チームみらい支持者がチームみらいを批判します
私はチームみらいの支持者です。今回の衆議院選挙も比例に「みらい」と書きました(なお、小選挙区はチームみらいの候補者がいなかったため、国民民主党の候補者に投票しました)。安野貴博氏が掲げる「データとテクノロジーで政治をアップデートする」という方針には共感していますし、参院選での1議席から衆院選での11議席への成長を見て、現在この党に投票する価値を感じています。
だからこそ、この党が抱える構造的な限界について、今のうちに書いておきたいと思います。これはチームみらいへの攻撃ではなく、支持者として、この党の設計思想を肯定した上で、その射程と限界を直視し、乗り越えてほしいという希望を込めた文章です。
チームみらいとは何か
チームみらいを理解する上で最も重要なのは、この党が左右のイデオロギーを意図的に持たないという点です。安野氏自身が「右でも左でもなく『未来』」と繰り返し語っており、選択的夫婦別姓や同性婚のような価値観に関わるテーマでは党議拘束をかけず個々の議員に委ね、党として統一して取り組むのはデータや技術で合理的に解決できる領域に限定する。この設計によって、チームみらいはどの党とも政策単位で協調できるポジションを確保しています。
協調の武器は「合理性」です。社会保険料の負担軽減、医療費自己負担の一律3割化(高齢者には資産申告ベースによる減免措置)、高額療養費制度の上限引き上げへの反対。これらは右からは「負担の適正化」、左からは「セーフティネットの維持」として受け入れられる設計になっていて、反論するにはデータの土俵に乗るしかない。そしてデータの土俵はチームみらいのホームグラウンドです。他党協調とは「敵を作らない」という消極策ではなく、議論の土俵を自分たちに有利な場所に設定する積極的な戦略なのです。
さらには確実に実行できる政策から実行します。
そしてこの戦略は、議席数が少なくても成果を生みます。参院で安野氏1人の時期に、政治資金可視化ツール「まる見え政治資金」、国会可視化ツール「みらい議会」、永田町エンジニアチームの組織化、超党派AI勉強会の開催。これらはすべて立法の多数決に依存しない領域での実績であり、イデオロギーが無いからこそどの党にも「このツール使いませんか」と差し出せた。非常に優れた設計です。
しかし、この設計には構造的な限界があります。そしてその限界は、チームみらいが「イデオロギーを持たない」と自認していること自体に起因しています。
未来と合理性にある二重に埋め込まれたイデオロギー(※)
チームみらいは左右のイデオロギーを持たないと言います。しかし、この党にはイデオロギーがあります。それも二重に。
一つは「未来」という時間軸のイデオロギーです。これは安野氏も明言しているものです。「未来は明るいと信じられる国へ」というスローガン。マニフェスト三本柱の筆頭に置かれた「未来に向けた成長投資」。そして党名自体が「みらい」。この党には「未来に向かって進むことは正しい」という強い信念が埋め込まれています。
もう一つは「合理性」というテクノクラシーのイデオロギーです。「正しい答えはデータと専門知識が知っている」という前提のもと、政策を感情や価値観ではなく合理性で組み立てる。これは十分に一つの政治的立場です。
重要なのは、この二つが別々に存在しているのではなく、党のあらゆる層に同時に埋め込まれているという点です。党名が「みらい」であり、スローガンが「未来は明るいと信じられる国へ」であり、マニフェストの柱が「未来への成長投資」であり、政策の説得方法が「こちらの方が合理的でしょう?」である。時間軸のイデオロギーとテクノクラシーの要素を持つイデオロギーが、党名、スローガン、マニフェスト構造、政策の語り口の全階層に浸透しており、しかもチームみらい自身はこの2つをあわせてイデオロギーだとは認識していない。「未来」の方向性は安野氏も自覚的に語っているが、「合理性」が一つの政治的立場であるという認識は希薄です。「我々はイデオロギーではなくデータとテクノロジーで語っている」——その「データとテクノロジーで語る」こと自体が立場であるという自覚が薄い。
この無自覚が一つの問題の根源です。
左右のイデオロギーなら対等に対立できます。右には右の正義があり、左には左の正義がある。「どちらの価値観を取るか」という対等な意見の相違として共存できる。しかし「未来」と「合理性」の組み合わせは対等な対立を許しません。「未来」に反対する人は「過去にしがみついている人」に見え、「合理性」に反対する人は「非合理な人」に見える。誰も「私は過去の側で、非合理です」とは名乗れない。だからこの二重のイデオロギーに反論する足場が存在しないのです。それを名乗った時点で「劣っている」と自己認識してしまうからです。
チームみらいが言う「未来」の中身を見れば、この構造はさらに鮮明になります。AI産業の成長、デジタル化された行政、テクノロジーによる社会課題の解決、子育て世代への集中投資。この「未来」に自分を重ねられる人は、都市部に住み、高所得で、高学歴で、子育て中で、デジタルネイティブで、テック産業やその周辺にいる人です。もちろんそれ以外の支持者もいますが、「未来への合理性」という言語が自然に刺さるポジションはそこに収束していく。今回の衆院選の結果がそれを数字で示しています。地方で農業を営む70代にも「未来」はありますが、それはチームみらいのマニフェストに描かれた「未来」とは違うものです。未来といえどもそれぞれ違う未来を見ているのです。
支持層が特定の属性に固定化されること自体が、分断の始まりです。
※ ここでいうイデオロギーとは、左右の政治信条ではなく、合理性や未来という枠組み自体が無自覚な前提として判断を方向づけている状態のことをいいます
「対立を煽らない」が対立を深める逆説
この二重のイデオロギーに、チームみらいの党是である「対立をあおらない」が加わると、分断は自動的に深まる自己強化ループが生まれます。
チームみらいの政策によって不利益を被る人が「これは困る」と声を上げたとします。それに対してチームみらいは「我々は対立を煽っていません、未来のために、データに基づいた合理的な提案をしているだけです」と明言せずとも即応できてしまう。批判する側からすれば、自分たちの生活実感や不安が「合理性」で切り返され、「未来」の名のもとに退けられることは、「非合理で過去にしがみつく人間」として片づけられるのと同じです。これは当事者からみて卑怯に映ります。
そして批判者がこの構造に怒りを表明すると、「あちら側こそ対立を煽っている」という構図が出来上がる。チームみらいは常に「対立を煽らず、未来に向けて合理的に提案する側」に立ち、批判者は「対立を煽り、過去にしがみつく非合理な側」に押しやられる。これが繰り返されるたびに批判者の敵意は深まり、支持層の固定化はさらに強まり、分断はますます深くなっていく。
チームみらいが善意で「対立を煽らない」を貫けば貫くほど、この悪循環は加速します。そしてこのループには誰の悪意も介在していません。チームみらいは本気で合理的な提案をしているし、本気で対立を煽らないと信じている。支持者は純粋に政策に共感している。全員が善意で動いた結果として、分断が自動的に深まる。「対立を煽らない」という党是が、結果的に最も深い対立を生むという逆説です。
声を拾う仕組みの外側にある壁、陰謀論が生まれる構造
チームみらいはAIを活用して「見えない声を拾う」ことを掲げています。デジタル目安箱、AIあんの、声が届くマニフェストの提案システム。しかし「声を届けられない人」の問題は、一般に想定されているよりもはるかに根深い構造を持っています。
最もわかりやすいのは、テクノロジーにアクセスできない人の排除です。スマホやPCを持たない、あるいは使いこなせない高齢者やデジタルデバイドの当事者。チームみらいの政策で最も影響を受ける層が、声を届ける手段を持たない。その沈黙が「反対意見がなかった」というデータとして処理される危険があります。
しかし問題はそこにとどまりません。テクノロジーを使える人であっても、SNSのアルゴリズムによって情報が届かない層がいます。声を拾う仕組みにアクセスするには、まず「チームみらいがそういう仕組みを持っている」という情報に到達しなければならない。ところがアルゴリズムはその人がすでに関心を持っているものを優先的に表示するため、チームみらいに関心がない人にはチームみらいの存在自体が表示されません。今回の衆院選で名古屋市議のくにまさ直記氏が「現場ではチームみらいの存在が全く見えなかった」と書いているのは、この構造の現れです。
さらにAIによるコンテンツの最適化が進むほど、この問題は悪化します。フィルターバブルが精緻化されて「あなたが見たいもの」だけが届く世界では、チームみらいの政策に異論を持ちうる層ほど情報に触れる機会が減る。しかもこの層はテクノロジーを日常的に使っているため、排除されているという自覚すらありません。
この三重の壁——テクノロジーへのアクセスの壁、アルゴリズムによる情報の壁、そしてフィルターバブルの自覚なき壁——は、先ほどの分断の構造と一つの循環を形成しています。アルゴリズムがチームみらいの情報を特定の属性の人に優先的に届け、その属性の人たちの間で「合理性」と「未来」が共有言語になり、その外側の人にはますます届かない。届かないから理解されない。理解されないまま「合理的でしょう?」「未来のためでしょう?」と暗に言われる。反発が生まれる。反発に対して「合理性」で返す。反発が敵意に変わる。支持層の固定化、アルゴリズムによる情報の固定化、「未来」と「合理性」による批判の無効化が、一つの循環として回り続けるのです。
そしてこの循環は、もう一つの深刻な帰結を生みます。陰謀論です。
フィルターバブルの内側にいるチームみらい支持者にとって、参院選の1議席から衆院選の11議席への成長は、段階的に見守ってきた「順当な躍進」です。しかしフィルターバブルの外側にいる人にとっては、昨日まで存在すら知らなかった政党がいきなり11議席を獲得するという、説明のつかない事態が突然出現する。「聞いたこともない党が急に議席を取った」——この認知のギャップが「何か裏がある」「組織的に動いている勢力がいる」「特定の資本が後ろについている」という陰謀論的解釈を呼び込む下地になります。
つまりフィルターバブルは、単に「情報が届かない」という問題にとどまりません。情報が届かなかったこと自体が、後から陰謀論として返ってくるのです。情報の不可視化が認知のギャップを生み、認知のギャップが「突然の出現」という体験を作り、「突然の出現」が陰謀論的解釈を誘発し、陰謀論が敵意を増幅させ、敵意が分断を深化させる。チームみらいが今まさに晒されている陰謀論は、偶発的な中傷ではなく、この壁が構造的に生み出した帰結なのです。
そして陰謀論に晒されたとき、チームみらいと支持者はどう反応するか。「データを見てください」「合理的に考えてください」と返すでしょう。これは誠実な反応ですが、先に述べた「未来」と「合理性」の二重のイデオロギーの構造がそのまま作動します。陰謀論を信じている人は「非合理な人」として退けられ、彼らの側からすれば「またデータで黙らされた」という体験が積み重なり、敵意はさらに深まる。陰謀論に合理性で応答すること自体が、陰謀論を強化する燃料になるという逆説がここにもあるのです。
さらに厄介なのは、この循環が声を拾う仕組みの正当性を強化してしまうことです。デジタル目安箱に何万件の意見が集まった、AIあんのに何万人がアクセスした——その数字が大きくなればなるほど「これだけの人の声を聞いて作った政策です」と言える。しかしその数字に含まれていない人の存在は、まさにその数字の大きさによって不可視化される。参加者が多いほど「十分に声を聞いた」という正当性が強まり、参加できなかった人の不在はますます見えなくなるのです。
テクノロジー政党だからこそ求められる、テクノロジーの外への応対
テクノロジーを武器にする政党だからこそ、テクノロジーに弱い人の声を拾う独自の仕組みを持つべきではないか。これは既存の行政が担うデジタルデバイド対策とは別の、テクノロジー政党固有の責任です。
チームみらいのマニフェストには、デジタルデバイドへの対応が一応書かれています。「デジタル機器の操作に不慣れな方でも安心して利用できるよう、人によるサポートの選択肢を常に用意します」「特に高齢者に対しては、デジタル庁の『デジタル推進委員』の取り組みを拡充します」。福祉パートでも「支援を『探して申請する』から『自動で届く』へ」というプッシュ型支援が掲げられています。
しかしこれらは「テクノロジーの側に人を引き上げる」か「テクノロジーが一方的に届ける」という発想です。テクノロジーに弱い人が自分の意思で声を上げて政治に参加する回路を作るものではありません。デジタル推進委員がスマホの使い方を教えても、その人がチームみらいのwebサイトを自発的に検索してマニフェストに提案を出すようにはならない。プッシュ型支援で給付金が届いても、「この政策は自分たちの生活を圧迫する」という声が届くわけではない。全員の声を聞くようで、テクノロジーの内側にいる人の声を重点的に聞くようになっている。
もちろん、この問題はチームみらいに固有のものではありません。既存政党もまた、業界団体や後援会に属さない人の声を拾えていない。自民党の支持基盤システムにも、立憲民主党の支持母体にも、それぞれの「外側」がある。しかしチームみらいの声を拾う仕組みはすべてデジタルです。テクノロジーを使えない人が政治的な声を届けるしくみが、この党の設計のどこにも存在しない。テクノロジーで民主主義を拡張すると言いながら、テクノロジーの外にいる人の民主主義への参加を構造的に閉ざしている。これはチームみらいが真剣に向き合わなければならない問題です。
適正規模という現実解、そして乗り越えてほしいこと
私の批判は「チームみらいはダメだ」ではありません。この党の設計は優れている。しかしその優れた設計が最も機能する条件は、規模が限定されていることです。
少数野党としてのチームみらいは理想的に機能します。他党がイデオロギーで争って決められない問題にデータとツールを持ち込み、実務的な落としどころを提供する。どの党にとっても有益なインフラを作って差し出す。衆議院で法案提出に必要な20議席程度の規模であれば、自ら法案を出して議論を喚起しつつも政策の主導権は握れないから、「未来」と「合理性」の二重のイデオロギーが生む分断も深刻化しにくい。「技術参謀」として他党の意思決定を加速させるポジションに徹するなら、左右のイデオロギーを持たないことは最大の強みであり続けます。意見も、そもそも通せる絶対数が少ないため問題が顕在化しにくい。
しかし規模がそれを大きく超えて拡大し政策の中心を担うようになれば、ここまで述べてきた構造的問題がすべて顕在化します。「未来」と「合理性」と「対立を煽らない」が組み合わさった分断の自己強化ループは国民間の見えない亀裂になり、アルゴリズムによる情報の固定化と支持層の固定化が相互に強化し合い、フィルターバブルの外側では陰謀論が増殖し、テクノロジーの外にいる人々の民主主義への参加回路はますます細くなります。
ここで一つ希望を言えば、チームみらいがマニフェストで掲げている「AIによって個々の状況に応じたきめ細かい税・社会保障制度を設計する」という構想が実現すれば、年齢や属性で一律に線引きする必要がなくなり、属性ベースの対立軸自体が溶ける可能性はあります。しかしそれは構想段階の話であり、実現するまでの過渡期に分断が深まるリスクは残ります。それでも、個人にとってそれが平等であると感じるのは別問題ですが。
「未来」の言葉が届かない人々の「未来」をどう包摂するのか。「合理性」の土俵に乗れない人々の声をどう聞くのか。テクノロジーの外にいる人々が自らの意思で政治に参加できるしくみをどう作るのか。「対立を煽らない」が分断を深める構造にどう向き合うのか。これらの問いに、今の設計のまま答えを出すことはできません。しかしチームみらいにはこれを乗り越える力があると、私は信じています。
「テクノロジーで、誰も取り残さない」のゆくえ
かつてチームみらいは「テクノロジーで、誰も取り残さない日本をつくる」という理念を掲げていました。結党時から参院選にかけてスローガンの前面に置かれていたこの言葉は、今回の衆院選では「未来のために。今できることを、今すぐに。」に変わっています。マニフェストの子育てや福祉の分野にはまだ「取り残さない」の表現が残っていますが、看板としては下ろされました。
この理念が抱えていた構造的な問題は、本稿で述べてきたことそのものです。「テクノロジーで、誰も取り残さない」——しかしテクノロジーにアクセスできない人は、取り残さないための仕組みそのものから取り残される。その取り残しを認識する手段もまたテクノロジーに依存している以上、取り残しは原理的に見えない。もしこの構造に気づいて看板を下ろしたのだとすれば誠実な判断ですが、看板を下ろしても構造は変わっていません。
だからこそ、支持者である私たちもこの党を無批判に応援するのではなく、常に注視し続ける必要があります。チームみらいの設計が機能しているうちに、その限界を自覚し、変革のタイミングを逃さないこと。拡大の誘惑に対して「今の設計で大きくなっていいのか」と問い続けること。そして自分たちもまた「未来」と「合理性」のフィルターの内側にいることを忘れないこと。
支持するからこそ、この構造を直視し、乗り越えてほしい。それがこの記事を書いた理由です。
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