幼馴染コンプレックス
2年くらい前に書き始めて、脳内で完結させて満足しそのまま放置している作品の序盤です。
昔は仲が良かったけれど、小中のとある出来事をきっかけに確執ができ仲が悪くなってしまった夢主ちゃんと春宮のお話。
私の中では既に完結しているので書く気が全然起きていない現状、気が向けば続きを文章化するかなー……といったところですが、2年間放置しているとはそういうことなので……
- 28
- 29
- 11,686
ふと顔を上げると、窓ガラス越しに桜の花弁がふわりと舞い落ちるのが見えた。
ゴールデンウィークも明けたというのに、校舎沿いに植えられた桜の樹には未だ春の欠片が残っている。大部分を占める若草色の葉に紛れる薄桃色の余韻には、なんとも言えない物悲しさがあった。
授業に耳を傾けながらただただ板書をノートに書き写すだけの作業にも飽き、私はカチカチと無駄にシャーペンの芯を出しては押し戻したり片手でペンを回したりしながら頬杖をついて授業が終わるのをぼんやりと待つ。与えられた練習問題を自らの力で解く気など毛頭なかった。
「まだかなあ」
誰にも聞こえない声でそっと呟く。
教科担任が教科書を読み上げつつ数式の解説をしていく声よりも、黒板を走る白いチョークの音よりも、教室に微かに響く筆記音よりも、一秒、また一秒と秒針が進む音の方がやけに耳に付く気がした。
開いた窓枠から吹き込む生温い風に眠気を誘われうつらうつらとしていると、同時に外から賑やかな声が教室に流れ込む。何の盛り上がりかと見てみれば、外では校舎に面して広がるグラウンドで他学年の男子生徒が体育の授業に勤しんでいた。
体を動かすのが好きというわけではないけれど、こうして座学を受けているよりは体育の方が楽でいい。いつ指されるのかとか身構える必要がないし、何より先生の目を気にすることなく堂々とサボれるから。
勉強をすることが無駄だとは言わない。むしろ必要なことであるということも、ちゃんと理解はしているつもりだ。けれど、それでも私はどうにも学業に関して前向きにはなれなかった。
放課後を告げるチャイムが校内全体に響き渡ると、張り詰めたクラスの空気が一気に弛緩する。週の中でも苦手な授業ばかりが缶詰のように詰め込まれた今日。それがようやっと終わったのだと実感すると、明日からの授業が楽に思えて仕方ない。嫌なものは嫌だけど。週末の休みを控えた午後の数学は得意不得意をなしにしてもクラスに一番生気が宿らない時間と言っていい。だからこそ、放課後を告げる終業のチャイムは普段以上に気が抜けてしまうのだ。
「あー、終わった終わった」
「部活行こうぜー」
帰りのホームルームが終わった瞬間から、教室中は部活や下校モードだった。
視界の端で生徒がぞろぞろと教室を出て行くなか教科書を鞄に詰め帰る準備をしていると、「まーどか」と不意に耳元で柔らかい声がした。声のする方を振り返ると、そこに立っていたのは中学時代からの友人、胡桃果穂だった。ふんわりとした猫っ毛とどこか幼さの残る顔立ち、低めの身長から実年齢よりも幼く見られがちだが、中身で言えば私よりずっと成績が良く、どこか達観しているところがある。中学時代は赤点女王と呼ばれていた私が無事に高校入学を果たせたのも彼女のおかげと言っていい。
鞄に荷物を詰め終えて、私は「帰ろっか」と席を立った。
「春宮くんに声かけていかなくていいの?」
「春宮? なんで?」
質問を質問で返すと、果穂からは少しの間を置いて「なんとなく?」と更に疑問系で返ってきた。
果穂の言う〝春宮くん〟とは、私の幼馴染の春宮永臣のこと。彼奴とは小学校に上がる前からの付き合いで、昔はそれなりに仲良くしていたと思う。けれど、ある時からそれはなくなった。きっかけも時期もよく憶えてはいないけれど、妙に苦々しい思いをしていたことだけは変に残っているので、あまり良い思い出ではなかったことは確かだ。
「幼馴染っていったらこう、毎日一緒に帰るとかお互いの家を行き来するとか、とにかく一緒にいるイメージだからさ。でもまどかと春宮くんって全然そんなことないから不思議だなあって思って」
「……果穂って、偶に少女漫画チックな思考持ってるよね」
幼馴染=仲良し、なんて総じて当てはまるわけでもない。幼い頃は仲が良くても、成長すればそれなりに距離も出来るし異性なら尚更。あの頃は平気だったことが大人になって無理になった、なんて珍しい話でもないだろう。
そもそも私が春宮と再会した高校入学当時(と言っても一ヶ月前)から、私が彼奴と仲良くしていたことが一度でもあっただろうか。入学式の日に起きた予想外の再会……新生活初日というにはあまりに最悪すぎるあの事件以降、私は極力春宮とは話さないようにしているし、彼奴は彼奴で暫く見ない間に中学で出来たらしい友人にひっつき虫だし。仲良くするどころか話すタイミングすらないというのに。
「まどかってどうして春宮くんとそんなに仲が悪いの?」
「幼馴染だからって仲が良いわけじゃないよ。それに、ひさ……春宮とはただ家が近所で親が仲良いってだけの腐れ縁だし」
「態々言い直さなくてもいいのに。名前も」
果穂は口元に手を添えて穏やかに笑う。けれどその表情にはどこか悪戯な雰囲気があった。
初めて会った時、果穂は私と春宮が交際関係にあると思っていたらしい。今でこそは殆どないものの、入学してから一、二週間くらいはずっと顔を合わせれば喧嘩ばかりだったというのにどこをどう見たら恋人同士に見えたのか、勘違いにも程がある。男女のペアを見たら誰彼構わず恋仲と思うなんて、小中学生じゃあるまいし。
「中学で一度は離れたものの、こうしてまた高校で再会して同じクラスにもなって。こんなの運命以外でもなんでもないでしょ!」
「だから、ただの腐れ縁なんだってば」
一人で盛り上がる果穂を横目に、私は溜め息を吐く。
そう、これはただの腐れ縁だ。運命なんてクサい言葉で、私と彼奴が結ばれてたまるかっつーの。
自宅へと近付くに連れて、嗅ぎ慣れた甘い香りが鼻腔を擽る。私の家は自宅と一体型でフラワーショップを経営しているので、四季折々で変わるこの香りは、私に季節や時期の変わり目を教えてくれる。
「おかえりなさい、まどか。果穂ちゃんも」
店側から回って家に帰ると、中から母が箒を持って出迎えてくれた。
「ただいま帰りました〜」
「ただいまー……ってあー!」
出迎えてくれた母は、私が子供の頃に母の日のプレゼントに贈ったエプロンを着用していた。胸元にはカーネーションの刺繍が施されていて、歪だけどそのすぐ下にはひらがなで母の名前も縫ってある。既製品に少し手を加えただけのものとはいえそれは決して出来のいいものではなくて。使ってくれているという事実に、嬉しい反面恥ずかしさが勝った。
「もー、お母さんったら! それ恥ずかしいから使わないでって言ったじゃんー!」
「何言ってるのよ! 可愛い娘が折角母の日に贈ってくれたものなのに、使わない親がいますか!」
贈ったエプロンを使わないで欲しい私と、意地でも脱いでやらないぞと言わんばかりの母。押し問答をする私たちを、果穂は「まあまあ」と落ち着くよう促した。
この時期は母の日が近いこともあり、店頭には赤いカーネーションと白いカーネーションが一面に並べられ、店内の装飾やサービスの提供も感謝と労いをテーマに力を入れている。その為か、母もその期間中だけは毎日このエプロンだけを着ているのできっと今年も私が折れるしかない。
「そう言えば、もうすぐ母の日だっけ。私も一本買っていこうかなあ」
果穂は店頭に並べられた白いカーネーションの前に腰を下ろしながら言う。物心ついてすぐの頃に母親を亡くしている果穂は、毎年この時期になると感傷的になる。命日以上に、この時期は家族内だけでなく街全体が母の日イベント一色になるから意識せざるを得ないのだそう。
真剣な表情でカーネーションを選ぶ果穂を横目に、私も今年は何を贈ろうかと思考を巡らせる。
カーネーション単体に小物を添えた贈り方なら毎年しているし、今年は他の花とも組み合わせてアレンジブーケを……は、少しばかり盛大だろうか。誕生日でもないし、日頃の感謝を伝える分にはもう少し控えめでも良いのかもしれない。感謝することに大きいとか小さいとかがあるのかは分からないけれど。いっそのこと本人に欲しいものを聞いてみるのもアリ——……
「あ、そうだまどか」
「何?」
母の日のプレゼントについてを考えていると、店内を掃除している母が何かを思い出したように顔を上げて私を見た。
「永臣くん、来てるわよ」
ドタドタと品もない忙しない足音で自宅の階段を駆け昇り、下手すれば扉が外れてしまうほどの勢いで自室の扉を開ける。
部屋の中央には学習用の机とはまた別に丸い折りたたみのローテーブルを置いていて、その上には普段は何も置かないようにしている。けれど昨晩、部屋の掃除をしていたら中学時代に使っていた学習用の参考書やルーズリーフが出てきたのでつい広げたまま出しっぱなしにしていた。けれど今はそれらが積み重なった状態で端に寄せられていて、空いたスペースには飲み物が注がれて結露したガラス製のコップと、漫画本が数冊置いてあった。漫画は中学生に上がる前に大量処分したものの、当時お気に入りでどうしても捨てられなかったものだ。もう何年も開いていないからかなり傷んでしまってはいるけれど。
「……何しに来たの」
呼吸を整えながら、感情的にならないように、静かに、素朴な疑問を投げかける。そんな私に、テーブルの前で胡座をかく春宮は顔を上げたかと思うと「もーちょい静かに上がって来れねえのかよ。猪か」と返してきた。
信じられない…! てか、高校生になったばかりの娘の部屋に同い年の男を無断であげる普通? 幼馴染だとか昔はよく行き来した仲だとか、そんなの今は適用外だから! 此奴は此奴で呑気に何か飲みながら私の中学生時代の参考書読んでるし! おまけに猪ですって!?
色々言いたいことはあるけれど、苛立ちよりも先に目の前の情報量を一つ一つ追っていくことに精一杯だった。
「悪かったわね…! てか何しに来たわけ本当に。用がないなら出ていってくれない? 目障りだから」
「それが商売してる家の娘の態度かよ」
「アンタ相手にお客様対応してもらえるとでも思ってんの?」
悪態には悪態で返す。その姿勢を崩すことなく負けじと言い返しながらばちばちとお互いを睨み合っていると、先に睨むのをやめた春宮はあからさまにため息をつき、テーブルの上に視線を戻した。
「つーかお前の部屋、久々に来たけどこんなつまんねえもんしか置いてねえのかよ。あんだけあった漫画も全部なくなってるしよ。今何見てんだ?」
閉じた参考書を片手にそう聞いてくる春宮に、私の中で、糸のような何かがぷつりと切れる音がした。気付けば私は手に持っていた鞄を春宮めがけて投げ付けようと腕を振り上げていた。
「放っといてよ! アンタには関係ないでしょ!? 何しに来たのかは知らないけど、用が済んだならもう出てって!」
一時の昂りをぶつけたことで、自分の声にはっと我に帰る。
振り上げた腕は徐々に脱力し、持っていた鞄は足元の床に重量感のある音を立てて落ちた。
ああ、またやっちゃった。
物事を冷静に考えるのが苦手な私は、感情的にならないようにっていつも自分の気持ちは抑えるようにしているのに。春宮を前にすると、どうしても制御が効かなくなってしまう。それだけ私は、此奴のことが嫌いで仕方がないのだと思う。
怒りをぶつけたことで少しばかり息の上がっている私を見て、春宮は数秒ほど黙り込んだかと思うとその場から立ち上がり、去り際に意味深な一言を残して部屋を出て行った。
「は…? 何それ、どういう——……」
それを言う春宮の表情は妙に真剣そうというか、下手に言い返したりその言葉の意味を聞き返したりできるような様子ではなくて。全てを言い切る前に私は黙ってしまった。
何となく、その後の様子が気になってしまった私は春宮の後に続いて階段を降り店へと出る。
「あら永臣くん、もうまどかへの用事は済んだの? 久しぶりに来たんだし、もっとゆっくりしていけばいいのに」
「……また今度来る」
店を出る直前、母に話しかけられた春宮は私を一瞥してからそう答える。元の目つきが悪いせいか、不機嫌なのか通常なのかも分からない表情に、怖いと思ったわけでもないのに半歩後退りしてしまった。
店を出ようとする春宮に、私は「待って」と自分の意思に反して声を出し彼奴を引き留める。
「何、用事って。何か話でもあったわけ?」
さっさと帰って欲しくて一方的に怒鳴ってしまったものの、此奴が用事もなく私の元を訪れるなんてあるはずがない。そう思ったら途端に罪悪感に似たようなものが湧いてきて、聞かずにはいられなかった。
「別に何もねえよ。漫画とかゲームとか、なんか面白そうなもん増えてねえか見に来ただけだ」
春宮は振り向き様に舌を出しそう言うと、今度こそ店を出ようとした。
「まっ……ってよ、春宮」
「今度はンだよ、まだなんかあんのか」
「いや……その…」
理由もなく呼び止めてしまったことに焦って、必死に用件を探す。果穂も母も私たちに視線を向けていて、その間、自分自身の視線のやりどころに困って俯き気味になる。
上下左右に視線を泳がせていると、視界の端に、果穂が持つ一本のカーネーションが映った。
「……せ、せっかくうちに来たんなら、おばさんにカーネーションの一本でも買って行けば? 母の日にくらい、可愛げのある息子でいてもいいと思うけど」
「…………チッ、一本寄越せ」
「うーわ態度悪っ。最悪すぎるこの客」
私めがけて弾かれた五百円玉をキャッチしながら、春宮に赤いカーネーションを一本、最初から透明の包装を施してあるものを渡す。買ってもらった商品を投げ渡すなんてことは、花屋の娘としては流石にしないけど。
「お買い上げ、ありがとうございます♪」
謎に上機嫌な母を横目に私はお釣りを取りにレジに向かうが、精算している僅かな時間にも彼奴の姿は既になかった。
ちょっとくらい待てできないのかあの男は。私が小遣いとしてもらうぞ。まあ返す機会なんていくらでもあるから別に良いけど。