日本語IMEは思考を左右する
多くの人にとってIMEは、「いかに速く、正しく漢字に変換してくれるか」という性能で評価される。連文節変換が賢いとか、一文まるごと変換してくれるとか、変な変換をしないとか。
もちろん、それは重要だ。だが、文章を書く人間にとって、IMEはもう少し厄介な存在でもある。IMEは、「どういう単位で文章を区切るのか」、「どこで一拍置くのか」、「この文は、もう確定していいのか」、そういう判断を、静かにこちらに促してくる。
長年(何十年も)使ってきたIME(老人はFEPという)が、最近使いにくいと感じていたとき、次のようなネット記事を見つけて、なるほどそういう感覚を共有している人がいるのかと感じた。
単文節変換愛好者というのは少なくなっているのだろうが、学習が控えめで、文を“誘導”しない支援をしてくれるIMEもよいなと思った。
まあ、どうせ悪文は変わらないので、それはIMEの問題ではないのだけれど。

