出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/02/04 08:12 UTC 版)
| おおさかし 大阪市 |
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| 国 | |
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| 地方 | 近畿地方 | ||||
| 都道府県 | 大阪府 | ||||
| 市町村コード | 27100-4 | ||||
| 法人番号 | 6000020271004 | ||||
| 面積 | 225.34km2 (境界未定部分あり) |
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| 総人口 | 2,815,724人 [編集] (推計人口、2026年1月1日) |
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| 人口密度 | 12,495人/km2 | ||||
| 隣接自治体 | 豊中市、吹田市、摂津市、門真市、大東市、東大阪市、守口市、八尾市、堺市、松原市 兵庫県尼崎市 |
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| 市の花 | サクラ、パンジー | ||||
| 市の歌 | 大阪市歌(1929年制定) | ||||
| 大阪市役所 | |||||
| 市長 | 欠員 | ||||
| 所在地 | 〒530-8201 大阪府大阪市北区中之島一丁目3番20号 北緯34度41分38秒 東経135度30分08秒 / 北緯34.69375度 東経135.50211度座標: 北緯34度41分38秒 東経135度30分08秒 / 北緯34.69375度 東経135.50211度 |
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| 外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
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行政区位置図は#行政区参照 |
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| ウィキプロジェクト | |||||
大阪市(おおさかし)は、大阪府中部に位置する市。大阪府の府庁所在地および近畿地方で最多の人口を有する市であり、政令指定都市に指定されている。
西日本および近畿地方の首位都市であり、経済・文化・交通の中心都市。また、近隣の京都市や神戸市と共に、世界有数の経済規模を誇る京阪神大都市圏の都市中枢を成す。市域は24の行政区からなり、市庁所在地は北区中之島。市域に多数の河川や堀を有し、歴史的にも港湾機能や河川交通が発達していたことから「水都」の異名を持つ。
古墳時代から昭和時代後期に至るまで、日本経済の中心として機能してきた。また古代よりアジア広域からヒトやモノを惹き付けてきた都市であり、現代ではアジアで最も住みよい街と国際的に評され、求心力を保持している[1]。現在では、日本の商都として商業や国際観光などが盛んな[2]、アジア屈指の世界都市である。
大阪市の都市としての源流は、古代に遡る。神武天皇は即位前、上町台地先端の難波埼に生國魂神社を創建。日本書紀によると、応神天皇は難波大隅宮を行宮にした。河内王朝の始祖である仁徳天皇は難波高津宮を皇居とした。その後、国内流通の中心である住吉津や難波津が開港し、都市として本格的なスタートを切る。後に日本国の最初の首都として難波宮が置かれる。これは天皇の住まい、政治、儀式の場を明確な構造として持つ初の宮城であり、後の宮にも採用された。また、難波宮から日本という国号とともに元号の使用が開始された。なお、その後の度重なる遷都により、首都は現在の奈良市や京都市などに移ったため、その後は主に商都として歩むことになる。
市域を中心として、大阪都市圏/阪神都市圏/京阪神大都市圏を形成。大阪市の市内総生産は約20兆円で[3]、国内では東京区部に次ぐ規模であり、政令指定都市(以下、政令市)中最大である。これは、北海道、兵庫県、千葉県など1つの道府県の県内総生産に匹敵する規模であり約370万人の人口を持つ横浜市の約1.5倍の市内総生産である[4]。また、京阪神大都市圏としては圏内総生産約80兆円、世界7位の経済規模を有する[5]。夜間人口は約280万人、人口密度は約12,400人/km2、昼間人口は市外から多くの通勤・通学者が流入するため約360万人(行政単位として全国1位)である。面積は、政令市(全20市)の中では川崎市、堺市、さいたま市に次ぎ4番目に小さい。これは横浜市のおよそ半分、名古屋市の3分の2程度であるが、行政区が24区と政令市中最多であるため、面積が10km2に満たない行政区が多い。近年では都心回帰が顕著で、大阪都心6区や都心9区を中心に人口が増加しており、西区や城東区では人口密度が2万人/km2を超えている[6]。
古代より瀬戸内海・大阪湾に面した立地から、住吉津や難波津などの港を持ち、港湾都市、国内流通の中心として栄え水の都と称された。中世には、渡辺津や浄土真宗の本山であった石山本願寺が置かれ、寺内町として商工業が発展。近世初期には豊臣秀吉が大坂城を築城し、城下町が整備された。江戸時代には天領となり、経済・交通・金融・商業の中心地として発展。世界初の先物取引市場である堂島米市場が置かれ、当時の経済の中心であった米の中央市場として機能した。大坂は経済の中心地として天下の台所と称され、商業の町で豊かな町人文化(上方文化)を育んだ。京・江戸とともに三都に数えられた。
明治期に入ると、東洋紡など繊維工業を中心とした工業都市へと発展し(→船場の繊維問屋街)、「東洋のマンチェスター」「煙の都」と称された。大正初期に池上四郎が第6代大阪市長に就任し、1925年に第2次市域拡大を実施。人口は当時の東京市を上回る211万人に到達し、面積・人口・工業出荷額で一時的に国内1位[7][8]、世界6位の人口を有する大都市へと成長した[9](大大阪時代[10][11][12][13])。1923年には都市計画学者である關一が第7代大阪市長に就任。關は堺筋に代わる市のメインストリートとして、御堂筋の拡張整備を行い[14]、その地下に日本初の公営地下鉄である大阪市営地下鉄(現:Osaka Metro)御堂筋線(梅田駅 - 心斎橋駅間)を建設するなど、現在につながる大阪の都市インフラを作り上げた。他方、古来より卸売業を中心に商業活動も活発であり、道修町(薬種)、松屋町(玩具)、本町・船場(繊維)など市内各所に江戸時代からの歴史を持つ問屋街が発達している。
現代では商都として、国内のみならず世界より訪問者が訪れる国際集客都市として、主に商業が繁栄。梅田・北新地・難波・心斎橋といった世界水準の繁華街を有している。他にも天王寺や新世界、京橋、上本町、十三など複数の繁華街を擁し、阿倍野・天王寺エリアにあるあべのハルカスは日本初のスーパートール(高さ300m以上のビル)である。中之島・淀屋橋や北浜界隈の伝統的なオフィス街には、金融街が形成。北浜の一部界隈は戦前から旧住友財閥(住友グループ)各社が拠点を構えるていることから「住友村」とも呼ばれている。また、梅田・堂島・中之島一帯や、京橋に近い大阪ビジネスパーク(OBP)には超高層ビルが林立しており、華やかな都市景観(スカイライン)を形造る。大阪市役所が所在する中之島や、大阪府庁が所在する大手前周辺には、官公庁や公的機関が数多く立地している。
イギリスの調査機関、エコノミスト・インテリジェンス・ユニットによる「最も住みやすい都市」ランキング(2019年度版)において、大阪市は、ウィーン、メルボルン、シドニーに次ぐ世界4位、アジア1位の都市と評価され、2023年度版でも、ジュネーブ、トロントに次ぐ世界10位、アジア1位の都市と評価されている[1]。評価理由としては、合理的な都市設計、治安、物価、高度な教育・医療・交通、テロの脅威の少なさ、などが挙げられている。アメリカのシンクタンクが発表している世界都市ランキング「2020 Global Cities Index(世界都市の指標)」において、世界7位の都市と評価された[15]。イギリスのシンクタンクが発表した2025年9月の報告書「The Global Financial Centres Index(世界金融センター指標)」によると、世界36位の金融センターと評価されている[16]。
2020年10月1日時点での大阪府域に占める大阪市域の割合は、面積:11.8%、人口:31.1%[17][18]。
大阪市の最新の推計人口は2,815,724人(2026年1月1日現在)となっている。
1920年の第1回国勢調査では1,252,972人と全国2位の人口であったが、1925年4月に第2次市域拡張を実施し、同年10月の第2回調査で2,114,804人(旧市域:1,331,984人、新市域:782,820人)と全国1位になった(「大大阪時代」)。その後は東京市の市域拡張により全国2位になったものの、第2次市域拡張以降も大阪市の人口は著しい増加が続き、1940年の第5回調査で3,252,340人とピークに達した。戦災によって1945年11月の人口調査で1,102,959人と激減したが、1965年の第10回調査で3,156,222人にまで回復した。以降はドーナツ化現象によって再び減少に転じ、1978年には横浜市に抜かれ全国3位に転落。2000年の第17回調査で2,598,774人にまで減少した。しかし21世紀に入ると都心回帰により再び増加に転じ、2020年の第21回調査では2,752,412人となり[19]、近年は全国トップクラスの人口増加を記録している。
大阪市は少子化により自然動態(出生数-死亡数)が減少する一方、地方や外国からの人口流入により社会動態(転入数-転出数)は増加しており、人口が増加している。2017年・2018年には全国2位(市町村別)の人口増加となった[20]。また2020年の人口移動報告より、大阪市は16,802人の転入超過(転入者が転出者を上回る)となり、同年の東京23区(13,034人の転入超過)を上回り、全国最多の人口流入を記録している[21]。
2021年は自然減少数の拡大およびコロナ禍における地方および外国からの人口流入の減少等に起因し、十数年ぶりの(対前年比)人口減少となった。コロナ禍の終息後は再び増加に転じた。
2024年は市町村別で全国最多の人口増加数を記録した[22]。
2025年4月に280万人を超え、およそ半世紀前の水準に回復した[23]。
2024年の大阪市の推計人口年報によると、全24行政区のうち20区で(対前年比)人口増加となった。人口増加率の上位を大阪都心6区(中央、北、西、天王寺、浪速、福島)が占めており、都心回帰の傾向が続いている。人口減少となった4区は、平野、此花、住之江、鶴見であった[24]。旭、生野、西成の3区は1965年から、大正区は1970年からそれぞれ減少が続いており、特に西成区は1960年のピーク時から概ね半減している。
都心6区のエリアを中心に、オフィスビルの容積率が緩和されたためオフィスビルの建て替えが進み、老朽化したオフィスビル跡地での高層マンションの建設が増加した。その結果人口が増加し、都心部の小学校などでは教室の数が足りず増築工事などを行っている小学校もある[25]。北区では、さらなる児童数の増加を見越して、令和6年度に中之島小中一貫校が新設された。
大阪市は一世帯当たりの人員が約1.79人であり、政令指定都市の中で最も少なくなっている[26]。1世帯あたりの世帯人員の多い行政区は鶴見区(2.21人)で、阿倍野区(2.00人)、城東区(1.97人)と続き、子育て世帯が多く暮らしている。一方、世帯人員の少ない行政区は浪速区(1.35人)で、中央区(1.51人)、西成区(1.55人)と続き、単身世帯が多く暮らしている。
市内の外国人の人数は、およそ19万人となっており、国籍は160カ国に及ぶ。これは人口、比率ともに、日本の政令指定都市の中で最多[27]であり、国際都市ならではの人口構成となっている。
| 大阪市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 大阪市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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■紫色 ― 大阪市
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 |
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大阪市(に相当する地域)の人口の推移
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| 総務省統計局 国勢調査より | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
古くからの港湾都市であるが、難波津・住吉津といった古代の海港は土砂の堆積により衰退し、渡辺津という河港に姿を変えた。河港であることは豊臣・徳川の両政権によって水運の発達した大坂市街が形成されても変わらず、再び海港となるのは1897年の大阪港第一次修築工事以降、実質的に20世紀以降である。
江戸時代には江戸と並んで経済の中心を担った。現在も京都市・神戸市・堺市とともに近畿大都市圏(京阪神)の中心市である。阪神工業地帯の一角を担い、市内総生産は約19兆円となっている。
瀬戸内海の東端である大阪湾の最奥部に面する。市の南端を流れる大和川を除いて、市域を流れる河川の多くは淀川水系であるが、1704年の大和川付替え以前は大和川も淀川水系であり、大量の土砂が堆積して形成された低地が大阪平野である。
大阪平野の形成以前から市域の中央やや東寄りに存在する台地が上町台地で、南北に細長く伸びる上町台地の西側に難波砂堆、北側に天満砂堆といった微高地が形成されている。
上町台地および付随する難波砂堆・天満砂堆を境にして、西側の低地は大阪海岸低地、東側の低地は河内低地とも区分される。大阪海岸低地は三角州性の低地、河内低地は河内湖が陸地化した潟湖性の低地となる。
最高点は鶴見区の鶴見新山(T.P.37.5m)、最低点は西淀川区の大阪市立大和田小学校内(T.P.-2.21m)[28]。北から南へ低くなる上町台地の北端に位置する大坂城本丸が長らく大阪市の最高点だったが[29]、1970年に昭和山(大正区)、1983年に鶴見新山がそれぞれ「造山」された。一方、地下水の過剰摂取により、昭和初期から中期にかけて地盤沈下が深刻化し、市域の北西部に海抜ゼロメートル地帯が広がっている[30]。
| 大阪市 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 雨温図(説明) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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瀬戸内海式気候となり、年間を通して温暖であるが、夏は非常に蒸し暑く、全国有数の酷暑地帯である。大阪湾に西面し、日中は海風が吹くが、夜間の陸風は風速が弱く風向もばらつきが大きい[31] ため、特に夜が寝苦しい。年平均熱帯夜日数は本土の官署では鹿児島市(55.8日)・神戸市(46.8日)に次いで3番目に多い41.5日で、7月から8月にかけての1か月以上は平年値でも熱帯夜となっている。なお、近隣の神戸地方気象台(旧・神戸海洋気象台)は1999年に山麓の高台から海岸の低地へ移転し、熱帯夜日数が増加した経緯がある[32]。一方、大阪管区気象台は海から離れた上町台地に所在している。8月の平均気温は29.0℃であり、都道府県庁所在地の中では、那覇市(最暖月は7月)と並んで最も高い。
| [表示]大阪市(大阪管区気象台、標高23m)の気候 |
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| 出典:気象庁[35][注 1] |
大阪府
上町台地は約12万年前の間氷期(リス・ウルム間氷期)に海底に堆積した地層である。そこには河内湾より一回り大きな上町海が存在した。気候が涼しくなり始めた約11万年前に陸地が現れ始めた。この出来たばかりの陸地にはナウマンゾウやヤベオオツノジカやムカシニホンジカの群れがやってきていた。氷期に移り変わる約7万年前には、上町海が退いて古大阪平野が広がり、そこには針葉樹と広葉樹が混じる林が繁り、その木々の間を川が丘陵から低地へと網目状になって流れ下っていた。この川を渡るゾウやシカの群れの足跡の化石として残っている。ゾウの遺体としては臼歯が1個であるが、足跡化石は千個以上見つかっている[36]。大阪で最も古い旧石器は、大阪市平野区の長原遺跡から出土した石器群110数点で、約3万数千年前の後期旧石器時代の初期と考えられる。それは、これらの石器の出土層より上位層の火山灰層が姶良Tn火山灰であったことから年代の推定ができる。石器群はサヌカイト製の2 - 3cmの小石器と削器・掻器などの加工具であった[37]。
縄文海進により大阪湾が発生、南部から突き出た上町台地を砂嘴とする半島ができ、東部は河内湾となる。縄文時代中期には既に人が集住し、漁撈・採集などの生活を営んでいたことが、森之宮付近の遺跡から明らかになっている。弥生時代になると半島は砂州となり河内湾は淡水化、やがて河内湖となる。河内湖周辺は自然環境に恵まれており、農耕の発展により大規模集落が出現し、海運や大陸との交易の拠点となる。
大阪湾の奥、淀川・大和川の河口に突き出た上町台地が大阪市の町の原点である。天忍日命を始祖とする大伴氏や天忍人命を始祖とする津守氏が本拠を置いた場所である。神武天皇即位前、天皇が上町台地の先端付近、難波埼(なにわさき)に生國魂神社を創建。古墳時代、応神天皇は行宮として難波大隅宮(なにわのおおすみのみや)を置いた。大王と呼称された倭国の首長で河内王朝の始祖である仁徳天皇は難波(なにわ)の上町台地の先端付近に都を定め宮居を難波高津宮(なにわのたかつのみや)[注 2] とし、欽明天皇の難波祝津宮(なにわのはふりつのみや)も営まれた。飛鳥時代、再び難波に都が戻り日本で最初の首都となる孝徳天皇や聖武天皇の難波宮(なにわのみや)などが営まれた。仁徳天皇の難波高津宮は難波宮が造られた周辺にあったとする説が最も有力な説とみなされている。645年、難波宮で大化の改新が行われ、以後、日本という国号の使用とともに元号の使用が始まったとされる。後には難波京が置かれ、古代に住吉津や難波津、中世に渡辺津と大阪平野や奈良盆地の政治勢力の瀬戸内海における港湾都市、国内流通の中心であり、首都や副都が置かれた。律令国では摂津国の範囲。
中世には京都に政治の拠点が移動したため、その瀬戸内海の外港の地位も大輪田泊や神崎などに移ったが、その間も四天王寺や住吉大社周辺は宗教的な要地として、また渡辺津は熊野や住吉巡礼の拠点・淀川河口の拠点としてある程度栄えていた。南北朝時代には後村上天皇の皇宮(住吉行宮)が約10年間、住吉大社宮司の津守氏の住之江館(正印殿)に置かれ、次の長慶天皇もここで即位。その後蓮如により上町台地の先端付近に石山本願寺が開かれ、全国の浄土真宗の本山となった。その寺内町では商工が発展した。
織田信長によって破壊された上町台地の先端付近にあった石山本願寺の跡地に豊臣秀吉が大坂城を築いて再び政治の中心となり、同時に大規模な城普請で人と物資が集まって再び経済の中心地(本格的に日本経済の中心になったのは近世中期ごろからである)となった。しかし、1615年の大坂夏の陣で大坂城は落城し、豊臣氏も滅ぼされた。1619年、大坂城下は江戸幕府の天領となり復興、幕府の派遣した大坂町奉行が支配するところとなる。江戸はまだ出来たばかりで商品生産力がない上、参勤交代で大名・家来などによって大消費地となった。大坂城以前から自治都市を形成し、朱印船貿易で活躍した豪商末吉孫左衛門などを輩出した平野郷の平野商人の平野や、京都伏見商人の伏見はその後、平野町、伏見町として大坂の町名に残るものとなる。江戸へは当時の工業都市である京などから大坂を経由して菱垣廻船・樽廻船で物資が運ばれた。淀屋などが活躍した中之島周辺にはさらに各藩の蔵屋敷が集積し、北前船も入港して、大坂は「天下の台所」として経済・商業の中心的役割を担った。付随して、裕福になった町人により、文楽をはじめとした様々な文化が生み出された。また河川・運河とそれに架かる橋の多さから、江戸の「八百八町」や京都の「八百八寺」に対して「八百八橋」と称された。
明治時代から昭和時代初期は、政府が造幣局や砲兵工廠を置き、金属工業や繊維産業を中心に商社・卸売・新聞など様々な商工業が発展し「東洋一の商工地」と称され、多くの企業が勃興した。メセナが活発に行われた阪神間の「阪神間モダニズム」と呼ばれた時代には、六大都市の一つとして幕末から明治時代当初にかけて明治政府による藩債処分などの影響により大打撃を与えられていた大阪市だが再び日本の中心の一つとなった。関東大震災後には、周辺の東成郡・西成郡全域の編入と東京からの移住者(横浜や名古屋や神戸にも移住者あり)も加わって大阪市は、1932年の東京市の市域拡張までの間、日本最大の都市となり、世界でも第6位となった。そのため、「大大阪」と称されたこともあった。しかし、昭和10年代より政府が戦時統制を敷き、文化・芸術・教育・産業その他あらゆる分野の中枢を東京に集めたことで[要出典]、相対的地位は低下していった。
2004年から2005年にかけて、大阪市において、カラ残業・ヤミ年金・ヤミ退職金・ヤミ専従など様々な職員厚遇問題が明らかとなった。これを受けて、大阪市福利厚生制度等改革委員会が設けられ、2012年から本格的な改革が行われるようになった[65]。
大阪市の市本庁舎地下1階には、職員労組の本部事務所が複数入居している。勤務時間中に職場を離れて、政治活動に参加していた職員もいた。しかし、大阪維新の会の橋下徹はこれを問題視。橋下徹は「職務と政治活動が区別できないのなら、まずは建物から出て行ってもらう」と述べ、退去を求めた。職員労組の事務所の賃料は、家賃もコンビニなどの業者と比べて6割減免されていた[66][67]。
職員の外郭団体への天下りが、2011年には全国で最多となっていた[68]。しかし、大阪維新の会(当時)橋下徹は、2012年に外郭団体などへの天下りを原則禁止とする職員基本条例を制定。「大阪市から300万円以上の補助金」などを受ける団体などに、市の職員は原則再就職できなくなった[69]。
| 選挙区 | 会派名 |
|---|---|
| 北区 (1) | 大阪維新の会大阪府議会議員団 |
| 都島区 (1) | 大阪維新の会大阪府議会議員団 |
| 福島区および此花区 (1) | 大阪維新の会大阪府議会議員団 |
| 中央区 (1) | 大阪維新の会大阪府議会議員団 |
| 西区 (1) | 大阪維新の会大阪府議会議員団 |
| 港区 (1) | 大阪維新の会大阪府議会議員団 |
| 大正区および西成区 (2) | 大阪維新の会大阪府議会議員団 |
| 公明党大阪府議会議員団 | |
| 天王寺区および浪速区 (1) | 大阪維新の会大阪府議会議員団 |
| 西淀川区 (1) | 大阪維新の会大阪府議会議員団 |
| 淀川区 (2) | 大阪維新の会大阪府議会議員団 |
| 公明党大阪府議会議員団 | |
| 東淀川区 (2) | 無所属 |
| 公明党大阪府議会議員団 | |
| 東成区 (1) | 大阪維新の会大阪府議会議員団 |
| 生野区 (1) | 大阪維新の会大阪府議会議員団 |
| 旭区 (1) | 大阪維新の会大阪府議会議員団 |
| 城東区 (2) | 大阪維新の会大阪府議会議員団 |
| 自由民主党大阪府議会議員団 | |
| 鶴見区 (1) | 大阪維新の会大阪府議会議員団 |
| 阿倍野区 (1) | 大阪維新の会大阪府議会議員団 |
| 住之江区 (1) | 大阪維新の会大阪府議会議員団 |
| 住吉区 (2) | 大阪維新の会大阪府議会議員団 |
| 公明党大阪府議会議員団 | |
| 東住吉区 (1) | 大阪維新の会大阪府議会議員団 |
| 平野区 (2) | 大阪維新の会大阪府議会議員団 |
| 公明党大阪府議会議員団 |
| 選挙区 | 議員名 | 党派名 | 当選回数 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 大阪府第1区(中央区、西区、港区、天王寺区、浪速区、生野区) | 井上英孝 | 日本維新の会 | 4 | 選挙区 |
| 大阪府第2区(阿倍野区、東住吉区、平野区) | 守島正 | 日本維新の会 | 1 | 選挙区 |
| 大阪府第3区(大正区、住之江区、住吉区、西成区) | 佐藤茂樹 | 公明党 | 10 | 選挙区 |
| 大阪府第4区(北区、都島区、福島区、東成区、城東区) | 美延映夫 | 日本維新の会 | 2 | 選挙区 |
| 大阪府第5区(此花区、西淀川区、淀川区、東淀川区) | 國重徹 | 公明党 | 4 | 選挙区 |
| 宮本岳志 | 日本共産党 | 5 | 比例復活 | |
| 大石晃子 | れいわ新選組 | 1 | 比例復活 | |
| 大阪府第6区(旭区、鶴見区、守口市、門真市) | 伊佐進一 | 公明党 | 4 | 選挙区 |
大阪市は、大阪都市圏および京阪神大都市圏における都市中枢地区として、京都・神戸とともに経済の中心地の一つを成す。大阪市の市内総生産は約20兆円[75]、京阪神大都市圏のGRP(域内総生産)は約80兆円に及び、トルコやサウジアラビアといった地域大国と呼ばれる国家のGDP(国内総生産)に匹敵する。また、都市圏経済規模としては世界7位の規模を有する[76]。
大阪は長い歴史の中で、主に商人や町人による民間資本で発展してきた、日本では珍しい大都市である。日本では他に堺や博多が該当し、海外ではニューヨークやアムステルダム、シンガポールなどがこれに該当する。このような経済における歴史的背景は、自由闊達・自主独立・進取果敢・反骨精神といった、大阪の豊かな都市精神や商人町人文化を形成する一因となった。
大阪市は、課税総面積に占める商業地区の割合が約13%で全国の大都市の中で首位であり(2位の東京区部の約6%を大きく上回る)、歴史的にも商いが盛んであったことから、日本の商都と呼ばれている。大阪で生まれた住友、三菱などの財閥系企業や都市銀行が、企業合併や日本政府の要請に応じる形で本社を東京に移すにつれ、経済の中心地としての影響力は低下したものの、日本第二の都市としての地位は健在である(詳しくは「東京一極集中」を参照)。
阪神工業地帯の中核都市として、明治・大正期には「東洋のマンチェスター」と呼ばれるほどの工業都市であったが、高度経済成長期以後は工場の郊外・海外への移転が相次ぎ、現在では大阪市の総生産額における製造業の割合は1割程度である。此花区や住之江区、西淀川区などの西部臨海区には大規模工場が多く立地する一方、東成区や城東区、生野区などの東部内陸区には中小企業の工場が多く立地する。これら中小企業には、高度な技術力を有している企業も数多く存在し、日本経済の影の主役ともいわれている。
現在の経済活動で大きな割合を占めるのは、伝統的に盛んな分野である卸売・小売りであり、市内総生産の約4分の1を創出している。その他には科学技術・サービス、情報通信などの分野が盛んである[77]。
近年では国際観光産業が大きく興隆し、2019年度には都市別外国人訪問者数で世界25位、都市渡航先者数で世界12位を記録するなど、世界的な競争力を有している。また、この分野におけるさらなる競争力強化のため、此花区の夢洲にてカジノを含む統合型リゾート (大阪IR)が、2030年度の開業を目指し工事が進められている。
大阪市は世界36位、アジア太平洋地域13位の金融センター(2025年9月/Z/YenG社調査)との評価を受ける[16] 一方、国際化の遅れが課題である。市は都市政策として国際金融都市構想を掲げ、国際金融の育成を目指している。
不動産業も大阪の重要な産業の一つであり、商業用不動産投資額において世界31位(2020年/JLL社調査)の規模を有する。また同社の2019年の調査において、商業用不動産モメンタム(不動産市場の成長)において世界1位の都市と評価された[78]。これら不動産投資をはじめ、不動産開発などの多くは大阪都心6区および9区に集中している。
また、iPS細胞に代表されるような医療産業も世界的な競争力を有しており、再生医療、医薬品、医療ツーリズムなどを含めたライフサイエンス産業の興隆が今後期待されている。
大阪の利用空港である関西三空港(関西国際空港・大阪国際空港・神戸空港)の総旅客数は約5177万人(2019年)、海港である阪神港湾のコンテナ取扱量は約532万TEU(2019年)である。いずれも世界上位に位置するが、首位級の都市と比較すると依然開きがある。
フォーチュン・グローバル500における、世界的大企業の本社数(2020年/『フォーチュン』誌調査)において、大阪からは7社がランクインしており、これは都市別で世界11位である。以下には大阪に本社を置く主な企業を挙げる。
中央省庁の近畿地方を管轄する出先機関(地方支分部局)の多くが、中央区大手前界隈に集積しており、市内には複数の合同庁舎が所在している(大阪合同庁舎)。
大阪市は以下の24区から構成される。区の数は政令指定都市では最も多い。
| コード | 区 | 設置日 | 推計人口 | 面積 | 人口密度 | 設置理由 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 27102 | 都島区 | 1943年4月1日 | 110,306人 | 6.08km2 | 18,142人/km2 | (旧)北区と旭区より分区 |
| 27103 | 福島区 | 1943年4月1日 | 83,717人 | 4.67km2 | 17,927人/km2 | (旧)北区と此花区と西淀川区より分区 |
| 27104 | 此花区 | 1925年4月1日 | 63,090人 | 19.30km2 | 3,269人/km2 | 西区と(旧)北区より分区 |
| 27106 | 西区 | 1889年4月1日 | 115,707人 | 5.21km2 | 22,209人/km2 | 市制施行時に設置 |
| 27107 | 港区 | 1925年4月1日 | 80,646人 | 7.86km2 | 10,260人/km2 | 西区と(旧)北区より分区 |
| 27108 | 大正区 | 1932年10月1日 | 59,285人 | 9.43km2 | 6,287人/km2 | 港区より分区 |
| 27109 | 天王寺区 | 1925年4月1日 | 88,889人 | 4.84km2 | 18,365人/km2 | 東区と南区より分区 |
| 27111 | 浪速区 | 1925年4月1日 | 85,530人 | 4.39km2 | 19,483人/km2 | 南区より分区 |
| 27113 | 西淀川区 | 1925年4月1日 | 96,926人 | 14.21km2 | 6,821人/km2 | 周辺町村の大阪市編入に伴う設置 |
| 27114 | 東淀川区 | 1925年4月1日 | 177,898人 | 13.27km2 | 13,406人/km2 | 周辺町村の大阪市編入に伴う設置 |
| 27115 | 東成区 | 1925年4月1日 | 89,176人 | 4.54km2 | 19,642人/km2 | 周辺町村の大阪市編入に伴う設置 |
| 27116 | 生野区 | 1943年4月1日 | 128,575人 | 8.37km2 | 15,361人/km2 | 東成区と住吉区より分区 |
| 27117 | 旭区 | 1932年10月1日 | 90,823人 | 6.32km2 | 14,371人/km2 | 東成区より分区 |
| 27118 | 城東区 | 1943年4月1日 | 169,120人 | 8.38km2 | 20,181人/km2 | 東区と東成区と旭区より分区 |
| 27119 | 阿倍野区 | 1943年4月1日 | 113,337人 | 5.98km2 | 18,953人/km2 | 東成区と住吉区より分区 |
| 27120 | 住吉区 | 1925年4月1日 | 153,242人 | 9.40km2 | 16,302人/km2 | 周辺町村の大阪市編入に伴う設置 |
| 27121 | 東住吉区 | 1943年4月1日 | 130,964人 | 9.75km2 | 13,432人/km2 | 東成区と住吉区より分区 |
| 27122 | 西成区 | 1925年4月1日 | 105,653人 | 7.37km2 | 14,336人/km2 | 周辺町村の大阪市編入に伴う設置 |
| 27123 | 淀川区 | 1974年7月22日 | 190,654人 | 12.64km2 | 15,083人/km2 | 東淀川区より分区 |
| 27124 | 鶴見区 | 1974年7月22日 | 111,072人 | 8.17km2 | 13,595人/km2 | 城東区より分区 |
| 27125 | 住之江区 | 1974年7月22日 | 116,767人 | 20.68km2 | 5,646人/km2 | 住吉区より分区 |
| 27126 | 平野区 | 1974年7月22日 | 184,670人 | 15.28km2 | 12,086人/km2 | 東住吉区より分区 |
| 27127 | 北区 | 1989年2月13日 | 150,421人 | 10.34km2 | 14,547人/km2 | (旧)北区と大淀区が新設合併 |
| 27128 | 中央区 | 1989年2月13日 | 119,256人 | 8.87km2 | 13,445人/km2 | 東区と南区が新設合併 |
大阪には、梅田・北新地を中心とするキタ、難波・心斎橋を中心とするミナミの2大繁華街があり、いずれも国内屈指かつ世界水準の規模を有する繁華街である。
梅田は国内最大の百貨店面積を有し、摩天楼ひしめく街区にさまざまな大型商業施設が立ち並んでおり、未来的で洗練された繁華街の様相である。阪急百貨店が地域の核であり、大阪駅北側の再開発エリアに誕生した複合施設グラングリーン大阪は国際的に高い評価を得るなど、再開発も活発である。
ミナミは心斎橋・難波・道頓堀・千日前などに立地する商店街を中心に、各街が一体的かつ広大な商業エリアを形成し、その繁華街面積は国内最大と謳われる。商店の看板は競うように巨大で迫り出し、所狭しと店が建ち並び活気に満ちた雑多な様は、商人の街を象徴するかの如くであり、訪れる者を圧倒させる。
大阪は都市の特性上、近隣他都市や他地方、海外より、毎日多くの訪問者を受け入れている。国内からのターミナルは新大阪駅、海外からのターミナルは関西国際空港および関空と南海線で直結している難波駅であることが多いが、大阪最大のターミナルは梅田駅・大阪駅(阪急、阪神、地下鉄、JR)である。梅田は大阪における鉄道交通の要所であり、1日約240万人が利用している(詳しくは「梅田地区の鉄道駅」を参照)。
また、南河内・奈良・和歌山方面からは天王寺駅、大阪阿部野橋駅が大阪側のターミナルとして機能している。これら近隣地域、他地方および海外からのターミナルとなっている新大阪駅、梅田駅、淀屋橋駅、心斎橋駅、難波駅、天王寺駅などの主要駅はOsaka Metro(旧・大阪市営地下鉄)御堂筋線が南北に結んでおり、これは御堂筋線が大阪の大動脈といわれる所以である。
かつては大阪市内にも大学は数多く所在したが、市域が狭い上に、工場等制限法の影響も受け、大きなキャンパス用地確保のために郊外へ移転した大学が多い(大阪大学・関西大学・近畿大学など)。そのため他の大都市に比べて、市内の大学数は少ない。大学生数も、大阪府下の吹田市、東大阪市より少ない。
最近になり大学の誘致・連携を推進する大阪市は、大阪府内45大学の連合組織大学コンソーシアム大阪、それに関西社会人大学院連合との間で連携協定を結び、2007年10月から大阪駅前第2ビル内に活動拠点「キャンパスポート大阪」を提供している。
★はメインキャンパス ☆は学部が置かれているキャンパス
25の大学が、社会人への講義のために、便利な大阪都心にサテライトキャンパスを設置している。
大学とは異なり、広大なキャンパスを必要としないため、交通の便から市内に専修学校は多数ある。大阪市内においては大学の学生数より専修学校専門課程(専門学校)の生徒数の方が多い。大阪市立3校、私立163校(うち休校7校)の専修学校がある。大阪府専修学校一覧#大阪市参照。
大阪市の小学校・中学校・高等学校の数は、以下の表の通り(2020年度学校基本調査による)。
| 設置者 | 小学校 | 中学校 | 高等学校 |
|---|---|---|---|
| 大阪市立 | 297校(4分校) | 130校(1分校) | 22校 |
| 国立 | 2校 | 2校 | 1校(2校舎) |
| 大阪府立 | - | - | 39校 |
| 私立 | 7校 | 25校 | 37校 |
学校名のリストおよび各学校の記事については、各区記事および大阪府小学校一覧・大阪府中学校一覧・大阪府高等学校一覧を参照。
大阪市では2021年度まで市立の高等学校を設置していた。
大阪市では歴史的経緯から市立の実業系高等学校を主に設置していたが、普通科系の市立高等学校も設置し、大阪府立高等学校とは異なった方向での特色化・個性化を図る教育活動を行っていた。2000年代以降には市立高校の統廃合・再編も検討されるようになった。既存校の統廃合による市立中高一貫校の設置方針が具体化し、2008年度には大阪市立中高一貫校の大阪市立咲くやこの花中学校・高等学校が開校した。また大学との連携で7年教育を行う「新商業高等学校」の設置方針も具体化され、従来の商業系高等学校3校を統合する形で、2012年度には「新商業高等学校」にあたる大阪市立大阪ビジネスフロンティア高等学校が設置された。さらに2000年代から工業高等学校の改編による「総合技術高校」設置の構想が検討され、2020年には「新工業系高等学校」として市立工業系高等学校3校を統合改編することが打ち出された[79]。また2017年には普通科系高等学校の再編による「新普通科系高等学校」の構想が打ち出された[80]。
一方で2010年代以降、大阪市立高校を府立に移管する構想が打ち出され、大阪市・大阪府の両教育委員会で検討された。大阪市立の高等学校は2022年4月1日付で大阪府に移管され、移管時点で存在していた市立高等学校22校は大阪府立高等学校となった。
大阪市教育委員会が検討していた「新普通科系高等学校」は大阪市が設置を準備した上で、大阪府移管と同時の2022年度に大阪府立桜和高等学校として開校した。また構想中の「新工業系高等学校」については、大阪府教育委員会が計画を引き継いで具体化させる形で、府立高校として再編設置することを検討している。
以下に参考として、2021年度まで大阪市立だった高等学校のリストを記す。2021年以前に閉校となった大阪市立の高等学校については大阪府高等学校の廃校一覧#大阪市を参照。
大阪市には国立1校、大阪府立16校・1分校の特別支援学校が設置されている。
大阪市では特別支援教育の各分野ともに、市としての長い教育実践や研究を有していた。視覚障害教育・聴覚障害教育では、1899年に五代五兵衛が設置した大阪盲唖院が1919年に大阪市に移管され、後年の大阪市立盲学校(現在の大阪府立大阪北視覚支援学校)、大阪市立聾学校(現在の大阪府立中央聴覚支援学校)へとつながっている。また知的障害教育の分野では、1940年に設置された大阪市立思斉学校(現在の大阪府立思斉支援学校)は日本で初めての知的障害児対象の学校でもある。
しかし大阪市および大阪府の方針により、大阪市立特別支援学校12校は2016年4月1日付で大阪府に移管されることになった。
以下に参考として、大阪市内に立地する特別支援学校の名称を列記する。なお、☆印は2015年度まで大阪市立で、2016年度に大阪府立に移管された学校を示す。
市内の鉄道網は、都心部を地下鉄(Osaka Metro)が忙しなく縦横に走り、市内交通の要となっている。地下鉄は大阪市民の最も身近な公共交通機関である。その中でもOsaka Metro御堂筋線は、市内主要部を結び都市の大動脈として機能している。大阪都心は碁盤の目状に街区が整備されているため、地下鉄も都心部では碁盤の目状に行き交っている。
一方、大阪都心から京都・神戸および郊外の都市へ向かっては、私鉄・JRが放射状に発達している。「郊外に住み、都心へ通う」といった現代日本の都市生活様式は、阪急電鉄の創始者である小林一三が、19世紀後半のロンドンの都市政策をモデルに日本で初めて提唱したもので、箕面有馬電気軌道(現在の阪急宝塚線・箕面線)は、彼の描く田園都市構想を具現化したものである。のちにこの都市ライフスタイルは全国へと広まり、現代日本人の生活に多大な影響を及ぼすことになる。
市役所の最寄り駅は御堂筋線淀屋橋駅もしくは京阪中之島線大江橋駅。
下記に、地下鉄→JR→私鉄の順に市内に立地する全駅を列記する。
市内の主要駅は、大阪の都心である船場からみて、北側に梅田駅・新大阪駅、南側に難波駅・天王寺駅、東側に京橋駅がある。
以下には2社局もしくは3路線以上が乗り入れており、かつ合計の1日平均乗降人員が20万人を越えている駅を列記する。
このほか、2013年3月に廃止された大阪市営バスの赤バスの代替として、区が民間事業者に委託し運行しているバス路線がある[81]。
市域の大部分を大阪シティバスが運行しているが、この経緯については当該項を参照のこと。乗車方法は後乗り前降り後払いで運賃は均一制だが、一部で異なる方式を採用している事業者や路線もある。大阪シティバスの一部路線と北港観光バスを除き非接触型ICカードのPiTaPaとICOCA[注 3] が利用できる。
また、広範な連絡として、大阪駅と名古屋駅を結ぶ名神ハイウェイバスや、首都圏などと大阪市内(梅田、難波地区など)を含む京阪神地区を結ぶ高速路線バス、ツアー形式の貸切バス(ツアーバス)が多数運行されている。
高速路線バスについては、市内では主に以下の地点に発着する。
飛鳥時代、徒歩で人が行き交っていた大阪の道路は、現代では自動車や自転車、歩行者が慌ただしく行き交っている。豊臣政権期の安土桃山時代より中心部の道路が碁盤の目状に引かれるようになり、南北に走る路は「~筋(すじ)」、東西に走る路は「~通(とおり)」と愛称を付けて呼んだ。現代でも、市内47の幹線道路に愛称が付けられており、市民はもっぱらこの愛称で道で呼称している。
代表的な「筋」
代表的な「通」
当市内に空港は存在しないものの、当市近隣に関西三空港が存在する。関西三空港のうち、最寄は北摂にある国内線専用の基幹空港の大阪国際空港(伊丹空港)である。泉州沖には国際空港である関西国際空港がある。神戸沖には神戸空港があり、国内線の一部幹線が就航している。かつては、大阪市は大阪国際空港の地元自治体の連合である大阪国際空港周辺都市対策協議会(現:10市協)に所属していたが、現在は脱退している。
Dは地上デジタルテレビジョン放送<IDはリモコンキーID>、AM・FMはラジオ放送のことを指す。全局とも本社は大阪市内にある。民放局の社名は関西テレビとテレビ大阪を除き、全てキー局の親会社にあたる新聞社名が入った社名となっている。
| 都市 | 国 | 提携年月日 |
|---|---|---|
| サンパウロ | 1969年10月27日 | |
| シカゴ | 1973年11月9日 | |
| 上海 | 1974年4月18日 | |
| メルボルン | 1978年4月24日 | |
| サンクトペテルブルク | 1979年8月16日 | |
| ミラノ | 1981年6月8日 | |
| ハンブルク | 1989年5月11日 | |
| グレーター・マンチェスター | 2025年9月5日 |
| 都市 | 国 | 提携年月日 | 解消年月日 |
|---|---|---|---|
| サンフランシスコ | 1957年10月7日 | 2018年10月2日 |
| 都市 | 国 | 提携年月日 |
|---|---|---|
| ブエノスアイレス | 1998年6月1日 | |
| ブダペスト | 1998年9月8日 | |
| 釜山 | 2008年5月21日 | |
| ドニプロ | 2022年7月15日 |
| 都市 | 国・地域 | 提携年月日 |
|---|---|---|
| 香港 | 1988年3月11日 | |
| シンガポール | 1989年2月1日 | |
| バンコク | 1989年6月16日 | |
| クアラルンプール | 1989年8月10日 | |
| マニラ | 1989年10月27日 | |
| ジャカルタ | 1990年4月13日 | |
| ソウル | 1992年9月4日 | |
| 上海 | 1995年7月5日 | |
| ホーチミン | 1997年5月27日 | |
| ムンバイ | 1998年5月12日 | |
| メルボルン | 1999年6月2日 | |
| 天津 | 2004年6月15日 | |
| オークランド | 2009年2月2日 | |
| ハンブルク | 2019年9月23日 |
| 港湾 | 国 | 提携年月日 |
|---|---|---|
| サンフランシスコ港 | 1967年10月26日 | |
| メルボルン港 | 1974年10月9日 | |
| ル・アーヴル港 | 1980年7月15日 | |
| バルパライソ港 | 1983年10月24日 | |
| 釜山港 | 1985年8月6日 | |
| サイゴン港 | 1994年11月25日 |
| 港湾 | 国 | 提携年月日 |
|---|---|---|
| 上海港 | 1981年10月30日 |
| 都市 | 国 | 県 | 提携年月日 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 飯山市 | 2016年9月25日 | 1974年12月6日に提携を結んだスポーツ交流スキー姉妹都市を拡充[82]。 |
施設名の後の「重要文化財」は国指定の重要文化財を示す。
ほか多数
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| 大東市 東大阪市 |
||||
| 大阪市 | ||||
| 堺市 松原市 | 八尾市 |
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 15:07 UTC 版)
「大同電力」の記事における「大阪市(付:大阪電灯からの事業買収)」の解説
1922年、大阪送電線が部分的に完成し京阪方面への送電が開始された。発足の経緯に記述した通り、前身会社のうち旧大阪送電は京阪電気鉄道・京都市・大阪市の3事業者、旧日本水力は大阪電灯と京都電灯の2事業者を供給先として確保していたが、このうち最初の供給先は大阪電灯と京阪電気鉄道の2つで、同年7月より大阪電灯へ7,000kW、京阪電気鉄道へ3,000kWの電力供給が始まった。京都電灯への供給は翌1923年(大正12年)3月に開始され、大阪市への供給も同年10月に始まったが、残る京都市への供給は実現していない。 初期の京阪方面における供給先のうち、大阪市営事業は1911年1月の開業である。この段階では、市営路面電車(大阪市電)の電源である市営火力発電所の余剰電力を活用した、市電沿線地域を対象とする電力供給事業であった。規模が限られたのは大阪電灯との間に締結していた報償契約に基づき同社に市内電灯供給の独占を認めていたことによる。一方の大阪電灯は1889年(明治22年)に開業した大阪最古の電力会社である。1919年末の段階では大阪市・堺市とその周辺にあたる西成・東成・中河内・南河内・泉北各郡の町村を電灯電力供給区域としていた。 大同電力との間の供給契約が先に成立したのは大阪電灯側で、当時の日本水力を相手に1919年11月締結された。大阪電灯の所要電力は原則日本水力がすべて供給するという内容の簡単な契約で、これを引き継いだ大同電力が上記の通り1922年7月より供給を始めた。このころ大阪市と大阪電灯の間では事業の市営化交渉が本格化していた。大阪市の事業構想では、市営化後の電源を大同電力に限らず複数社から購入する意向であったが、大同電力が大阪電灯との間で同社が事業を他へ譲渡する場合は大同との供給契約もあわせて引き継がせるという旨の覚書を交わし、さらに旧日本水力の山本条太郎ら会社首脳陣を市当局と交渉させた結果、市は当初方針を覆して大量の電力を大同電力から購入することになった。市・大阪電灯・大同電力協議の結果、1923年6月、大阪電灯から大同電力に継承されることを前提に、大阪市と大阪電灯の間に詳細な電力供給契約が締結された。契約の概要は以下の通り。 1923年10月より大阪電灯(=大同電力)は大阪市に対して最大2万kWの電力を供給する。その後供給を順次増加し最終的に1928年4月以降は定時・不定時計6万kWを供給する。ただし実際の供給は最大2割まで削減可。 1kWhあたりの料金は、定時電力分は2銭3厘、不定時分は2銭。 責任負荷率は70%。 契約期間は向こう15年間とする。 なお大同電力と大阪市の間には、1920年3月に旧大阪送電との間で成立した供給契約も存在していた。この契約も1923年9月に改定され、同年10月から5,000kWを供給しその後さらに5,000kWを増量する内容となり、料金などの条件は上記6万kWの契約と同様のものとなった。翌10月1日、大阪電灯の事業のうち大阪市内と西成・東成両郡における電灯供給と一般電力供給を大阪市が引き継ぎ、電灯市営化が実現する。そして契約に沿って大同電力から大阪市に対する電力供給が同時に開始された。実際の供給高は契約より2割減であり、契約上は最大2万5,000kWの供給高であったが実際には2万kWで供給を開始。以後供給高は順次増加して1928年(昭和3年)4月に5万kWとなり、同年12月以降は5万4,000kWとなった。 大阪市による電灯市営化と同時に、市営化の対象外となった大阪電灯の事業については一括して大同電力が引き取った。3か所の火力発電所(安治川東・春日出第一・春日出第二)を含む大同電力取得財産の評価額は2999万9961円と決定され、大同電力では1290万円分の自社株式と1290万円分の年利率7.5%自社社債、それに現金407万9961円にて決済した。このうち株式交付については、手続きの便宜上、大阪電灯が春日出第二発電所の財産(計1296万円)を分離出資して新会社「大阪電気株式会社」を新設し、この新会社を大同電力が吸収合併するという方針が採られている。大阪電灯からの残余事業買収に伴い、市営化範囲外であった電鉄会社3社(南海鉄道・阪神電気鉄道・大阪電気軌道)への電力供給も大同電力に切り替えられている。
※この「大阪市(付:大阪電灯からの事業買収)」の解説は、「大同電力」の解説の一部です。
「大阪市(付:大阪電灯からの事業買収)」を含む「大同電力」の記事については、「大同電力」の概要を参照ください。
出典: Wiktionary