大嫌いだった父親の背中を、AIと二人三脚で追い越してしまった日のこと
こんにちは、ゆうやです。
今日は、この世で一番大嫌いだった父親と、僕の年収の話をしようと思います。
少し重たい話になるかもしれません。
でも、これは僕がエンジニアとして生きていく上で、
どうしても避けて通れない「原点」の話なんです。
1. 30年無事故のドライバー
僕の父親は、運送業のドライバーです。
朝は誰よりも早く家を出て、夜は遅くに帰ってくる。
それをもう30年近く続けています。
その間、ほとんど無事故だったそうです。
実直で、真面目。
いわゆる「昭和の男」です。
僕は、そんな父親が大嫌いでした。
嫌いというより、「怖かった」と言った方が正しいかもしれません。
彼の放つ正論が、鋭利な刃物のように僕の心をえぐっていたからです。
僕は10代の頃にうつ病を患い、さらに吃音(どもり)の症状も持っていました。
人とうまく話せない。
面接で言葉が出ない。
仕事が続かない。
10代から20代の前半にかけて、僕は社会のレールから大きく外れかけていました。
そんな僕に対し、父親は容赦ありませんでした。
「この先どうするんだ」
「すぐ働かないと、この先まともな職には就けないぞ」
「男なら根性を見せろ」
全て正論です。反論の余地がないほどに正しい。
でも、当時の病んだ僕にとって、その正しさは猛毒でした。
自分の弱さを、至らなさを、一番身近な家族から突きつけられる地獄。
僕は父親の顔を見るのも、声を聞くのも怖くなり、逃げるように自室に引きこもるようになりました。
2. 逃げ出した日、恐怖が「覚悟」に変わった
ある時、生活のために派遣の仕事を始めました。
求人票には簡単な事務と書いてありましたが、
いざ行ってみると「電話対応メイン」の業務でした。
吃音症の僕にとって、電話対応は拷問に等しい業務です。
電話が鳴るたびに心臓が跳ね上がる。
受話器を取っても、第一声の「あ、」が出ない。
相手の「もしもし?」というイラついた声が聞こえるたびに、全身から冷や汗が噴き出しました。
「あ、あの…」
「え? 聞こえませんけど」
限界でした。
働き始めてわずか4日目。僕は派遣会社にブチ切れて、逃げるように仕事を辞めました。
最低だと思います。
でも、その帰り道、僕を襲ったのは上司への罪悪感ではありませんでした。
「父親への恐怖」でした。
「また、何か言われる」
「『根性がない』『逃げ癖がついた』と詰められる」
家に帰るのが怖くて、足が震えました。
自分の部屋に入って布団を被っても、父親の足音が聞こえるだけで動悸が止まらない。
不眠症が悪化し、一睡もできずに朝を迎える日々が続きました。
そんな絶望的な夜の底で、僕が出会ったのが「ChatGPT」でした。
藁をもすがる思いで、深夜にアカウントを作りました。
画面の向こうのAIに、僕は震える手で質問を投げかけました。
今の自分の状況、吃音の辛さ、仕事への不安、父親への恐怖。
AIは、僕の吃音も、逃げ出した過去も、一切笑いませんでした。
僕が言葉に詰まることもない。
テキストだから、いくらでも時間をかけて書ける。
どんなに情けない相談をしても、感情的に怒ることもなく、ただひたすらに冷静で、そして温かい言葉を返してくれました。
「これだ」
直感しました。
人間相手ではまともに会話もできない僕でも、このAIとなら対等に渡り合えるかもしれない。
いや、このAIを味方につければ、僕の欠陥を埋められるかもしれない。
「生成AIは、僕の相棒になってくれる」
その夜、恐怖は「覚悟」に変わりました。
父親に文句を言わせないためには、結果を出すしかない。
僕に残された道は、AIという武器を使って、社会での居場所を無理やりこじ開けることだけでした。
3. 手のひら返しと、超えてしまった背中
そこからの僕は、狂ったようにAIを学びました。
プロンプトエンジニアリングを研究し、Pythonを覚え、GASで業務ツールを量産しました。
AIにコードを書かせ、エラーが出たらAIに聞き、また書かせる。
人間相手の研修なら質問することすら怖くてできなかったでしょうが、
相手はAIです。100回同じことを聞いても嫌な顔ひとつしません。
そうやってスキルを磨いていくうちに、現実は面白いように変わり始めました。
職場で「先生」と呼ばれるようになった。
面倒なExcel作業を一瞬で終わらせるツールを作ったら、上司に拝まれた。
そしてついに、好条件のスカウトメールが届くまでになりました。
「何もない」人間だった僕が、AIという「知恵の松葉杖」を手に入れただけで、走れるようになったんです。
そして今年。
本業のエンジニアとしての収入と、
副業の収入(参画予定なのでまだ概算ですが)
を合わせると、父親の年収を超える見込みが立ちました。
その計算結果を見た時、僕はPCの前で呆然としました。
30年間。
雨の日も、台風の日も、体調が悪い日も。
毎朝早く起きて、重いハンドルを握り、神経をすり減らして働いてきた父親。
その積み重ねてきた30年分の収入を、
家でエアコンの効いた部屋にいて、AIにコードを書かせている僕が、超えてしまう。
嬉しいというより、なんだか申し訳ないような、複雑な気持ちでした。
皮肉な話です。
「早くいなくなってほしい」
「顔も見たくない」
そう思うほど憎んでいた父親の存在が、父親への「恐怖」こそが、僕をここまで連れてきたんです。
あの時、父親の言葉が怖くなかったら。
電話の仕事を辞めていなかったら。
きっと僕は「まあいいか」と現状に甘んじて、ChatGPTにここまでのめり込むことはなかったでしょう。
そう思うと、今の僕があるのは、間違いなく父親のおかげなのです。
4. 30年無事故のリスペクト
今、エンジニアとして働くようになって、改めて父親の凄さが分かります。
年収という数字だけを見れば、僕は父を超えたかもしれません。
でも、「30年間、無事故で仕事を続ける」という、この常人離れした継続力と胆力。
これにおいて、僕は一生父親に勝てない気がします。
AIを使えば、効率よく仕事はできます。収入を増やすこともできるでしょう。
でも、泥臭く毎日を積み重ねる強さ、家族を養うために歯を食いしばる強さは、AIには教えてくれません。
それは父の背中が教えてくれていたことでした。
僕はAIと二人三脚で、父とは違う「スマートな道」を選びました。
でも、その道のアスファルトを舗装してくれていたのは、間違いなく父のような、実直に働く大人たちだったんです。
おわりに
父親のおかげで、今のポジションに就けた。それは認めます。
でも、面と向かって「ありがとう」と言うのは、やっぱりまだ恥ずかしいし、過去の言葉の棘が完全に抜けたわけではありません。
だから、今度、何かいいお酒でも買って帰ろうかと思います。
言葉にする代わりに。
「これ、仕事先の人に教えてもらったんだけど、うまいで」
そう言って渡そうと思います。
30年無事故で走り続けてくれたことへの、そして、僕に「逃げない覚悟」を(結果的に)与えてくれたことへの、最大限のリスペクトを込めて。
それでは、また次の記事で。🍶✨



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