Oliveを創った男 蝦名芳弘を探して 第十回
1972年に「アンアン」編集長が木滑良久から甘糟章に交代して以降、雑誌内でスターになったのが、創刊時に淀川美代子らとスタッフ採用され、本国版「ELLE」から使えそうな素材を選ぶ係をしていた慶應仏文卒の原由美子である。原はスタイリストとして誌面で活躍するようになり、甘糟がその後に手がけた「クロワッサン」や「エルジャポン」といった女性誌で画期的な仕事を続けていく。
甘糟と縁深い人なら、当然片腕だった蝦名芳弘について書かれているはず。そう思って、自らの仕事を振り返った「原由美子の仕事 1970→」(ブックマン社)を読んだのだけど、木滑や甘糟はもちろん赤木洋一や中谷規子まで登場するのに、なぜか蝦名の名前だけ出てこない。おそらくこれは意図的なものである。「アンアン」のスタッフが「クロワッサン」創刊を進めている箇所で「甘糟さんや当時の副編集長」と、敢えて副編集長だった蛯名の名を書くのを避けているのだから。なお「クロワッサン」の人気連載「あの男をこう変えたい」が一番乗っていた頃、蝦名は同誌の編集長を務めている。
1989年、原はそれまでの仕事をすべて絶って、タイム・アシェット・ジャポンが直接刊行することになった「エル・ジャポン」のファッション・ディレクターに就任する。しかし意見が合わずに半年ほどで退任し、収入ゼロの危機に陥ってしまう。そんな彼女に仕事をくれたのがTBSブリタニカから刊行された「フィガロジャポン」だった、と書いてあるのだが、それこそが蛯名が立ち上げた雑誌なのである。なのに、蛯名の「え」も出てこないのは何故だろう。
フリーランスだから色々遠慮したのだろうか? いや、原敬の孫として生まれ、七里ヶ浜を見下ろす大豪邸で育ち、湘南白百合学園時代はテニス部のエースだった(つまりお蝶夫人的存在だった)原に本来遠慮すべきものなどないはず。彼女ほどのナチュラル・ボーン・セレブすら恐れるタブー案件なのか、それとも逆に蛯名と親しくて、生前「俺の名前を出さないで」と頼まれていたのだろうか。謎は深まるばかりなのだった。


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