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Conversation

アカデミアからの反応が多いので、この際に何が問題なのかも明文化しておきましょう。 まず「世襲」とは何かを正しく知るところから始める必要があります。世襲の語源は紀元前の中国にまで遡り、その意味は身分や地位を父から子に次ぐこと、あるいはその身分制度そのものです。この意味が日本にも輸入され、貴族社会における官位継承を指す言葉となりました。同様に親から子に襲名する芸能分野等にもこの言葉が援用されるようになります。親から子に直接指名・継承するという点が肝です。『国宝』の世界ですね。 では「世襲議員」とはどういう意味でしょうか。言うまでもなく日本は貴族制ではなく民主制であるため、議員の地位父から子に継がせることができません。原義の世襲ではないのに世襲議員という言葉を使っているのは、「親の強力なサポートによって子が親と同じ議員の職に就けている」という構造の類似性を抽出して、揶揄・悪口の類として使っているにすぎない、というところをまず認識する必要があります。従って世襲議員の厳密な定義は存在せず、国会議員の〇割が世襲議員という分析がある場合も単に親子が議員であればそうカウントしているだけです。 ここで「アカデミアでも大学教員の親が博士号持ちの割合は一般の25倍」という話を出したら、次々に「地盤・看板・鞄を継げる政治家とは違う、アカデミアは実力主義だ」というコメントが付きました。この論法には2つの問題があります。まず、「世襲議員」は「世襲ではない人に対して一部の構造の類似を抽出して悪口として言っている」だけなのですから、アカデミアも世襲と言えるかどうかもその「構造が類似しているか」を問わねばなりません。表層的な名詞ではなく構造の類似を問うことは学問の基本です。 ここでの構造とは何か?「親の強力なサポートによって、その職に就くための必要条件を子が具備し、結果的に子が親と同じ職に就けている」ことです。世襲ではないけれども、その職に就くために必要な支援をしている。政治家の場合は地盤(後援会)、看板(知名度)、鞄(資金力)が選挙で選ばれるために有利な要素だからこれが使われているのです。単に「有利」なだけで直接当選させられるわけではありません。まさに今回2026年の選挙でも(逆に自民党が大敗した2009年の選挙でも)「まさかあの人が」という地元の議員が落ちるということが多く見られました。有権者はどれだけ地盤や知名度やカネがある候補者でも秘密選挙の中では自分が信任する人に投票することができるのですから当然の現象です。議員になるためには有権者の信任を得るということが条件であり「実力」だからです。 ではアカデミアではどうでしょうか。博士号を取ったり大学教員になったりするために親が博士号を持っていたり大学教員であったりすることは有利に働かないのでしょうか?そんなわけがありません。その職に就くための支援の方法が異なるだけで大いに有利です。「構造の類似」です。幼少期の教育にはじまりTA・RAの紹介や研究室の情報に至るまで、親がアカデミアであることによって「実力」をつけやすくなり、進路の選択肢も増えます(そもそも親にアカデミアへ誘導されること自体が地獄へのレールだという話はここでは一旦置いておきます。政界だって行きたい人は少ない魔界だから立候補者が少ないのですし)。 これは古今東西同じであり、そしてそもそも私は親が支援して子が学者になることを全く悪いと思っていません。例を2つ出しましょう。ノーベル賞を取ったマリー・キュリーは、その人脈と資金を活用して小さなコミュニティを作り、そこに知人の高名な学者たちを招いて、娘のイレーヌに10歳から英才教育を施しました。世界一級の学者たちによる家庭教師です。やがてイレーヌを実験の助手としても使うことになるので、イレーヌは早い段階で“実績”を積むこともできました。後にイレーヌ自身もノーベル賞を“実力で”取ることになるわけですが、幼い頃からのこの学者内のコミュニティでの英才教育が関係なかったかというとそんなわけはないでしょう。他の人がアクセスできなかったコミュニティと助手ポストであり、いわばアカデミアにおける「後援会・知名度・資金(ノーベル賞資金)」が学問のために活用された例です。素晴らしいじゃないですか。 日本では同じくノーベル賞学者の湯川秀樹が有名です。湯川家では幼いころから家に京都大学の教授陣が日常的に出入りしていて、湯川家の子供たちとも議論していました。後に湯川家の3兄弟は全員が学者になるわけですが、幼いころからのこの学者コミュニティによる「家庭教育」は当然大きな資産になっていたでしょう。SAPIXの重課金どころではなく、1時間講演してもらうだけでも結構なお金が必要であろう教授陣と何時間もタダで議論できる場というのは、現金の授受がないだけで、他の家庭がアクセスしようと思ったら巨額のお金が必要な(いやお金があっても難しいような)コミュニティなのです。政治家は資金を節税して子孫に受け継がせている点を以て「世襲議員とは違う」と言う人も多かったのですが、こういう「他の人がアクセスしようと思ったらお金が必要な資産」を無税で引き継げているのです。 ノーベル賞学者の例は極端であれども(そうでないと公開情報がないだけで)大なり小なりこういう効果はあります。子と共同研究をして共著者になっている論文とかありますしね。もちろんフェアなプロセスでその論文がアクセプトされたのですからそれも“実力”です。同時に政治家の資金力といってもグラデーションがあり、親に大した看板も資金力もない政治家もいるでしょう。「確かにうちの親は学者だけど大したものを受け継いでいない」というコメントも相次ぎましたが、それは受け継いだものに無自覚か、あるいは貧乏政治家のように本当に少ない承継資産で頑張った例なのだと思います。 2つ目の問題として、世襲議員との類似性を指摘されたとき、論理的に考えれば 1) 議員も博士も類似性があり、どちらも悪くない 2) 議員も博士も類似性があり、どちらも悪い 3) 議員と博士には類似性がない の3通りの反応があり得るにもかかわらず、1)の方向で考える人がおらず、3)の形でしか反応できないということも指摘せなばなりません。私は元のポストで「世襲議員が総理大臣だから国家がファミリービジネスである」と言っているnoteを批判しており、然らば私は「世襲議員が悪い」と思っているわけではない可能性も考えてほしかったところです。これを思いつかないのは、「世襲議員は悪いにきまっている」という強固な信念を疑えなかった人が多いからと考えられ、だからこそ「世襲議員は悪いが、親が学者の自分は悪くない」という形でしか弁護できなかったのでしょう。 どちらも悪くない、と言うのが簡単なのにそれが言えないのは、自分が親から受け継いできた有形無形の「学者になるための有利な条件」が存在しなかったと思い込みたい・周りにもそうアピールしたいという心理が働いているのでしょう。まさに世襲議員への風当たりを見てもわかるように、「親のおかげで今の地位に就けたんだろ」と言われることにメリットなどありません。なるべく親からの支援は透明化させた方が得策です。だからこそ、政治家の資金のように、周りには「私は親から何も受け継いでいません、自分で頑張りました」という体を取るインセンティブが働きます。 では採用の現場ではどうでしょうか。「教員採用も実力で採っているんだ」というコメントも相次ぎましたが、実力「だけ」で採用されていると思っているのはアカデミアの採用の現場を知らない人でしょう。自分の大学の学風に合ってるかとか、家族の理解があるかとか、場合によっては教員の宗教・宗派まで確認されたりします(ミッション系の大学など)。でなければ「アカデミック・インブリーディング」などという問題は起こっていません。人はどんな組織でもどうしても“身内”を採用したがる。実力で採った?そうですよ、でもみんな優秀なわけです。ペーパーテストじゃないので実力が定量化されておらず、採用のボーダーになる人は多数おり、最終的に“総合的判断の実力”で採用されている。その結果として、場合によってはリンク先にあるようなあからさまな「親が子を採用する」事例だって中には出てくるわけです。 アカデミアに権力構造が存在しないならアカハラなんて問題は起こりません。自分には何の権力もないなどと思っている教授・准教授などがいたらアカハラに加担しているか、あるいは加害者本人でしょう。誰かを評価したり採用したりするプロセスに関与できるなら、そしてそれが匿名でなく顕名で行われるならばそこに“総合的判断”が介入してしまう余地があります。 そして翻って、政治家が議員になるための選挙でこういう問題は起こりません。起こったら重大な公職選挙法違反です。いくら高名な政治家が「息子をよろしく」と言って回っても、内心でボンクラ息子のことを良く思っていなければ選挙の場でその人に投票しないことが可能です。これこそが秘密選挙の大いなる意義であり、インターネット選挙への高いハードルでもあります(高名な先生に「息子をよろしく、今そのスマホで投票してよ」と言われてしまうと逆らえない)。いくら地盤・看板・鞄があっても最後は有権者の秘密投票による胸先三寸であるという点で、アカデミアにおける教員採用よりも透明性は高いのです。この点で、「世襲議員はダメでアカデミアはクリーン」と強弁することは難しい。 アカデミアに巣食う、その自らの無謬性への過信と傲慢は学問の府として不適切であり、今回の反応を見てもその悪いところが露呈しています。「政界において親が議員であることで有利な条件は、アカデミアにおいては構造的に何に相当するだろうか、それは親子で継承されていないだろうか」「アカデミアにおける教員採用の透明性は選挙と比べて高いだろうか低いだろうか、権力の介入はどちらがより大きいだろうか」と顧みられて然るべきだったでしょう。 「医者だって弁護士だって世襲じゃないか」というコメントも複数ありました。その通りだと思います。そしてそれが問題だとも思いません。そんなものですし、採用プロセスが公正である限りにおいて問題はないでしょう。プロセスが問題ならそちらを問題にすべきであって親子で同じ職に就いていることや親から支援を受けていることを論うべきではありません。政治家も学者も医者も弁護士も、親から受け継げるものは受け継いで、優秀な人を育ててもらえればよいのです。 x.com/paddy_joy/stat