《母親は若年性アルツハイマー》20年以上介護を続けるフリーアナ・岩佐まりが語る両親との向き合い方 「明日行く」と約束した父からの最後の電話…「お母さんをよろしくね」の言葉に今も残る後悔
母親の介護に後悔はない。一方、離れて暮らす父親は……
――20年以上介護を続けられて、一番つらかったことは? 岩佐さん:今お話しした、母と暮らし始めた初期ですね。私は仕事もしているので、介護と仕事で、寝不足と疲労で心身の限界がきました。そんな私を見て、ケアマネジャーさんから「介護から離れて、ご自身の時間を作ってください」と助言されたんです。それから毎週土日、1泊2日のショートステイを利用するようになると、体が随分と楽になりました。あのアドバイスがなかったら、私は母と共倒れになっていたかもしれません。 介護に忙しくて誘いを断っているうちに友人が減りましたが、「お母さんと一緒でいいから」と家に来てくれた友人は、今でも親しくしています。深く付き合える人だけが残ったので、むしろよかったのかもしれません(笑い)。 ――老人ホームのような施設の入居は検討しなかったのですか? 岩佐さん:アルツハイマーと診断されたあたりに家族で話し合いましたが、老人ホームは母が泣くほど嫌がったんです。当時はまだ60歳ですから、親くらい年の離れた方が入居している施設に入りたくないという気持ちはよくわかりました。父はもう母の介護ができないと言うし、このタイミングで私が母を東京に呼ぶことにしたんです。 ――現在、母親は77歳でほぼ寝たきり、岩佐さんを娘だと認識できなくなっているそうですね。岩佐さんは第2子を妊娠中で、2歳のお子さんを育児しているダブルケアラー。改めて施設という選択肢はない? 岩佐さん:母は要介護5、喀痰(かくたん)吸引は多い時には1時間に1回必要で、胃ろうもしています。それだけ医療的な依存度が高くなっていると、看護師が24時間いる施設が条件になってきて、受け入れ先が少ないんです。少なくとも近くにはありません。ここまできたら、最期までそばにいたいという思いもあります。 ――長い介護生活を振り返って、こうしておけばよかったという後悔はありますか? 岩佐さん:母については、基本的に後悔はありません。もちろん、細かいことはあるんですよ。例えば、母はおととしの3月に「胃ろう」にしましたが、きっかけは新型コロナに感染して嚥下機能が急激に落ちたことでした。その頃は母のコレステロールを気にして、甘いものを控えていたんです。こんなに早く経口摂取できなくなるなら、大好きなパフェやケーキをもっと食べさせてあげたらよかった。 母については一緒に暮らして、ずっと近くで寄り添っているのですが、3年前に亡くなった父に関しては、後悔があります。私が母を引き取ってから、父は大阪で1人暮らしをしていました。脳梗塞を起こして歩行が困難になり、買い物や調理は毎日ヘルパーさんにしてもらっていました。
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