『摂津国』
(せっつのくに)
現在の大阪府北西部と兵庫県南東部。
畿内の一国。上国。
『古事記』『日本書紀』には,
「津国」とある。
国名は
難波津 (なにわつ) ,
武庫津 (むこつ。務古津とも)
などの良港があったことに由来する。
聖武天皇の造営に成る『難波京』は
現在の大阪市中央区で,近時の発掘によるとここに天武天皇の『難波宮』,
孝徳天皇の『長柄豊碕宮』
(ながらのとよさきのみや) もあったらしい。
摂津には外国使節の迎賓館があったため,
律令制下,特に摂津職がおかれ職員として大夫,亮以下があり京官と等しく扱われた。
『国府』は大阪市中央区におかれ,
「国分寺」は
大阪市天王寺区におかれたとする説と
北区の2説がある。
『延喜式』には,
住吉,百済,東生,西成,嶋上,嶋下,
豊嶋,河辺,武庫,有馬,菟原,八部,
能勢の 13郡があり,
『和名抄』には郷 78,田1万 2525町を載せている。
平安時代中期には
『摂津国司』であった源満仲が川辺郡多田に居を構え,のちに清和源氏の根拠地となった。
平清盛が大輪田泊 (神戸) に港を経営し,
さらに『福原』に遷都したこともあった。
鎌倉時代には北条氏が,
室町時代には細川氏が守護となった。
室町時代末期には交通の要地となるとともに,石山本願寺の門前町として大坂が興り,
豊臣秀吉が大坂城を築いてのちは商業の中心地として繁栄した。
江戸時代には大坂城代がおかれ天領が多かったが,その他,尼崎,高槻,三田,麻田の4藩がおかれた。
明治4 (1871) 年廃藩置県により
4藩はそれぞれ県となり,
さらに高槻,麻田の2県は大阪府に,
尼崎,三田の2県は兵庫県となった。
古代の『摂津国』は
大阪府北中部の大半と兵庫県南東部が含まれる地域でした。
当時の『摂津国』は、
“瀬戸内海航路の起点”で、
淀川・大和川水系との結節点でもある
『難波津』があり、
『津国』(つのくに)と呼ばれていたそうです。
摂津はちょっと変わった国で、
他の日本の地名は河内、和泉、山城など
地形や、植物など自然物にちなむ名が多いのに。。。
この国の名の
『摂』は「治める」。。
『津』は「港」。。直訳すれば、
「港湾局」という意味になるそうです。
そしてその中心であった『難波宮』周辺
の境界線は直線で、まるでアメリカやオーストラリアの州の境界線のようだそうです。
当時の日本国内で同じような直線的境界線をさがせば、京と太宰府が該当するのですが、この3者に共通するのは、
“伝統的でない”こと。。。
つまり“時代に必要とされる機能”をもち、
国が大規模工事をおこなって
“強引につくった施設”だったということです。
言いかえれば、『摂津国』は
古代より人による整備・開発が特に進んだ施設を有する施設があった国だったということです。
さてその理由ですが、
それは『攝津』が、当時の国際海上交易のターミナルであり、その繁栄ぶりは
弥生ー古墳ー飛鳥・奈良時代へと右肩上がり状態にあり、
しかも人口の多い(都に近い)難波へと集中していったからであろう、
経済人類学では
摂津国のような国際港の特異性は、
1.港の区域は政治や生活の場所から孤立した状態におかれる。
2.複数の言語がはなされ、
3.異なる国の人や物品がい入り乱れている、物品税をかけない。
と指摘していることも併せて紹介しています。
国際交易は文化や財のとりこみ口であるという利点を持つ一方、軍事的侵略や伝染病の蔓延などの危険性をはらむ。
であれば、都と国際港の距離の問題はひじょうに興味深い。
難波は『宮』として『応神紀』にはじめてあらわれ、仁徳、継体、孝徳、天武紀にも書かれている。
その間、『宮』は飛鳥や近江にもおかれていた。
もし、「宮」が天皇の住む、政治の中心地であるとすれば、外国との接触が利となる時、
脅威となる時の宮のあり方は、『白村江』の敗戦のあと港から最も遠い近江に遷都されたように、国際情勢(安定と不安定)を如実に反映していると考えられる。と。
【摂津国の九頭龍伝説】
九頭龍伝説は日本に幾つか伝わっていますが、今回ご紹介するのは、摂津国川辺郡
(もしくは河辺郡)
多田(現在の川西市多田)に伝わる出説です。
『九頭龍伝説』
千年余り前、清和天皇の流れをくみ、
『源』の姓を許され“源満仲”は、
有る時大阪・住吉神社に願を掛け
「矢を空に向けて射てみよ。
そのとどまる所を住まいとすべし」
とお告げを受けました。
満仲が白羽のかぶら矢を放つと、
空高く五月山を越え、深山に囲まれた湖へ落ちました。
湖には、九つの首を持つ龍が住み、
里に下りては作物を奪うなど村人を苦しめていました。
矢は龍の目に命中。
満仲が次々と龍を切ると、龍は苦しみに暴れ、山を突き破り、湖水が流れ出ました。
やがて水が引くと、
多くの田畑が現れました。
満仲は、この地に居城を築き、
『多田源氏』を名乗り、摂津国に
藤原北家の摂関政治の確立に協力して中央における武門としての地位を築き、摂津国川辺郡多田の地に武士団を形成したました。
また、満仲が矢の場所を問いながら訪ね来たことが『矢問』(やとう)の地名の由来になりました。
現在の東多田地区の住宅街の外れにある、ヒノキやスギに囲まれた『九頭大明神』には、
龍の首が祭られ、目や鼻、口、耳など、
首から上の病気に御利益があると伝えられているそうです。
『摂津国風土記・逸文』より
『住吉』は住み良し所
『摂津国風土記逸文・住吉』の条に、
『摂津国の風土記』に曰く、
住吉と稱ふ所以は、
昔、息長足比賣の御世、住吉の大神現れ出でまして、天の下を巡り行き、住むべき國を?ぎたまひて、時に沼名ぬな椋くらの長岡の前さきに到り、述べられた。
「こは実に住み良き國也」遂に褒め称えて
「真に住み良し、住吉國なり」と述べられ、
社を建てられ、今の人々これを略して
須美乃叡すみのえと稱いう』
難波津。。
難波宮。。
『住吉』は住み良し所。。
『須美乃叡』。。
天秤座の満月。。


3月 31日。。21時 38分

ブルームーン (3月 二度目の満月
)
【ボイドタイム】
3月30日 13:58 ~ 3月31日 2:51
『春分の日』を過ぎての
。。。
“最初の満月 ”
。。
の
…次の『日曜日』は
。。。
明日
。。

ということは~
。。

明日が
…
『イースター』。。

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Re:勉強になりました
『摂津國』。。
『津の國』。。
港
『宮』の位置。。
(より安全な場所へ。。安全な場所へ
ありがとうございます♪
加賀の国
いろんな美味しいもの☆ミ
いつも楽しく拝見してます
。。(≡* ´ ▽ ` *)ノ♪
黒猫ネロ
2018-03-31 17:04:59
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