宇陀の御井神社 その1 | まーりんのまりんエッセンス

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宇陀に「御井」神社があるときき、

どうしても行きたくなった。

 

「御井」といえば

わたしは久留米の御井しか思い浮かばん

 

耳納山系の西の端、筑後川が有明海に向かって方向転換する辺り。

高良大社がある辺り。

 

御井-三井-巳

 

 

 

宇陀の御井神社に祀られている御井神は、

もともと食井明神 とも氣比明神とも呼ばれていたという。

 

週末の大寒波との予報が繰り返されるなか

気温が上がったきょう、榛原に。

 

 

 

 

御井神社

奈良県宇陀市榛原檜牧(ひのまき)964

 

榛原駅、墨坂さんの鳥居を過ぎて、ずーっと山際をいくと

 

あらっ カーブの先に突然、鳥居。

 

 

 

 

右わきの道:参道つきあたりの神社駐車場へ
左わき:宇陀市立榛原ゲートボール場
(参道の立札「トイレ→」はゲートボール場を指しており、そっちにゆけと。境界意識ゆるい。”両方公共のもの”という感じ)
 
 
 
きたぜ。御井神社。

 
 

 
 

 
 

御井神社

 

ご祭神  
御井神、天児屋根命

天照大神、水分神

 

(この順番が)

 

延喜式内社

宇陀郡十七座の一。

 

●『大和志』に「檜牧村ニ在リ今食井明神ト称ス」とあり、食物主宰の神を祀ったとされる。

 

● 現在の檜牧・自明(じみょう)・高星の他に、旧来は高井も「祭祀ニ預ル」と記され、

同様に氏子地域であった事を窺い知る事が出来る。

 

● 御井神は、『古事記』によると、素戔嗚命の子で、母は稲葉八上姫で、木俣神と称し御井神ともいう とある。

 

「玄松子の記憶」によれば、

当所は「三井山の麓にあり」と記されるが、今のところネット検索で「三井山」は未確定。

また「以前は、食井明神とも称したらしく、食井明神とは御食津大神のことで、気比明神とも称された神。だが、本来は御井神であり、木俣神とも呼ばれる素盞鳴尊の御子神なのだ。」

 

ここで 食井明神=御食津大神=気比明神

 

という関係が明かされるが、宮司による上記公式には「気比」との関連については記載がない。

 

玄松子氏も、だが本来は 御井神/木俣神=素戔嗚の御子 としている。 

さあどうだろうか。

 

 

● 例祭(秋季大祭)には、天照大神の御子神様である、市岐島比売命を祀る高星市岐島神社より、親神さまの当社へ御輿の渡御があり

檜牧・自明 何れも太鼓台を担ぎ、参道を行列し、神社に到着後の祭儀は、一年中最も盛大なる祭典である。

 

※これもどうなんだろうか。

市岐島比売は果たして誰のとこに渡御するのか。

 

ここから東吉野まで下って国見山から伊勢に向かうと、松阪飯高。そこに残る大和と伊勢の国分伝説では、白馬に乗った天照女神と、鹿に乗った翁の春日大神がここで出会い、国分をする。わたしの経験では、その辺一帯から少なくとも奈良県東部は、天照大神=妻、春日/天児屋根=夫という夫婦神が祀られているとみなすと「なるほど」なケースが非常に多い。

ひるがえって御井神社のご祭神をみると、御井神、天児屋根命、天照大神、水分神。

すでに夫婦で祀られてるじゃん。

残る御井神と水分神は。

これさー、御井と水分て、おんなじことなんじゃないかな。

宇陀水分神社、これも宇陀郡十七座なんだけど、上芳野の惣社水分神社の速秋津姫命が、年に一度、夫である宇太水分神社の速秋津彦命に会いに行く=神輿渡御があるんだよ

 

 

社殿

入母屋造の拝殿の奥、五尺高い所に木造瑞玉垣を巡らし、神明造の本殿が、北東に面して鎮座。

境内には、祓戸神祠と嶽神社。

古来より二十年毎の式年造営事業が行われている。

 

 

別記

境内奥地には当所が北限とされる天然記念物ツルマンリョウの自生地がある。

 

※後述な。

 

 

 

 

参道はめちゃ長く、美しい
松と、檜 植生が楠とか”いつもの”と違う

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 
 

 
 

 
 

 

 
 

 
 
氣 比 大 明 神
 
 

 
 

 
 
 
 

 
 

この先に→ ツルマンリョウ自生地
 
 
 
 
ツルマンリョウは台湾、中国のほかわが国では
鹿児島県屋久島
山口県出雲神社境内
本県に自生する希産種。
 
本県では
吉野町・妹山樹叢・山口高鉾神社境内
東吉野村・八幡神社境内・丹生川上神社中社
榛原町・初生寺境内・御井神社境内
に分布をみる。
 
そのうち御井神社境内はツルマンリョウの北限地。
 
※山口県山口市徳地の出雲神社のほか、
山口県部市の熊野神社も自生地。
奈良県陀市の御井神社、と。
 
 
 
 
で、この奥なんだけどね・・・
 

 
 
階段がきれたら まじ山のなかだった
(本殿の裏山)

 
 

 
 
 
どれがツルマンリョウかわからんかった
 
落ち葉がどっさりで 地面ふかふかなんやけど、
その下に 苔とかいろいろな芽があるみたいやったから
それ以上進まんで戻ってきました
 
 

 
 
この石段・・・
ぜったい車椅子のひとのためじゃないよね
 

 
 
 
 
ゲートボール場からみた境内
 

 

 

 

 

 

市岐島神社にはいけてないので、またこんど!

 

 

 

というかね、

ここを後にしてどこにいったかというと

 

もうひとつの

御井神社。

 

 

 

 

伊那佐山を挟んで反対側に、境内社御井神社をみつけてしまったのだよ。

 

 

 

いまお参りした御井神社を伊那佐山の北東(鬼門)と表現しているyoutubeがあった(それがきっかけでここまで来た)けども そうかなあって思ったのは 伊那佐山は神山かもしれんけど、都の内裏とか中心地じゃないのにそういう守りが必要かな?という気がちらっと・・・

 

鳥居のとこで見たように「本殿は北東に面して鎮座」なので、ここから南西に線を引っ張ると

伊那佐山より八咫烏神社(黄○)になるような?

で、裏鬼門は・・・なんもない感じ・・・やっぱ鬼門は関係ないのではないかな

 

 

そういえば八咫烏の伝説、神武…は、

もとは宇陀の在地氏族の逸話だったのが山城の賀茂氏の勢力が強くなってきたがためにカモのタケツノミの物語になったのでは、と八咫烏神社境内の案内板にあります

 

御井神社→三井山、三井氏奉斎というのを他の方々のブログで散見しますが、あくまで「らしい」というか、個人の見解どまりで一次情報がでないですね

みんな気になってるから書いてるんだと思う・・・あー気になるう

 

 

古代の宇陀の実際はどんなだったのでしょう

それがわかれば、ね・・・

 

 

 

(つづく)

 

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