絶滅した「お花畑」の住人たちへ贈る追悼歌
かつて、この国の「政治」という名の森には、
旧リベラルという不思議な種族が群生していた。
彼らの主食は「平和」という耳あたりの良い言葉。
敵を見つければ「対話」という呪文を唱え、
それでも通じなければ「憲法」という盾に隠れる。
それが彼らの生存戦略だった。
しかし、令和という荒波は、
彼らにとってあまりにも塩分濃度が高すぎたらしい。
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1.守護霊としての「九条」
彼らにとって憲法九条は、法典というよりお守りだった。
近隣諸国が牙を研ぎ、ミサイルを並べ、領海を侵犯しても、
「こちらが何もしなければ、あちらも何もしない」と信じる。
その純粋さは、サンタクロースを待つ子どもに近い。
だが現実は残酷だ。
サンタは来ない。
来るのはドローンのほうだ。
このギャップの大きさこそが、
彼らを絶滅危惧種へ追い込んだ。
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2.批判という名のブーメラン職人
彼らの特技は、自分たちの正義を磨くことより、
相手の失言を重箱の隅まで突くことだった。
しかしその突く棒が、いつしか自分たちの後頭部に刺さっている。
そのことに最後まで気づかなかったのは、
もはや喜劇としか言いようがない。
「反対のための反対」という芸風は、
スピードを求める現代社会では、
読み込みの遅い古いブラウザのようなものだ。
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3.さらば、心地よい空想
そして彼らは今、
「退場」という名の長い休暇に入った。
安全保障を語る場で、
理想論という名の思考停止に付き合わずに済む。
それはたしかに一種の清涼感だ。
もちろん、彼らがいたから見えていた景色もあっただろう。
だが家が燃えているときに、
「火の用心と唱えれば火は消える」と説く住人は、
やはり避難の妨げにしかならない。
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結び:新しい時代のリアリズム
旧リベラルが去った焼け跡には、いま、
冷徹で現実的な議論の種が芽吹き始めている。
握りしめていたお守りを手放し、
自分の手で装備を点検し、
自分の足で境界線を守る。
そんな時代を、私たちは選び始めた。
彼らの滅亡を祝う酒の肴は、皮肉にも、
彼らが唱え続けた「平和」ではない。
私たちがこれから自力で掴み取る、
「安全」という名の現実である。