これを書いている時点(2/8の夜)で正確な選挙結果はまだ知らないが、結果に関係なく言えることがある。2026年2月の衆院選は、最悪だった。これほど何の大義もない解散総選挙は近年見たことがないし、しかも雪や寒さに襲われる地方民の心配も気にかけることなく、政権はこの2月に選挙を強行した。
結果どうなったかといえば、まさにドンピシャで選挙日前後が豪雪となり、予想通り日本各地の人々に多大な負担をもたらした。当日の悪天候が予報されていたこともあり、期日前投票に向かう人も多かったが、急すぎる選挙決行のせいでスタッフの準備も手が足りてないのがよくわかったし、会場の数自体も少なく、地元の期日前選挙の会場も珍しく激混みで並ばされた。
選挙は民主主義を継続するためのシステムであり、一般市民にも一定の負担があること自体には文句ない。しかし「今やれば明らかに国民への負担がものすごく大きいぞ」という当然の懸念をガン無視し、「今さっさと解散しないと人気がいつまで続くかわかんないし!」程度のしょうもない理由で選挙を強行したんだから、そりゃ、怒りのいっピョウくんも激怒しようというものだ。
そして、あくまで筆者(私)の視点ではあるが、選挙結果自体もきっと(事前報道や予測を信じるのであれば)まぁひどいものなんだろう。自分たちの利益のためだけにわざわざこんな時期に解散したわけなので、そりゃ勝ちもするだろとは思うが、こういう無理やりな選挙を強行した不誠実な政権の「勝利」は、やはり残念だと感じる。
その「勝利」にしても、ただでさえ深刻な日本の行き詰まりを悪化させるとしか思えない。過剰に好戦的な対外イキリと排外主義は無意味に蔓延し(日本はもう移民なしには成り立たない国であり、外国人差別してる場合では一切ないんだが…)、選択的夫婦別姓や同性婚はまたも遠のき(そんな意固地になったって結婚制度自体が敬遠されて非婚と少子化のデススパイラルが加速するだけだろと思うが…)、裏金議員の禊は済んだ〜とか言って旧統一教会みたいな悪の組織と癒着した政界の腐敗は温存され(さすがに国民もちょっと忘れっぽすぎるのではと思うが…)、憲法改正とかいう誰も得しない夢物語に膨大なコストを注いで本当に突き進むのかは知らないが、なんであれ、ロクでもない光景をたくさん見せられることだろう。
サナ活!とかいう怪しげなブームにのせられて高市首相を応援していた人は選挙結果に喜ぶかもしれないが、このロイターの記事でも「壮大なジレンマ」と言われてるように、仮に掲げてる公約みんな実現したところで、円安・債券安もさらにヤバそうだし、解決の目処な〜んも立ってない物価高・金利上昇による生活苦が確実視される中、今はメディアに煽られて熱狂してる人たちの熱気もいつまで続くか不明だ。
対中イキリ発言で支持を集めたところで、ちょっとレアアースでも止められただけで座礁する日本社会の脆弱さは何も変わらない。アメリカとの関係もどうなるか見通せない。中間選挙という爆弾を抱えてるのにICEやエプスタイン問題やらで支持率下げまくりの八方塞がりでおかしくなってオバマ夫妻への人種差別投稿をSNSに連投しているトランプが迫りくる(迫るな、あっち行っててくれ、頼む)。
選挙がどうあれ、とにかくしばらく東西の悪人がめちゃくちゃやるのは確実っぽいので、こんな本を読み返したくもなる↓。上に立つためになんでもする、金と権力をもった悪人が、結局は勝つ世の中なのかもしれない。
…というわけで、絶望すべきだろうか?
結局のところ、日本に民主主義は根付かないのだ、アメリカやヨーロッパみたいに排外主義ポピュリズムの波に飲まれて、結局は独裁的な権力の一党支配が続き、民主主義や自由主義や平等の理想は露と消え、なんならうっかり戦争に突き進み、あとは政治も社会も経済も文化もゆっくり(もしくは急速に)没落するのみ…。
そう嘆きたくなる気持ちはわかる。ごく普通に考えれば、日本社会の状況のマズさは明らかだ。別に無理して希望を持てとも言わない。橋から身を投げるとかしない限り、なんでもいい。真っ暗な部屋で壁を見つめていてもいい。だが気が向いたら、この国で絶望する前に、見てほしい地図がある。
これだ。
これは「Democracy Index」、日本語では「民主主義指数」と呼ばれる指数をビジュアル化した世界地図だ。
民主主義指数とは、有名雑誌『エコノミスト』を刊行する企業や研究所が毎年発表している指数である。世界167の国・地域の「民主主義の度合い」がどれくらいか、という指標をスコアで表している。「選挙プロセスと多元主義」「政府の機能度」「政治参加」「政治文化」「市民の自由」といった5つの部門に基づいて得点をつける。
上記のサイトの世界地図では、2024年時点での各国の「民主主義指数」を0(赤)から10(青)のグラデーションで色分けしている。
地図の下にある「年」のパラメーター動かすと年ごとの比較もできる。民主主義指数は2006年から発表しているので、最長20年の各国のスコアを図れる。たとえば2015年と2024年(最新)を比べるとこんな感じになって↓、ここ10年でも世界の指数がけっこう動いているのが色でパッとわかる。
年ごとに比較した状態で、ある国にポイントすると、スコアの推移も表示されるのでわかりやすい。2006年から2024年で、一番スコアの変動が激しい部類の国・チュニジアはこんな感じ。
2006年の時点では「3.06(独裁政治体制)」だったのが、途中(2010年ごろ)にジャスミン革命によって「アラブの春」を巻き起こして民主主義指数もガツンと爆上げ、そのまま民主化達成!!……とはいかず、サイード大統領の強権化もあって指数は下がり続けているが、それでも「アラブの春」の前よりはスコアが上がって4.71(混合政治体制)になった…といった、一筋縄ではいかない動きも見て取れる。「アラブの春は無駄だった」みたいなありがちな冷笑は、社会の変化を単純化しすぎだ。
民主主義指数のwikipediaページには、「スコアの増減の最大値」…つまりその年の「いちばん上がった国」「いちばん下がった国」も記載されていて、眺めていると歴史のハイライト感もある。
スコアが下がった国だと、2022年のロシア(ウクライナ侵攻)は最もわかりやすい。2024年のバングラデシュ(政権崩壊)、2021年のアフガニスタン(アメリカ撤退→タリバン支配)、2019年の中国(香港の弾圧など。翌年に新型コロナがくるのも示唆的)など、大きな出来事があると民主主義の状態に即座に影響する様がわかる。
逆に上がったのは、2020年の台湾(蔡英文での改革、コロナ対処への成功など。歴史的なスコア上昇で「完全民主主義」に格上げされた)。2019年のタイ(民主的政府の誕生、まだ「欠陥民主主義」カテゴリーとはいえ格上げ)。完全勝利とはいかずとも、ここ数年で変化も確かに起きているようだ。
さて、我らが日本の指数は0から10でいくつだろう。極右がブイブイいわせてるし、せいぜい「5」か「6」あたりだろうか。違う。日本の民主主義指数は「8.48」だ。東/東南/南などアジア諸国全体で見ても、ほぼ最高スコアである。あくまで2024年時点ではあるが、アジアで日本より高いのは台湾(8.78)だけだ。
日本で政治への意識や関心が高い人ほど「嘘ぉ、そんなに高いわけないよ…」と思うかもしれない。日本の実情をよく知らないヨーロッパの雑誌や研究所が適当に言ってんじゃないの?と。気持ちはわかる。だが近隣の東アジア諸国に限っても、たとえば韓国の指数が「7.75」、中国が「2.11」、北朝鮮は「1.08」となっている。アジア全体の民主主義指数の平均は、残念ながら高くない。大陸ごと(オーストララシアも含む)の集計でみると、アフリカの次に低い。民主主義指数が8を上回っている「完全民主主義」の国も、アジアでは日本と台湾だけである。
もちろん数字だけで全てを表すのは不可能だし、あくまで参考値として受け止めるべきではある。たとえばお隣の韓国は2024年時点のスコアは先述のように7点台で、分類も「欠陥民主主義」となっているが、その前年の2023年には日本と同じく「完全民主主義」の8点台だった。指数が下がった最大の要因は、尹大統領が2024年末に起こした戒厳令騒動の影響だろう。思い返してもつくづく大変な事件だったし、韓国市民社会が迅速に対応しなければ本当に東アジアがどうなっていたかわからなかったので、スコアの引き下げもやむなし、とは思う。ただ政権交代もあったし、今後また「完全民主主義」に戻る見込みは大きい。
日本も韓国も、アジアの中では格段に民主主義度が高いほうだが、それでも完全民主主義(8点以上)と欠陥民主主義(6点〜8点未満)の間を揺れ動く国という立ち位置だ。日本も2015年ごろ(第三次安倍政権のあたり)には、いちど7点台(欠陥民主主義)にまで下げたりしている。同じ自民党でも岸田→石破あたりの流れでまた8点台(完全民主主義)に上がったが、再び極右方向に揺り戻しが激しい今後、どうなるかは未知数だ。
しかし大事なのは、細かい数字でも、カテゴリー分類でもない。大事なのはアジア全体で、いやほとんど世界全体で、「まだまだ民主主義は珍しい」と肝に銘じることだ。そう、民主主義はいまだ黎明期にある。民主主義は、まだ赤ちゃんなのだ。
こちらの表をみてほしい。
日本を含む「完全民主主義」の国に住んでいる人は、世界人口のわずか約6.6%だ。ヨーロッパ(主に北欧など)とニュージーランドが最高レベル(9点台)で、日本や台湾と同程度のスコア(8点台半ば)なのがカナダなど北米、ウルグアイなど南米の一部、イギリスやドイツなど他の欧州諸国やオーストラリア、といった並びだ。まぁこうして並べると欧米圏の先進国に点が少し辛めで、日本にちょい甘く出てるんじゃないかという気もするが、肝心なのは、世界全体でみれば、まともな民主主義はSSRレアリティということだ。「完全民主主義」ではない国に、世界人口の9割以上が暮らしているのだから。
それどころか最低スコア分類である「独裁政治体制」の国、いわゆる独裁国家に住む人は、なんと世界人口の4割近くにのぼる。アフガニスタンのようにほぼ機能停止した国(0.26点)、ミャンマーのように重大な政治危機が進行中の国(0.96点)、ロシア、中国、イランなどの代表的な独裁政権の大国も含まれる。
また「混合政治体制」、つまり「非自由主義的民主主義」という、制度は一応の民主制だが実質的に自由が制限されている国(たとえばトルコ)も、全体の15.7%と地味に多い。これも含めると、地球人の2人に1人は、私たちが考えるような「自由」が存在しない国に暮らしているといっても過言ではない。
つまり基本的には(よほどの国ガチャや為政者ガチャでも引き当てない限り)世界のどこに生まれたとしても、権威主義者や全体主義者や独裁者っぽい人が権力の座にデデンと鎮座しているという状況であり、2026年のいま現在であっても、民主主義や自由や人権の尊重を求める人々は、そうした勢力と対峙する宿命にある。
ここで強調しておくが、「他のもっとヤバい国に比べたら日本は恵まれている、文句言うな」とか「日本の外にもどこにも理想郷なんかない、いやなら出てけ」とか言いたいわけでは一切ない(むしろ国を出る選択肢も常にあったほうがいいと思う、パスポートくらいはみんな取ったほうがいいよ!)。それでも、選挙の結果が悪かったくらいで、この日本でいちいち絶望して全部諦めているようでは、もっとヤバい国で今も闘っている人々に申し訳が立たない、ということには同意してもらえるんじゃないかと思う。
「…なるほど、相対的にみれば日本の民主主義は確かにまだ安定した状況にあるのだろう。そうは言っても、さっきあんたが懸念したように、日本がもっと悪い状況にこれから陥る見込みだってあるでしょ」と思うかもしれない。全くそのとおりだ。私自身も(少なくとも数年〜十年レベルの短期では)楽観は全然していない。お隣の韓国が極めて薄い薄氷をギリギリ渡っているように、日本も一歩間違えればいつ権威主義の奈落に転落したっておかしくない。トップも核武装すべきとか言ってるし…。
その一方で、保守的な自民党の一党支配がこれほど長く続き、トップも概ね権威主義的な気質に思えてしまうファイナル右翼列島・日本で、どうして(世界の平均に比べれば)高い民主主義指数が出ているのか、ということも考える必要がある。何が日本の民主主義を(一応)転落から守っているのか。
答えはシンプル、憲法である。
いくら国のトップが独裁者志望のサイコ人間だったとしても、ホッブズのいうところの巨大怪獣リヴァイアサンだったとしても、日本国憲法がある以上、それに縛られた上で行動せざるをえない。たとえば政権を批判した国民をぶっ殺したり国外追放したりはできない(できる国も沢山ある!)。
私たち日本人は敗戦後にほとんど「棚ぼた」みたいに憲法と民主主義体制を手に入れたので、そのありがたみをいまいち噛み締めてないが、独裁者にとって国家権力を縛る憲法ほど邪魔なものはない。とにかく邪魔で仕方ない憲法という鎖を引きちぎろうとする。とはいえ独裁者=怪物だってバカではないので「邪魔だからちぎらせて、おねがい!」なんて素直に言わない。「敵国が攻めてきた時、こんな鎖があったらあなたたちを守れませんよ? それにこの鎖は、海外から押し付けられたものでしょ?情けないですねぇ…」とか言葉巧みに言い出して、なんとか国民自身にちぎらせようとする。この鎖が「どのように手に入ったか」なんてことは、鎖の効力とも、鎖が縛る怪物の恐ろしさとも、何の関係もないのだが…。
繰り返すが、リヴァイアサンを縛る鎖こと日本国憲法も、それによって維持される民主主義も、たとえ自力で勝ち取ったわけではないにせよ、その重要性は変わらない。いま民主主義が曲がりなりにも存在している国は、それが存在しない国の人々のためにも、今後も民主主義の灯台を存続させ、鍛え上げ、灯火を消さない義務があるのだ。
「民主主義は完璧でも万能でもない。むしろ最悪の政治形態だ。ただし他のあらゆる政治形態よりマシなだけだ」というチャーチルの格言がある。
実際その通りで、民主主義には沢山の欠点があるし、ある国がいま民主主義体制ではないからといって、その国やそこに住んでいる人々を見下す理由にはならない。まぁ不完全という意味では私たちと似たようなものか、という謙虚さも必要だ。
たとえば中国は明らかに民主主義国家ではないが、近年の再生可能エネルギー政策にしても大したものだし、こうした重要な領域で、一応は民主主義国家のはずの日本やアメリカが大きく遅れを取っていると謙虚に認めよう。(参考↓)
ただしそれでも、やはりチャーチルの格言通り、「やっぱり一党独裁体制って限界あるよな…」「なんだかんだ民主主義つえーな」となる局面は必ず来るだろう。民主主義は武器であり、重荷ではない。時間をかけて、磨いていく必要がある。
昨今、世界の民主主義諸国で、トランプ政権のアメリカを筆頭に極右的なバックラッシュが盛り上がっていて、日本も確実にその渦の中にいるのは確かだ。しかし、こういうたかだか数年〜十年くらいの傾向を見てすぐ「民主主義の、おわりっ…!」「リベラリズムの、終えん…!」とか急いで言い出すうっかりやさんが多くて呆れてしまう。あなたが5歳ならともかく、社会や若い世代に一定の責任がある大人なのであれば、もう少し本とか読んで歴史の推移や世界の変化や人類の進歩に目を向けようよ、と思う。
ちゃっかり民主主義や憲法を運よくゲットした日本の現代人がそんな体たらくでは、王様にぶっ殺されたりしつつも文字を発明した5000年前の人類とか、王様をぶっ殺して力技で人権宣言を爆誕させた200年前の人類とか、今日も独裁政権に殺されたり誘拐されたりしながらも自由と平等を求めて闘っている人たちが、報われないではないか。
絶望して暗い部屋に閉じこもるかわりに、窓を開け、外の世界に目を向ければ、もっと深刻な民主主義の危機に立ち向かう人々の姿から、多くのことを学べるはずだ。その「窓」になってくれるものこそが、たとえば本や映画である。民衆に国境を超えて連帯なんてされると困るから、独裁者はいつだって、文化や知識や芸術を恐れるのだ。
ほんの一例をあげれば、映画『燃え上がる女性記者たち』は、インド(民主主義指数: 7.29、欠陥民主主義)で圧倒的な権力を振るうモディ政権に立ち向かう女性ジャーナリストたちを描いている。
レバン・アキン監督は、ジョージア(民主主義指数: 4.70、混合政治体制)出身であり、『CROSSING 心の交差点』など、祖国で過酷な扱いを受けるマイノリティの姿を捉えた映画を作り続けている。
イラン(民主主義指数:1.96、独裁政治体制)出身のモハマド・ラスロフ監督が、祖国を追放されてまで、映画『聖なるイチジクの種』を撮ったりもしている。
こうした海外の映画や本が、観られたり読めたりすることは、民主主義にとって(国内の文化と同じくらい)大切だ。政治とは結局のところ、文化の下流にすぎない。私たち民衆が何を思い、何を話し、何を作り、何を選ぶかが、巡り巡って社会全体の流れを決定づける。ひとつひとつは小さい火花でも、つまらない国境など超えて、混ざり混ざって巡り巡って、大きな爆発と激震を世の中に引き起こすかもしれない。
選挙の結果を受けて、「希望はどこにもない」と嘆く人もいるだろう。民主主義を求めて世界各地で権威主義や独裁に立ち向かう人々を、「どうせ勝てるわけないのに」と虫けら扱いする人もいるだろう。
そんな絶望と冷笑へのアンサーとして、尊敬するアメリカの思想家レベッカ・ソルニットの言葉と、中国の傑作SF小説『三体』から、ひとつずつ言葉を引用して終わろう。
「私がこんなことを書くのは、希望はソファに座って宝くじを握りしめながら幸運を願うこととは違うからだ。希望とは非常時にあなたがドアを破るための斧であり、希望はあなたを戸外に引きずり出すはずだからだ。」
レベッカ・ソルニット『暗闇のなかの希望』
「見てみろよ。これが虫けらだ。こいつらとおれたちの技術力の差は、おれたちと三体文明の技術力の差よりずっと大きいよな。そして、おれたち地球人は、この虫けらをなんとか滅ぼそうと、全力を傾けてきた。(…)この果てしない戦争は、人類文明の開闢以来ずっとつづいてきた。しかし、まだ結果は出ていない。虫けらどもはまだ絶滅してないどころか、我が物顔でのさばっている。人類が出現する前と比べても、虫の数はまるで減ってない。
地球人を虫けら扱いする三体人は、どうやら、ひとつの事実を忘れちまってるらしい。すなわち、虫けらはいままで一度も敗北したことがないって事実をな」
劉慈欣『三体』