2010年に刊行された『憚りながら』は20万部超のベストセラーに(宝島社文庫)

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 六代目山口組の元直参組長で、後藤組創設者であった後藤忠政氏が2月8日に亡くなったことがわかった。83歳だった。

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 後藤氏は静岡県富士宮市出身。愚連隊を経て30歳で山口組系組織に加入し、「後藤組」を創設。「武闘派」として知られ、勢力を拡大し、1984年に四代目山口組で直参に昇格した。五代目・渡辺芳則組長時代には、若頭補佐と"執行部(若頭、若頭補佐らで構成され、組織運営の中枢を担う)"入りを果たしている。

 後藤氏が一般社会に名を知られるようになったきっかけは2度ある。

 後藤氏が山口組直参組長だった2008年10月、複数の演歌歌手が後藤氏の誕生日を祝うゴルフコンペに出席したことが報じられ、その年のNHK紅白歌合戦への出場辞退に追い込まれた。この報道は山口組内部でも大きな影響を与える。実話誌記者が語る。

「当時の山口組は神戸市にある総本部で月1の定例会を開いていたのですが、後藤組長はたびたび欠席をしていたようで、執行部は報道を問題視。"芸能人とゴルフをして世間に迷惑をかけた"ことというよりも、"定例会には来ないのにゴルフはやれるのか"というところが怒りを買ったようです。

 執行部は後藤組長に説明を求めましたが、後藤組長は拒否。15日間に及んで緊張状態が続き、一部関係者の間では"後藤組長が離脱して抗争を起こすのではないか"と言われたほどでした」

得度、ベストセラー作家、「伯爵」と多才な活動 晩年は…

 後藤組長は六代目山口組から除籍処分となり、後藤氏は引退し組織も解散。この執行部の処分に抗議する直参組長13人の連判状が出回ったが、後藤氏は復帰せず。天台宗系の寺院で得度し、私費を投じて袴田事件をテーマにした映画を制作するなどメディアにも取り上げられ、再び大きな話題を呼んだのが2010年5月。自らの半生を描いた自著『憚りながら』(宝島社)を上梓し、ベストセラーとなった。

「著書では前出のゴルフコンペ騒動にも言及。後藤組長は"力こそ命"という時代に育った自分が今の時代のヤクザに合わないと感じており、"ゴルフコンペはきっかけにすぎず、潮時だった"などと振り返っています。

 さらに地元・富士宮での創価学会との攻防や、政財界、芸能界との繋がりを隠すことなく明かしたことで話題を呼びました」(同前)

 その後、後藤氏はカンボジアに移住し、養鶏場経営などの事業や学校建設などのボランティア活動に従事。カンボジア国籍も取得し、「伯爵」に相当する称号を与えられるなど"伝説のヤクザ"とも呼ばれることがあった。

 2016年に手術で帰国し、近年も「付き合いのある右翼団体のイベントなどに出席していた」(後藤氏を知る人物)と精力的に活動していたようだ。

 後藤氏は入院先の都内の病院で病死したと見られる。静岡県警は、後藤氏の葬儀が開かれ、暴力団関係者が集まるとみて警戒を強めている。