なにがなんでも生きてやる。
東京在住の女性A様から「シングルマザーで子供を育てているが限界が来た。ちゃんとやらなきゃとマッサージの仕事を頑張って来たけれど、自分の身体がボロボロになってしまった」とご連絡をいただいた。私の正しい使い方である。食べ物にも困っていらっしゃったので、先日いただいたお米をお裾分けした。いただきものだから遠慮をすることはないと言ったら、A様は泣いた。お米が心を癒した。これが本当のライスワークである。
日本社会に蔓延している「ちゃんとしなければいけない」と言うムードは、一体なんなのか。表面的にはみんなしっかりしているように見えるけれど、内面にはとんでもないさみしさを抱えているように見える。あまりにもさみしさが当たり前のことになっているから、自覚されることもなく、心身の冷えや強張りとなって、内在化している。頑張ってうまく行かなかったことを「もっと頑張ること」によって解決しようとしているが、それでは生きることが苦しくなる一方だ。助けてと言えない。すべての元凶は、ここにある気がする。
マッチ売りの少女の話がある。マッチ売りの少女は、生きるためにマッチを売った。頑張ってマッチを売ろうとするのだが、なかなかマッチは売れなくて、少女は一生を終えてしまう。健気で心を打つ話だが、もしも、マッチ売りの少女がマッチを売るのではなくて「助けてください」と言っていたら、どうだったのだろう。何かの見返りにお金を得ようとするのではなく、ストレートに「死にそうだから何か食べさせてください」と自分の第一希望を口にしたら、どうなったのだろう。少女の願いは、マッチを売ることではなく、売ったお金で命を繋ぐことだったのではないだろうか。
困ってから助けを求めるのは遅いと思う。困る前から人間関係を築いておいた方がいいと思うが、そんな正論はどうでもいい。飢えで死ぬのではなく、見栄やプライドを捨て切れない自分に殺されてしまう気がするのだが、そんなことを言っていても何も始まらない。取り急ぎ、熱海と根津の家を緊急避難所に設定して、とりあえずここに来れば食うものと眠れる場所はある的なシェルターとしたい。私は年中困っている。困っているけど元気でいるのは、平気で助けを求めるからである。
真面目な方々は助けを求めるのが苦手だ。そんな方々に言いたい。ふてぶてしさを武器にしよう。私は与える喜びを与えているのだと思おう。どちらが上で、どちらが下とかはない。助け合うことで関係が生まれて、コミュニケーションが生まれて、ハートウォーミングな瞬間が生まれる。自分の限界を知ろう。ここまではできるけどここからは無理と感じたら、自力で解決できると言う思い上がりを捨てて周囲に助けを求めよう。求める時はできるだけ真摯に誠実に。人は、誰かのために何かをやりたいと思う生き物である。大事なことは言い方だ。心を込めればうまく行く。自分を開けば世界も開く。与える喜びを与える喜びを与える喜びを与える。喜びで、世界を循環させよう。
おおまかな予定
2月10日(火)東京都文京区界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
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ばっちこい人類!!うおおおおおおおおお!!


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