《若年性アルツハイマーの母親を20年以上介護》フリーアナ・岩佐まりが20歳で決めた介護の道 住所が途中で途切れた封筒に切なさ、「介護なんてでけへんぞ」と言った父親の涙
認知症の母を「引き取ってくれ」と言った父は別れの夜に泣いていた
岩佐さん:母は60歳でアルツハイマーと診断され、それから1年後、1人で介護している父の疲労がピークに達しました。もう母は家事ができなくなっていたので、父は仕事と家事と介護をし、イライラから夫婦ケンカも増えていました。 徘徊も始まっていて、父に「引き取ってくれ」と言われたため、私はワンルームの部屋から2部屋あるマンションに引っ越して、母を迎える準備をしました。 私が上京した19歳から、母は私の誕生日に1万~3万円ほど、現金書留でお金を送ってくれていました。大阪の母の部屋に入ると、私の東京の住所が途中まで書かれている封筒がありました。引っ越しをした私に、せめてものお詫びにとお金を送ろうとしてくれたようです。横には「忘れないように、まりに送る」と書かれたメモがありました。 薄れていく記憶のなかでも私のことを心配してくれていたんだといううれしさと、メモがあっても途中で忘れてしまう切なさを感じました。他にも、私の住所が書かれた空の封筒がいくつもあって、思わず泣いてしまいました。 母が大阪で過ごす最後の夜、母は部屋に引きこもってしまったので、父と2人で食事をとったのですが、いつの間にか父は泣いていました。私はかける言葉が見つからず、黙々と食事を続けました。最後まで母を見ることができない悔しさなのか、夫婦がバラバラになる寂しさなのか、涙の理由は聞けませんでした。
「余命1か月」と宣告され、延命のため「胃ろう」を決断…後悔しないよう介護をやりぬく
――母親は現在77歳で、今も岩佐さん家族と暮らしています。岩佐さんは長年、在宅介護をされていますが、なにが原動力なのでしょうか。 岩佐さん:親を大事にしたいという思いですかね。母がすごく私を大事にしてくれたから、その恩返しではないんですけれども。誰かを支えるってことは、私は全く苦ではないんです。高校生の頃、特別養護老人ホームで実習をしてたぐらい、介護士や看護師になることは小さい頃からの夢でした。 誰かを支える行為が、仕事ではなく家庭で行われているだけなので、私の性に合ってるんです。私がいることで母が快適になって喜んでくれる、笑顔を見せてくれる。それが私の喜びなので。人を喜ばせることが私は好きなんですね。誰かを助けて、「ありがとう」って言ってもらえること、それが私の原動力です。 ――母親は要介護5で、寝たきりで表情もほぼ動かない状態ですが、毎日話しかけていますね。 岩佐さん:私が娘だと分かってるのかどうかは分からないんですけども、聞き覚えがあるようで反応するんです。「この声は安心する」と感じているんだと思います。だから返事がなくても語りかけています。私には2歳の息子がいますが、孫がそばで遊んでいると、母は微笑むなど、すごく良い表情をします。 母は食事の経口摂取が難しくなり、2024年の3月に「余命1か月」と医師に告げられたこともあり、延命のために胃ろうの手術を受けました。母は明日どうなるか分からない状況ですが、こうして命をつないでいます。 医療が伸ばしてくれた母の命を大事にして、毎日を大切に生きなければと考えています。そして、いつか絶対に亡くなることは覚悟の上で介護をしていますので、最期の時に後悔しないよう、精一杯やりぬきたいです。 ◆フリーアナウンサー、社会福祉士・岩佐まり いわさ・まり/1983年9月27日、大阪府生まれ。ケーブルテレビなどで司会・キャスターとして活躍。55歳で若年性アルツハイマー型認知症を発症した母を、20歳から20年以上介護。介護の日々を綴ったブログ『若年性アルツハイマーの母と生きる』は月間総アクセス数300万PVを超える人気ブログに。認知症ケアに関する講演を全国で実施。著書に『若年性アルツハイマーの母と生きる』(KADOKAWA)などがある。 取材・文/小山内麗香
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