衆院選で中道改革連合は、新党結成時の172議席を49議席と3分の1以下に減らす惨敗となった。衆院解散直前に、立憲民主党と公明党が合流してできた中道だが、内訳を見れば壊滅的な敗北となった立憲民主と、むしろ議席数を伸ばした公明と、党内で負け組・勝ち組がはっきり分かれている。
新党結成時、衆院で中道が持っていた172議席のうち、立憲民主は148議席、公明は24議席だった。衆院選に立憲民主の出身候補は145人が立ったが、そのうち当選はわずか21人。一方の公明は比例区に絞って候補を擁立し名簿上位を占めた結果、候補28人を全員当選させ、公示前の勢力を上回った。
開票翌日の2月9日に中道の野田佳彦、斉藤鉄夫両共同代表が記者会見。「お通夜」のような暗い雰囲気だったが、2人の発言のニュアンスには大きな違いがあった。
立憲民主の代表だった野田氏は、多くの議員を失ったことについて「万死に値する」と苦し気に言い、
「私どものチャレンジは、意義はあったが結果は大敗。痛恨の極みである。責任をとるのは当然」
と共同代表の辞任を示唆。中道を続けるかと問われると、
「これから方向性を確認する」
と言うばかりだった。
一方、公明代表だった斉藤氏はやはり「責任をとる」と辞意を示しながらも明るい表情で、
「短期決戦の中で、比例では1043万という票をいただいた。大突風が吹いた自民党の半分です。ある意味、日本政治の中に中道という大きな固まりを作ることに大きな期待がある表れではないか」
と新党の成果を強調。
「(中道という)試みを失敗させてはいけない。そのためにはこの新しい党が大きく育つようにサポートしていかなくてはならない」
と中道を継続していくことを明言した。
選挙に負けたことがなかった大物も落選
新党設立時には、自民党との連立を離脱した公明党の組織票を立憲民主に上乗せできれば、中道は議席を伸ばすこともあるとみられていた。だが、ふたを開ければ、当選19回の小沢一郎氏を筆頭に、党の代表も務めた枝野幸男氏、役職を歴任した岡田克也氏、幹事長だった安住淳氏など立憲民主出身の大物が次々と落選した。
岡田氏は中選挙区時代の1990年から三重県の地盤で12回連続当選していたが、政治家となって初めて落選する事態になった。岡田氏の支援者はこう話す。
「これまで自民党にまわっていた公明党の票が中道にくれば、1プラス1は2以上の効果を生むはずと思っていたら、まったくの逆だった。なぜ選挙直前に新党になったのかと不信感を生んだ。中道は安全保障や外交など重要な政策は選挙後にという行き当たりばったりで、要するに選挙目当てで新党をやったんじゃないかといわれた。旧民主党時代からの支持者からは冷たい視線にさらされ、最後まで払拭できなかった」


















