冷夏の執念、最後まで将棋へ情熱 加藤一二三・九段を悼む 通算109戦した中原誠十六世名人

 1月22日、将棋の加藤一二三・九段が86歳で死去した。国民に愛された「ひふみん」は、どんな棋士だったのか。数々の名勝負を戦った中原誠十六世名人(78)に聞いた。

     ◇

 10歳の私が奨励会(棋士養成機関)に入った1958年は、加藤さんが18歳でA級八段になった年でした。「神武以来の天才」と随分と騒がれましたよね。自分も加藤さんのようになりたい、と思って修業時代を始めました。

 奨励会員時代に7度、加藤さんの記録係を務めました。結果は全勝。加藤さんは一度も負けなかった。62年、升田幸三先生(実力制第四代名人)との対局の記録も取ったことも良い思い出です。

 今でも覚えているのは、盤上はもちろんですけど、加藤さんの奇麗な身なりです。着手する時、紺色のスーツの袖からカフスボタンをのぞかせるんです。いつもダブルカフスのワイシャツを着ていた。当時の棋士で、そんな奇麗な格好をしていたのは加藤さんくらいでしたから。

 一分将棋になった後で「あと何分?」と何度も記録係に聞いてくる、とよく言われますけど、当時はまだなかった。していたのは空咳(からぜき)です。終盤戦になると、ゴホゴホッとさせながら集中していく。あの姿が私にとっての加藤さんです。

 65年に四段(棋士)になった私は、その後公式戦で加藤さんと指すことになります。76年まで20連勝した時期もありました。名人になることができた年の翌73年、挑戦者に加藤先生を迎えましたが、4連勝で私が初防衛しました。当時の加藤さんは石橋をたたいても渡らないような慎重な将棋で、正直怖さはなかった。もう、どうやったって勝てるような感覚で秒読みの戦いでも負ける気はしなかった。加藤さんの視線はずっと大先輩の大山康晴先生(十五世名人)に向いていて、私は視界に入っていなかったのかもしれません。意識の差はあったようにも思います。

 でも、30代後半から40代前半にかけて加藤さんは急に積極性を持つようになった。今となっては分かりませんが、そこには何かがあったのだと思います。それからは勝ったり負けたり(通算109戦で加藤41勝、中原67勝、1持将棋)で王将、十段、名人を奪われた。私を認めてくれたのかもしれません。

 やはり82年の名人戦については今でも言われることが多いです。私は10連覇を、加藤さんは42歳で初めての名人位を目指すための戦いでした。2局の千日手を含めて10局指した激戦で、第1局から223手で持将棋(引き分け)に持ち込んだ加藤さんに執念を感じました。名人になろうと強く思ったのだと思います。

 最終第8局は2日目の夕食休憩までは私が指せている(優位に立っている)と思いましたけど、4月から長く続いた戦いの疲労が蓄積していて最後に力負けしました。

 名人戦が夏まで続くのはほぼないことです。暑いのは苦手なように見えた加藤さんですけど、82年はものすごい冷夏で、最後まで加藤さんは執念を持って戦っていた。敗れたことは今でも残念です。

 私は病気もあって61歳で現役を退きましたけど、加藤さんは77歳まで指し続けた。

 素晴らしい人生だったと思います。情熱が変わることはなかった。加藤さんは将棋が大好きな人だったと思います。(構成・北野新太)

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