日本人がほぼ知らない、香港がどのように死んだのかを簡単に要約↓
戦後、中国の文化大革命や大躍進により
中国人が大量に香港に不法入国した「大逃港」が起きて
当時の香港人は彼たちを同情し
香港英国政府が彼たちを送還しようとした時
多くの香港人がそれを阻害した
結局香港にいる中国難民が一気に増え
香港の福祉がだんだん中国難民に奪われて
香港人の生活が苦しんだ中で
中国共産党は香港左派や中国難民を利用して
香港のストライキしてる労働者を利用して
「六七暴動」と言う赤色テロが起きてしまい
中国共産党に利用された難民たちは、土製爆弾を使い
無実な香港の児童まで殺した
最後は六七暴動は鎮圧されたが
多くの香港人が中国共産党の侵攻に恐れて
香港を後にし、世界に逃した
その後香港の親中勢力が壮大し
「香港独立」を謳う香港本土派が抹殺され
更に六四天安門事件は多くの香港人が哀悼することにより
香港は「中国の内政」に陥れた
香港はあの頃から「中国領」となることに決められた
中国に統制された後、自主権が失われて
中国政府に毎日150人の中国人を受け入れさせられ
香港反送中でも、香港本土派が声が上がらなく
「中国民主化」を謳う「中国民主派」だけの舞台になった
その結果、香港は武漢肺炎後、完全に死んだ
これが移民を多く入れたり「多文化共生」を強引にやった代償だ、香港は中国からの難民移民により殺された、今の状態の日本と台湾も、「明日の香港」になるリスクが高い