『鋼の錬金術師』の2003年版アニメについて
『鋼の錬金術師』の2003年版のアニメが話題にのぼると、必ずと言っていいほど耳にする言葉があります。それは、
「原作を改変したアニメでしょ?」
「原作者を激怒させたんだっけ?」
というものです。
私は2003年当時、あのアニメを観ていました。
そしてあの作品からたくさんの感動と思い出をもらいました。
ただ視聴していただけではなく、ラジオを聞き、アニメ誌やガンガンの記事を読んでいました。
だからこそ、上記のふたつの発言が正しくないことを知っています。
そして、噂を信じた方々が、あのアニメがあたかも原作を汚した駄作であるかのようにおっしゃることに、深い悲しみを覚えています。
今回は、当時鋼を観ていた人間の視点から、あのアニメがどうして原作と異なるのか、そしてあのアニメの価値は何処にあるのかを書きたいと思います。
そして「根拠のない噂」を信じることに遺憾を覚えているからこそ、できる限り出典を明記したいと思います。
ただし、本題に入る前に、以下のことはご理解いただきたく思います。
私はアニメ『鋼の錬金術師』の制作に関わった人間ではありません。
アニメスタジオや放送局、出版社の関係者ではなく、鋼を楽しんで観ていたひとりの子供でした。
今回書くことは、私の憶測にならないよう、できる限り公式の書籍や映像などに基づいたものとし、その出典を明記しますが、関係者ではないため、正しくないことを書く可能性があります。
もしも間違ったことを書いていたら、出典を明記の上、ご指摘いただけますと嬉しく思います。
出典は、現在もうアクセスが難しいものがほとんどです。
これが出典として致命的だということは理解しています。
ただし、22年前のアニメであり、当時は今ほどインターネットも普及していなかったことから、現在簡単にアクセスできなくなったリソースは多々あります。たとえば、当時TVで放送されていた特番、イベント限定のパンフレット、DVDの初回特典の冊子などです。
ただし、それでも出典を明記します。いつか、もしもそれらのリソースがアクセス可能になったとき、確認できるようにするためです。
それでは、まず2003年版の鋼のアニメが、何故あそこまで原作と異なる話になったのかについて説明していきたいと思います。
2003年版の鋼のアニメが原作と異なる展開になった理由
①原作のストックが少なかったから
これは、誰もがご存知のことかと思います。
鋼のアニメが始まった2003年10月の時点で、鋼の単行本は5巻までしか発行されておらず、2003年の12月に6巻が発売されたくらいでした。
これはどれくらい序盤かというと、鋼のアニメ化決定の告知があったガンガンの号で、やっとイズミさんが出てきたくらいです。
当時はまだ、大総統がホムンクルスであるということすら明らかになっておらず、リンなどのシンの人々が出ていないどころか、そんな国があることすら言及されていませんでした。
DVD2巻の初回特典であった『FULLMETAL ALCHEMIST ALCHEMIST to the backbone 2』に掲載されている、ボンズの南さんのインタビューによると、ボンズで初めて鋼をアニメ化しようという声が上がったのが2002年9月で、当時は2巻までしか出ていなかったそうです。
ならば何故、もっと原作のストックができてからアニメ化しなかったのかと思われる方もいるかもしれませんが、それについては『TVアニメ 鋼の錬金術師 OFFICIAL FANBOOK Vol.3』18ページの、水島監督の次のお言葉がヒントになるように思います。
「ただ、当時ガンガンの漫画がアニメ化されることは多かったから、もう他の人がやるものと思っていましたね」
私はアニメ業界の人間ではないですが、いい原作のアニメ化権というのは取り合いで、早く権利を取得しないと他の人に取られてしまう、そういう世界なのだと思います。
そのため、少しでも早くからアニメ化する権利を申請しなければならないので、「原作がある程度進んでから」という悠長なことは言っていられないのだと思います。
②当時のアニメの作り方が現在と違うから
たとえば、近年ヒットした『進撃の巨人』などは、シーズン1が終わったら一度間を置き、原作のストックがたまるのを待ちながら次のシーズンを制作し、できたらまた放送するという手法を繰り返すことで、ほぼ原作通りにアニメを完結させました。
しかし、2003年当時、そのような制作方法を取っているアニメはありませんでした。
あの頃のアニメは、一度始めてしまえば休憩なしで最終回まで駆け抜ける手法を取っており、アニメが原作より早く終わることは当たり前、だからこそアニメがオリジナルストーリーを展開していくことも当たり前でした。
たとえば、名作アニメとして広く知られている『美少女戦士セーラームーン』『ドラゴンボール』『聖闘士星矢』などでも、原作と異なる展開や原作にいなかったキャラクターが追加されており、結末もアニメオリジナルのものになっています。
つまり、当時は原作と並行するため、途中で放送休止期間を設けるのではなく、アニメオリジナルの要素を足してアニメ独自の結末をつけることが当たり前だったのです。
③原作者が要望したから
『TVアニメ 鋼の錬金術師 OFFICIAL FANBOOK Vol.4』P.16-17に掲載されている、原作者の荒川先生と水島監督の対談にて、おふたりが次のようにお話しされています(以下、敬称略です)。
水島:それで、最初の打ち合わせで荒川先生に「ココだけは絶対に外さないでほしい」っていう要望をもらったときに、僕は「基本的に原作に準じてやりますので」って答えたんでしたね。今考えると大嘘ついていることになっちゃったかな?(笑)。
荒川:別に壊しちゃっても良かったんですよ、本当に。
水島:そういう意味では「お任せします」っていっていただけて、正直、本当に嬉しかった。
荒川:とはいっても、まだまだ原作が少なかったですよね?
さらに、こちらの記事には、「アニメ化の際、「マンガと違う独自の結末を」と注文した。」と書かれています。
また、アニメージュの2003年12月号では「原作と全く同じならアニメという別メディアに乗せる必要は無いと思うので」とまで発言されています。
このように、荒川先生自ら、原作とは違う物語を展開することを許可されたどころか、要望されていたのです。
荒川先生は「激怒」したのか
どういうわけか、「あのアニメは原作者を『激怒』させた」とおっしゃる方を頻繁に見掛けます。
これが、アニメの第40話におけるロゼの描写に起因するものであることをご存知の方は多いかと思います。
説明すると、第1話と第2話に登場した少女ロゼが住まう町リオールは、後に軍に占拠されました。そして第39話で登場したとき、彼女は父親不明の赤ん坊を抱いており、さらには言葉を話せなくなっていました。
問題の箇所は、次の会話です。
スカー「お前は、軍がこの町で何をしたか知っているのか?」
エドワード「軍が、この町で何を?」
スカー「彼女は軍に連行され、帰ってきたときには言葉を失っていた」
直接の描写はありませんが、これはつまり、軍に連行されたロゼがそこで性的暴行を受け、望まぬ妊娠と出産を経験し、そのショックで言葉を失ったということを示唆しています。
これに対し、原作の荒川先生は、『アニメディア』2004年10月号のインタビューで、次のように述べられました。
「私が目指す少年マンガにおける娯楽の範囲から逸脱していた。あの描写は通すべきではなかった」
荒川先生がこの件に関して言及されたのは、私が知る限りこれだけです。
これではとても、「激怒した」とは言えないと思います。
荒川先生は本当に一度許可したのか
これに関して、私は関係者ではないため、憶測しか書けません。
しかし、次の事柄から、荒川先生の意見は少なからず尊重されていたように思えます。
合成獣ニーナの描写
『TVアニメ 鋼の錬金術師 OFFICIAL FANBOOK Vol.4』P.16-17に掲載されている、水島監督と會川ストーリーエディターの対談に、以下のような会話があります。
水島:これまで1回だけありましたよね。荒川先生から「これやめてください」と(笑)。
會川:なんかあったっけ?
水島:あるある。合成獣ニーナ(笑)
會川:ああ、あった(笑)
水島:絵コンテを書いた人がかなりエグい合成獣のニーナを描いたんですよ。僕も、タッカーが正気を失っている部分を表現するのは、ここまでエグくてもいいのかなぁと思っていたんですよ。で、ダメかもしれないけど、一度出してみようと出したら「これは可哀想過ぎるよ」と。「あ、やっぱり」みたいな(笑)
これを読む限り、荒川先生が不適切だと思った場合は、ちゃんと拒否権があったように思えます。
また、『TVアニメ 鋼の錬金術師 OFFICIAL FANBOOK Vol.5』P.9の『CRATOR’S VOICE』にて、會川さんが次のように語っています。
「放送が2クールから4クールに決定したとき、ラスボスのアイデアを十数種類出しました。それとともに、物語をどう終わらせるかを検討したわけです。荒川先生とも相談した結果、最終的に今の形に落ち着きました」
これらを踏まえると、アニメ制作者さんたちは事あるごとに荒川先生にチェックを取っていたように思います。
もちろん、真実はご本人たちにしか分かりません。
しかし上記の発言を真っ向から受け止めると、「アニメ制作者たちが荒川先生にチェックをお願いし、荒川先生もロゼの描写を一度許可したが、やはり承認するべきではなかったと後悔している」のであって、決して「制作者たちが勝手に原作をこねくり回し、荒川先生を激怒させた」のではないように思います。
では、あのロゼの描写は本当にやりすぎだったのでしょうか?
2003年版『鋼の錬金術師』が、戦争を掘り下げた理由
鋼の原作にも、マスタング大佐たちがイシュヴァール戦に参加する描写があるため、鋼はもともと戦争とまったく無関係ではありません。
しかし、後から2003年版のアニメをご覧になった方の中には、「どうしてこんなに戦争に焦点を当てたんだろう?」と思われた方もいるかもしれません。
そこで、ここからはあのアニメが放送されていた当時の状況をご説明したいと思います。
911、アフガニスタン侵攻とイラク戦争
鋼のアニメが放送されたのは、2001年にNYで起こった同時多発テロ事件、通称911の2年後でした。
その後、アメリカはテロと戦うことを表明し、アフガニスタンを攻撃してタリバン政権を打ち倒しました。
さらに2002年、イラクのフセイン政権が核開発の査察を拒否したことを理由とし、アメリカはイラクを攻撃し始めます。
これが世に言う「イラク戦争」です。
大国アメリカが戦争を始めたということもあり、当時のことを思い出すと、世界的に「この戦争に大義名分はあるのか」「報復戦争は肯定されるべきか」といったことが議論されていたように思います。
要するに、世の中の関心が戦争に向いていた時期に制作され、放送されていたのです。
竹田プロデューサーの想い
鋼のプロデューサーを務められたのは、毎日放送(MBS)の竹田靑滋さんという方です。
竹田さんはもともと報道畑ご出身でしたが、2001年にアニメ-ション部門へ異動されました。
竹田さんはこちらのインタビューで、初めて担当された『機動戦士ガンダムSEED』について、次のように語られています。
「2002年にシリーズがスタートしたんですが、ちょうど2001年の9月11日に例のテロがありツインタワー崩壊という、考えられないような映像の凄さがあり、アメリカの報復戦争が始まるというところと重なりました。そのため、リアルタイムで本当の戦争の映像が流れた後で、画面が切り替わって、ガンダムSEEDというアニメでも戦争が行われているというパターンだったので、そこで「何を能天気なことやってるんや、これ?」といわれないような設定、作り込みを目指しました」
これはガンダムSEEDについてですが、竹田さんは鋼劇場版の特番(2005年7月放送の、『劇場版「鋼の錬金術師」人気の秘密大追跡SP』)で、鋼についても次のように語られていました。
「人間というのはテクノロジーを手にした時、錬金術っていうテクノロジーですけど、架空の世界のテクノロジーですけど、それが暴走してしまう危険っていうのは必ずあるわけですよね。現実の世の中の方が、ニュースなんかで流れてくる現実の戦争の方がよっぽど激しくて陰惨で、悲惨なことが起こっているわけですから、そういったものに警鐘を鳴らすっていう意味ではないですけど、そこまで大げさではないですけど、そういったことを子供たちにも感じてもらえるんじゃないかと思ったんで」
つまり鋼も、現実から切り離されたファンタジーではなく、現実世界を映す鏡となるような作品を目指して作られたということです。
世界中が戦争の是非について熱く議論していた当時、原作にも戦争の要素を持つ鋼のアニメが、戦争や世界に関する問題を描き始めたのは、納得がいくように思います。
そして実際の戦争で、侵略された土地の女性が兵によって暴行を受けるというのは、悲しいことによく耳にする話です。
確かに子供を対象にしたアニメで、そういった描写を入れるのは過激すぎるかもしれませんが、戦争の悲惨さを描きたい制作者さんたちが、そこまで踏み込みたかった気持ちは、わかるように思います。
2003年版『鋼の錬金術師』のすごさと意義
「普通」ではない作品
前述のとおり、私は子供のころに2003年版の鋼アニメをリアルタイムで観て深く感動しました。
何に一番感動したかというと、今思えば、画面から伝わってくる制作者さんたちの「覚悟」と「信念」に対してだったのだと思います。
ほんの少しだけ自分の話をさせてください。
私はもともとガンガンを読んでいたので、アニメ化する前から鋼が好きでした。
そのため、「どんなアニメになるかな」と、どこか値踏みするような気持ちで第1話に臨みました。
そして第1話の冒頭、人体錬成に失敗した兄さんの脚が千切れている様が画面全体に映ったとき、「このアニメは本気だ」と感じたのを覚えています。
ただ過激なだけではなく、それに伴う深いメッセージがあり、絵も音楽も台詞も演出もどこまでも洗練されていて、私の感覚では、当時の平均的なアニメの一歩も二歩も先を行く革新的な作品でした。
あんな風に、子供向けのはずなのに、容赦なくぶつかってきてくれる作品は初めてだったのです。
だからこそ、私も1年間本気で観たのだと思います。
(ちなみに、人体錬成のシーンの逸話について、監督がこちらのインタビューでお話しされています)
ただし、やはり残酷なので、クラスメイトの中には「お母さんに観るなと言われた」と言って観るのをやめている子もいました。
また、私たちの年代にはやはり少し難しかったので、話の意義などについて語り合える友達はひとりもいませんでした。
少年漫画が原作なのだから、もっとわかりやすくマイルドにしたほうがいいだろうと思う方もいると思います。
しかし、『劇場版「鋼の錬金術師」人気の秘密大追跡SP』において、竹田さんは次のようにおっしゃっていました。
「子供向けに目線を下げたり、目標値を下げたりするのはしないほうがいい。子供に対してやっぱり『子供騙し』っていうのは通用しないと思っていて。『子供騙し』が通用するのは実は大人だけ。その一瞬だけを捉えて、衝撃的と思うかもしれませんけど、51話のシリーズを全部見て、あれは必要だったんじゃないかと必ず感じてもらえる確信はあった」
結果的に、あのアニメは高いメッセージ性が評価され、社会現象と呼ばれるほどにヒットしました。
もちろん、素晴らしい原作があったからこそですが、たとえ原作が素晴らしくても、アニメが「こんな感じでいいでしょ?」と中途半端に作っていたら、決してあそこまで人の心を掴むことはなかったように思います。
確かに、原作とストーリーは違います。
しかし、そこに込められた「この作品のメッセージを絶対に視聴者の心に届けてやる!」という想いは、本物だったと思います。
あれはあの素晴らしい原作を、理解・分解・再構築した、紛れもない『鋼の錬金術師』だったと私は思います。
2004年末に開催された「鋼の錬金術師 FESTIVAL 2004」のパンフレットで、月刊少年ガンガンの当時の編集長をされていた松崎武吏さんは、鋼のアニメに関して次のようにおっしゃっています。
「TVアニメ『鋼の錬金術師』に関わる現場に訪れると、いつも言葉では表現できない大きなエネルギーを感じます。[...]そのエネルギーを痛烈に感じたのは、恐らく全ての現場が、作品に対し”魂”を込めていたからに他ならないと思います。
『命をかけてものをつくれば、すごいことがおこる』
ものづくりに関わる仕事で、一番大切なものを、改めて教えられたのがこの作品でした」
また、同パンフレット内で、竹田さんは次のように書かれています。
「まさに、人と人との錬成反応が起きていたのだろうと思います。こういう稀有な機会に恵まれたことを本当に誇りに感じています」
ただの視聴者だった立場でこんなことを書くのはおこがましいと重々承知ですが、あの作品からは、画面の端々からそんなエネルギーが伝わってきたように思いました。
鋼を世に知らしめたアニメ
『TVアニメ 鋼の錬金術師 OFFICIAL FANBOOK Vol.4』P.17にて、水島監督は次のようにおっしゃっています。
「でも確かに、局が違ったらエドの機械鎧すら出せないかもしれないっていわれたことはあった」
また、DVD4巻の初回特典であった『FULLMETAL ALCHEMIST ALCHEMIST to the backbone 4』で、竹田さんも次のようにおっしゃっています。
「エドの右手と左足が欠けているので、ほかの局では放送できないと判断されていたらしい」
今となっては、「『鋼の錬金術師』の主人公は義手と義足を着けた少年である」というのは広く知られた事実ですが、当時は義肢を着けた子供の姿をTVに流すことすら異例だったのです。
そんなところから始めて、鎧アルの声の加工方法を試行錯誤したり、放送コードギリギリの映像に挑戦したりして、『鋼の錬金術師』の名を世に知らしめたのは、あのアニメでした。
ガンガン自体の知名度が、「世間の誰でも知っている雑誌」とは言い難いこともあり、鋼の原作は「知る人ぞ知るすごい作品」だったように思います。
その鋼が、誰もが知る爆発的ヒット作品となったことに関して、あのアニメが果たした役割は決して小さくないだろうと思います。
そしてこれは「もしも」の話にすぎませんが、あのアニメがあそこまでヒットせず、原作の知名度もそこまで上がらなければ、原作準拠の『鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST』が作られることもなかったのではないでしょうか。
最後に
「ひとつめの鋼のアニメは、原作を好き勝手改変した悪い作品だから嫌いだ」とおっしゃる方へ。
別に観なくても構いません。
観た上で「自分はやっぱり好きじゃない」と思われるのも、もちろんあなたの自由です。
でも、あのアニメが鋼の知名度を飛躍的に向上させ、後のアニメ、映画、ゲーム、舞台などに続くインフラを敷いたことを、心に留めておいていただければ嬉しいです。
そしてあのアニメに、ほんの少しだけの感謝と敬意を持っていただけたら、あの作品に感動し、ずっと愛しつづけている人間としては、とても嬉しく思います。
そして、もしもここをご覧になっている関係者様がいらしたら……。
勝手に色々なことを書いて申し訳ありません。
私はあのアニメと劇場版が、今でもずっと大好きです。あの感動をずっと覚えています。
そして同じような気持ちの方々がたくさんいます。
最近は、鋼の新しいグッズなどが出ても、すべてFAの絵なので正直さびしい思いをしています。
アニメの放送開始から20周年のときも、劇場版から20周年のときも、なにも企画がなかったのもさびしかったです(同じボンズさんの、エウレカはお祝いされていたからこそ、尚更……)。
あのアニメをずっと覚えていて、愛しつづけている人間たちがいることを、どうか知っておいてください。
そしてあのアニメのことも、折にふれて取り上げていただけたら、嬉しいです。
そして最後に、「あのアニメは原作者を激怒させた」という噂を信じている方へ。
劇場版のガイドブックである、『Absolute Cinema Guide』の帯に、荒川先生が寄せられたコメントをお見せしたいです。
最後までお読みくださって、ありがとうございました。



自分は旧アニメから鋼を知り、当時はグロものが好きだったのでニーナの残虐なシーンを見て「原作はもっとえぐいんだろうな」という期待で原作を読み始め、結果的に旧アニメが嫌いになりました。新アニメは大佐が派手に炎を出してるプロモーションを見て解釈違いだったので見てません。 私はインタビュ…
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