太田は、木村が主演を務めたドラマ『A LIFE〜愛しき人〜』(TBS系)を絶賛したり[208]、ジャニーズ事務所を退所した直後の香取慎吾と『おじゃMAP!!スペシャル』(フジテレビ系、2017年10月18日)で共演したり[209]、稲垣吾郎・草彅剛・香取の主演した映画『クソ野郎と美しき世界』のエピソード「光へ、航る」で監督を務めるなど、メンバー達と交流を続けている。
森繁久彌や植木等のファンでもあり、共演した際に両者から「いつも見てるよ」という言葉をかけられている[66][20]。このような経験をしたのは爆笑問題が最後の世代ではないだろうかという趣旨の見解も示されており、太田本人も「そうでしょうね」と語っている[20]。
松田優作を敬愛しており、『蘇る金狼』など優作が出演した映画のセリフを暗記している。『太田上田』内で、『野獣死すべし』の中の優作と室田日出男の有名なシーンのセリフ穴埋め問題が出た際すべて正解している[210]。また、自身が監督したクソ野郎と美しき世界「光へ、航る」の草彅剛演じる工藤修という役名は『探偵物語』で松田優作が演じた工藤俊作と『傷だらけの天使』で萩原健一が演じた小暮修からとられている[211]。
タイタン所属で、大阪府知事や大阪市長などを務めていた橋下徹とメールで親交を持っているが、思想や国家観の違いもあって、太田は公の場では橋下を揶揄する発言や異論などを述べている[213]。また、妻の光代と親交がある蓮舫に対しても同様に政治的な主張への違和感や異論などを述べることがある[214]。
大島やすいちが作画を手掛けた『三冠王王貞治物語』を子供のころに読んで感動したことがきっかけで王貞治を尊敬している[215]。
好きなテレビ番組として『DAISUKI!』(日本テレビ)を挙げており、田中と共にボウリング企画のゲストとして出演した事もある。太田はこの番組のカラーが自身の芸風に合わないことを自覚していたため、上述の持ちネタ・芸風にあるような行動をせずおとなしくボウリングに集中した[注釈 12]。メインMCを務めた中山秀征もこのような対応をした太田の人柄を高く評価する発言をしている[48]。
2016年以降、radikoのエリアフリー機能を利用して地方ラジオ局のローカル番組を聞くことを日課としており、そのことを『爆笑問題カーボーイ』などで話題にすることが多いが[217]、特に広島県ローカルのRCCラジオ『平成ラヂオバラエティごぜん様さま』や同番組のパーソナリティであるRCCアナウンサー・横山雄二についてはほぼ毎回話題にしている。『サンデージャポン』(TBS系)で広島県を含む西日本で大きな被害があった平成30年7月豪雨を取り上げた際には、横山の発言を引用してコメントし[172]、それをきっかけに横山は同番組に「サンジャポジャーナリスト」(リポーター)として出演した[218]。横山が自身初の小説『ふるさとは本日も晴天なり』(角川春樹事務所・ハルキ文庫 ISBN 978-4758442091)を出版した際には太田が帯のコメントを寄せた[219]。また、横山が監督を務めた2022年公開の映画『愚か者のブルース』に太田は声のみではあるが特別出演した[220]。横山は自身の所用で上京する折に『日曜サンデー』にたびたび出演しており、太田がテレビ生出演中の事故で翌日の放送を欠席した際には代役を務めたことがある(爆笑問題の日曜サンデー#代理パーソナリティを参照)。プライベートではメールの親交がある[221]ほか、2019年からは横山が個人で主催するチャリティライブにスタンド花を贈ることが恒例になっている[222][223]。
RCサクセションに関してはセクシャルなものとからめたダブルミーニングによる言葉遊びや比喩などが取り入れられた時代はよく聴いていたが、政治的なメッセージがストレートに取り入れられた『COVERS』の頃から「あんまり聴かなくなった」という。なお、忌野清志郎は爆笑問題のファンであったが、太田が雑誌で述べた「国政選挙で投票しても何も変わらないのならば、投票しないという選択も正しいのでは」という発言に対してショックを受け、それをきっかけに対談を申し込み「君みたいな影響力のある人が、選挙行くななんて言ったらいけないよ」「政治に無関心なんて言ってると、君の息子なんかが戦争に行っちゃうわけよ」と諭し考えを改めさせている。なお、対談の席では重い雰囲気にならないように忌野がホラガイを吹いて登場した[224][225][226]。
右派論壇誌である『WiLL』→『Hanada』には、政治的主張のない時事漫才ではあるが、爆笑問題名義で「日本原論」の連載を持っている。これは編集長の花田紀凱がかねてからお笑い芸人としての爆笑問題の才能を認める発言をしていた縁によるものである[227]。
2006年5月26日、“爆笑問題の太田光がラジオで反日侮日発言”とする内容が2ちゃんねる内のニュース速報+板に書き込まれ、右翼団体「正氣塾」が所属事務所に“抗議状”を持参し面会を要求していた事が分かった。なお、その場には太田自身は不在だった。上述した記事には「太田がラジオ番組で反日的な発言をした」「太田が『亜細亜への謝罪のため靖国神社は破壊すべき』と発言した」というデマが書かれていたが[228]、実際にはそのような発言はなく、書き込みの内容は何者かにより捏造されたものと判明。警視庁は事務所に警備員常駐及び太田の身辺警護を進言した。また、この煽りを受け、正氣塾のサイトにあるBBSが荒らされている[228]。
なお、先述の通り太田自身は生まれ育った日本に対する愛着があることを公言しており「なにより、東京や日本が好きだ」「やっぱり俺は日本という国が好きだ」といった発言をしている他[164][7]、靖国神社への参拝やA級戦犯の合祀にも理解を示し、戦死者や遺族の心情に寄り添う立場をとっている[179][180]。
新潮社発行の週刊誌『週刊新潮』が2018年8月16・23日号で「爆笑問題『太田光』を日大に裏口入学させた父の溺愛」と題した記事を掲載[229][230]。太田側は虚偽の記事を掲載されたとして、発行元の新潮社に約3300万円の損害賠償と謝罪広告の掲載を求めて東京地方裁判所に提訴した[231]。2018年10月に第1回の口頭弁論が行われ、その後は和解交渉が行われたが決裂[231]。2020年10月1日に東京地裁で開かれた公判で、太田本人が初めて法廷に立った[232]。なお、この公判では太田側の証人として高校時代の担任教諭だった人物も出廷し「入試に十分受かる力があった」などと上述の記事の内容を否定する趣旨の証言をしている[233]。12月21日、判決公判が行われ、新潮社に440万円の支払いとウェブサイト上の当該記事削除が命じられた一方、太田が求めていた謝罪広告掲載は「(テレビ・ラジオ番組などにより)発言をする場が存在する」「自分で名誉回復ができる」という判断により認められなかった[234][233]。新潮社側・太田側双方が控訴したが[235][236]、2021年12月24日の控訴審判決公判で東京高裁は一審判決を維持し双方の請求が棄却[237]。新潮社側は当初上告する意向を示していたが、「上告に意味がないと判断した」として期限までに上告することなく2022年1月に判決が確定。事実上太田側が勝訴する形で法廷闘争は終結し、太田はこれに安堵する旨と一連の騒動を今後もネタにし続ける意向をコメントした[234][109]。
なお、太田は上述した記事が書かれた原因について「俺のことが気に入らない人が(新潮社及び『週刊新潮』編集部に)誰かいるんだろうな」と一審判決後の記者会見で推測している[238]。また、太田は法廷や一審判決後の記者会見でボケを交えて発言しており、その言動に否定的な意見もあったが、それに対し太田は「我々にとって真剣であるっていうことと、ボケることは矛盾しない」「この問題に関しては、俺が何を思っているかを言うことのほうが大事。勝つ負ける以上に重要な肝だから」と話している[239]。なお、この裁判とは関係のない弁護士は「予想の範囲内の出来事」で「何らこの法律(法廷等の秩序維持に関する法律)に違反するものではない」という見解を示している[240]。
2022年10月3日、社長兼妻の光代が自身のTwitterで、自宅の門扉から玄関に投げつけられたとみられる卵や殻の写真を投稿。「許しません!だれ?」「もっと投げたら良いわ。卵を投げる意味。分かっているんでしょう。ヨーロッパの習性よ!」と怒りをあらわにした。その後はセコムに警備を要請するなど、適切な対応を行った[241]。
太田自身も翌日深夜放送分の『爆笑問題カーボーイ』でこの件に言及し「今度ね、白いご飯だけ持って玄関に立ってるよ」「卵かけご飯ができるじゃん?」などとボケを交えながら、上述の顛末について振り返るコメントを行った[241]。
この事件が発生した2022年秋は、『サンデージャポン』で旧統一教会の霊感商法や政治との関係の問題を特集した際の太田の発言などが非難及び曲解されていた時期でもあり、それらの影響も指摘されたが、どのような人物が生卵を投げつけたのか、及び投げつけた動機については不明なままとなっている[241]。
2023年に発表された自身の長編小説『笑って人類!』には和平会議に遅刻した主人公である架空の国家『ピースランド』の首相の富士見幸太郎に、民衆から「マイルドテロ」という名のもとに大量の卵を投げつけられる描写が存在する。ただし、同作はコロナ禍前には描き終わっており、上述した騒動との関連は全くないことが太田によって言及されている[8]。
コンビでの出演は「爆笑問題」の項目を参照のこと。
爆笑問題名義の著書は爆笑問題#出版を参照のこと。なお、爆笑問題名義でも多くは太田1人で執筆している(原稿料・印税は田中にも配分されている)。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/09 09:10 UTC 版)
「フラニーとゾーイー」の記事における「太田光(漫才師、お笑いタレント)」の解説
TV番組『爆笑問題のススメ』の最終回で私の人生を変えた本3作の2冊目として『フラニーとゾーイー』を挙げており、番組の中で学生時代に自らの自意識に悩まされていた太田も本書によって「皆人間ってのは未熟だった。だから私だって未熟でいいじゃん」と思えるようになり、救われたと語っている。また、大学2年生の時に演劇として『フラニーとゾーイー』を主演・演出している。
※この「太田光(漫才師、お笑いタレント)」の解説は、「フラニーとゾーイー」の解説の一部です。
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