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Conversation

アーティストという立場でいたい人たちの一部が、なぜ左傾化していくのか。 その気持ちは、正直よく分かる。 頑張っている。 作っている。 魂を削っている。 でも、売れない。 この「努力しているのに報われない」という地帯は、人間の心にとってかなり危険だ。 ここは、ルサンチマンの培養器として性能が高すぎる。 ⸻ 本来なら、売れない理由を分析し、 作品を磨き、 届け方を変え、 地味に改善するしかない。 でもそれは遅い。痛い。しんどい。 だから、もっと即効性のある救済に手が伸びる。 「悪いのは自分の作品じゃない」 「悪いのは権力だ」 「悪いのは資本家だ」 「悪いのはこの社会構造だ」 この物語を採用した瞬間、 敗北感は“闘争の正義”に変換される。 ここでルサンチマンは、 ただの鬱屈ではなく、 “高潔な怒り”のコスプレを始める。 ⸻ 共産主義思想が刺さる瞬間というのは、 理論より先に、心理が救済される瞬間だと思う。 俺は権力と戦っているんだ。 俺は資本主義に抗っているんだ。 そう思えるだけで、 折れかけたプライドが立ち上がる。 承認欲求とも、非常に相性がいい。 売上や再生数では勝てなくても、 「正しい側にいる自分」にはなれるからだ。 こうして気づけば、 制作より告発、 鍛錬より断罪、 作品より態度、 という順番に入れ替わっていく。 ⸻ その先で出来上がるのは、 革命家というより、 だいたいルサンチマンの常用者である。 たいした努力もクリエイティブもしないまま、 高慢で冷笑的な気分だけは手に入る。 「自分は頭が良い」という幻想まで手に入れてしまう。 本人にとっては快感だ。 周囲から見れば、ただ劣化した、鼻持ちならないやつである。 ⸻ ルサンチマンを抱くのは、人間として自然だ。 でも、そこに住み始めたら終わる。 宿にせず、燃料にする。 怒りは、作品に使う。 それができる人だけが、 最後にちゃんと“アーティスト”として残るのだろう。