達而録

ある中国古典研究者が忘れたくないことを書くブログ。毎週火曜日更新。

「憲法九条は日本を守っている」と言えるのはなぜか

 この記事は、「憲法九条は日本を守っている」という理屈が綺麗事に聞こえるという人や、「国防のためには、戦争できると相手国を脅すことが必要」と考える人、また「そもそも憲法九条ってなんだっけ?」という人に向けて書いたものです。

 または、そういう人と対話したいけどいい言葉が見つからない、という人のためのアイデア集になったらいいな、とも思っています。

 なので、私の主義主張とは異なる書き方をしていたり、普段は言わないようなことも書いています。(そういうところは記事の後半でできるだけ補います)

憲法九条の内容

 まずは本文を読んでみましょう。やや堅くて読みにくい文章なので、ぶつぶつ声に出しながら読んでみてもいいかもしれません。

第二章 戦争の放棄

 第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 ② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

(※出典:e-Gov 法令検索

 解釈は色々あるのですが、いま普通にこの文章を読めば、「戦争をしない」「そのための武力を持たない」ことの宣言として受け取れるでしょう。

 これに加えて、憲法の前文にはこうあります。

 われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

(※出典:e-Gov 法令検索

 これらをまとめて言えば、「武力行使の禁止」「戦力の不保持」「交戦権の否認」をしつつ、「全世界の国民が平和に生存する権利」まで宣言している点に特色があります。これは、戦争放棄と全人類の人権尊重をかなり徹底して宣言したものと言えます。

◆戦争が起こるとき

 さて、一言で言って、戦争をするのは、めちゃくちゃ大変です。まず兵士がたくさん必要です。そして武器をたくさん作る必要がありますから、武器工場で働かされる人も増えます。当然、娯楽は減り、仕事の選択肢も減ります。貿易にも支障をきたし、食料は高騰します。なにより相手国の人を殺し、自国に住んでいた人も死にます。

 ですから、いくら「偉い人たち」だけで戦争をすることが決まったとしても、そこで暮らす人々がある程度は戦争に「賛同」していないと、戦争を始めることはできません。つまり、戦争には「世論」の後押しが必要だ、ということです。

 逆に言えば、「そこに暮らす人々による強い後押しがあると、戦争をする」ということになります。

 「何を当たり前のことを言っているんだ」となる人もいるかもしれませんが、一旦このことを確認して、次に進みましょう。

◆何が戦争を後押しするか

 普通に考えて、そんな重すぎる負担をかける「戦争」をやることに賛同する人は、何事もない場合は、まあそんなに多くはないでしょう。ほとんどの人は、わざわざ遠くの戦地に行って、わけもわからずに死んだりはしたくないと思います。

 では、何が戦争に向かう世論を後押しするのでしょうか。色々な要因がありますが、一番は「危機感」です。つまり、「相手に攻められるかもしれないから、こちらから先にやっつけてしまおう」という危機感が一定以上の人々の間で共有された時、戦争がはじまります。

 ということは、戦争をしたい偉い人がいた場合、まずやることは、「国民の危機感を煽ること」になります。たとえば、「敵」のイメージを作り上げたり、「今やらないと手遅れ」と不安を煽ったりして、「危機感」の物語を作って攻撃を正当化するわけです。この時、「我が国の"平和"を守るために」という、一見戦争から遠のいているかのような宣伝文句もよく使われます。

◆「憲法九条」が掲げられていることの意味

 さて、ここまで来れば、「憲法九条が日本を守っている」ということの理屈が分かると思います。

 つまり、仮にどこかの国に「日本を攻撃して占領したい」と考えている偉い人がいたとしても、「日本が突然うちの国に攻めてくるかもしれない」と危機感を煽るのは、なかなか難しい、ということです。

 なぜかと言うと、日本はあらかじめ「戦争をしない」「そのための武力を持たない」「世界中の人々の人権を尊重する」という言葉を、国が守るべき最も重要な法律(=憲法)として、前もって宣言しているからです。こうなると、危機感を煽って日本への攻撃を正当化する物語を作るのが、難しくなるのです。

 この点で、憲法九条は、「日本は他国にいきなり攻め入ったりはしないだろう」という国際社会の信頼を得るために一仕事している、とも言えます。この国際社会での「信頼」があると、「日本に攻め入ると、他の国から非難や経済制裁を食らうかもしれない」という抑止にもなるというわけです。

 すると、どこかの一つの国が、万が一その危機感を煽ることに成功したとしても、すぐ戦争にはならない、ということになります。なぜなら、その信頼が残っている他の国々から圧力を受けるからです。

 理想を言葉で掲げておくことの大切さが、ここにあります。これは空理空論ではありません。こうして一歩一歩「現実的」に考えた時に、いま現在、憲法九条が果たしている役割として確実に言えるものです。

 つまり、憲法九条は、いまの日本の政治・外交において、立派な「抑止力」になっています。

◆武力で平和は守れるか

 それでも、そんな「言葉」や「信頼」なんて嘘っぱちで、とにかく相手国より強い武力を持って、いつでも攻められると脅しをつけるのが手っ取り早い、と考える人もいるかもしれません。

 では、日本が、実際そのように軍備を整え、さらに、いつでも攻め込めるような憲法に書き換えたところを想定してみてください。

 すると当然、相手の国はそれよりお金と人をかけて、もっと強い軍備を用意するでしょう。すると、こちらもさらに強い軍備を用意しなければなりません。すると相手国も、そしてまたこちらも……。

 この終わりなき競争を、「軍備拡張競争」と言います。

◆競争の行き先は?

 「じゃあその競争に勝ち続ければよいではないか」という考えは、あまりに理想主義で、楽観的です。

 現実を見てみましょう。資源は有限であり、人も有限です。特に日本は資源に乏しい国です。軍備にお金と資源と人を使えば、その分、生活がどんどん圧迫されていきます。こちらの国も、あちらの国も、世界どこでもこれは同じことが言えます。

 だから、ごく普通の、ありきたりな結論を改めて言いますが、「武力で平和は作れない」のです。こんなことを言うと、「普通」すぎて、賢くなさそうで、「つまらない」と思うかもしれませんね。でも、やっぱり、そうなります。

 もちろん、いきなり世界中の国々が全ての武器を突然捨てることができるとは思いません。でも、「破滅したくないのであれば、目指すべき方向は、大雑把に言えばこっちでしょう」ということ自体は、「まあ、それはそうなんじゃない」といったところに落ち着くのではないでしょうか。(そうあってほしいものです。)

◆日本は武力を持っていないのか?

 さて、以上を前提として、このあたりからは、もう少し踏み込んで考えてみましょう。(疲れた方は一旦以上で切り上げて、また気が向いた時に読んでくださいね。)

 問題は、そもそも「日本は武力を持っていない」とは全然言えないということです。もともと世界9〜10位相当の防衛費予算を計上しており、近年でこれを大幅に増額しています。今後さらに順位が上がる可能性があります。 国際的に見たとき、日本は軍事の足りない国ではなく、むしろ相当に力を入れている国という立ち位置にあります。

防衛省防衛白書」2024年度版よりhttp://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/2024/pdf/R06020302.pdf (PDF)

 

 むろん、インフラ整備、教育、社会保障、物価対策など、他にも使えるお金と資源が、どんどんここに流れています。来年の1月からは、所得税に1%上乗せされて「防衛特別所得税」が課税されます。「軍備拡張競争」の被害は、すでに出始めているのです。……が、その話は一旦置いておいて、憲法の話に戻りましょう。

 早い話が、日本はすでに世界屈指の軍事大国なのです。そんな軍事大国が、あの「憲法九条」を変えるとなったら、国際社会に向けて、どのようなメッセージを発することになるのか、ということを考える必要があります。

 それは大きなインパクトを持って、相当な「危機感」を煽るものとして、機能してしまうでしょう。

憲法九条の改憲案は?

 これはもちろん、「どんな改憲案なのか」ということとも関わってきます。

 いま実現可能性が最も高いのは、衆議院で多くの議席を持つ自民党の案です。自民党案の第二章を読んでみましょう。

 第二章 安全保障  

 (平和主義)

 第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない。

 2 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。 

 (国防軍

 第九条の二 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。

 2 国防軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。

 3 国防軍は、第一項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。

 4 前二項に定めるもののほか、国防軍の組織、統制及び機密の保持に関する事項は、法律で定める。

 5 国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に審判所を置く。この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障されなければならない。

(出典:https://storage2.jimin.jp/pdf/news/policy/130250_1.pdf (PDF直リンク))

 ああよかった。「平和主義」だし、「戦争を放棄」って書いてある。めでたしめでたし……?

 いやいや、2のところに、「前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない」という規定が入っていますね。問題は、この「自衛権の発動」が何を意味するのかという点が、曖昧にされていて、何も書かれていないということです。

 これでは、たとえば「もうすぐどこどこの国が日本を攻めてくるかもしれないから、「自衛権」を発動させて、先に攻めておこう!」というのが、普通に通用する憲法案になってしまっています。

 憲法は、権力が強くなり過ぎないように、規制するためにあります。その憲法が、「自衛」の中身を何も定めていないというのは、とても危うい状態です。なぜなら、その時の権力者(政権についている人たち)を規制するものがなくなり、好き勝手な政策を許してしまうからです。*1

 また、細かいですが、今は「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」となっているのが、改憲案では「用いない」だけになっていて、だいぶトーンダウンしています。*2

 そして「第九条の二」が付加されていますが、この条文が明記されることによって、徴兵制が可能になるということが指摘されています。

 なお、憲法前文は、「全世界の国民が平和に生存する権利」への言及が消え、これに似た箇所は「世界の平和と繁栄に貢献する」だけになっています。これも大きくトーンダウンしています。

◆いま、憲法九条は機能しているのか?

 さて、もっと切実なことを言うと、いま現在、すでに「憲法九条」は骨抜きにされつつあるのが現実です。

 2014年の閣議決定、2015年の安保関連法によって、「存立危機事態」という概念が作られ、これに相当する場合の「集団的自衛権」が容認されました。これには、同盟国への武力攻撃に対する反撃の可能性を認めることが含まれます。

 さらに、2022年には、「安保三文書」が閣議決定され、敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有が認められました。

 これらは、専門家によって、憲法九条に反するものであるという意見が出されています。いまの政権の方針は、すでに憲法九条に反するものになりつつあり、場面によっては憲法九条は機能しなくなりつつある、と言えます。*3

 簡単に言えば、今の日本政府は、戦争に向けて着実に足を進めており、一つずつ壁を壊しているところなのです。

◆でも憲法九条はまだ生きている

 ここまで説明すると、きっと、「もう軍事大国なんだし、どうせ機能していないのだから、憲法九条は変えてしまってもいいじゃないか。その方が実態に合う」という意見が、「現実的」で「スマート」に見えてきている人もいるかもしれません。

 でも、その意見は、「どうせ政治家は裏金やってる人ばっかりなんだから、実態に合わせて、裏金は合法にしよう」と言っているのと、あまり変わりません。

 いま良くない状況にあるのは確かです。でも、その良くない状況に合わせて憲法を変えたとして、起こる効果は、「良くない状況が追認される」という、ただそれだけのことです。その方法では、問題の本質は解決しません。

 憲法九条は、条文としてちゃんと存続しています。そして存続している以上、権力を縛る効果は発揮しています。国際社会からの最低限の信頼も、憲法九条が保証してくれています。もちろん、われわれが憲法九条を利用して違憲訴訟を起こすこともできます。

 憲法九条は、踏まれてはいるものの、条文に残っている限り、まだ生きているのです。そして今この瞬間も、役割を果たし続けています。

◆政争の論点の「目標」にし続けられるということ

 もう一つ、ちょっとシニカルな方向から、憲法九条を存続させておくことのメリットを挙げておきましょう。

 当然、一つの国の中には、色々な考え方の人がいます。とにかく軍備を強化したい、とにかく戦争を始めたい、という人は、ずっと一定数は居続けるでしょう。

 実際のところ、「憲法九条」はただの文章です。憲法を無視して、突然「どこどこを攻めろ」と自衛隊に命令し、いきなり戦争が始める可能性は常に否定できないものです。

 しかし、「憲法九条」が批判・攻撃の目標としてある限りは、常に憲法九条が攻撃され続けます。すると、憲法九条への攻撃が、他国への攻撃より前に常にあり続ける、という状況になります。

 この状況が続く限り、政争の論点が、「開戦するかどうか」ではなく、「改憲するかどうか」にあり続けます。すると、必然的に「開戦」は遠くなります。

 実は、この展開は右派にもメリットがあります。それはひとまず「憲法九条改正」を言い続ければ、政策を立てることができ、票を集められるものの*4、それ以上のリスクは負わなくていいし、国民に負わせなくてもいい、ということです。

 ちょっと違う観点ですが、憲法九条にはこういう役割もあるのではないか、と考えています。

◆そもそも、日本は戦争に参加してきた

 さて、憲法九条について直接書きたいことはだいたい終わりました。でも、こういう文章を書くと、色々と取りこぼしてしまうものがあるので、最後に、少し補いとして二点付け足しておきます。

 まず、上の書き方からは、「憲法九条があったから、日本政府はずっと戦争に加担してこなかった」という空気感が漂っていますが、そんなことはない、ということです。

 一般には、1945年の終戦から、「戦後」と呼ばれ、その後の日本政府が全く戦争と無縁でいたかのような感覚があるでしょう。しかし、ここ80年の歴史を見ると、朝鮮戦争の特需で高度経済成長がもたらされ、ベトナム戦争では沖縄の米軍基地から戦闘機が飛び立ちました。そして、イラク戦争では自衛隊が米軍に海上給油を行い、いま現在も、年金はイスラエルの軍需企業に投資され、防衛省イスラエルの武器を買っています。そして、言うまでもなく、この列島に米軍・自衛隊の軍事基地は大量に存在し、軍事予算は増加の一途を辿っています。*5

 日本の戦後は、実は、戦争に加担し続けてきた80年である、ということは知っておきたいことです。その意味では、「憲法九条」は、「平和な日本」「戦争しない日本」というイメージを作り出すウォッシングの効果を持つこともあり得ます。

 それをウォッシングではないものにするためには、一人一人が、とにかく戦争に加担しない、という選択肢をあらゆる場面で取り、実態のともなったものにしていかなくてはなりません。

◆「国」「国民」という言葉

 二点目。これで最後です。

 ここまでの文章では、「国」(日本)や「国民」(日本国民)という言葉を当然のものとして使っています。この文章の読み手の多くは、「国」や「国民」という言葉は、当たり前で、自然で、特に疑問を持たないかもしれません。 

 しかし、「国」ってなんでしょうか。「国民」ってなんでしょうか。最後にちょっと考えてみるといいかもしれません。

 「国」というのは、人が作ったものです。誰が「国民」なのかということも、政府の線引きによってころころ変わるもので、しかもその扱いの差が、制度の差として差別になって現れます。

 たとえば、日本国憲法の冒頭は、「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、」という言葉から始まります。憲法九条も「日本国民は~~」という言葉から始まっています。

 しかし、この「日本国民」という言葉には、在日朝鮮人は含まれていないようです。というのも、戦前、大日本帝国の植民地で、同じ「国内」という扱いで朝鮮から渡ってきた人々が、戦後は「みなし外国人」とされ、選挙権が剥奪されてしまった、という経緯があるからです。何世代にもわたって日本に住み続けている在日朝鮮人に(今でもなお)選挙権が無いのは、深刻な不公正です。*6

 「国」や「国民」という概念は、政治権力が、本来は何の区別もないところに線引きをし、「内側」と「外側」を作り、そしてその「外側」を排除することで成立するものです。だから「国を守ろう」という言葉は、必ず「排除すべき敵」を生み出してしまうものです。

 私はここまでの文章で、「憲法九条が日本・日本国民を守ってきた」という論の運び方をしてきました。それはこう書いた方が、ひとまず伝わりやすいだろう、と考えたからです。でも、すごく嫌だなーとも思っていました。それは、「国を守る」という言葉自体に、こういう作用があるからです。

 「憲法九条は日本を守っている」という本記事のタイトルには、こうした危険性があり、私としては納得いかないところもありますが、ひとまずより多くの人に理解してもらいやすい言葉として、このように掲げています。せっかくなので、ここまで読んでくださった方は、「国」「国民」という言葉の危うさについても一緒に考えてみてください。

 

 まとめます。

 確かに、憲法九条は、機能を失いつつあり、何度も踏みにじられています。完璧だと言えるものでもありません。それでもなお、現状の日本政府にとって、憲法九条が果たしている役割はあまりに大きいものがあります。それは内向きに権力を束縛するものとしても必要ですし、外向けに国際的な信頼を得るために必要だということです。

 中国の言い回しで、「戦争とは、ある農村の子が、遠くに行って他の農村の子を殺すことだ」というものがあるそうです。戦争で被害を受けるのは、戦争を始める人たちではありません。ただただ暮らしている人々、特に貧しい人が戦地に駆り出されます*7。戦争はあらゆる搾取と差別と不公正が凝縮されたものです。

 戦争をしないためには、武力で脅すのではなく、「戦争をしない」「武器を持たない」「世界の人々の人権を尊重する」と宣言し、実態をそれに近づけていくのが、理想的にも現実的にも、あらゆる意味で結果的に一番の近道だということを、憲法九条は教えてくれています。私はこれに強く賛同します。

 あなたはどうしますか?

(棋客)

*1:以上の内容については、日本弁護士連合会のリーフレットに詳しいので、詳しくはそちらを読んでみてください。→https://www.nichibenren.or.jp/library/pdf/jfba_info/publication/pamphlet/kenpo_pmf_1901.pdf (PDF直リンク)

*2:つまり、「「用いない」とは書いてあるけど「永久にこれを放棄する」とは書いてないから、今回は用います」なんて言い始める可能性を秘めてしまっています。

*3:憲法9条はまだ本当に「生きて」ますか? 蟻川恒正教授に聞く

*4:もっとも、自民党に投票した人のうち、改憲案について知ってる人がどれぐらいいるのか、また維新や参政党やチームみらいが改憲に賛同し得ることを知った上で投票した人がどれぐらいいるのか、というのは別問題ですが。

*5:ここから、「結局、日米安保があったから平和が守れているだけ」で、憲法九条の役割はなかったと考える人もいるでしょう。これについて論じ始めると長くなりすぎるので、今回は止めておきますが、ひとまず「憲法九条がある場合の日米安保と、ない場合の日米安保、どっちがマシか?」ということは考えてみてもいい問いかけでしょう。

*6:国連からも在日朝鮮人の選挙権を認めるように勧告が出ています→在日コリアンの参政権についての懸念・勧告 - 反差別国際運動(IMADR)反差別国際運動(IMADR)

*7:長くなりすぎたので詳細は省略しますが、上で「世論の後押し=戦争」と書いたのも、少し雑なところがあります。現代の戦争は、人を搾取し、貧しくさせていき、世論どうこう以前に、貧困層が軍隊や軍需工場なしには生きられないところに追いやられて、始まっていく面もあるからです。戦争以外で生きていく術が無いところに追い込まれた人々は、「世論」が何であれ、戦争に参加するしかありません。そしてその陰で軍需企業や政府に近い企業は大儲けします。つまり資本主義・経済システムが、戦争をシステムとして組み込んでしまっているということです。