Fragment Ⅰ:今のVについて思うことと五十嵐梨花さんのこと

・「告白」について
 詳しくは覚えてないし確認の手間を取るのも面倒なので厳密を期さないが、ジャン=ジャック・ルソーの書いた『告白』は、フランス語の原文が「Que」という単語で始まっている(と記憶している)。フランス語の「que」という単語は非常に意味が多く、それだけでは意味が定まらない。意味を示す語というよりは、関係代名詞や名詞節を作る場合に要請されるコマンドのような語であり、用法を単語それ自体で確定することはできないと言った方が正しいだろう。『告白』の冒頭は、書き手(色々な問題はあるが、とりあえずルソー本人であるとしておこう)がこれから話すことについて、神が自分を裁くなら裁くがいい、天のラッパが鳴り響くなら鳴り響くがいいと嘆きを表明するところから始まっており、queはこの感嘆文を独立節として形成するコマンドである。何の話かと思われるかもしれないが、ルソーは『告白』と題した自叙伝を書くにあたり、最初から幼少期の話を一人称や三人称でいきなり語るのでもなく、読者に向けて語り掛けるのでもなく、queを用いた独立節の感嘆文で天に向かって自らの処遇を問うところから始めたという事実に着目したい。ルソーは『告白』の中で、自らが犯した様々な反道徳的行為について赤裸々に語っている。と思えば、父と朝方まで読書に没頭した暖かい幼き頃の記憶もノスタルジアとともに語る。ルソーは「すべてを語る」と宣言する。そこで言われているのは、「すべて」なのである。自分は、ルソーが冒頭に置いた神(Ciel)への呼びかけとしてのqueを、ある種のためらいだと思っている。恥ずかしいことも、誇らしいことも、いとおしく思っていることも、すべてを語る。そのためには、ためらいというワンクッションが必要なのである。その意味で、ルソーの『告白』の冒頭でやや我田引水気味に解釈した「queのためらい」を通して、自分もまた自分の「告白」をためらっている。
 「告白」というものにはためらいがつきものである。自分の罪を述べることも、想い人に気持ちを伝えるのも、もちろん外国語では違うのかもしれないが、日本語では同じ告白である。罪の軽重を問わず、罪の意識はそれを言うことを難しくする。愛の告白は相手のことが好きであればあるほどその前段階で思わせぶりにならざるを得ない。溜めて溜めて、ようやく吐き出す。告白とはそういうものである。
 自分はことあるごとに、好きなコンテンツについてひとつの「告白」のようなものを言葉にし続けていた。それは多分、Twitterよりも同人誌よりも、ブログという形式を取って表明されていたと思う。常に前置きが迂遠になり、かと思えばいきなり本題に飛躍し、苦し紛れに言葉を紡いで、何も言えないまま終わる。そういうことを繰り返してきた。「論」のような形式を一見取っているものであってさえ、それは個人的な告白だった。罪だったかもしれない。愛だったかもしれない。しかし、それはルソーがまず長大な自叙伝の冒頭を「Je」でも「Il」でもなく、「感嘆文を示すコマンド」である「Que」から始めることによって、ためらいと同時に自らでは裁くことのできない自らの業の審判を天に委ねたように、恐らく自分も書いている自分であるとか、読者ではなく、何か超越的なものに俺が書いていることは許されることなのかという審判を委ねていたのかもしれない。自分にとって、何かを好きであるということはその何かについて書くということだった。物心ついたときからそうだった。いつしか自分の内面を書くようになったし、内面とは関係のないところで文章を書けるようにもなった。それでも常に問題になっていたのは、内面と結びついた好きなものについて書くことだった。

・Vtuberの話
 そういう意味で、Vtuberは飽き性な俺がかれこれ今年で8年目のオタクを続けている稀なコンテンツである。とはいえ、これだけ年月が経つと、どうしようもない部分や人間の汚いところ、業界の膿が露見してくる。ホロライブの一連の人間関係と権力のゴタゴタ、最近だとにじさんじライバーの前世での発言など、定期的に掘り返されて炎上しては皆忘れていく。アンディ・ウォーホルは「テレビがあれば誰でも10分は有名人になれる」(うろ覚え)と言ったが、今やSNSで本当に誰でも親指1スクロール分の有名人になることが可能だ。自分にしたってふとした発言がありえないRTといいね数になって貧血を起こしそうになることがある。それはともかく、そういうSNS時代の病理と俺の病理とVtuberというコンテンツが持つ病理、その三つが奇跡的に噛み合って今のような幸せなオタク生活を送ることができていることはとりあえず間違いない。アイドル、ソシャゲ、女性声優。それぞれ嫌になるくらいどっぷり浸かった。しかしどれもVtuberほどには長続きしない。それは恐らく俺の下衆の勘繰り根性が由来していて、人間の浅ましい部分を含めて俺は見たいと思うし、浅ましい部分が俺はいとおしいのである。Vtuberは生配信をする半分ナマモノだから、そういう根性や何がいとおしいと思うのかというアンテナにピッタリハマった。もっと高尚な理由をつけようと思えばつけられるだろうが、まあ大体そんなところである。
 Vtuberにオタクたちが未来や理想を見ていた時期というのがあるのだが、結構これには個人差がある。人によっては四天王で終わったと言うだろうし、人によってはにじさんじSEEDsまでだと言うだろうし、さらに人によっては桐生ココまでだと言うだろう。ただ、オタクたちの共通認識として、なんとなく「今」は「終わった後」という雰囲気がある。技術的・思想的なブレイクスルーやパラダイムシフトは確かにあった。しかし、オタクも運営も頭が悪くて性格が終わっているのでそれを生産的な未来のコンテンツに昇華できず、結局アニメとアイドルの間の二番煎じとしてデータベース消費の消化試合を続けている状況が今なのだ、と。結局、俺たちはVtuberを通してどんな夢を見たかったのか?インタラクティブなキャラクターとのコミュニケーションだったのか?インターネットの萌え文化の閉塞感を打破する哲学的な突破口だったのか?あるいは、ジャパニーズkawaiiの新たな旗手だったのか?こういったことをかつて悲観とともに述べ、Vtuberなんて低俗なコンテンツに時間と金をかけるのはやめて倫理的であろうと呼びかけたブログがあった。2020年ごろだったと思う。俺はそのブログに対して応答したブログを書き、その中で正の倫理に対して負の倫理的格率というものがオタクには存在し、負の格率を実践できる人間が今後のキャラクター消費のオタクに要請される能力で、なおかつコンテンツを育成するのは倫理ではなく美意識であるとした。あれから6年が経とうとして、俺はこれからのVtuberに楽観的なビジョンを抱いている。この後で少し話すidiosは運営でも、オタクでもなく、メンバー間が「こういうことをやりたい/グループとしてこうありたい」というのをあえて言語で明確化せず、しかし共有されている空気として美意識を打ち出した点で、明確に今のVtuber業界で際立っていると思う。たまたまではあるのだが、たまたまはある。それが見えただけでもいいじゃないかと思う。本当はVtuberにはキャラクター消費以外の面もある(物語に関する問題など)が、ここでは割愛する。というか、他のところで何回も同じ話をしすぎて疲れた。この辺を適当に読んでください。


・ややナイーブすぎる個人的なこと(五十嵐梨花さんのこと)
 8年もVtuberオタクをやっていて、色々言えるようになった。ひとつ思うのは、いわゆる「Vtuber学」のようなものをやっている人たちがそもそも発想にないのかくだらないものとしているのかは分からないが、「Vtuberを観ている自分」の欲望やリアリティについて関心を持たれることは少ないということだ。「~について」の話は散々されてきたと思う。しかし、そうじゃなくて、彼/彼女を観ているオマエは一体どういう気持ちでそのVtuberを観ているんだということにしかずっと興味を持ってこなかった(特に言説の水準において)。それは声というフェティシズムでもいいし、「中の人」というタブーでもいいし、ある種の理念への共感でもいいだろう。とにかくVtuberに関して、「この子をどう観ていて、そこに何を感じているのか」を表明している人が好きだし、自分自身がTwitterでも文章でもそういうスタンスを保ってきた。そこには先ほど言った「負の格率」も絡んでくる。俺は、アイドルオタク時代、「自分たちのことが好きなことによってファンの皆さんもそれを誇りに思ってください」というアイドルたちの語り掛けに心底辟易していた。東浩紀ではないが、「自分の好きなものを内輪のコミュニティ以外で大声で言ったら"終わり"」なのである。オタクは恥ずかしいものであり、日陰でうごめくフナムシであるという認識を持っていた(今は少しずつ考え方を改めているとはいえ)自分にとって、アイドルの「ファンダム=清廉潔白であれかし」という宣言は苦痛だった。それは多分、自分が恥ずかしいフナムシ野郎だったからアイドルにもそこまで降りてきてほしかったのかもしれない。Vtuberもアイドルに含めていいのだとすれば、キラキラしているステージ上の姿に対して、自分は彼女らも我々オタクと変わらない「人間」であってほしいと望んだ。
 昨日、飲み会の帰りに、自分のidiosの推しメンの五十嵐梨花さんがメンバー配信をやるというTwitterの通知が来て、帰りの東西線で配信をつけた。冒頭で、彼女は少し口ごもって、「自分のアイコンで、他のライバーさんにちょっとこれは……っていう言動をしてる人が何人かいるんだよね」と切り出した。俺は彼女をアイコンにしていて、ある意味俺の「ルール」に則った言動はしていた。断っておくが、俺は俺の言動を下卑ているとか、誰かを貶めるものであるとは思っていない。ただ、「負の格率」は事実として「負」であり、「正」であることは天地がひっくり返ってもありえない。中学1年生のときに天井に貼ったAKBの推しメンの柏木由紀のポスターを見つめながらオナニーしていた頃から、あるいは初めて恋愛感情を小学生のときに抱いた女の子のことを考えると何故かチンコが硬くなって苦しいと思っていた頃から、「好き」であることと性欲は一直線に連結していた。推しでシコれなければ推しではないとすら思っていた。五十嵐梨花さんに対しても、他のidiosのメンバーに対しても、俺は心の底から彼女たちのことを愛していて、愛しているからこそそれを直接的な形(オナニーのオカズにする、など。そういう話は目につかないところでしている)ではなく、自分なりに素直に言葉にしていた。ただ、自分の表現が角が立つものであることも分かっている。俺はメンバー限定配信が終わった後、彼女のエゴサに引っかかるように「りかしぃ」の文字列を入れてツイートを連投した。俺のことかはわからないけど、俺はりかしぃとidiosのことを心から思っている、だからこそ勃起が抑えられない、俺を赦してくれと懇願した。ひとしきりツイートを終えて、なんとなく嫌な予感がして彼女のホームに飛んだら、ブロックされていた。アイコンが五十嵐梨花さんそのものだったことが一番の悪手だったのだと思う。それだけに、以前のスパチャでほとんど特別扱いだった記憶も痛みとともに思い出された。
 りかしぃは俺にとって特別である。かつて俺は自分の原稿の中で、「推し」という言葉は今はカネと承認を示す言葉でしかないが、元々は手の届かない存在に対する崇敬の念を純粋に示す言葉だったんだという話をAKB全盛期を懐かしみながら述懐したことがある。りかしぃは、もう30も手前になり、「オタク」という行為が息を吸う行為よりも当たり前になった自分はもうあの頃のような「推し」に出会うことはないだろうと思っていたら、突如現れたスターだった。そのような存在には触れることすらままならないと思っていたら、何気なく投げたスパチャで「いつもツイート見てるよ~!」と言われ、修士論文を労われた。俺は太陽に近づき過ぎたのかもしれない。しかし、それでも太陽は光となり熱となって俺を照らしてくれる。あれだけ「〇〇論」を書いてきた俺が、彼女についてだけは「五十嵐梨花論」を書けないのも、その近さと安らぎという相反する要素を言葉にできないからかもしれない。
 「負の格率」は、アイドルやVtuber以前に、俺という人間の軸の一部である。斜に構えるとか逆張りではなく、そうすることが俺にとって最も自然であり、そういう枠組みで生きてきた。これは別に日頃から分かりやすく反道徳的な振る舞いをするとかではなく、そういう理念の軸が備わっているということでしかない。五十嵐梨花さんやソフィア・ヴァレンタインさんが俺に下した三行半の意図を完全に汲むことはできない。もっと他の思惑があるのかもしれない。それでも、仮に上に述べたことが彼女らの逆鱗に触れたとしても、俺は当面これを変えることはできない。意地とかではなく、自分のリアリティを変えることは難しいという話である。なおかつ、俺はidiosを愛することをやめない。俺は審判を天に任せるが、ルソーの言う超越的な存在は、俺にとっては五十嵐梨花さんである。彼女は俺を地獄に突き落とした。しかし、彼女は自ら俺を選んだのだ。だからこそ、俺は一層りかしぃを心から愛する。これは久しぶりに書いた、論でもなんでもない、好きなコンテンツが「コンテンツ」ではなくなる瞬間の素晴らしさに打ち震える自分自身の今の気持ちを率直に書いた殴り書き。高校生の頃から変わっていない自分の青さを青さとして許せる時間を、今はもう少しいとおしく思わせてほしい。

だがお怒りを被ってなお、私は喜びに打ち震え愛に甘く酔う。
見るがいい、わが主の御手により王手を詰まれたこの私を。

私こそは選ばれた者、わが主に望まれて王手を詰まれたのだ。
主に王手を詰まされたのだ、主に王手を詰まされたのだ、

主に王手を詰まされたのだ!

ルーミー「イブリースの告白」


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Fragment Ⅰ:今のVについて思うことと五十嵐梨花さんのこと|Désir
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