某所でアメリカの人怖怪談と日本の怪談と恐怖の話になったら思考が暴走して宗教や人間の恐怖と対処って?って話に延々それたのでこっちに避難。
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アメリカがジャンプスケアとか人怖系ばかりなのは、これと同じでとっくの昔に叙情的想像の余地ある恐怖というのを排斥してしまったからだと思う。
良く言われてる「キリスト教の影響で『神に退治され得る邪悪しか描かない』」とか、そういう要素は確かにあるだろうけど、
それ以上に科学文明と合理主義、理想論へ邁進はするけどとてつもなく現実主義な社会だから、
常に曖昧模糊としたものにがっしりとした現実の事物っていう肉付けを与える。
だからこそ、それで今までやってた精神的活動が無くなるわけでもないから反動が起こって、
理不尽で正体不明で抵抗不能な存在はクトゥルフやコズミックホラーを産み出し、そこへと集約されていった。
しかし、そこを産み出した世代は産み出しちゃった理由をなんとなく感覚で理解していたけど、
すぐにそんなこと知らんで作品に触れて恐怖した世代が、
体系化して、
合理化して、
動機を設定して、
理解できる肉と形を与えて今に至る。
ゆえにネットでは意味不明系のクトゥルフTRPGシナリオじゃなく、必ず探索者が抵抗し、なんなら異界の存在を「ちょっと強いRPGのボス敵」扱いしてボコすという風情も何もありゃしないリプレイが主流となっているし、
同じく理不尽と不可思議の集積所、都市伝説そのものであるSCP財団も発足から数年で「理解できるアレコレ」や「辻褄があったストーリー体系への集約」が進んで
「強いは強いけど全くの意味不明よりは怖くない名と象」を与えられて失速した。
人は、完全に意味不明で理不尽にも抵抗できない恐怖には耐えられない。
例えば、私のこの書き込み、読み終わった一秒後に貴方は亡くなっているかもしれない。
それは本当に起こりうることだ。
貴方は心臓麻痺や脳卒中などの突然死が世間に存在することを知っているはずだ。
でも、初めに指摘されたとき、「そんなことは無い」と思わなかっただろうか?
つまりそれは、十分あり得ることでも「恐怖を受け入れたくないし、常にその恐怖を真っ正面から受け止めては生きていけない、マトモに取り合ったら心が壊れる」ということを如実に現している。
そして、神や仏や怨霊など、何かしら自分の全く知らないし関知もできない理不尽によるものだというオカルティックな物を想起させるこの文章の流れだと「否定」が先に立ったのに、「脳卒中」などの、確率は低くてもより具体的で何かしらの対処は存在する名前や現象の象(かたち)、輪郭を与えられたときは比較的納得はいったのでは無いだろうか?
「いや、そりゃそうだけど、ずいぶん確率低いむちゃくちゃを言うなぁ…」くらいは思ったかもしれないが。
このように、人は「何もかも全く分からない」ことや、「それに自分が左右される」ことを恐怖する。
そして、必死に「人間にとって理解できる象」をあたえて落ち着こうとする。
しかし、「知らない存在に自分を左右されること」は恐怖であるから、
次から次へと「まだ知らない脅威」探しては暴くことをやめられない。
これは野生動物としての人間が生き残ってきた本能的な仕掛けである感情に根差すから、
自分が餓えていたり、攻撃されていたりといった危機的状況でこそ強くなる。
野生であれば攻撃を受けていたり追い込まれている原因を見つけて対処・反撃しなければそれこそ生き残れないのだから。
であるからこそ、現代社会においては、孤立、貧困、劣等感、蔑視や屈辱、老い、病といった痛みにさらされ続けている人ほど自らに起こる自らの力だけではどうにもならない神と悪魔との両方を世界にかたちづくる。
古代においても同様、知的好奇心だけではなく、恐怖の仮託先として悪鬼は産み出されたし、対処できないことは恐怖にさらされ続けることだから神仏が産み出されたし、
それらは当時の人間が感覚的に理解しやすく馴染みやすいかたちである「人格をもった存在」として象を与えられた。
現実的な対処として、古代の科学は存在したが、同時にそこにも「整理され均整がとれて分かりやすいものだと信じたい」思いが先に立ち、陰陽五行説でも四元素説でも神仏の論と融合したり、現実の実験で立証するより哲学的観念を優先して現実にそぐわないものを正しいとしたりしている。
その反省から近現代の科学は実証主義をとったが、
これは今度は、人間の感情に合わせて存在してくれているわけではない自然をありのままに捉えようとした結果、
科学の出す結論に「神仏的救い」が無くなってしまい、なんなら「癌のステージIV?もう、助からないゾ?」みたいに、人によっては信じたって救いの無い現実を突きつける物となった。
だからこそ、信じてもメリットがなく、救われない悩みや恐怖を抱えている人は科学的だったり一般的に論理的な事実を信じることを辞めるという選択肢もとりうる。
これゆえ、自分が恐怖していない部分では、矛盾していようが都合良く一般と同じ説明を信じるなどのイビツな状態も当然に発生する。主観的な気持ちの整理が動機であるから客観的に矛盾してようがある意味当然なのだ。
また、現実的には科学を信じてる多くの人だって、御題目通り一々ものが燃える仕組みを毎回確かめたり、気象の原理や前後関係を観測装置で自ら確かめたりしてるわけではない。
その信じられてる事実を伝えてくれた存在を信用しているだけだし疑うメリットが無いだけだ。
だからここであれに嵌まる人達が一般的事象をなぜ信じないかというのが明らかになる。
つまりは「追い込まれてる」し、
「周囲の一般的な情報源が信用できない」し、
「信じたところで報われない」からだ。
だから「信用できる人間と関係を深め」て、
「追い込まれている原因を排除」し、
「どうしようもない現実と折り合いをつけたり代償行為なりを見つける」ことができれば個人の信仰的な妄念を手離す可能性が出てくる。
これに失敗した代表例はかの山上被告である。
家庭は宗教で崩壊し、自らは就職と職業の維持に失敗し、
山上氏の側を信じてもメリットがあるという状況を母親に提供できなかったし、
家庭が崩壊していたので孤立分断していたし、信用がある意味で相互に失われていた。
一方で母親からみれば、信仰に精神的救いはあるし、
信仰先では、山上氏より生活力のある人物達が存在するし、対処のしようがない息子のふがいなさと未来への恐怖は「悪魔の存在」や「貧困国からの搾取という業」や「侵略の歴史」という対処しうるかたちへと作り替えることができたので、
そちらを信仰するメリットは存在した。
これだから、経済成長は社会の安定に欠かせないと言われるし、
悪影響も多々あったけれど共同体社会というのがどう考えてもめんどくさいのに崩壊するとなると問題視されるし、
税金わざわざとってまで貧困層に支援をするんですね。
真っ当な社会の維持形成、そして迷信の繁茂を防ぐにはそれらが欠かせないから。